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【BL】短歌で恋する男子たち  作者: 川上桃園
第2章 純粋わんこは恋を詠《うた》う(海斗×環)
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第3話 星砂は

 担任の先生の話が終わり、放課後になる。

 文芸部の活動は平日週三回だけで、今日は活動日ではない。

 鞄にそろそろと荷物を詰めていると、亀山さんが声をかけてくる。


「福永くん、今日は部室行く?」

「あ〜……」


 僕はためらっていた。普段ならなんとなく亀山さんについていっただろう。

 文芸部は活動日でなくとも、部室には人が集まってくるのだ。ただダベるだけの日もあるし、人狼ゲームに興じることもある。部誌の締切が近ければ、原稿の下書きなど創作の時間にもなる。すべてはその日の気分次第だ。


「今日はやめとくよ」

「りょーかい。私は行ってくるわ。じゃあね」

「じゃあ」


 僕が手をあげると亀山さんは少し微笑んでから教室を出ていく。たまたま同じクラスにいる部活仲間というだけで声をかけてくれるのだからありがたい限りだった。


『また、放課後、ここで』


 休み時間に広野から言われた通りにしたけれど、僕だけ真に受けていないか、いまだに心配になる。

 広野はいつのまにか姿がなくなっている。鞄があるから、まだ教室に戻ってくるつもりだろうが。

 がやがやしていた教室から徐々に人の声が消えていく。

 手持ち無沙汰だったので、僕は短歌ノートを開き、新しい短歌を書きつけてから、思索にふけった。

 今日あったことを振り返りながら、短歌にできそうな種を探していく。


――今日は、広野に……。


 ペンケースから消しゴムがのぞいているのを取り出して眺める。そこそこ使い込まれて、形が歪になりつつある消しゴムだ。


『消しゴムを借りていいか』

『いいよ』


 広野はこの消しゴムで僕の落書きを丁寧に消していったのだ。わざわざ自分の手で。


消しゴムのかすを考えなしに練りまるめかためてすみにおく午後

 

