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第5話 魔王の転生者

 

 解放された他の人々が、感謝と恐怖の入り混じった表情で森の奥へと逃げていく。あっという間に、キャンプには私と、地面に拘束された奴隷商人たち、そして隣に立つ彼だけが残された。


(......まだ、手に温もりが残っている気がする)


 先ほど彼に握られた手を、私は無意識に胸元に当てていた。前世でも今世でも、誰かにこんな風に触れられたことはなかった。


「......あなたは、逃げないのですね」


 私がそう問いかけると、彼はボロボロの襤褸をまとったまま、無感情に私を見つめ返した。その血のように紅い瞳は、先ほどまで檻の中にいた人間のそれではない。


「逃げる必要がどこにある?」 低く、静かな声。 「むしろ、礼を言うべきか。……いや、それよりも聞きたいことがある」


 彼は、私が錬成術で拘束した商人たちを一瞥し、それから私の手元に視線を移した。


「先ほどの力。あれは聖属性魔法などではない。物質の構成を理解し、再構築する……『錬成術』だ。それも、極めて高位の」


 私の心臓が、微かに跳ねた。 あのレオンハルトたちはもちろん、聖女教会の誰一人として見抜けなかった私の力の正体を、この男は一目で見抜いた。


「……あなた、何者です?」 警戒を滲ませる私に、彼はふっと、初めて笑みを浮かべた。 それは、全てを達観したような、冷たい笑みだった。


「俺も、お前と同じだからだ」 「……同じ?」 「ああ」と彼は頷き、自分のこめかみを軽く指で叩いた。


「『前世の記憶持ち』、という意味で、だ」


(……!)


 前世。橘美咲わたしの記憶。 この男も、私と同じ……転生者?


「その反応。どうやら図星らしいな」彼は、私の動揺を楽しんでいるかのようだ。「お前からは、その若すぎる外見不相応の、疲れた魂の匂いがする。まるで、納期に追われ続けたプロジェクトマネージャーのような」


「......っ!」


 今度こそ、私は冷静な仮面を貼り付けていられなかった。的確すぎる、前世の私を的確に射抜く言葉。


 彼は一歩、私に近づく。その距離は、会話をするには少し近すぎる。


「驚くことはない。俺もお前と同じ、『やり直し組』だ。......ただ、俺の場合は少し事情が複雑でな」


 彼の紅い瞳が、月明かりの下で妖しく輝く。私は、後ろに下がることもできず、ただ彼を見上げていた。


(......なぜ、動けない?)


「あなたは......!」


「俺の『前』は、もう少しタチが悪くてな」彼は自嘲するように笑い、その紅い瞳を細めた。「500年以上昔……俺は、奴らに『魔王』と呼ばれていた」


 魔王。その言葉の重みに、空気が軋む。


「『処刑人の魔王』アザゼル。まあ、実際は過激派の連中を処刑しすぎて、穏健派の俺が逆に暗殺されたんだが。皮肉なものだ」


(魔王の、転生者)


「500年前......」

 私が呟くと、アザゼルは僅かに驚いた顔をした。


「......詳しいな」


「神樹を巡る戦争があったと、歴史書で読みました。煌天樹と冥府樹の......」


「第三次神樹戦争」アザゼルは、遠くを見つめた。「俺は、どの国にも属さなかった。ただ、神樹に支配される世界を変えたかった」


「変える......?」


「ああ。七神樹は、加護という名の『鎖』で全てを縛っている。俺は、その鎖を断ち切りたかった」

 彼の紅い瞳に、僅かな悔恨が宿る。

「だが、穏健派の魔王など、邪魔だったのだろうな」


(......神樹の支配。そして、それに抗おうとした魔王)


 私の万象錬成術も、神樹の加護には依存しない。だから、異端なのだ。


 だが、不思議と恐怖は感じなかった。むしろ――


(......安心している? 私が?)


 同じ転生者。この世界の常識から外れた存在。誰にも理解されなかった孤独を、この人なら分かってくれるかもしれない。


 その時だった。


「この、化け物どもがァ!」


 拘束されていた奴隷商人の一人が、どうやって緩めたのか、隠し持っていた短剣を私に向かって投げつけてきた!


