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第16話 見えざる帝国

 

 民衆への告知を終えた。帝国を隠すという決断に、全ての民が賛同してくれた。


 彼らは私を信じてくれている。その信頼に応えなければ。


 その夜、私は私室に戻っていた。


 机の上に置かれているのは、ルミナリスが運んできた手紙。レガリア王家の紋章が刻まれた封蝋が、月明かりに鈍く光っている。


 私はしばらくそれを見つめていたが、やがて封を開けた。丁寧な文字で書かれている。


『セレスティア様

 突然の連絡を、お許しください。

 あの日以来、私はあなたのことを案じておりました。

 森での生活は、いかがでしょうか。

 ご無事でいらっしゃるか、心配しております。

 近況を伺いたく、この手紙を送ります。

 お互いに、無用な誤解がないように。

 もし、お困りのことがあれば、どうぞお知らせください。

 できる限りの支援をさせていただきます。

 レオンハルト・ソル・レガリア』


 読み終えた私は、冷たく笑った。


(調査、ですか)


 私は手紙を再び見る。


 丁寧な文字で綴られた言葉。心配しているという体裁。支援を申し出る優しさの演出。


 でも――全てが空々しい。


(......本当に心配しているのなら、追放などしなかったはず)


 私の指が手紙の端を掴んだ。紙が僅かに震える。怒りではない。呆れだ。生死を確認したい。現状を把握したい。もし何かを成し遂げているなら、それを利用できないか探りたい。そういう意図が、行間から滲み出ている。


(無用な誤解、ですか)


 その言葉が特に気に障った。誤解などしていない。あの日、私は明確に追放された。偽聖女として断罪され、森へ捨てられた。それが事実だ。今更「誤解」などと言われても、何も変わらない。


 私は手紙を両手で持ち、万象錬成術を発動した。


 紙が光に包まれ、分子レベルで分解されていく。そして再構築される――灰として。白い灰が私の手のひらに落ちた。


 扉がノックされた。


「どうぞ」


 入室してきたのはルミナリスだった。


「陛下、お呼びでしょうか」


「ええ」私は小さな箱を取り出し、灰を丁寧に入れた。「これを聖レガリア王国に送ってください。レオンハルト殿下に直接」


 ルミナリスが箱を受け取った。


「添え状は?」


「不要です」私の声が冷たく響いた。「これだけで十分」


 ルミナリスは深く一礼した。


「かしこまりました」


 彼女が部屋を出て行った後、私は窓の外を見た。美しい星空が広がっている。


(もう遅いのです、レオンハルト殿下)


 私の居場所は、もうあの国にはない。ここに、この帝国にある。



 翌日、帝国で最も高い場所――古代遺跡の塔の頂上に、私、アザゼル、ザラキエルの三人が立っていた。


「準備はいいか」アザゼルが私を見た。


「ええ」私は頷いた。


 ザラキエルが竜の姿に変身した。全長五十メートルの巨大な黒竜。その威容が空を覆う。


「行くぞ」アザゼルの声が響いた。


 私は両手を広げ、万象錬成術を発動した。大地から光の線が伸び、帝国全体を網の目のように覆っていく。これが結界の基盤となる。物質レベルでの空間の再構築だ。


 ザラキエルが咆哮した。その声が空気を震わせ、竜の力が結界に注ぎ込まれる。強化、増幅、安定化。


 そしてアザゼルが時空術を発動した。空間が歪み、帝国全体が別の層に移動していく。物理的には同じ場所にありながら、認識上は存在しない。


 三人の力が一つになった。錬成術、竜の力、時空術。それぞれが完璧に調和し、光が帝国全体を包み込んだ。


 そして――消えた。


 外から見ると、ただの森。何もない普通の森。しかし内側では、帝国が確かにそこにある。街並み、人々、全てがそこに存在している。ただ外からは見えない。存在を隠蔽された。


「......成功したか」アザゼルの声が低く響いた。


「ええ」私は頷く。「完璧です」


 ザラキエルが人間の姿に戻った。


「素晴らしい。三人の力がこれほど調和するとは」


 私は帝国を見下ろした。美しい街並み、笑顔で働く人々。全てが守られた。



 結界が完成した。


 外から見れば、ただの森。誰にも気づかれない。


 私は塔を降りながら、考えていた。


(今なら――)


