第15話 帝国への脅威
星降りの湖でアザゼルに全てを告げてから、三日が過ぎていた。
あの時、私は自分の想いを初めて言葉にした。彼は静かに頷き、「約束する。お前が望むなら――全て、話そう」と答えてくれた。それ以来、私たちの関係には名前がついていない。言葉では定義されていない、曖昧な何かになっている。
それでも確かに、何かが変化した。
彼の手が自然に私の手を探すようになり、視線がいつも私を追うようになり、声色が私にだけ柔らかくなる。それだけで、今の私は十分だと感じてしまう。
建国から二週間あまりが経過した朝、私は執務室で書類に目を通していた。
机の上に並ぶのは、亜人難民の受け入れリスト、食料の配給計画、住居の建設スケジュール。帝国はまだ小さく、全てが始まったばかりだ。それでも人口は千五百人を超え、獣人、エルフ、ドワーフといった迫害から逃れてきた亜人たちが、日々この地へと流れ込んでいる。
エーテル鋼の工房もようやく稼働を始めた。規模はまだささやかだが、試作品の出来は上々だ。少しずつではあるものの、確実に前へ進んでいる――そう実感できる日々だった。
その時、扉を叩く音が静かな室内に響く。
「どうぞ」
入室してきたルミナリスは、いつも通りの冷静な表情を崩してはいない。だが、僅かな違いに気づく。彼女の瞳に、普段は見せない緊張の色が浮かんでいた。
「陛下、緊急の報告がございます」
低く抑えられた声が、ただならぬ事態を告げている。
「聞かせてください」
「昨夜、森の外縁部に三名の侵入者を確認いたしました。諜報部が監視を続け、今朝方に拘束しております」
私の手が、無意識のうちに羽ペンを置いていた。
「スパイ、ということでしょうか」
「はい」
ルミナリスは書類を机に広げながら、淡々と続ける。
「所属は聖レガリア王国。おそらく偵察が目的かと思われます。『追放された偽聖女の生死確認』および『亜人が森の奥に集まっているという噂の真偽確認』が、任務の中心と推測されます」
聖レガリア王国――かつて私を追放した国の名を聞いた瞬間、私は窓の外へと視線を向けた。
美しく整備された街並みが広がっている。規模はまだ小さく、脆さも残る。それでも確実に育ちつつある、私たちの帝国の姿だ。
「尋問に立ち会いたいのですが」
私の申し出に、ルミナリスは即座に頷く。
「既に準備を整えております」
古代遺跡の地下深くには、ザラキエルが整備した牢獄がある。松明の灯りが石壁を不規則に照らし出す中、私とルミナリスは無言で通路を進んだ。少し離れた後方からは、アザゼルとガルディウスの足音が続いている。
三つの独房が並び、それぞれに一人ずつが収容されていた。
「まず、最初の二名からご覧いただきます」
ルミナリスが最初の独房の前で立ち止まる。格子の向こうには、筋肉質な男の姿があった。三十代ほどだろうか。顔には古い傷跡が刻まれ、身に着けているのは聖騎士団の装備だ。
「ブルーノと名乗っております。聖騎士団所属で、亜人討伐の実績が多数ある人物です」
ルミナリスの説明を聞きながら、私はブルーノの目を見つめる。その瞳には、隠そうともしない明確な敵意が宿っていた。
「偽聖女め」
吐き捨てるような声が、石造りの空間に鋭く響く。
「貴様など――」
「任務の目的を教えていただけますか」
私は感情を抑えた平坦な声で問いかけた。
「答える義務などない!」
ブルーノは唾を吐き捨てる。
「貴様のような異端者に、何を話すものか!」
これ以上問い詰めても無駄だと判断し、私は次の独房へと移動した。
二つ目の独房には、王国軍の装備を身に着けた若い男が座り込んでいる。二十代だろうか。青ざめた顔には、はっきりとした恐怖の色が浮かんでいた。
「カイルと申しております。王国軍所属で、ブルーノの部下にあたります」
ルミナリスの説明を聞きながら、私はカイルを観察する。彼は震えながらも、必死に虚勢を張ろうとしているのが見て取れた。
「レオンハルト様が……レオンハルト様が、お前なんかを……」
掠れた声が独房から漏れ出す。
「任務の内容を教えてください」
私が重ねて尋ねると、カイルは突然、叫び声をあげた。
「こんな場所、すぐに滅びる! 亜人どもと組んだところで、聖レガリア王国には勝てない!」
