第13話 前編:エーテル鋼の誕生
「陛下! この水路、本当に素晴らしいです!」
建国から一週間。朝の都市を歩いていると、あちこちから声が飛んでくる。
「フィーア先生に、妻が救われました! ありがとうございます!」
「ガルディウス隊長! 今日の訓練、お願いします!」
訓練場では、狼獣人の青年たちが木剣を振っている。ガルディウスの怒号が響く。
「もっと腰を落とせ! 防衛隊は帝国の盾だぞ!」
若者たちが、汗を流しながら応える。
「はいっ!」
医療院の天幕からは、エルフの親子が笑顔で出てくる。フィーアの優しい声。
「大丈夫ですよ。もう熱も下がっています。でも、今日一日は安静にしてくださいね」
母親が何度も頭を下げながら、娘の手を引いて歩いていく。
ドワーフの職人たちが誇らしげに石畳を敷き詰め、広場には仮設の市場。金狐族の商人が野菜を並べ、竜人の鍛冶師が簡易な農具を売っている。
迫害され、すべてを失い、この「空白地帯」に流れ着いた人々。
その彼らが――今、笑っている。
わずか一週間で「帝国の民」として、本来の顔つきを取り戻し始めている様子。前世でプロジェクトマネージャーをしていた私は、この「良い循環」がどれほど貴重なものか、痛いほど理解していた。最も重要なリソースは「人」であり、そのモチベーションこそがプロジェクトの成否を分ける。
「......良い顔をしているな」
ふと、隣を歩いていたアザゼルが低い声で呟く。
「え?」
振り返ると、彼が見ているのは広場の人々。
「民も」
それから、彼の紅い瞳が私を捉える。
「お前もだ」
その視線に、思わず息が詰まる。
朝日を浴びた彼の横顔は穏やかで、その瞳には――何と表現すればいいのか。優しさ、のようなものが宿っていた。
「これが、お前の創りたかった国の、始まりか」
「......はい」
胸に込み上げる熱いものを感じながら、私は強く頷く。
「まだ、始まったばかりです」
広場の隅では、配給所に長い列。私が昨夜、錬成術で作った固いパンと野菜スープ。味気ないが、栄養だけは確保してある。
「セレスティア様、ありがとうございます!」
パンを受け取ったドワーフの老人が、涙を流しながら言う。
「聖レガリア王国では、私たちドワーフには配給すらありませんでした......」
その声が、胸に刺さる。
でも、同時に焦りも。
この一週間、毎晩、千人分の食料を錬成し続けてきた。昼間は都市の整備。夜は食料の錬成。そして今日は――
「武器も、足りていないな」
アザゼルが、訓練場の隅を見る。
そこには、錆びた剣、刃こぼれした斧、ひび割れた盾。難民たちが持ち込んだ武具が無造作に積まれている。これでは、まともな戦闘など望めない。
「ええ。食料も、武器も、すべて私の錬成術に頼り切りです」
拳を握りしめる。
インフラという「器」は整った。次は、この国を動かす「血」――経済システムを構築する段階。そして、その切り札となる「商品」を、今日、創り出す。
「だから、今日、それを解決します」
私はアザゼルを見た。
「私と、あなたの力で」
彼は僅かに目を見開き――それから、ゆっくりと頷く。
「......分かった」
その低い声に、絶対的な信頼が込められている。
私たちは広場を後にして、都市の中心部に新設したばかりの魔法研究所へ。朝の光を浴びた石畳の道を歩きながら、私は今日創り出す「新素材」のシミュレーションを、頭の中で何度も繰り返す。
研究所の入り口では、ソラリスが九尾を揺らしながら待っていた。
「セレスティア様! おはようございます!」
「おはよう、ソラリス。今日は大事な実験があるから、錬成室を使わせてもらうわ」
「はいっ! もう準備できてます!」
彼女に案内されて、建物の最奥にある錬成室へ。扉を開けると、ひんやりとした空気が肌を撫でる。ソラリスが扉を閉め、私たちだけに。
石造りの部屋は外光を完全に遮断し、壁には古代文字で描かれた魔法陣が淡く発光。中央には、精密な術式が刻まれた錬成台。その周囲に、私が前世と今世の知識を総動員して設計した、複雑な魔法陣が展開されている。
「......最終工程のシミュレーションを完了しました」
設計図として書き起こした術式を広げる。羊皮紙に描かれた図面は、この世界の魔法理論と、私の前世――橘美咲が持っていた材料工学の知識を融合させた、まったく新しい理論に基づくもの。
「鉄、ミスリル、オリハルコン、そして魔鉱石」
錬成台に置かれた素材の粒子に意識を集中する。
「既存の金属をただ混ぜ合わせる『合金』では、限界があります。互いの長所を殺し合ってしまうから」
手を素材の上にかざす。分子レベルの感覚が、指先に伝わってくる。
「重要なのは、一度すべての物質を原子レベルまで『分解』し、その上で、最も効率的な結晶構造で『再構築』すること」