 外から見られることなく、帝国を発展させられる。


 でも、何が必要なのか。

 何を作れば、民が暮らしやすくなるのか。


 私一人で決めるべきではない。


「ルミナリス」


 待機していた彼女を呼んだ。


「はい、陛下」


「広場に、全ての民を集めてください」


 ルミナリスが僅かに驚いた表情を浮かべた。


「......今からですか?」


「ええ」私は頷いた。「民の声を、聞きたいのです」



 一時間後。


 帝国の中央広場には、全ての民が集まっていた。


 千五百人を超える亜人たち。獣人、エルフ、ドワーフ、竜人。様々な種族が不安そうに私を見上げている。


 私は高台に立った。隣にはアザゼルが立っている。


「皆さん」


 私の声が広場に響いた。


 静寂が落ちる。


「結界が完成しました。今、この帝国は外から見えません」


 民衆がざわめく。


「今なら、誰にも邪魔されずに、帝国を発展させることができます」


 私は民を見回した。


「だから、聞かせてください」


 私は深く息を吸った。


「皆さんが必要としているものは何ですか?」


 しばらくの沈黙。


 民衆がお互いに顔を見合わせる。


 そして――一人の獣人が手を挙げた。豹族の青年だ。


「陛下!」


「どうぞ」


 青年が前に出た。


「キリクと申します」


「訓練場が必要です」


 彼は真剣な顔で続けた。


「今、ガルディウス隊長と一緒に、森の外縁を巡回しています。でも、訓練する場所がなくて」


 私はガルディウスを見た。


「ガルディウス、キリクさんは?」


 ガルディウスが前に出た。


「はい、陛下。彼は建国の時、『戦い方を知っているので手伝いたい』と申し出てくれました」


 彼はキリクの肩を叩いた。


「元自警団だったとのことで、動きも良好です」


「そうだったのですか」


 私は頷いた。薄々、誰かが手伝ってくれていることには気づいていた。ガルディウス一人では、とても巡回は回らない。


「他にも何名か、戦える者たちが名乗り出てくれております」


 ガルディウスが続けた。


「今は森の空き地で一緒に訓練しておりますが」


 キリクが言った。


「ちゃんとした訓練場があれば、もっと多くの者を鍛えられます。この帝国を、守るために」


「分かりました」私は力強く頷いた。「訓練場を作りましょう」


 民衆から歓声が上がった。


 私は、ふと思った。


 ガルディウスだけではない。

 ルミナリスも、フィーアも、ソラリスも――


 きっと、誰かが手伝ってくれているはずだ。


「ルミナリス」


 私は彼女を見た。


「あなたのところは、どうですか?」


 ルミナリスが僅かに微笑んだ。


「はい、陛下。実は数名、手伝ってくれている者がおります」


 ドワーフの男が前に出た。


「私です、陛下。バルドルと申します」


 がっしりとした体格のドワーフが深く頭を下げた。


「元商人でして、物の流れを見るのは得意なんです。ルミナリス様に『物資の管理を手伝いたい』と申し出ました」


 ルミナリスが付け加えた。


「バルドルには物資の流通を。誰が何を持っているか、誰が何を必要としているか、記録と調整を任せております」


「そうだったのですね」


 私は頷いた。やはり。


「今、物々交換で何とかしていますが」


 バルドルが周囲を見回した。


「ちゃんとした市場があれば、もっと効率的に物資を分配できます」


「分かりました」私は頷いた。「市場を作りましょう」


「フィーアは?」


 私はフィーアを見た。


「あ、はい」


 フィーアが優しく微笑んだ。


「私のところにも、何人か手伝ってくれている方がいます」


 羊獣人の女性が前に出た。穏やかな雰囲気を纏っている。


「ティルラと申します」


(......ティルラさん)


 その名前に、記憶が蘇る。


 確か、星降りの湖へ視察に行った時。アザゼルが食事をしながら教えてくれた。


 元は聖レガリア王国の貴族の館で料理人をしていた羊獣人。亜人というだけで追放され、この帝国に流れ着いた。ソラリスが厨房で爆発を起こすたびに、優しく叱りながら料理の基礎を教えてくれている――そんな、母親のような人だと。


(この方が、ソラリスを優しく叱ってくれている......)


