第12話 亜人難民の受け入れ
建国から三日目の朝。目を覚ました時、夢の中でもあの夜風を感じていた気がした。昨夜、バルコニーでアザゼルと二人、月明かりの下で都市を見下ろしていた。風が強く吹いて、私の髪が舞い上がる。彼が指先でそっと払ってくれた時――頬に触れた。「邪魔だった」と彼は何でもないように言ったが、その指先の熱が、朝になった今も消えない。私は自分の頬に触れた。まだ、そこに彼の指の感触が残っている気がして。
中央宮殿の執務室で、私たちは作戦会議を開いていた。議題は食料備蓄の試算と、ザラキエルが展開する防衛結界の調整について。長テーブルを囲み、ガルディウス、フィーア、ルミナリス、ソラリス、そしてアザゼルが配置図を見つめている。
「結界は、明確な敵意を持つ者のみを阻んでください。もし、助けを求めて来た者がいれば、その者たちは通しなさい」
私が指示を出している最中、アザゼルが私の隣に立った。肩が触れそうなほど、近い。彼の体温が伝わってくるようで、昨夜のことを思い出して顔が熱くなる。彼の指が頬に触れた時の、あの鮮烈な感触――
「主よ!」
ザラキエルの緊迫した声が、私の思考を遮った。
「結界に反応あり! 敵意なし、およそ二十名が都市の正門に向かっております!」
私は息を呑んだ。早すぎる。建国宣言から、まだ三日しか経っていない。噂が広まるには、少なくとも一週間はかかると予想していたのに。
「アザゼル、ガルディウス。行きます」
私が立ち上がると、アザゼルも無言で頷き、二人は執務室を後にした。
正門に駆けつけると、ボロボロの衣服をまとった集団が森から姿を現した。獣人、ドワーフ、エルフ――その顔ぶれを見た瞬間、私は目を見開いた。見覚えのある顔が、いくつもある。あの時、奴隷商人のキャンプから解放した人たちだ。
先頭の狼耳の男が、私を見て目を見開き、そして膝をついた。
「間違いない! あの時、俺たちを救ってくださった銀髪の御方だ!」
彼は震える声で叫んだ。
「我々は、あの後、各地の集落に散りました。そして、耳にしたのです。『偽聖女と呼ばれた女は、森の奥で国を創った』と。『そこは、虐げられる者すべてを受け入れる楽園だ』と!」
「それで......我々は、決死隊として、この森へ入りました。てっきり結界に阻まれるかと思いましたが......我々は、通れた!」
男の声が興奮で震えている。
「陛下、お願いがあります。森の入り口には、噂を聞いて集まった数百の同胞が待機しております。どうか、合図を送らせてください!」
私は僅かに逡巡した。数百人。昨日、千軒の住居を建てたばかりだ。だが、それが一晩で埋まるということは――いや、考えている暇はない。
「許可します。合図を送りなさい」
男は感謝の涙を流しながら、魔法の狼煙を取り出した。
「ありがとうございます!」
狼煙が空高く打ち上がると、地響きが始まった。森から、人の波が雪崩のように押し寄せてくる。その数は、一目で数百とわかる規模だった。
彼らは、昨日完成したばかりの整然とした街並みを遠目に見て、歓声を上げた。
「本当だ......街が、ある!」
「あんなに......建物が並んでいる!」
「俺たちを、受け入れてくれるのか!」
先頭の男が、私の前にひれ伏す。
「救いの女帝様! どうか、我らをお救いください! 真の聖女が即位してから、聖レガリア王国の亜人狩りは苛烈になる一方です!」
その声に呼応するように、数百人が一斉にひれ伏した。私は一歩前に出て、集まった全員に聞こえるよう声を張った。
「顔を上げなさい」
ざわめきが静まる。私は、彼らの瞳を一人ひとり見つめながら、宣言した。
「ここには、誰でも居場所がある。種族も、身分も、過去も関係ない。みんな、同じ『ノヴァ・エデン帝国の民』です」
一瞬の静寂の後、地鳴りのような歓声が上がった。泣き崩れる者、抱き合う者、天を仰ぐ者。ガルディウスの声が感動に震えている。
「陛下、素晴らしいお言葉です!」