「......錬成術の本来の領域か」
アザゼルが、私の手元を真剣な目で見つめている。
「物質の理そのものを書き換えるとは」
彼がここにいるのは、単なる護衛のためではない。この試作は、彼の力なしでは不可能。
「アザゼル」
私は彼を見た。
「お願いします」
「あぁ」
彼の返事は、いつものように簡潔。
だが――
彼の手が、そっと錬成陣が描かれた台座に触れる。その動作の中に、私への絶対的な信頼が見える。言葉にせずとも、彼は私の意図を完璧に理解している様子。
「『時空支配術』――領域固定」
彼の魔力が放たれた瞬間、錬成室の空気が変わる。
まるで、世界がガラスの箱の中に閉じ込められたような感覚。外部からの僅かな振動も、魔力の揺らぎも、すべてが遮断される。分子レベルの超精密な作業には、完璧な静寂が必要。
アザゼルの時空術が、それを実現してくれている。
この絶対的な信頼感。
私が「お願いします」とだけ言えば、彼は私の意図を完璧に汲み取り、彼にしかできないサポートを実行してくれる。この共同作業の心地よさが、私の集中力を極限まで高める。
(......私たちは、息が合っている)
まるで長年連れ添った職人のように、息が合う私たち。
言葉はいらない。
視線を交わすだけで、次の行動が分かる。
「『万象錬成術』――」
意識を研ぎ澄ます。
深呼吸。
心拍を整える。
そして――手のひらから、蒼白い光が放たれる。
素材が、光に包まれる。
分解された原子たちが、私のイメージ通りに整列していく。鉄の原子、ミスリルの原子、魔鉱石の粒子。それらが、まるで生きているかのように、私の意志に従って動く。
魔力伝導率を最大化するために、分子の結合を最適化。硬度と靭性を両立させるために、結晶構造を微調整していく。
前世では、コンピュータの画面の中でしか見られなかった分子構造。
それが今――
この手で、現実の物質として、創り出されようとしている。
膨大な魔力が消費され、視界が白む。だが、MPが無限(∞)である私に、限界はない。
問題は、この超高密度の物質を、いかにして「剣」という形に留めるか。
「......っ!」
再構築される物質の密度が、予想を超えて高まっていく。
圧力が、術式の制御許容量を超え始める。
「圧力が、高すぎる......!」
エネルギーの奔流が、暴走しかけている。
制御を失えば、このエネルギーは爆発的に解放される。この研究所どころか、都市全体を吹き飛ばしかねない。
素材が、光の渦となって回転を始める。
制御が、効かない――
「アザゼル!」
私が叫ぶより早く――
彼の魔力が、さらに高まる。
「分かっている」
彼の声は、いつもより低く、鋭い。
「時間圧縮!」
次の瞬間、世界の色が変わる。
私と、錬成中の物質。
その二点だけを対象に、時間の流れが――変わる。
いや、違う。
周囲の時間が「遅く」なっているのだ。
外部の時間が一秒進む間に、私たちは十秒、百秒分の思考と作業を行うことができる。暴走しかけていたエネルギーの奔流が、まるでスローモーションのように、緩やかに見える。
アザゼルの呼吸が、聞こえた。
彼も、相当な魔力を消費しているはず。
(......この試作は、不可能だった)
この試作は、不可能だった。
私一人では、制御できなかった。
でも、彼がいる。
だから――
圧縮された時間の中で、術式を再修正する。
余剰エネルギーを逃がすためのバイパスを作り、それを剣の「鍔」の部分に循環させ、再吸収させる。暴走しかけていたエネルギーが、徐々に、制御下に戻っていく。
光が、収束していく。
回転が、止まる。
そして――
眩い閃光が、部屋中を白く染め上げた。
どれほどの時間が経ったのか。
圧縮されていた時間が元に戻ると、私とアザゼルは、同時に荒い息をつく。
「......はぁ......っ」
額に、汗が滲む。
「......とんでもない術式だな」
アザゼルの声には、いつもの冷静さとは違う、純粋な驚愕と――僅かな興奮が混じっていた。
「世界そのものを創り変える気か」
私たちの目の前。
台座の上には、一本の長剣が、静かな光を放ちながら鎮座している。
刀身は、黒とも銀ともつかない、鈍い光沢。まるで、光そのものを吸い込んでいるかのよう。華美な装飾は一切ない。ただ、そこにあるだけで、異常なまでの「存在感」を放つ剣。
「......これが」
私は、その剣を見つめた。
アザゼルが、まるで貴重な美術品に触れるかのように、そっと剣の柄を握る。そして、ゆっくりと持ち上げる。
「......」
彼の紅い瞳が、驚きに見開かれる。
「信じられない。この質量で、この重さ?」
「軽い」
彼は、剣を軽く振る。
「まるで、羽のようだ」