 つい昨日も消しゴムを詠んだ短歌を作ったばかりだが、今なら別の短歌もできそうな気がした。


「消しゴム……、消しゴム、か」

「消しゴムがどうかしたか」

「ああっ!」


 不意打ちに声がかけられて、椅子から転げ落ちそうになる。慌てて重心を戻して、惨事を避けた。


「こ、広野くん……」

「広野、でいい」


 広野は僕をのぞきこむ姿勢から、前席の椅子を方向転換させ、僕の机に向いて座る。

 ガタガタと椅子が動く音がいやに教室に響く。他のクラスメートは、もうだれもいなかった。

 彼の両腕が机の上に置かれた。深い目つきが、僕を見ている。


「今、日直の仕事が終わった。待たせたな」

「いや……いいよ。どうせ今日は部活もないし。……忘れられているかも、とは正直思っていたけど」

「そんなことはしない」


 広野はややむっとした表情で断言した。


「口にしたことには、責任を持つべきだ」

「そうだね。そのほうがいいよ」


 僕が静かに肯定すると、広野が背を丸め、やや顔を寄せてくると、まるで秘密のことをささやくように。


「責任のことも間違っていないが。本当に、気に入っているから、声をかけてる」


 真剣な眼差しだった。これだけでもう、僕は体の芯が震えるほど満たされてしまう。

 けれど、勘違いしてはいけない。気に入られているのは、僕自身のことではない。


「僕の短歌が、ということだよね。あはは、ありがとう」


 僕は広野を見ないようにしながら、短歌ノートのページをめくる。


「この間見せた短歌の、次につくったのは……これ、かな」


糸を吐き包まれた繭はほぐれて 透けゆくへだて それもうれしく


 僕の指先を広野の視線が辿っていく。


「どうかな……?」


 丹念に何度も文字列をなぞる両目は、ぱっと僕をとらえた。三白眼ぎみの広野の黒目がうろうろと動き。


「いい、とおもう」


 つっかえ気味に、広野はこう評した。


まゆは、養蚕のやつだろう。あの白い……」

「そうそう。小学生のころ、夏休みに養蚕をやらされてさ……糸がつるつるでとてもきれいでさ」

「そうだな、あれはきれいだ」

「広野もやったのか」


 広野は頷いた。


「繭がほぐれていく、という表現が、きれいだ」

「繭って、未完成で、白いものが多いから、純粋な感じがするよな。あれが一本の糸でできているところもなんだかよくてさ」

「だな」


 広野はおもむろに胸ポケットからシャープペンシルを取り出した。


「ここ、少し書いてもいいか」

「……いいけど?」


 語尾があがったのは、広野の行動がよくわからなかったからだ。

 しかし疑問はすぐに氷解した。

 広野は僕の短歌ノートを自分の手元に寄せると、糸を吐き〜の短歌が書いてある右下に、ぐるぐると花丸を書いたのだ。


「なんだこれ」


 僕は笑ってしまった。広野が真面目な顔をしながら無骨な指で、花丸を書いていたものだから。しかも書き慣れていないのがまるわかりで。


「繭っぽいだろう」

「そっか……たしかにそんな発想はなかったなぁ」


 繭を詠んだ短歌だから、形が似てる花丸をつける。

 面白い発想だと思った。


「広野が短歌をつくったら良いものになるかもね」


 なんの気なしに言ったのだが、いや、と広野は否定した。


「俺には向いていない。福永みたいにきれいな言葉が、出てこない」

「僕だってまだまだ初心者だよ。四月からはじめたばかりだしさ」

「俺は、福永の短歌は、いいと思ってる」

「……ありがとう。僕の場合は本をたくさん読んできたからかな……」


 広野がまっすぐ言葉を投げてくるので、僕は内心照れまくっている。


「でも、広野になにか伝えたいことがあるなら、いつか短歌の形にもなるかもしれないね。創作ってさ、伝えたいことがあるのが大事だから。それさえあるなら不恰好でも形にしたらだれかが認めてくれると思う」


 沈黙がおりた。

 べらべらと語りすぎたな、と僕が自己反省をはじめていると、そうだな、と広野の口から肯定の返事があった。


「そういうものかもしれないな」


 広野はふたたびシャープペンシルを握ると、花丸の横に『これもよかった』と書き加えた。

 そして短歌ノートを返してくる。


「またつくったら見せてくれ」

「わかった」


 僕はこくりと頷いていた。


「広野が読んでくれるなら、僕も作り甲斐があるよ」


 本心からの言葉だった。作った短歌を見てもらえる相手がいるのはいいことだ。励みになる。


――けれど、知られたくないことはひとつだけ。


 僕は広野のことを考えながら短歌を作っている。本人に読まれるのは、本望でありつつもリスキーなことでもあった。もし、僕の秘密がばれたとしたら……。


「そうか」

 

 広野が口の端を上げるのを見て、僕は心の奥底から屈服した。


 ――だめだ、抗えそうにもない。


 目の前にある誘いはそれだけ魅惑的だったのだ。




シャープペンシル ゆっくりと芯足していく手つきに時は寄り添っている


 夕方五時を告げるチャイムが鳴り響き、広野はシャーペンを胸ポケットに戻し、前の席から立ち上がる。

 僕は短歌ノートを閉じて、カバンにしまう。


「帰るか」

「そうだね」


 ふたりそろって立ち上がり、玄関へ向かう。

 広野に短歌を見せるのは、夏休みを挟んで十回は超えた。夏休み中もたまたま校内で出くわした時に、一度だけ見せることができた。

 見せる短歌が一首の時もあれば複数首になることもある。

 広野は毎回、短歌ノートにコメントをひとことずつつけてくれた。この表現がよかった、好きだ、というたわいもないものだが、それが短歌ノートに増えていくのがうれしかった。


――これ、もう僕だけの短歌ノートじゃない気がするな。


 広野とも共同で作り上げているような感覚。そう言ったら大げさすぎるだろうか。


「だいぶ短歌もたまってきたよ。広野が目を通してくれるおかげだな」

「いや……俺のほうこそ楽しませてもらっている」


 廊下を歩きながら話しているうち、広野がふいに立ち止まった。


「福永。頼みがある」

「頼み?」

「福永の短歌を手元に置いておきたいのだが、いいか」

「……どういうこと?」


 聞けば、広野は僕の短歌をスマホの待ち受けにしたいという。断る理由がまったくないので、僕はいいよ、と請け合った。


「どの短歌にする?」

「正直、どれもよくて、決めあぐねていた」

「なら、また今度相談で」

「福永の字で見慣れているから、福永の字で清書したものがいい」

「いいよ。白紙にボールペンでいいならさ」


 僕は鷹揚に頷いた。

 広野とは何度も「短歌を見せる会」をやってきたから、最近になってやっと、広野と普通に話せるようになってきた気がする。たまに広野のかっこよさに改めて気がついてどぎまぎするのは治らないけれども。


「頼む。……福永」

「うん」


 玄関に辿り着き、下足を履き替える。

 校舎を出れば、二人分の影が長く後方へ投げられていた。

 夕暮れが近い。アスファルトには朝降っていた雨の名残りが水溜まりとして残っていた。

 傘立てから自分の傘を探して、抜く。

 気づいたら、広野は僕の後ろに立っていた。

 見下ろされて、どきりとする。いつもより一歩近いような。


「福永の短歌は……いつもいい」

「……ありがとう」


 広野の口はどことなく続きを言いそうな形をしていた。

 広野は、僕の後ろから手を伸ばし、自分自身の傘を抜く。

 こんな姿勢、まるで背後から広野に抱きしめられているようだ。


「福永の短歌は、だれかを想ってつくっている感じがする」

「そ、れは」

「福永は、だれを想って短歌をしている?」


 広野の静かな問いに僕は狼狽えた。

『広野のことだよ』。僕が正直に告げたら、広野はどんな反応を返すだろう。

 きっと困らせてしまうにちがいない。

 だって、僕は広野のことが気になって、短歌にしちゃうぐらいに心惹かれていて、本人を前にすると、今もこうやって緊張するぐらいで、でも広野にばれてもいいから短歌を見て欲しくて、ほめられたくて。