私は小さく息を吐き、三つ目の独房へと足を向ける。
最後の独房に収容されているのは、細身で知的な雰囲気を纏った四十代ほどの男だった。魔導師のローブをまとい、他の二人とは明らかに異なる空気を持っている。
「ヴィクトールと名乗る宮廷魔導師です」
ルミナリスの声に、僅かな警戒の色が混じった。
「レオンハルト殿下の側近の一人にあたります」
ヴィクトールは無言のまま私を見つめていた。その目には敵意はない。冷静な観察者として、ただ静かに私を測っている視線だ。
「任務の内容を教えていただけますか」
私の問いかけに、ヴィクトールは僅かに頷く。
「偵察です」
隣の独房から、ブルーノの怒鳴り声が飛んだ。
「ヴィクトール! 何を言っている!」
しかしヴィクトールは気にも留めない様子で、淡々と続ける。
「追放された元聖女――セレスティア・ノヴァルーナ様の生死確認。そして『亜人が森の奥に集まっている』という噂の真偽確認。それが我々に与えられた任務です」
彼の声には、感情の起伏がほとんどない。
「隠しても無駄だと判断しました。あなたは既に全てを把握している。そう見えましたので」
その言葉に、私は僅かに目を細めた。
「賢明な判断ですね」
「賢明というより――」
ヴィクトールは小さく首を横に振る。
「現実を直視しているだけです」
そう言いながら、彼は周囲を見回した。精緻な魔法陣が刻まれた石造りの牢獄、高度な結界術の痕跡。
「この施設を見るだけでも、相当な技術力が必要だと分かります」
彼の声が低く沈む。
「地上の街並みも観察させていただきました。計画的に配置された建物、魔力供給のライン、上下水道の整備。これは単なる難民キャンプではない」
ヴィクトールは、真っ直ぐに私を見た。
「あなたは、国を創っている」
その一言に、ブルーノが再び怒鳴る。
「黙れ! 裏切り者め!」
「裏切り?」
ヴィクトールは冷ややかに応じる。
「私はただ、目の前の事実を述べているだけです」
彼は改めて私に向き直った。
「一つ、お聞きしてもよろしいですか」
「どうぞ」
「あなたは……本当に」
ヴィクトールの声が、僅かに震えた。
「本物の聖女だったのですか」
その問いに、私はかすかに笑みを浮かべる。
「聖女、ですか」
私は首を横に振った。
「私はそんな呼び名に興味はありません」
「では――」
ヴィクトールが息を呑む。
「では、あの時、教会は……本当に力を持つ者を追放したのですね」
私は答えなかった。沈黙の方が、雄弁な返答になる時もある。
「……そうですか」
ヴィクトールは深く息を吐いた。
「殿下は……取り返しのつかない過ちを犯されたのですね」
「黙れ!」
ブルーノの怒声が響き渡る。
「偽聖女の戯言に惑わされるな!」
ヴィクトールはブルーノの方へ視線を向けた。
「ブルーノ。目を開けて、現実を見なさい」
その静かな声には、諦めに似た何かが滲んでいた。
私が地下牢を後にしようと背を向けた時、ルミナリスが一歩進み出る。
「陛下、少しよろしいでしょうか」
私は振り返った。
「何か?」
「尋問の際、ヴィクトールの所持品を調べました」
ルミナリスは小さな包みを取り出す。
「その懐から、これが」
包みを開くと、封蝋が施された一通の手紙が現れた。レガリア王家の紋章が、重々しく刻まれている。
「……手紙」
紋章を見た瞬間、胸の奥に妙な感覚が広がった。
レオンハルト。元婚約者。私を追放した男。
そして――今もそこにいる、敵。
「おそらくレオンハルト殿下からの親書かと思われます」
私は手紙を一瞥したが、手に取ることはしなかった。封蝋を見ただけで、中身はおおよそ想像がつく。
「これは?」
私はヴィクトールに視線を向ける。
「殿下からの手紙です」
ヴィクトールは静かに答えた。
「適切な機会に、あなたにお渡しする予定でした」
「適切な機会とは?」
ヴィクトールは僅かに目を伏せる。
「もし、あなたがご無事であれば。もし、お話ができる状況であれば。そして――」
彼は、まっすぐに私を見た。
「もし、殿下の言葉を聞いていただけるようであれば」
その言葉に、私は小さく息を吐いた。
「ルミナリス」