「ええ。分子レベルで結合を最適化した結果、無駄な質量が一切存在しないから」
私は、研究所の訓練場へ向かうよう、彼に目で促す。
錬成室を出て、隣接する訓練場へ。ここは新素材の強度試験用に作られた広い空間で、防御魔法の実験用に置かれていた、直径三メートルはあろうかという巨大な黒曜石が鎮座。防御結界が張られた、防衛試験用の標的。
アザゼルは、剣を中段に構える。
特別な魔力も込めていない。
身体強化も使っていない。
ただの、素振り。
そして――
キィン、と。
空気が、悲鳴を上げる。
アザゼルの動きに追従した剣先が、黒曜石に触れる。
音は、なかった。
剣は、まるで熱したナイフが分厚いバターを切り裂くように、何の抵抗もなく、黒曜石を両断。
滑らかすぎる切断面が、室内灯を反射して鈍く光る。
「......」
アザゼルが、絶句している。
あの、元魔王であり、常に冷静沈着を崩さなかった彼が――
自分の手の中にある剣と、真っ二つになった巨岩を、信じられないという顔で交互に見ている。
「......今、俺は」
彼が、呆然と呟く。
「何もしていない」
「魔力も込めていない。身体強化も使っていない」
彼は、剣を見つめる。
「ただ、振っただけだ」
「それが、この新素材の特性です」
高鳴る鼓動を抑えながら説明する。
「強度は、既存の最強金属であるオリハルコンの数十倍。魔力伝導率は、ほぼ損失ゼロ」
「......既存の聖剣級を、遥かに凌駕している」
アザゼルは、剣を鞘に納めると、ゆっくりと私に向き直る。
その紅い瞳には、今までに見たことのない、強い光が宿っていた。
「......セレスティア」
彼が、私の名を呼ぶ。
「お前の頭の中は、本当にどうなっているんだ」
呆れたような、それでいて心の底から感心したような、複雑な声。
そして――
ふっ、と。
彼の口角が上がり、息が漏れるように、穏やかな笑みがこぼれる。
その瞬間――
時間が、止まった。
彼の、笑顔。
穏やかで、優しくて、でも、どこか寂しげ。
いつもはクールで、無表情で、私への忠誠を示す時ですら、どこか一線を引いていた彼が。
今――
私のために、笑ってくれている。
(......心臓が、壊れそう)
心臓が、壊れそうなほど激しく鼓動する。
呼吸を、忘れた。
視界が、彼だけに。
彼が、こんな風に、穏やかに笑う顔を、私は初めて見た。
それは、奴隷でも魔王でもない、「アザゼル」という一人の人間の笑み。
純粋な驚嘆と――
喜びを、私に向けてくれている。
胸が、苦しい。
でも、視線を逸らせない。
彼の紅い瞳が、私を見つめている。
その視線の重みに、膝が震えそうになる。
前世でも、今世でも、こんな経験はなかった。
ただ、一つのことを成し遂げ、その成果を共有し、互いの能力を認め合い、そして、笑う。
それが、これほどまでに――
胸の奥を温かく、そして苦しくさせるものだとは、知らなかった。
顔が、熱い。
頬が火照っていくのが、自分でも分かる。
心臓が、うるさい。
彼の笑顔が、瞼に焼き付く。
もう、忘れられない。
(......この笑顔を、ずっと見ていたい)
この笑顔を、ずっと見ていたい。
何かが、変わった。
この瞬間、確かに、何かが。
「......これで、我が国の軍事力を確保できます」
高鳴る鼓動を必死に抑え込み、かろうじて声を絞り出す。
平静を装わなければ。私は、この国の女帝なのだから。
「軍事力?」
アザゼルの表情が、即座に「宰相」のものに戻る。
「はい。この新素材を、防衛隊に配備します」
「......だが、それだけではないな」
彼の鋭い洞察に、私は頷く。
「ええ。これを『商品』として、周辺国に売ります」
「......売る? これほどの戦略物資をか?」
「もちろん、完成品は売りません。売るのは、性能を意図的に落とした『劣化版』です」
冷徹なプロジェクトマネージャーの顔で、計画を告げる。
「それですら、既存の武器の十倍の性能はあります。周辺国は、喉から手が出るほど欲しがるでしょう」
「......なるほど」
アザゼルが、私の意図を正確に読み取る。
「価格の決定権を、完全に握る」
「ええ。そして、特定の国には『売らない』という選択も」
「聖レガリア王国、か」
彼の声が、冷たくなる。
「経済とは、それ自体が『武器』なのです」
遠く王都の方角を見る。
「血を流さずに敵国を疲弊させ、逆に、味方とする国には圧倒的な力を与えることができる」
「......お前は、本当に」
アザゼルは、私の横顔を見ていた。
「面白い女だ」
その言葉に、また顔が熱くなる。
「さあ、次は本番です」
話題を変えるように言う。
「本番?」
「ええ」
私は、訓練場の扉の向こう――都市の工業地区の方角を見た。
「ドワーフの鍛冶師たちに、この新素材を見せます」