 私は、改めてティルラを見た。


 穏やかで、優しい表情。確かに、アザゼルが言っていた通りだ。


 彼女は俯いた。


「料理しかできないんですけど、何か力になりたくて。患者さんに温かい食事を、って思って」


 彼女の隣に、小さな少年――狼族の獣人――がいた。


「僕はリオン! ティルラの手伝いしてる!」


 少年が元気に叫ぶ。


 フィーアが説明した。


「ティルラさんは、ソラリスの厨房でも料理を教えてくださっていますが、医療院でも患者さんの食事を作ってくれています。最初は一人でしたけど、今は何人かで」


「ありがたいことです」


 私は感謝した。


 ティルラが顔を上げた。その表情は、穏やかで優しい。まるで母親のような安心感がある。


「でも――」


 彼女の声が震えた。


「もっと、ちゃんとした場所で。温かい食事を、みんなに食べてもらいたいんです」


 リオンが叫んだ。


「僕も、みんなにご飯作りたい!」


 ティルラが優しくリオンの頭を撫でた。その仕草は、まさに母親そのものだ。


 その言葉に、民衆から笑い声が漏れた。


「分かりました」私は微笑んだ。「食堂を作りましょう」


「ソラリスは?」


「私もー!」


 ソラリスが元気に手を挙げた。


 エルフの女性が前に出た。


「エルミナと申します」


「元教師でして、子供たちに何か教えたいと思っていました」


 小さなエルフの少女が叫んだ。


「私、エリカ! エルミナ先生、優しい!」


 ソラリスが嬉しそうに言った。


「広場の隅で文字とか教えてたら、子供がどんどん集まってきてー! 今、十人以上いるんですー!」


 エルミナが子供たちを見つめた。


「この子たちは、もっと多くのことを学ぶべきです」


 彼女の声が真剣になった。


「どうか――学校を作らせてください」


 エリカが手を挙げた。


「お勉強したい! もっと、いっぱい!」


「分かりました」私は力強く頷いた。「学び舎を作りましょう」


 次々と、声が上がる。


「工房をもっと大きく!」


 ドワーフの男が手を挙げた。


「陛下、ゴルドーと申します!」


「実は私、グランツ様の工房で働かせていただいています」


 グランツが頷いた。


「ゴルドーを含め、何名かの鍛冶の心得がある者が名乗り出てくれました。『エーテル鋼の加工を手伝いたい』と」


 ゴルドーが続けた。


「私は小さな村の鍛冶屋でした。腕は一流とは言えませんが、火を扱うことはできます」


 彼の目が熱く輝いた。


「グランツ様の技術は素晴らしい。その下で働けることが誇りです。でも、もっと大きな工房があれば、陛下が錬成なさったエーテル鋼を、もっと多くの武器へと鍛え上げられます」


「医療院も!」

「倉庫が必要です!」


 私は全ての声を聞いた。


 そして――


 私は、彼らを見回した。


 キリク。バルドル。ティルラとリオン。エルミナとエリカ。ゴルドー。


 そして、他にも。


 名乗り出てくれた人々。

 手伝ってくれた人々。


 薄々、気づいていた。

 でも、今こうして顔と名前を知ると――


(......みんな、この帝国を支えてくれていた)