「はい」
「その手紙は私室に持っていってください」
ルミナリスが一瞬、驚いたように目を見開く。
「……今はお読みにならないのですか?」
「ええ」
私は冷ややかに答えた。
「今は読む気になれません」
ヴィクトールがじっと私を見つめている。その目には、何かを悟ったような色が浮かんでいた。
「……そうですか」
彼は静かに呟く。
「やはり、殿下は――」
「ヴィクトール」
私は彼の名を呼んだ。
「あなたなら、もう分かっているでしょう」
ヴィクトールは視線を落とす。
「……はい」
その声は、沈んでいた。
「殿下は、取り返しのつかない過ちを犯されたのですね」
私は何も返さない。答えは既に出ている。
地下牢を出ると、石造りの冷たい通路が続いていた。松明の灯りが壁を照らし出し、その炎が揺れるたび、影もまた揺れ動く。
私はそこで足を止めた。
「陛下?」
ルミナリスが心配そうに声をかけてくる。
「……少し、一人にしてください」
「かしこまりました」
ルミナリスとガルディウスが先に行き、アザゼルだけが少し離れた場所に残る。彼は何も言わず、ただ静かに私の様子を伺っていた。
私は壁に手をつく。冷たい石の感触が、いやでも現実を思い出させる。
(……私は、舞い上がっていた)
ここ数週間の出来事が、頭の中で一気に駆け巡った。
森に追放されて、アザゼルと出会って、仲間が増えて。ルミナリス、ソラリス、ザラキエル、ガルディウス、フィーア――みんなが私を信じてくれた。
帝国を建てた。たった二週間で、千五百人以上の民が集まった。エーテル鋼の工房も稼働し始めている。全てが順調に見えた。
そしてアザゼル。星降りの湖で、彼に想いを告げた。彼の手の温もり。優しい声。隣に立つ時の、あの安堵と幸福。
全てが、上手く回っているように思えた。
――いいえ。上手くいきすぎていたのだ。
(……だから、忘れていた)
敵は、まだそこにいる。
聖レガリア王国。レオンハルト。ミレイユ。聖女教会。私を追放した者たち。
彼らは私を「偽聖女」として断罪し、森へと捨てた。なのに今になって、私の所在を探っている。
矛盾している。自分たちで追放しておきながら、生死を確認しようとしている。スパイを送り込み、手紙を持たせ、様子を窺っている。
なぜか――本来なら、もう関係のないはずなのに。
答えは簡単だ。彼らは不安なのだ。本当に「偽物」だったのか。本当に「無力」だったのか。もし違っていたら、どうなるのか。
そして今、スパイが来た。
レオンハルトの手紙まで。
(……追放しておいて、今更何を)
拳が、わずかに震えていた。
(……前世の私なら)
橘美咲。ブラック企業で過労死した、敏腕プロジェクトマネージャー。あの頃の私なら、こんな油断はしなかった。常にリスクを評価し、危機を予測し、先回りして手を打っていた。
けれど今の私は――幸せに浮かれて、地に足がついていなかったのだ。
「……セレスティア」
アザゼルが近づいてくる。
「大丈夫か」
「ええ」
私は顔を上げた。
「大丈夫です。むしろ――」
私はアザゼルを見据える。
「目が覚めました」
アザゼルが、わずかに目を細めた。
「……そうか」
「私は舞い上がっていたんです」
静かに、自分の過ちを言葉にする。
「全てが順調で、幸せで。だから、忘れていた」
私は拳を強く握りしめた。
「敵は、まだそこにいる。彼らは私を追放した。それなのに今さら私を探している。スパイを送り、手紙を持たせ、様子を窺っている」
声に、自然と熱がこもる。
「今回はスパイが三名。次は、もっと多くの者が来るでしょう」
アザゼルが短く相槌を打つ。
「……ああ」
「だから」
私は彼を真っすぐ見上げた。
「今のうちに、手を打ちます」
アザゼルの口元に、小さな笑みが浮かぶ。
「お前らしくなってきたな」
「ええ」
私は力強く頷く。
「冷静に、現実を見て、動きます」
私はルミナリスとガルディウスの方へ向き直った。
「全幹部を会議室に集めてください。緊急の協議を行います」
一時間後、会議室の円卓には全員が揃っていた。
アザゼル、ガルディウス、フィーア、ルミナリス、ソラリス、ザラキエル。そして私。帝国を支える面々が、重い表情で席についている。