――あ。


 広野への気持ちの正体がこの時、はじめて形をなした。

 僕は、ちゃんと、恋愛的な意味で、広野のことが好きだったんだ。好きだからこそ、今の関係を壊したくないのだ。


「……言えないよ」


 それは「いる」ということを肯定したも同様だった。

 言った後で、しまったと思い、付け加える。


「ないしょにしたくて。広野にも、言えないんだ」


 広野の顔を見られず、下を向く。


「福永……?」


 広野の声には心配が滲んでいた。広野は僕の肩に手をかけようとしたのだが、その時に。


「おっ、おつかれ〜。どした、こんなところで」


 部活終わりらしいクラスメートが声をかけてきた。野球部の大林はユニフォーム姿で額の汗をぬぐった。


「ふたりって仲よかったんだっけ? なんか意外な組み合わせ〜」

「別にいいだろ」


 大林は広野と比較的仲がよく、たまに気安く話しかけているのを見かけていた。

 広野は僕へ伸ばした手を引っ込め、僕から距離をとる。

 置かれてしまった幅に、僕は深く落胆した。

 大林はこのまま広野と話しそうだったので、僕は立ち去ることにした。


「おつかれさま、大林くん。ちょうど僕は帰るところだったんだ。また明日ね」

「おう、明日」


 大林がひらひらと手を振る。僕は十メートルほど歩いてからそっと振り返る。

 僕の予想通り、大林は広野の肩へ腕を回し、楽しそうに話しかけていた。

 広野は……僕を見つめていた。きっと、僕がそうするよりも前からそうしていたにちがいない。


――なんで!?


 かっと熱が上ってきて、勝手に早歩きになる。

 その間も、広野の視線が背中に張り付いている気がしてならなかった。

 僕は、遠慮なく広野へ近づける大林がうらやましくてならなかったのだった。




教室の時間は淡く無遠慮にぬぐわれて かくれていたい


 ピッ、と笛の音が鳴る。一斉にクラスメートたちが集合し、準備体操をはじめた。

 体育の授業中だった。体育教師の号令に合わせ、手足を大きく伸ばしていく。

 暦では立秋を過ぎてもまだ暑さは厳しく。体はすぐに汗をかく。

 僕は最後方から広野を観察していた。彼はクラスの中でも身長が高いので、どこから見ても目立つ。

 ダイナミックな動きをしているが、不思議とがさついている印象はなかった。

 体格もいい。体操服から伸びた腕にもほどよく筋肉がついている。今は帰宅部だと聞くが、中学のころまで何か運動をやっていたのかもしれない。

 隣には大林が、広野へ笑いかけながら体操をしている。

 今まであまり意識していなかったが、大林はよく広野の隣にいた。

 じわり、と胸の中に黒いものが広がっていくような気持ちになる。ちりちりと焼けていきそうだ。

 体操の後は、メインの短距離走だ。次々とタイムが計られていく。

 僕はそこそこのタイムで短距離走を走り抜けた。ゴール近くで息を整えていると、今まさにスタート位置にいる広野を目撃した。

 両肩を大きく回している。

 教師の合図とともに弾丸のように飛び出した広野は……なんというか、めちゃくちゃかっこよかった。


――やっぱり僕は広野のことが。


 教師からも「良いタイムだ」と褒められていた。

 ゴールした広野は、いまだ近くでぐずぐずしていた僕を見つけた。


「福永」


 広野はそっと声を低めた。


「短歌は、作れているのか。最近は……あまり来ないから」

「あぁ、うん」


 僕は言いにくそうにした。


「また、そのうちに」

「そうか。待ってる」


 広野はそういうと、自分を呼ぶ大林のもとに走っていった。


――言えないよなぁ……。


 僕は漠然とそう思い、足元の石ころをそっと踏んだ。


両肩をぐるんと回す大胆さ オオカミだって本気になること


 広野に見せられるだけの、短歌も溜まっていた。

 体育の時間終わりに、僕は手早く着替えを済ませると、短歌ノートに今つくった短歌を書きつけていた。

 けれど、そこで。


「え、福永〜、なに書いてるんだよ〜……どれどれ」


 無遠慮な手が僕からノートを奪っていく。

 手の持ち主は、大林だった。

 大林は、僕が書いた短歌をちらちらっと見て、へぇ、と唇を歪めた。


「福永って、こういうのを書くやつだったのか、いがい〜」


 小馬鹿にされたのがわかる笑い。


「ちょっと、大林くん」


 近くにいた亀山さんも事態に気づいて声をあげるも、僕のノートは大林の近くにいたクラスメートの手から手を回され。

 一様ににやにやされる。

 僕は、さぞや傷ついた顔をしていたに違いない。事実、泣きたい気持ちになっていた。

 僕が彼らになんの迷惑をかけたっていうんだ。なにもしてないのに、どうしてネタにされなければならないんだ。

 僕は、ノートを取り返す気力も持てずに立ち尽くすほかなかった。

 その時だった。


「おい」


 怒りのはらんだ声が響き渡る。

 そこには着替えを終えたばかりの広野が立っていた。

 



 

 


 

 




 

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