 私の胸が熱くなった。


「ありがとうございます」


 私の声が広場に響いた。


「皆さんのおかげで、この帝国は動いています」


 キリクが首を横に振った。


「いえ、陛下。私たちは、ただ恩返しがしたいだけです」


 バルドルが頷いた。


「この帝国に受け入れてもらった。だから」


 ティルラが俯いた。


「何か、力になりたくて」


 エルミナが子供たちを見た。


「この子たちの未来を、守りたくて」


 私は、涙をこらえた。


「だから」


 私は深く息を吸った。


「皆さんの声、確かに聞きました」


 私はアザゼルを見た。彼が頷く。


「これから、みんなで作りましょう」


 民衆が歓声を上げた。



 それから三日間。


 私とアザゼル、ザラキエル。

 そして全ての民が、力を合わせた。


 私が錬成術で建物の基盤を作る。アザゼルが時空術で時間を圧縮し、ザラキエルが竜の力で魔力を増幅する。そして民が、自分たちの手で仕上げていく。


 ドワーフが石を積み、エルフが木を組み、獣人が力仕事を担う。子供たちまでが、水を運び、小さな石を拾い集める。


 一日目、骨組みが立ち上がる。

 二日目、形が見えてくる。

 三日目、完成が近づく。


 そして――


 市場。広々とした屋根の下、バルドルが立っていた。「ここで、商いができる」彼は静かに呟いた。


 食堂。大きなかまどの前で、ティルラが微笑んでいた。「みんなに、温かい食事を」


 学び舎。明るい教室で、エリカが席に座って笑った。「もっと勉強できる!」


 訓練場。広い空間で、キリクが剣を振った。「ここで、強くなれる」


 工房。巨大な溶鉱炉の前で、グランツとゴルドーが頷き合った。「最高の武器を、鍛える」


 医療院。清潔な診察室で、フィーアが窓の外を見ていた。「もっと多くの人を、救える」


 全てが、完成した。


 夕暮れ時。広場に集まった民たちが、歓声を上げた。


 見えざる帝国は、確かな形を持ち始めていた。



 三日後。


 完成した帝国を、私は歩いて回った。


 市場では、バルドルが商人たちを取りまとめていた。


「陛下、ありがとうございます。立派な市場になりました」


 彼の顔には、誇りと喜びが浮かんでいた。


 食堂では、ティルラが大鍋を振るい、リオンが皿を運んでいた。


「陛下! 見てください! 大きな台所です!」


 ティルラの目が潤んでいた。穏やかな笑顔が、さらに優しさを増している。


「これで、みんなに温かい食事を提供できます。ソラリス様の厨房での仕事も、こちらでの炊き出しも、もっと充実させられます」


 リオンが元気に叫んだ。


「僕、もっともっと手伝う!」


 ティルラが優しくリオンの頭を撫でる。その仕草は母親そのものだった。


 学び舎では、エルミナが子供たちに文字を教えていた。エリカが熱心に学んでいる。


「陛下が作ってくださった学校。大切に使わせていただきます」


 エルミナの声が震えていた。


 訓練場では、キリクがガルディウスの下で新兵を訓練していた。


「防衛隊、整いました!」


 キリクの声が力強く響く。


 工房では、ゴルドーがグランツと共にエーテル鋼を加工していた。


「陛下、この工房なら、陛下が錬成なさったエーテル鋼を、もっと多くの武器へと鍛え上げられます!」


 小さいながらも、確かな国家の形。


「これが、私たちの帝国」


 私は呟いた。


「民の声から生まれた、帝国」


 アザゼルが隣に立った。


「お前は、良い統治者になる」


 その言葉が、嬉しかった。



 同じ頃。


 聖レガリア王国の王宮。レオンハルトは執務室で、侍従から報告を受けていた。


「スパイが......戻りません」


「何?」レオンハルトは立ち上がる。


「派遣してから既に十日が経過しておりますが」侍従の声が不安に満ちている。「三名とも連絡が途絶えております」


 レオンハルトの顔が蒼白になった。


「......まさか」


「魔獣に襲われた可能性も」


「いや」レオンハルトは首を横に振る。「三名とも精鋭だ。魔獣ごときに遅れを取るはずがない」


 では何が起きたのか。彼は窓の外、遠く森の方角を見た。


 その時、扉がノックされた。


「失礼いたします。殿下に荷物が届いております」


 別の侍従が小さな箱を差し出した。


「差出人は不明です。ただ......」侍従が困惑した表情を浮かべる。「届け方が異常でした」


「異常?」


「はい。誰も持ち込んだ者を見ておりません。気づいたら、執務室の扉の前に置いてあったと」


 レオンハルトは眉をひそめながら箱を受け取り、開けた。


 中には灰。白い、細かな灰。


「......何だ、これは」


 レオンハルトは困惑した顔で箱の中を覗き込む。ただの灰。それ以外には何も入っていない。添え状もない。説明もない。


「嫌がらせか?」


 侍従も首を傾げている。


「しかし、わざわざ殿下の執務室の扉の前に......誰が、どうやって」


 レオンハルトは灰を指先で触れた。細かく、均一な質感。まるで何かを完全に燃やし尽くしたような。


 燃やし尽くした――?