「皆さん、お集まりいただきありがとうございます」
私は立ち上がり、円卓を見渡した。
「本日、聖レガリア王国のスパイ三名を捕獲しました。目的は偵察。私の生死確認と、この帝国の状況把握が任務だったようです」
全員の表情が、緊張に染まる。
「そして、これを」
私はルミナリスから受け取った手紙を机の中央に置いた。封蝋はまだ破られていない。
「レオンハルト殿下からの親書です」
ソラリスが興味深そうに身を乗り出し、手紙を手に取って封蝋を確認する。
「わぁ……王家の紋章ですねー」
軽い調子の声に、しかし微妙な陰が混じっていた。
「中身は?」
「まだ読んでいません」
私は淡々と答える。
「ですが、想像はつきます」
「調査、でしょうね」
ルミナリスが冷えた声音で言い捨てる。
「ああ」
アザゼルも頷いた。
「明らかに様子見だ」
ガルディウスが拳を握りしめた。
「陛下を追放しておきながら……今さらこんな真似を……!」
「落ち着いて、ガルディウス」
フィーアが静かに宥める。
「でも、これは大きな問題ですね。スパイが来たということは」
「ええ」
私は頷いた。
「もう隠し切れません。聖レガリア王国は、この帝国の存在に気づきました」
ザラキエルが一歩、前へ出る。
「陛下、ご提案がございます」
重々しい声が、会議室に響いた。
「スパイを始末してはいかがでしょうか。情報が漏れることを防げます」
空気が一瞬で張りつめた。
「ザラキエル……」
フィーアが不安げに彼を見上げる。
「三名だけです。誰にも知られず、消すことができます」
私はまっすぐにザラキエルを見据えた。
「その提案は、却下します」
「陛下?」
「私は、不必要な殺生はしません」
静かな声が、確かな意志を帯びて広がる。
「彼らはただ任務を遂行しようとしただけです。責められるべきは、命じた側であって、彼らそのものではない」
ザラキエルは、深く一礼した。
「……失礼いたしました」
「ならば」
アザゼルが、代わるように前へ出る。
「別の方法を提案する」
彼の声が、全員の意識を引き寄せた。
「帝国を隠せ」
短い一言に、皆が彼を見つめる。
「隠す……?」
ソラリスが首をかしげる。
「ああ」
アザゼルはゆっくり頷いた。
「今、この帝国の存在が公になれば、どうなる? 聖レガリア王国はすぐに圧力をかけてくるだろう。『偽聖女が国を創った』として異端認定し、聖女教会も動き出す」
彼の声が、さらに低く落ちていく。
「そこへ加えて、周辺国も興味を持つ。エーテル鋼の噂は既に広まり始めている。技術を狙う者、盗み出そうとする者が現れる。そして――」
アザゼルは私へ視線を向けた。
「亜人を受け入れている国として、人間至上主義の国々すべてを敵に回すことになる」
会議室に、重苦しい沈黙が落ちる。
「今の帝国は、まだ小さい。まだ脆い。複数の国から同時に圧力を受ければ、持ちこたえられない」
ガルディウスが立ち上がった。
「では、どうすればいい!」
「だから」
アザゼルは冷静に言い切る。
「隠すんだ」
彼は全員の顔を順に見回した。
「外から見えないように。存在そのものを秘匿する。そして、十分に強くなるまで力を蓄える」
ルミナリスが静かに頷く。
「……理にかなった策です」
「でも」
フィーアが、おずおずと口を開いた。
「どうやって隠すのですか? この規模の街を隠すなんて……」
「できる」
アザゼルはまっすぐに私を見た。
「セレスティアとザラキエル、そして俺の三人なら」
私は、すぐに彼の意図を理解する。
「大規模結界、ですね」
「ああ」
アザゼルが頷いた。
「お前の錬成術で結界の基盤を創る。ザラキエルの竜の力で結界を強化する。そして俺の時空術で、空間そのものを歪める」
彼は円卓の上を指でなぞりながら、簡易な図を描き出した。
「外から見れば、そこにはただの森が広がっているだけ。だが内側からは外が見える。出入りは転移術によってのみ行う」
ソラリスの目が輝いた。
「すごいですー! それなら誰にも見つからなくなりますー!」
ガルディウスが、なおも不安げな表情のまま口を開く。
「それで、本当に隠し切れるのでしょうか」
「隠し切れる」
アザゼルは断言した。