だが、私は感傷に浸っている暇はないと理解していた。数百人規模の緊急受け入れだ。混乱は許されない。前世のプロジェクトマネージャーとしての血が騒ぐ。
「フィーア! 医療院を開放、負傷者と病人の優先順位付けを! 一人でも死なせてはなりません!」
「お任せください!」
「ガルディウス! 彼らを居住区画へ誘導、十人一組で管理を!」
「御意!」
「ルミナリス、ソラリス! 備蓄倉庫の管理、家具と寝具の割り当てをお願いします!」
「「了解!」」
仲間たちが一斉に散っていく。残ったのは、私とアザゼル。
「アザゼル」
私が彼を呼ぶと、彼は静かに私を見つめた。紅い瞳に、いつもの冷静さと、僅かな覚悟のようなものが宿っている。
「これから徹夜になります。私が食料と日用品を錬成し続けます。あなたはそれを各住居に転移させてください」
「構わない」
彼は即答した。
「お前が倒れるまで、俺は転送し続ける」
私は思わず眉をひそめた。
「倒れる前提ですか?」
すると、彼は僅かに口角を上げた。
「冗談だ。お前を倒れさせるつもりはない。だから、無理をするな」
その言葉に、胸の奥が温かくなる。彼は、本当に私の体調を気遣ってくれている。
受け入れ作業は、夜通し続いた。私は中央広場で、ただひたすらに万象錬成術を行使し続ける。足元の石畳から元素を抽出し、固い黒パンへ。岩石を砕いて水を精製し、革袋へ。枯れ枝を集めて燃料に。大気中の魔素を束ね、粗い毛布へ。アザゼルは私の隣に立ち、錬成されたパンと毛布、水の山を淡々と時空支配術で各住居に転送していく。
錬成できるのは、あくまで「基本的な物資」だけだ。精密な道具や、味の良い食事は作れない。それでも、生きるために必要な最低限のものは揃う。私の生産と、彼の輸送。二人いなければ、この速度はあり得ない。
「主よ!」
上空のザラキエルから、緊迫した声が届いた。
「第二波、第三波です! 結界の外に、さらに数百の集団が......!」
私が一瞬動揺した時、アザゼルの手が私の腕を掴んだ。その力強さが、私を現実に引き戻す。
「落ち着け。まだ余裕はある」
その声が、私を鎮めた。
夜が更け、精神が擦り切れてきた頃、私は呟いた。
「......もう、これで百軒目か」
すると、彼が革袋を差し出してきた。
「飲め。脱水症状を起こすぞ」
私はそれを受け取り、冷たい水を喉に流し込む。彼が、私の体調を気遣っている。前世でも今世でも、こんな風に誰かが心配してくれたことはなかった。その事実が、胸の奥を熱くする。
最後の錬成を終え、千軒すべてに物資が行き渡った時、広場に静けさが戻った。千軒の住居のほぼすべてに魔力灯がともり、新しい生活の音が微かに聞こえてくる。疲労で座り込んだ私の隣に、アザゼルも腰を下ろした。静寂。都市に、千人を超える人々の寝息が満ちている。
彼の手が、そっと私の手を握った。
「......?」
私が顔を上げると、彼は無表情のまま言った。
「手が冷えている。魔力を使いすぎると、体温が下がる」
その手の熱が、じんわりと伝わってくる。冷え切った指先から、彼のぬくもりが流れ込んでくるようだった。私は、彼の手を握り返した。
「......温かい」
私が呟くと、彼は何でもないように答えた。
「当然だ。俺の体温は高い」
だが、握る手には力がこもっている。この人は、いつもこうだ。言葉では淡々としているのに、行動で示してくれる。
二人は、手を繋いだまま、黙って空を見ていた。東の空が、僅かに白み始める。
「もう少しで、夜が明ける」
私が呟くと、彼は静かに頷いた。
「ああ」
私は、繋いだ手を見つめた。
「......手、離しますか?」
すると、彼は即答した。
「いや。まだ冷えてる」
嘘だ。もう温かい。でも、私は何も言わなかった。彼の手の圧。指と指が絡み合う感覚。この熱を、もう少しだけ、感じていたかった。
夜明けまで、あとどれくらいだろう。繋いだ手から伝わる彼の体温が、心地よかった。
「疲れたか?」
アザゼルが、静かに聞いてきた。
「......少し」
私は正直に答えた。
「でも、まだ大丈夫です」
「無理をするな。倒れたら、俺が困る」
