第13話 後編:ドワーフの誓い
私たちは研究所を後にして、都市の工業地区に新設したばかりの鍛冶場へと向かう。
太陽が真上に昇り始めた頃。
石畳の道を歩く途中、何人もの民が私たちに頭を下げ、感謝の言葉を口にする。温かい視線が、私たちの背中を追う。一人ひとりに頷きながら、私は心の中で誓う。
(......この人たちを、絶対に守る)
鍛冶場に着くと、すでにドワーフの鍛冶師たちが集まっている。
十数名。
全員、聖レガリア王国で職を失い、この地に流れ着いた者たち。
彼らの服は汚れ、髭は伸び放題。その目には――諦観が浮かんでいる。かつては誇り高き職人だった者たちの、すっかり擦り切れた表情。
「女帝陛下、お呼びと聞き、参りました」
白髭のドワーフが、深々と頭を下げる。職人らしい丁寧な所作。
「グランツ・アイゼンハルトと申します。72年、鍛冶一筋で生きてまいりました」
彼の声には、誇りと――そして、失望が混じっている。
「しかし......」
グランツは、周囲の粗末な鍛冶場を観察する。
溶鉱炉は私が錬成術で急造したもので、ふいごも鋳型もすべて間に合わせ。聖レガリア王国の立派な工房とは、比べるべくもない簡素さ。
「この設備で、何を作れと......」
彼の声には、失望が滲む。
職人としての誇りを失った者の、虚ろな響き。
「新しい素材を、あなた方に見てもらいます」
私は、アザゼルに目で促す。
彼が、試作した剣を取り出す。黒銀の刀身が、鍛冶場の明かりを受けて鈍く光る。
「これは......」
グランツの目が、剣に釘付けになる。
職人の本能が、その剣の持つ「異常さ」を察知したのだろう。
「触れてみてください」
グランツが、震える手で剣に触れる。
その瞬間――
彼の目が、大きく見開かれる。
「......軽い」
驚愕に満ちた声。
「羽のようだ。いや、羽よりも軽い」
「でも、この密度は......」
グランツの隣にいた若いドワーフ――彼の弟子らしき青年が、自分の爪で刃を叩いてみる。
カン、と。
澄んだ、高い音。
「信じられん......師匠、この硬度」
若者が、かすれた声で呟く。
「この硬度。この密度。そして、この軽さ」
「こんな金属は、見たことがない」
「わしの弟子、ドゥリンです」
グランツが、若者を紹介する。
周囲のドワーフたちが、ざわめき始める。熟練の職人たちが、次々と剣に触れては驚嘆の声を上げる。
「ガルディウス」
私の合図で、ガルディウスが鍛冶場の隅にある巨大な岩の前に立つ。
都市建設の際に残った廃墟の残骸で、数トンはある代物。
彼はその剣を手に取り――
そして、軽く、一閃。
シュッ――
一瞬の、静寂。
次の瞬間。
巨大な岩が、何の抵抗もなく、真っ二つに割れて滑り落ちる。
断面は、まるで研磨したかのように滑らか。鏡のような切断面が、周囲の明かりを反射している。
「「「......」」」
全員が、凍りついたように動かない。
誰も、声を出せない。
ただ、割れた岩と、ガルディウスの手の中にある剣を、呆然と見つめるばかり。
「ば、馬鹿な......」
ガルディウスが、震える声で呟く。
「聖レガリア王国の聖銀の剣でも、あんな芸当は......」
グランツが――
床に、膝をつく。
「......」
彼の口が、開いている。
でも、声が出ない。
ただ、揺れる手で、剣に触れている。まるで、触れることすら畏れ多いとでも言うように。
「......50年」
やっと、彼の声が出る。
「50年、鍛冶師をやってきた」
彼の目から、大粒の涙が溢れる。72年の人生で積み重ねてきた技術と誇り。それらすべてを否定されたかのような、そして同時に、新たな希望を見出したかのような、複雑な感情が込み上げているのだろう。
「だが」
彼は、嗚咽を堪えるように、声を震わせる。
「こんな金属は、見たこともない」
ドゥリンも、そして他の若いドワーフたちも、次々と膝をつく。
「ミスリルより軽く......」
「アダマンタイトより硬い......」
「これは......神話の、領域......」
グランツは、涙を拭おうともせず、剣を抱きしめる。
まるで、生まれたばかりの赤子を抱くかのように。職人として、これ以上ない至高の素材を目の当たりにした感動が、その姿に表れている。
「この新しい素材を、何と名付けるべきか」
ザラキエルが、静かに促す。
私は、剣身を見つめる。
月光のような輝き。
「『エーテル鋼』」
私は宣言する。