「俺の時空術は、空間そのものを操作する。存在を、世界の別の層に移すことだってできる。物理的にも魔法的にも、探知はほぼ不可能だ」
私はアザゼルを見つめた。紅い瞳が真剣に輝き、その奥に、私と帝国を守ろうとする固い意志が宿っているのが分かる。
「……分かりました」
私は全員を見回し、ゆっくりと言葉を紡いだ。
「帝国を隠します」
その一言に、全員が無言で頷く。
「ただし」
私は続けた。
「もう一つ、決めなければならないことがあります」
視線が一斉にこちらへ集まった。
「スパイたちの処遇です」
再び、会議室に緊張が満ちる。
「殺さないとして」
ルミナリスが、静かな声で問いかける。
「では、どうなさるおつもりですか」
「記憶を消去して解放、という選択肢もありますわ」
フィーアがそっと提案する。
しかし私は、首を横に振った。
「それは、できません」
全員の表情に、驚きが走る。
「陛下?」
ガルディウスが問いかける。
私は一度、深く息を吸い込んだ。
「記憶消去は、不完全です」
アザゼルが頷き、補足する。
「そうだ。俺の時空術でも、記憶を完全に消し去るのは難しい。深層記憶までは消せない」
「さらに」
私は言葉を継いだ。
「聖レガリア王国には高度な魔法技術があります。記憶を復元する術が存在していても、おかしくはありません」
ルミナリスが鋭く反応する。
「……確かに。宮廷魔導師の中には、精神魔法に長けた者がいると聞いております」
「もし」
私の声が、自然と冷えを帯びた。
「もし万が一、記憶が復元されたら? 帝国の存在、場所、規模――全てが露呈します」
ガルディウスが息を呑む。
「それは……」
「さらに、魔法的な追跡の可能性もある」
アザゼルが重ねた。
「スパイに気づかれない追跡魔法を仕込む技術は既に存在している。解放すれば、そこから帝国の位置が特定される危険性が高い」
ソラリスが、不安そうに声を上げる。
「じゃあ……どうするんですか?」
私は、地下牢のある方角へ視線を向けた。
「拘束します。永久に」
その言葉に、誰もすぐには声を出せなかった。
「ただし」
私は静かに続ける。
「人道的な処遇を約束します。適切な食事、清潔な環境、必要な医療。それらは全て保証する」
そして、はっきりと言い切った。
「いずれ帝国が十分に強大になり、彼らを解放しても問題がないと判断できる時が来るまで」
フィーアが、胸に手を当てて小さく頷く。
「……それが、一番の折衷案ですね」
「陛下の判断を支持します」
ガルディウスが真剣な顔で頭を下げた。
ザラキエルも、椅子から立ち上がる。
「陛下のご意志であれば」
力強い声が響いた。
「この身、全てを捧げましょう」
ルミナリスとソラリスも、それぞれの仕方で賛意を示す。
「では」
アザゼルが、改めて私に向き直った。
「まずは、スパイたちに告げよう」
「ええ」
私は頷いた。
「一緒に」
会議を終えた私たちは、再び地下牢へと向かう。
三つの独房の前で、私は全員を立たせた。ブルーノとカイルは相変わらずあからさまな敵意を滲ませているが、ヴィクトールだけは静かな眼差しでこちらを見ていた。
「あなたたちの処遇について、決定しました」
石造りの空間に、私の声が届く。
「な……」
カイルが震える声を漏らした。
「殺すつもりはありません」
私は、先に結論の一部を示す。
「ですが、解放もできません」
ブルーノが、鉄格子を揺らさんばかりに怒鳴った。
「どういうことだ!」
「記憶消去は不完全です。復元される可能性がある」
私は淡々と告げる。
「魔法的な追跡のリスクも無視できない。だから、この帝国を守るために、あなたたちを拘束します。期限を定めない形で」
カイルの顔色が、一気に蒼白になった。
「ふ、ふざけるな! 俺たちは聖レガリア王国の――」
「任務を遂行していただけです」
私は冷ややかに言葉を挟む。
「それは理解しています。だからこそ、命は奪いません」
私は三人を順に見回した。
「適切な食事、清潔な環境、必要な医療。その全てを保証します。ただし――」
そこで一拍置き、はっきりと告げる。
「自由は、ありません」
ヴィクトールが低い声で問いかけてきた。
「……いつまで、ですか」
