第1話 偽聖女の断罪
厳かで神聖な空気が、肌を刺すように冷たい。
聖レガリア王国が誇る大聖堂。 七神樹が一つ、『煌天樹イグドラシル』の御名のもとに建てられたこの場所は、本来ならば光と慈悲の象徴のはずだ。
煌天樹イグドラシル――光属性を司る神樹の加護を受け、千年以上この地に聖女を生み出してきた。
私も、かつてはその「聖女候補」として、この場所で祈りを捧げた。
だが、今日、私はここで「偽物」として断罪される。
ステンドグラスから差し込む光が、私を照らす。皮肉なものだ。光の加護を司る神樹の下で、私は「光を持たない偽物」と呼ばれる。
大聖堂には、数百人の貴族と民衆が詰めかけている。皆、興味津々といった顔で、私を見下ろしている。
(......見世物か)
前世の記憶が、ふと甦る。あの時も、誰も私を「人」として見てくれなかった。
けれど今、私、セレスティア・ノヴァルーナに注がれるのは、ステンドグラスを透過する光よりも冷え冷えとした、侮蔑と憎悪の視線だけだった。
「セレスティア・ノヴァルーナ!」
玉座の前、壇上から響く甲高い声。 私の婚約者であるはずの男、レオンハルト・ソル・レガリア皇太子が、美しい顔を怒りで歪ませて私を断罪している。
「貴様との婚約を、本日この場をもって破棄する!」
集まった貴族たちが、待ってましたとばかりに頷き合う。 民衆席からも「偽物め」と罵声が飛ぶ。
(……ああ、やっと)
この茶番劇を、私はどれほど待ちわびていたことか。内心で深く息を吐き出す。前世、32歳で過労死したプロジェクトマネージャーだった私にとって、この婚約破棄という「イベント」は、遅延しきったプロジェクトがようやく炎上する瞬間に似ていた。
(……けれど、この先は一人か)
追放された先で、誰かに出会えるだろうか。いや、もう誰も信じない方がいい。
「聖女として選ばれたにもかかわらず、貴様の魔力はE級にすら満たない! 鑑定結果は明白だ!」
レオンハルトが突きつけてくる羊皮紙を、私は見ようともしない。
(ええ、知っています。聖属性魔法の才能が皆無であることも。代わりに、別のとんでもない力が備わっているであろうことも)
私が黙り込んでいるのを、反論できないとでも思ったのだろう。 レオンハルトはさらに得意げに声を張り上げた。
「民の期待を裏切り、王国を欺いた罪は重い! だが、我らには神の御慈悲がある!」
その言葉が、大聖堂に響き渡る。
公爵令嬢との婚約破棄――貴族たちがざわめいた。
そして彼が手を取ったのは、私の背後に控えていた一人の少女。
「ここにいるミレイユこそが、真の聖女である!」
その瞬間、空気が変わった。
大聖堂に集う人々が、一斉に息を呑む。
ミレイユ――私の義妹。母が再婚した相手の連れ子で、血の繋がりはない。
彼女が「聖女認定」を受けた日から、私の運命は決まっていた。
「聖女の義姉」は、「偽聖女」でなければならない。
なぜなら、この国に二人の聖女など必要ないのだから。
金髪の縦ロールを揺らし、庇護欲をそそる可憐な笑みを浮かべたミレイユが、一歩前に出る。 彼女が胸の前で手を組むと、ふわりと柔らかな光が溢れ出した。
「おお……!」「あれこそが真の聖女様の光だ!」
民衆が歓喜し、ひれ伏す。 ミレイユはうっとりとその光を浴びながら、勝ち誇った顔で私を一瞥した。
(……哀れな人)
その光が、私から奪った力の残滓に過ぎないことにも気づかずに。 まあ、どうでもいいことだけれど。
「何か言うことはあるか、偽聖女セレスティア」 レオンハルトが、私に最後の言葉を求めてくる。 慈悲深い自分を演じたいのだろう。
私はゆっくりと顔を上げ、この上なく優雅に一礼をした。
「婚約破棄、謹んでお受けいたしますわ、レオンハルト皇太子殿下」
「……なっ」
予想外の冷静な返答に、彼が息を呑む。 私は構わず、穏やかな笑みさえ浮かべて続けた。
「ですが、一つだけ」
ざわつく大聖堂の中、私はゆっくりと膝を折る。 そして、その白い手袋に包まれた指先で、足元の冷たい大理石の床にそっと触れた。
「この神聖なる大聖堂に、偽物のまま立ち入っていた非礼をお詫びせねばなりません」
私の言葉と同時に、足元の石が音もなくその姿を変えていく。
「な……!?」「な、なんだ!?」
冷たい灰色の大理石が、私の指先から波紋が広がるように、眩い輝きを放つ黄金へと変わっていく。 それは、不純物を一切含まない、完璧な純金。 錬成された黄金は、瞬く間に壇上を覆い尽くした。
「ひっ……!」
あまりの異常事態に、レオンハルトもミレイユも、腰が引けている。
(ああ、いけない。またやってしまった)
前世の記憶が戻ってから、この力は隠そうと決めていたのに。完璧な成果物を提示せずにはいられない、プロジェクトマネージャーの悲しい性だった。
(……この力を見せた瞬間、私は「化け物」になった)
もう、誰も近づいてこない。それでいい、と思おうとする。でも、胸の奥で小さな声が囁く。「本当に、それでいいの?」――私は、その声を無視した。
「き、貴様ッ! それは何だ!?」
最初に我に返ったのは、聖女教会の枢機卿だった。 彼は顔を真っ赤にして叫ぶ。
「それは聖なる光の力ではない! 神聖な大聖堂を穢す、異端の魔術だ!」
「そうだ!」 レオンハルトも、ようやく動揺から立ち直ったらしい。 床に散らばった黄金の輝きに一瞬目を眩ませながらも、怒りを露わにする。
「聖女を騙るだけでなく、そのような異端の力まで隠し持っていたのか! この不届き者め!」
「「「異端者を捕らえよ!!」」」
枢機卿の号令で、大聖堂を守っていた聖騎士たちが一斉に剣を抜く。 だが、彼らは私に近づけない。 私が錬成した黄金が、まるで意志を持つかのように彼らの足に絡みつき、その動きを封じているからだ。
「ええい、何をぐずぐずしている! 早くそいつを!」
「もはや猶予はない!」 枢機卿は、黄金に足を取られて動けない騎士たちに業を煮やし、自ら宣告を下した。
「異端者セレスティア・ノヴァルーナ! 聖レガリア王国、並びに聖女教会の名において、貴様を『魔獣の森』への追放に処す!」
魔獣の森。 この大陸で最も危険な、七神樹の加護が薄い危険地帯。 事実上の死刑宣告だ。
民衆は恐怖と安堵の入り混じった顔で私を見ている。 ミレイユは、私がようやく排除されることに歓喜の表情を隠しきれていない。 レオンハルトは、私という「汚点」を処分できることに安堵している。
(……そうですか)
私は静かに立ち上がり、黄金の拘束を解いた騎士たちに、自ら両手を差し出した。
「承知いたしました」
もう、ここには何の未練もない。
「皆様、どうぞ、お幸せに」
私の口からこぼれた言葉が、皮肉にしか聞こえなかったのは、きっと気のせいではないだろう。