「この素材を、『エーテル鋼』と名付けます」
「エーテル鋼......」
ドワーフたちが、その名を畏敬の念を込めて反芻する。まるで神聖な呪文を唱えるかのように、一音一音、大切に発音していく。
グランツが、剣身に触れながら呟く。
「エーテル鋼製の剣......いや、エーテル鋼製の『すべて』が、既存の武器を凌駕する......」
「......陛下」
グランツは、顔を上げる。
涙でぐしゃぐしゃになった顔。しかし、その目には――
再び、職人としての誇りが宿っている。失われたと思っていた光が、再び灯っている。
「我々に」
彼の声は、震えている。
「我々に、このエーテル鋼の加工を任せてください」
「量産の――いえ、違う」
彼は、他のドワーフたちを視線で確認する。
ドゥリンも、みんなも、応えている。
涙を流しながら、力強く、応えている。
「陛下が錬成なさったエーテル鋼を、最高の武器へと鍛え上げます。我々の、全てを捧げます」
その言葉は、誓い。
魂の、誓い。
「お願いします」
私は、彼らに頭を下げる。
女帝が、民に頭を下げる。
それは、異例のことかもしれない。
でも、私は構わない。この人たちの技術と誇りがあってこそ、この国は成り立つのだから。
「私の錬成術でも、武器は創れます」
私は、グランツを見る。
「でも、一振りの剣を完成させるのに、膨大な時間と魔力がかかる。それに――」
私は、試作した剣を見つめる。
「形だけなら創れても、本当に『使いやすい武器』に仕上げるのは、職人の技術です」
「陛下......」
グランツの目が、再び潤む。
「私はエーテル鋼の素材を錬成します。それを、あなた方の技術で最高の武器へと鍛え上げてください」
「あなた方の力が、この国を支えます」
グランツは、感極まった顔で、何度も、何度も肯く。
鍛冶場を出たのは、昼過ぎ。グランツやドゥリンたちは早速、加工の準備を始めている。私が錬成したエーテル鋼の塊を武器や防具へと鍛え上げる体制。素材の錬成は私にしかできないが、それを形にする技術は、彼らドワーフの領域だ。
私はアザゼルと共に宮殿へ戻り、執務室へ向かう。石畳を踏む音が、静かに響く。
しかし、そこで待っていたのは、山積みの書類と――そして、防衛隊が必要とする武器のリスト。
その日の夕方。
私は執務室で、エーテル鋼の素材を錬成し続けている。
一塊、二塊、三塊......
エーテル鋼の塊を、次々と錬成していく。
試作品のように完成品の武器を創ることもできる。でも、一振りに何時間もかかり、魔力消費も膨大だ。それならば、素材だけを創り、ドワーフたちの技術で仕上げてもらう方が遥かに効率的。
明日、これらをグランツたちに渡せば、彼らが剣に、斧に、槍に――必要な武器へと鍛え上げてくれる。
「『万象錬成術』」
蒼白い光が、鉄屑を包み込む。
分解。精製。再構築。
エーテル鋼の錬成は、食料の錬成とは比較にならないほど魔力を消費する。食料は既存の物質の形を変えるだけだが、エーテル鋼は分子レベルでの最適化が必要。
一塊錬成するたびに、視界が僅かに揺れる。
それでも、私は手を止めない。
この一週間、毎晩、千人分の食料を錬成し続けてきた。
昼間は都市の整備。夜は食料の錬成。そして今、武器の素材。
五塊目を錬成し終えた時――
視界が、大きく揺れた。
立ち上がろうとして、足がもつれる。
倒れる――
「セレスティア」
背後からアザゼルの声。
次の瞬間には、彼に抱きとめられていた。
「......!」
背中と腰に回された腕。
彼の胸に預けられた体。
耳に届く、力強い心音。
「無理をするな」
低く、鋭い声だった。
「力を使いすぎている」
「......大丈夫、です」
声が震える。
自分でも分かる。
「大丈夫には見えない」
腕に込められる力が増す。まるで、私が消えてしまわないように。離れてしまわないように。
「この一週間、お前は一度も休んでいない」
「毎晩食料を作り、今日はエーテル鋼の素材まで......」
「お前の体が持つわけがない」
包み込まれる力強さ、温もり。
守られている――
その実感が、じんわりと胸に染み込んでくる。
前世では誰も、私を守ろうとはしなかった。
ブラック企業で倒れそうになっても、誰も心配してくれなかった。
今世でも同じだと思っていた。
「偽聖女」として追放されたあの日、誰も手を差し伸べてくれなかった。
でも――
この人は、違う。
私の疲れを見抜き、無理を止め、こうして抱きとめてくれる。