「帝国が十分に強大になり、あなたたちを解放しても問題ないと判断できる時まで」
ヴィクトールは、静かに息を吐いた。
「……そうですか」
やがて、かすかに頷く。
「賢明な判断です」
「ヴィクトール?」
ブルーノが信じられないものを見るような目で彼を叫ぶ。
「何を言っている! 抵抗しろ!」
しかしヴィクトールは、首を横に振った。
「無駄だ、ブルーノ。彼女の判断は正しい」
彼は私へと視線を戻す。
「一つだけ、お願いがあります」
「何でしょう」
「せめて――」
ヴィクトールの声が、僅かに震えた。
「せめて、殿下に伝えてください。『私たちは任務に失敗した』と」
私は、ほんの少しだけ眉をひそめる。
「それは、自然と伝わるでしょう」
「……?」
「こちらから手紙を送ります」
私は冷ややかな声で言った。
「それで十分かと思います」
ヴィクトールが、わずかに目を見開いた。次いで――かすかな笑みを浮かべる。
「……なるほど。それは、ずいぶんと明確な答えですね」
彼はゆっくりと目を閉じ、深く息を吐いた。
「分かりました。私は、この判断を受け入れます」
「ヴィクトール! 貴様、降伏するのか!」
ブルーノが激しく叫ぶ。
「降伏ではない」
ヴィクトールは否定した。
「現実を受け入れているだけです」
そして、静かな声音で言葉を紡ぐ。
「いずれ、必ず殿下が後悔する日が来るでしょう。あなたを追放したことを」
その言葉にも、私は何も返さなかった。ただ踵を返し、地下牢を後にするだけだ。
三日後、帝国の中央広場には全ての民が集まっていた。
千五百人を超える亜人たち――獣人、エルフ、ドワーフ、竜人。さまざまな種族が、私を見上げている。私は高台に立ち、その隣にはアザゼルが控えていた。
「皆さん」
私は声を張り、広場全体に響くように呼びかける。
「今日、重大な発表があります」
ざわめきが次第に静まり、無数の視線が私一人に集まっていく。
「数日前、聖レガリア王国のスパイがこの帝国に侵入しました」
広場に、動揺が走った。
「彼らの目的は偵察。この帝国の存在を確認することでした」
民衆の表情が、不安の色に染まっていく。
「もし、このまま帝国の存在が公になれば」
私は、一人ひとりの顔を確かめるように視線を巡らせた。
「複数の国から圧力を受けることになります。聖レガリア王国だけではありません。私たちが亜人を受け入れているという理由で、多くの国が敵に回る可能性があります」
不安げなささやきが、あちこちから聞こえてきた。
「ですが」
私は一度、はっきりと声を張る。
「私は皆さんを守ります」
民衆が、息を飲むように静まり返る。
「そのために」
私は隣に立つアザゼルへと視線を送った。
「この帝国を、隠します」
広場がざわめきに包まれる。
「大規模な結界を構築します。外から見ると、そこにはただの森が広がっているようにしか見えません」
私は、手を高台の外へと差し伸べた。
「しかし、内側ではこれまで通りの生活が続けられます」
そして、はっきりと告げる。
「ただし。外部との接触は、極めて限定的になります。その覚悟だけは、持っていてください」
民衆は互いに顔を見合わせ、戸惑いと不安とが入り混じった表情を浮かべた。
そんな中、一人の獣人が前に出る。銀狼族の老人だ。
「女帝陛下」
震えを含んだ声で、彼は言った。
「私たちは……」
彼は周囲を見回し、そしてもう一度、私を見上げる。
「私たちは、陛下を信じます」
その一言に、他の民衆も次々と頷き始めた。
「そうだ!」
「陛下なら大丈夫だ!」
「私たちを、守ってくださる!」
いくつもの声が重なり、やがて大きなうねりとなって広場を満たしていく。胸の奥が熱くなるのを、私ははっきりと感じていた。
「ありがとう」
私は、感情を押し殺さずに言葉を返す。
「皆さんを必ず守ります。これは、私の約束です」
歓声が、広場にあふれた。
高台の上で、私はアザゼルの方を向く。彼もまた私を見ていた。その瞳には、揺るぎない決意が宿っている。
「始めましょう」
私は静かに告げた。
「ああ」
アザゼルが、短く力強く頷く。
「これから、全てが変わる」
私たちは、見えざる帝国を創るのだ。