(まずい……!)


 錬成術で壁を作る思考が間に合わない。 短剣が、私の喉元に迫る――


 ピタリ。


 世界が、止まった。


 投げられた短剣が、私の目の前、数センチの空中で静止している。必死の形相で叫ぶ商人も、恐怖に引きつった顔で逃げようとしていた他の奴隷たちも、風に揺れる木々の葉も、全てが絵画のように動きを止めている。


 私、以外は。


「......だから言っただろう。タチが悪い、と」


 気づけば、彼の腕が私の腰を抱き寄せていた。


(......え?)


 彼の顔が、すぐ目の前にあった。その紅い瞳が、私を映している。


「お前は、本当に無防備だな」彼は静かに呟いた。「こんな森の奥で、一人で――いや、もう一人じゃないか」


 そう言って、彼はゆっくりと宙に浮く短剣を指でつまむと、それを投げた本人の喉元へと、音もなく移動させた。


(時間を......止めた?)


 万象錬成術とは全く異なる、世界の理そのものを捻じ曲げる力。そして、私を庇うように抱き寄せた、この腕。


「......離してください」私は、動揺を隠すように冷たく言った。


「ああ、悪い」彼は素直に腕を離したが、その口元には僅かな笑みが浮かんでいた。「つい、な」


 彼が指を鳴らす。パチン、と乾いた音が響くと、世界が色を取り戻した。


「――がっ!?」


 商人の叫び声の続きと、短剣が地面に落ちる金属音が、同時に響く。 商人たちは、一瞬で移動し、自分たちの喉元に短剣を突きつけたアザゼル(に見えただろう)の姿に、完全に意識を失っていた。


「SSS級『時空支配術』。俺のささやかなスキルだ」


 彼は何事もなかったかのように、私に向き直る。


(SSS級……私と同じ)


 この世界の常識(E級)から逸脱した存在が、二人。 これは偶然か、必然か。


 アザゼルは、ボロボロの衣服についた土を払いながら、私を真っ直ぐに見据えた。 そして、彼はゆっくりと片膝をついた。


「……?」


「俺の力、お前にくれてやる」 「……主従契約ですか?私は奴隷を解放したつもりですが」


 奴隷商人を無力化しておいて、自分が新たな主人になるなど、本末転倒だ。


 私の言葉に、アザゼルは顔を上げ、心底愉快そうに笑った。


「違う。そうじゃない」


 彼は立ち上がる。 その背丈は私よりずっと高く、その姿は、奴隷のそれとは程遠い威厳に満ちていた。


「俺に主人は要らない。そして、お前に必要なのは、言いなりの『奴隷』か?」


「……いいえ」


「だろうな」 彼は、泥に汚れた手を差し出してきた。 それは、臣下の礼ではなく、対等な者が握手を求める仕草。


「お前は『万象錬成術』。俺は『時空支配術』。互いに規格外のバグを持つ者同士、対等な『協力関係パートナーシップ』を結ぼうじゃないか」


 その紅い瞳には、私という存在への、強烈な興味と……同類を見つけた歓喜が宿っていた。


(SSS級のスキルホルダー。しかも、思考は合理的)


 私の脳内(橘美咲)が、即座に彼の価値を査定する。これ以上ない、最高の人材リソースだ。


 だが、それだけではない。胸の奥で、もっと別の何かが高鳴っている。


「......面白い提案です」


 私はその手を取った。彼の手は大きく、温かかった。先ほどの、短い接触とは違う。今度は、私から握り返す。


「セレスティア・ノヴァルーナです。よろしく、アザゼル」


「ああ」彼は、私の手を握ったまま、真っ直ぐに私を見つめた。「これから、よろしく頼む――セレスティア」


 彼が私の名を呼ぶ声が、なぜか心地よかった。


(......この人となら)


 一人じゃない。前世でも今世でも、ずっと孤独だった私に、初めて「対等な仲間」ができた。


 いや、それ以上の――


 月明かりの下、握り合った手を、私たちはしばらく離さなかった。


 こうして私は、追放されたその日に、世界最強の「相棒」を手に入れた。そして、胸の奥で芽生え始めた、名前のつけられない感情に、まだ気づいていなかった。

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