誰かに心配されるということが、こんなにも温かいものだとは知らなかった。
「お前が倒れたら、この国は成り立たない」
「......でも」「でも、私が創らなければ――」
「違う」
真剣な表情で、彼は私を見下ろす。
紅い瞳。
そこに映る、私の顔。
「お前がいなければ、意味がない」
その言葉が、深く胸に刻まれる。
「......いいから、休め」
執務室の長椅子に座らせられる。
そして――
彼が隣に腰を下ろした。
自然な動作だった。
まるで、ずっとこうしていたかのように。まるで、この場所が彼の定位置であるかのように。
肩を支える腕。
その重みと柔らかさが、なぜか心地よい。
「......ありがとうございます」
小さく呟くと、彼は僅かに笑った。
「礼を言われることじゃない」
髪に触れる指先。
優しく撫でる動き。
涙が出そうになる。
前世でも、今世でも。
こんな風に、誰かに優しくされたことがなかった。
誰かが、私の疲れを気遣ってくれたことがなかった。
いつも一人で頑張ってきた。
倒れそうになっても、立ち止まることを許されなかった。
「まだできる」「もっと頑張れ」と自分を追い込んできた。
でも――
この人は、私に「休め」と言ってくれる。
「無理をするな」と止めてくれる。
こんな優しさがあるなんて、知らなかった。
「お前はよくやっている」
「だから、無理をするな」
「......はい」
彼の肩に頭を預ける。
伝わってくる体温。
腕の中の温もり。
「......少し、眠れ」
「でも、武器が――」
「俺が見ている」
優しい声だった。
「お前が休まなければ、明日も明後日も武器は作れない」
確かに、その通り。
彼の肩に頭を預けたまま、静かに目を閉じる。
支えられている。
安心できる。
この人がいるから。
彼の心音が、耳に届く。
規則正しい、穏やかなリズム。
この音を聞いていると、不思議と心が落ち着く。
一人じゃない。
守られている。
大丈夫だ――
そんな安心感に包まれて、私の意識は深い眠りへと落ちていった。
どれくらい眠っていただろう。
目が覚めると、窓の外はもう夕暮れ。西日が執務室に差し込み、壁を橙色に染めていた。
ふと視線を動かすと――アザゼルが窓辺に佇んでいる。
黒髪が夕陽を受けて僅かに赤みを帯びて見える。外の景色を見つめたまま、私が起きたことに気づいていない様子。
長椅子から静かに立ち上がる。
「起きたか」
背を向けたまま、彼が言った。
(......気づいていたのか)
私が目覚めた瞬間を、彼は察知していた。
足音も立てていないのに。
呼吸が変わっただけで分かるのだろうか。
それとも――
ずっと、私を気にかけていてくれたのだろうか。
胸の奥が、じんわりと温かくなる。
「......ええ。すみません、眠ってしまって」
「気にするな」
振り返る彼。その瞳に、夕陽の色が映り込んでいる。
「必要な休息だった」
バルコニーへ続く扉に手をかける彼。重い木の扉が、ゆっくりと開いていく。外から流れ込んでくる涼しい風。石と木材、そして炊事の煙――建国したばかりの都市の匂い。
「少し、外の空気を吸え」
私は頷き、彼の後に続いた。
バルコニーに出ると、眼下に広がる都市の全景が目に飛び込んできた。
わずか一週間前まで廃墟だった場所。
それが今は、確かに「生きている」。
何本も立ち上る炊事の煙。遠くから聞こえてくる人々の声や笑い声。子供たちが走り回る足音。市場で値段交渉をする商人の声。日常の、当たり前の音。
でも、私にとっては――何よりも尊い音。
この音があるから、私は頑張れる。
この景色があるから、前に進める。
追放された日、私は何もかも失ったと思った。
でも、今は違う。
守るべきものがある。
築き上げるべきものがある。
そして、その全てが、確かにここにある。
「このエーテル鋼が、我が国の力となります」
私が呟くと、アザゼルは僅かに顎を引いて同意を示した。
「ああ。武器、防具、農具......全てを変える」
「でも、まだ足りません」
彼が私に向ける眼差し。
「......何が」
「経済基盤です」
美しい景色だが、それだけでは国は成り立たない。都市を見渡しながら、私は次の課題を口にする。
「エーテル鋼を作っても、それを『売る』手段がない。通貨も、流通網も、まだ何もありません」
「......それも、お前は考えているのか」
「ええ」
風が吹いて、髪が頬にかかる。それを手で払いながら、私は続けた。
