第4話 奴隷市場での出会い
SSS級スキル『万象錬成術』。 その力の本質は、どうやら「物質の分解と再構築」らしい。
(ゴブリンを光の粒子に『分解』し、森の木々を槍へと『再構築』した。……だとしたら、応用範囲は無限)
前世、プロジェクトマネージャーとして常にリソース不足に悩まされていた私にとって、MP無限、かつ森羅万象すべてがリソース(素材)となり得るこの力は、まさに夢のようだった。
拠点候補地を探すため、私は魔獣の森の奥深くへと足を踏み入れていた。 ゴブリンを瞬殺した後、警戒していた魔獣の気配はぱったりと途絶えている。 おそらく、私の桁外れの魔力(あるいはスキルの残滓)を恐れて、近寄ってこないのだろう。
(実に効率的。まずは安全な水場の確保と、居住区の設営。それから防衛ラインの構築と……)
思考が完全に橘美咲(わたし)のものになり、脳内で次々とタスクリストとガントチャートが組み上がっていく。 追放された身でありながら、その足取りは軽い。 何しろ、無能な上司も、理不尽なクライアントもいないのだ。 こんなに素晴らしいプロジェクト(開拓)が他にあるだろうか。
そんな高揚感に水を差すように、不意に、獣臭さとは異なる生々しい臭いが風に乗って届いた。 焚火の煙と……人の声?
(こんな森の奥に、人が?)
聖騎士たちがいた森の入り口とは、すでにかなりの距離がある。 私は気配を消し、音のする方へと慎重に近づいた。
茂みの隙間から開けた場所を覗き込み、私は息を呑んだ。
そこは、キャンプと呼ぶにはあまりに殺風景で……非人道的な場所だった。 いくつもの粗末な鉄格子(檻)が並べられ、その中には、あからさまに衰弱した人々が詰め込まれている。 獣の耳を持つ子供、鱗に覆われた肌の男、そして、普通の人間も。
「ヒャハハ!こいつら、王都に運べばいくらになるかなァ!」 「特にあの獣人のガキどもは高く売れるぜ」
焚火を囲んで酒を飲んでいるのは、見るからに人相の悪い男たち。 その腰には錆びた剣がぶら下がっている。
(……違法奴隷商人)
前世の日本には存在しなかったが、この世界の暗部として知識では知っていた。 七神樹の加護が薄い辺境地域では、こうした連中が跋扈し、亜人や難民を捕らえては売りさばいているのだと。
(最低のクズどもが)
冷静な思考とは裏腹に、心の奥底で、前世の過労死寸前の私を使い潰したブラック企業の経営者たちに向けたものと同質の、冷たい怒りが湧き上がってくる。
私の視線が、檻を一つずつ確認していく。誰もが恐怖と絶望に目を濁らせ、うつむいている。
――その中で、一人だけ。
ひときわ頑丈そうな檻に入れられた、一人の青年が、私の目に留まった。その瞬間、時が止まった。泥と血に汚れ、ボロボロの襤褸をまとっている。けれど、その合間から覗く肌は病的に白く、顔立ちは、この世のものとは思えないほど整っていた。漆黒の髪。血のように紅い瞳。
(……胸が、跳ねた)
理由は分からない。でも、彼を見た瞬間、何か運命的なものを感じた。前世でも今世でも、こんな感覚は初めてだ。
彼の紅い瞳には、絶望も恐怖も一切ない。ただ、凍てつくような冷徹さで、奴隷商人たちを、そして、この世界すべてを侮蔑しているかのように見つめていた。
(……この人も、私と同じ。世界から拒絶され、孤独に生きている。なのに――なぜだろう。惹かれる)
私は、自分の胸に手を当てた。心臓が、まだ速く打っている。
他の奴隷たちとは、明らかに「格」が違う。
「おい、あの黒髪のやつ、大丈夫か? 昨日から一言も喋らねぇが」 「まあ、見た目は極上だ。貴族の変態どもには高く売れるだろ。抵抗するなら足を折っちまえ」
下卑た笑い声が響く。 私は、もう見るに堪えなかった。
(プロジェクトの障害は、早期に排除するに限る)
私は音もなく茂みから立ち上がり、キャンプの中央へと歩み出た。
「あ? なんだ、てめぇ……」
最初に私に気づいた男が、驚きに目を見開く。 ボロボロとはいえ、私が着ているのは元公爵令嬢のドレスだ。 場違いな闖入者に、商人たち全員が立ち上がった。
「こんな森の奥に、女一人だと?」 「ヒヒ……ツイてるぜ!こいつも商品になる!」
一人が下品な笑みを浮かべ、剣の柄に手をかける。
私は、無言で右手を地面にかざした。