 その瞬間、レオンハルトの顔色が変わる。


「......まさか」


 彼は急いで執務机の引き出しを開けた。そこには、スパイに持たせた手紙の下書きが残っている。同じ羊皮紙。同じインク。


 手紙を――燃やした?


「いや」レオンハルトは首を横に振る。「燃やしただけなら、もっと粗い灰になる。これは......」


 彼は箱の中の灰を改めて見た。あまりにも均一で、細かい。まるで分子レベルで分解されたかのような。


 そしてスパイが戻ってこない。


 手紙が、この形で送り返される。


「......セレスティア」


 レオンハルトの手が震えた。


「お前は......生きているのか。そして、俺のスパイを......」


 箱を取り落としそうになる。灰が床にこぼれ、風で舞い上がり、そして消えた。何も残らない。


 これは答えだ。明確な拒絶。彼女は手紙を読むことすらしなかった。いや――読んだ上で、この形で送り返したのかもしれない。どちらにせよ、意味は同じ。


『もう遅い』


 その言葉が、頭の中で響いた。


「俺は......」


 レオンハルトの声が震える。


「俺は、一体何を......」



 その夜。


 ノヴァ・エデン帝国。発展した帝国を見下ろせる、執務室のバルコニーで、私は夜景を眺めていた。


 市場に灯る明かり。食堂から漏れる笑い声。学び舎の窓。訓練場の篝火。


 全てが、たった三日で生まれた。


「セレスティア」


 声がして振り返ると、アザゼルが立っていた。


「眠れないのですか」


「いえ」私は微笑んだ。「ただ、見ていたくて」


 アザゼルが私の隣に立った。


 二人で、帝国を見下ろす。


「今日は、驚いたな」


 アザゼルが静かに言った。


「まさか、あんなに多くの者が手伝ってくれていたとは」


「ええ」私は頷いた。「私も、知りませんでした」


 キリク。バルドル。ティルラとリオン。エルミナとエリカ。ゴルドー。


 名前と顔のある人々。


「みんな、自分から動いてくれていた」


 私の声が震えた。


「力になりたいって」


 アザゼルが私の肩に手を置いた。


「お前が、信頼されているからだ」


 その言葉が嬉しかった。


 心地よい静寂が流れる。風が吹いて私の髪が舞い、アザゼルがその髪を払った。指先が頬に触れ、心臓が跳ねた。


「......セレスティア」


「はい」


「一つ、聞いていいか」


 アザゼルが私を見た。紅い瞳が真剣に輝いている。


「お前は今、幸せか」


 その問いに、私は驚いた。


「......幸せ、ですか?」


「ああ」彼は頷いた。


「帝国を隠した。お前の存在も隠した。世界は、お前のことを知らない」


 アザゼルの声が優しく響く。


「でも、ここには千五百人の民がいる。お前を慕い、お前のために働く人々が」


 彼は帝国を見下ろした。


「それで、お前は幸せか」


 私は考えた。


 追放された時、私は一人だった。

 誰にも認められず、誰にも必要とされず。


 でも今は――


 キリクが、訓練場で汗を流している。

 バルドルが、市場で笑っている。

 ティルラとリオンが、食堂で料理を作っている。

 エルミナとエリカが、学び舎で学んでいる。


 そして、隣にはアザゼルがいる。


「......はい」


 私は答えた。


「幸せです」


 その言葉に、アザゼルが柔らかく笑った。


「そうか」彼は私を抱き寄せた。「なら、それでいい」


 彼の腕の中で、私は空を見上げる。星が美しい。


「でも」私は呟いた。「いつか、世界中が認める日が来る」


 私はアザゼルを見上げた。


「その時」


 私は彼の服を掴んだ。


「あなたと一緒に、玉座に座りたいです」


 アザゼルの瞳が優しく揺れる。


「......約束する」彼の声が穏やかに響いた。「その日まで、ずっと隣にいる」


 その言葉に涙が溢れそうになったが、堪えた。今は泣く時ではない。今は前を向く時。


 見えざる帝国。

 でも、確かにここにある。


 私たちの居場所。

 守るべき人々。

 育てるべき国。


 私たちはこれから、この帝国で力を蓄える。そしていつか――世界にその存在を示す。その日まで。

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