「明日から、それに取り掛かります」
沈黙。
アザゼルが何も言わない。
ただ、私の横顔を――じっと見つめているだけ。
重みを感じる視線。
でも、不思議と嫌ではない。
むしろ――
彼に見つめられていると、なぜか安心する。
評価されているのか。
心配されているのか。
それとも――
理由は分からない。
でも、この視線は、温かい。
「......お前は、本当に面白い女だ」
ふと、彼が呟く。
その声には、呆れと――でも、確かに笑みが混じっている。
「面白い、ですか」
「ああ」
バルコニーの手すりに手を置く彼。
「追放されて、魔獣の森に捨てられて。普通なら絶望するところを」
穏やかに続く声。
「お前は国を創り、民を集め、新しい素材を生み出し――そして、もう次を考えている」
(......そんな風に、見てくれていたのか)
彼の言葉が、胸に響く。
私は、ただ必死に前を向いて走ってきただけだ。
追放された屈辱を晴らすために。
誰にも負けたくないという意地で。
でも、アザゼルは――
私のそんな姿を、ずっと見ていてくれた。
評価してくれていた。
認めてくれていた。
前世でも今世でも、こんな風に誰かに認められたことがなかった。
橘美咲としても、セレスティアとしても。
顔が熱くなる。
夕陽のせいだと言い訳できればいいのに。
でも、本当は分かっている。
この熱さは、夕陽のせいじゃない。
「そして――」
気持ちを切り替えるように、遠く地平線の向こうへ目を向ける。
聖レガリア王国。
この都市からは見えないが、確かにあの国は存在している。
私を追放した、あの国が。
「噂は、もう広がり始めているはずです」
「......ああ」
低くなる彼の声。
「グランツたちが、興奮のあまり、出入りの行商人に話してしまったらしい」
「『神話の金属が生まれた』と」
小さく笑う私。
「商人が来るのは、時間の問題ですね」
冷たい笑み。
じわりと湧き上がってくる実感――復讐の第一歩を踏み出したという。
あなた方が「ガラクタ」だと捨てた力は、今、こうして世界の経済を動かす「価値」になろうとしている。
第一歩。
私の復讐は――
「セレスティア」
ふと、アザゼルが私の名を呼んだ。
振り返ると、真剣な表情。
「お前は、本当にそれでいいのか」
「......何がですか?」
「復讐だ」
私を捉える眼差し。
「お前が望むなら、俺は手を貸す。どこまでも」
深く響く言葉。
「でも――」
僅かに逸らされる視線。
「お前には、もっと違う未来もある」
(......違う、未来?)
アザゼルが言う「違う未来」。
復讐に囚われない未来。
ただ、この国を豊かにし、民を幸せにするだけの未来。
確かに、それは美しい未来だ。
平和で、穏やかで、誰も傷つけない。
でも――
私は、許せない。
「偽聖女」と罵られ、追放され、魔獣の森に捨てられたあの屈辱。
義妹に全てを奪われ、元婚約者に見下された、あの屈辱。
それを、なかったことにはできない。
忘れることも、許すこともできない。
私が望むのは、復讐。
でも、血を流す復讐ではない。
彼らが自らの愚かさに気づき、後悔し、地に這いつくばる――そんな復讐。
「復讐に囚われず、ただ、この国を豊かにする。民を幸せにする」
優しさを帯びる声。
「それだけでも、お前は十分に――」
「いいえ」
彼の言葉を遮る。
「私は、復讐します」
きっぱりと。
「でも、それは民を犠牲にするものではありません」
都市を見下ろす。
「この国を豊かにし、民を幸せにし――その結果として、聖レガリア王国は勝手に零落していく」
「血を流さず、ただ、彼らの愚かさが露呈するだけ」
アザゼルが、僅かに笑った。
「......やはり、お前は面白い」
頭に置かれる手。
そのまま、ゆっくりと髪を撫でる動き。
「お前のやりたいようにやれ」
「俺は、お前の隣にいる」
その言葉が――
何よりも、嬉しかった。
隣にいる。
ただ、それだけの言葉。
でも、その言葉が持つ重みを、私は知っている。
どんな時も、どんな道を選んでも、彼は私の隣にいると言ってくれている。
復讐という険しい道を選んだ私を。
彼は、否定しない。
止めもしない。
ただ、隣にいると約束してくれる。
前世で、今世で、ずっと一人だった私に。
誰も味方がいなかった私に。
この人は、隣にいると約束してくれた。
髪を撫でる手の温もりが、胸の奥まで染み渡っていく。
私の復讐は、今、始まったばかり。
でも、もう一人じゃない。