(要求定義:全敵対者の戦闘能力の完全剥奪) (仕様:所持武器の無力化、および身体の拘束)
「――実行」
次の瞬間、商人たちの剣や斧が、一斉に赤錆びてボロボロと崩れ落ち、砂になった。
「なっ!? お、俺の剣が!」 「ま、魔法か!?」
彼らが狼狽する隙に、私はさらに術を行使する。 彼らの足元の地面が、まるで生き物のように隆起し、瞬時に硬化して、彼らの足首から腰までを固めてしまった。
「う、動けねぇ!」 「なんだこりゃあ! 岩が、岩が足に!」
地面から錬成された即席の拘束具。 これなら、殺さずに無力化できる。
阿鼻叫喚の商人たちを一瞥もせず、私は檻へと向かう。 鉄格子の前に立ち、その強固な錠前に指先でそっと触れた。
(……鉄。これを、空気に再構築)
シュッ、という微かな音と共に、錠前は構成元素レベルで分解され、霧のように消え去った。
私はそのまま、次々と檻を開けていく。 解放された奴隷たちは、何が起きたのか理解できない様子で、ただ呆然と私を見上げていた。
「……逃げなさい。森の入り口に向かえば、王都への道があります」
私の言葉に、人々ははっと我に返り、慌てて私にひれ伏し、感謝の言葉を述べながら森の中へと逃げていく。
最後に、あの男の檻の前に立った。同じように錠前を消し去り、重い扉を開く。
彼は、檻の中で立ち上がった。背が高い。180cm以上ありそうだ。
(……心臓が、また速くなる)
なぜ、こんなに動揺しているのだろう。前世の橘美咲は、男性に対してこんな反応をしたことなど、一度もなかったのに。私は、内心で自分を叱咤し、平静を装って彼に向き直った。
ボロボロの姿でも、その威圧感は隠しようがない。
彼が、初めて口を開いた。
「……お前が、やったのか?」
低く、静かだが、よく通る声だった。
「ええ」 私は真っ直ぐに、その紅い瞳を見返して答える。 「あなたは自由です」
彼は、私から視線を外し、拘束された奴隷商人たちを冷ややかに一瞥した。そして、再び私に視線を戻す。その瞳には、感謝ではなく、値踏みするような――あるいは、同類を見つけたかのような、奇妙な光が宿っていた。
「......なぜ、俺を解放した?」低く、静かな声だった。
「理由が必要ですか?」私は首を傾げる。
「奴隷は、道具ではありません。それに――あなたの目を見て、思ったんです。この人は、私と同じだ、と」
「......同じ?」
「ええ」私は頷く。
「世界から拒絶され、孤独に生きている。でも、決して折れない、強い意志を持っている」
彼の瞳が、微かに揺れた。
「......面白いことを言う」彼は、ボロボロの衣服についた土を払いながら、私にゆっくりと歩み寄ってきた。一歩、また一歩。距離が縮まる。
(......心臓が、うるさい)
私の目の前で立ち止まると、彼はその紅い瞳で、私を射抜くように見つめた。
「お前の名は?」
「セレスティア・ノヴァルーナ」
「セレスティア――」彼は私の名を反芻するように、ゆっくりと口にした。その声が、なぜか胸に響く。「......美しい名だ」
「え......?」突然の言葉に、私は思わず目を見開いた。美しい、だなんて。そんなこと、言われたことがない。前世でも、今世でも。
「顔を赤くするな。事実を述べただけだ」彼は、僅かに口角を上げた。それは、奴隷のそれではない。「お前は、面白い女だ、セレスティア」
そう言って、彼はそっと、私の手に自分の手を重ねてきた。
(......温かい)
生きている人間の、温もり。前世でも今世でも、こんな風に誰かに触れられたことがなかった。
「礼を言う。そして――」彼は、私の手を握ったまま、真っ直ぐに私を見つめた。「お前に、興味がある」
その言葉の意味を理解する前に、彼は手を離した。だが、去ろうとはしない。ただ、私の隣に立ち、解放された奴隷たちが森の奥へと逃げていく様子を、静かに見守っていた。
私も、握られていた手を見つめる。まだ、温もりが残っている気がした。
(......この人は)
他の奴隷たちとは明らかに違う。私は、自分が厄介な存在を解き放ってしまったのかもしれないと、直感的に感じていた。同時に、胸の奥で、何かが芽生え始めていた。
――この出会いが、私の運命を大きく変えることになるとは、この時はまだ知らなかった。