「困る、ですか?」
「ああ」
彼は、僅かに笑った。
「お前がいなければ、この国は回らない」
その言葉が、嬉しかった。彼にとって、私は必要な存在なのだと。
「......アザゼル」
「何だ」
「あなたは、なぜ私に協力してくれるのですか?」
私が聞くと、彼は少しの間、黙った。そして、ゆっくりと答えた。
「お前が、俺を対等に扱ったからだ」
「対等、ですか」
「ああ。奴隷として扱わず、対等な『協力者』として。それが、嬉しかった」
彼の手が、私の手を強く握る。
「だから、俺はお前の隣にいる。お前が望む限り、ずっと」
その言葉に、胸が熱くなる。
「......ずっと、ですか」
「ああ。ずっとだ」
繋いだ手が、もう離れない。
朝日が、二人を照らし始める。
「陛下」
ガルディウスが、集計結果を持って駆け寄ってきた。
「昨夜受け入れた難民の総数、合計千二十一名です! 我が国の人口は、建国わずか三日目で千人を超えました!」
千二十一名。建てた家が、一夜にして、ほぼ全て埋まった。
ガルディウスが去ると、今度は一人の亜人の女性が、幼い子供の手を引いて近づいてきた。獣人の母親と、その娘だ。
「陛下......」
母親は、涙を流しながら跪いた。
「ありがとうございます。娘が、やっと笑えるようになりました」
幼い獣人の少女が、私を見上げている。その瞳には、希望の光が宿っていた。
「ここで、ずっと暮らせるの?」
少女が、無邪気に聞いてくる。
「ええ」
私は、彼女の頭を撫でた。
「ずっと、ここにいていいのよ」
「やった!」
少女は、満面の笑みを浮かべた。
その笑顔を見て、私は胸が熱くなった。この子たちに、安心して暮らせる場所を作れた。それが、何よりも嬉しかった。
母親が、何度も何度も頭を下げて去っていく。
「......良い顔をしているな」
アザゼルが、私の隣で呟いた。
「え?」
「お前だ。今、とても良い顔をしている」
彼の言葉に、私は顔が熱くなった。
「......そう、でしょうか」
「ああ。だから、俺はお前を選んだ」
その言葉の意味を、私はまだ理解できなかった。
その後、私はふと思い出した。難民の中にいた、ドワーフの老人の言葉を。「聖レガリア王国では、亜人労働者への賃金は半分に。逃亡した者は、家族ごと処刑。我らは、もはや『物』としてしか扱われていません」
ドワーフの老人は、続けた。
「つい一週間前、俺の息子が、工事現場で事故に遭いました。腕を失い、働けなくなった。すると、聖女教会の者たちは言ったのです。『働けぬ者に、居場所はない』と」
老人の声が、怒りに震える。
「息子は、家族ごと追放されました。行く場所もなく、途方に暮れていた時、噂を聞いたのです。『偽聖女が、国を創った』と」
「......それで、ここへ?」
「ええ。息子は、今、医療院で治療を受けております。フィーア様が、『働けなくても、生きる権利はある』と仰ってくださいました」
老人は、涙を流した。
「ありがとうございます、陛下。我らに、生きる場所をくださって」
私は、遠く王都の方角を見た。レオンハルト殿下は、気づいているのだろうか。自分が『労働力』として切り捨てた人々が、今、どこへ向かっているのかを。あなたの国は、自ら『力』を手放している。
アザゼルが立ち上がり、私に手を差し伸べた。
「立てるか?」
私はその手を取り、立ち上がる。すると、彼は私の肩に手を置いた。
「ああ。お前は、本当に良い女帝になる」
その言葉が、何よりも嬉しかった。彼の手の熱が、肩から全身に広がっていく。
仲間たちが、遠くから私たちを見ている。ルミナリスの鋭い視線が、私とアザゼルの間を行き来している。ソラリスは、何か言いたげな顔で尻尾を揺らしている。
(......気づかれている)
二人が、何かを察している。
私も、気づいている。この胸の高鳴りが、何を意味するのか。でも、それを言葉にするのは、まだ早い気がした。
この人と一緒なら、私は何でもできる。
朝日が、ノヴァ・エデン帝国を照らしていた。




