第6話 きみと目が合えば指先までも熱こもる 本気の恋に落ちてしまい
告白の返事を考えている間にも、日常は続いていくが、おれと勇は隣のクラスなのだ。
会わない日もあったとしても、ずっと会わないわけではない。
その日の朝。学校の廊下でばったりと勇と正面からかちあってしまった。
挙動不審になっている自覚はあったが、声をかけないのも変だろう。
おれは軽く手を挙げた。
「よ、よう、勇……」
「おはよう」
「あ、あの……いや、やっぱりなんでもないや」
何か適当に言えばいいのに、すぐにぼろが出てしまう。
勇は気が抜けたように笑った。びっくりするぐらいに、いつも通りだ。
「なんだよ、それ」
「……おまえ、ぜんぜん動揺しなくなったのな」
余裕綽々、といった様子の勇に対し、ひとり思い悩んでいるおれ。
少しばかり文句を言ってもさしつかえないだろうと思う。
「もう、言いたいことは言ったから」
自分の言葉をかみしめているように勇は告げる。
「でもどきどきはしてる。ずっと。……返事、待ってる。本気、だからな」
「う……」
勇の焦がれるような視線を受け、おれはまた狼狽えた。
勇はふっ、と笑って、手を挙げた。
「五十嵐の仲で答えが出るまではいっしょに帰るのはよすよ。じゃあな」
「……ああ」
勇が自分の教室に入っていくのを見て、おれも自分の教室に戻りながら、思う。
――あんまり待たせるのも、勇に悪いな。
だから、思いついたことがあったから、おれは昼休みに図書室へ行った。
静かな部屋だ。数人の生徒が思い思いに本を読んだり、本を選んでいる。
カウンターには司書の先生が座っていた。パソコンを前に何か作業をしているようだ。
普段、あまり入らない場所だ。にこやかな司書の先生を前に挙動不審になる。
だが、思い切って聞いてみた。
「すみません、えっと……短歌の、作り方の、本はありますか……? 場所、わからなくて」
おれのリクエストを聞いた先生は「短歌の本ですね。いいですよ」と迷う様子もなく、おれをある棚のところまで連れていく。
「詩歌は自分の気持ちを整理するのに役立つんですよ。挑戦するのはいいことですね」
そんなことを言いながら先生は、本棚に並んだ背表紙から何冊かの本を抜き出してくれた。
「このあたりの本かな。作り方の本だったらこれが良さそう」
おれは灰色の表紙の本をパラパラと開いて、内容を確認する。
――これは難しそうだぞ……。
おれに作れるだろうか。中学のころ、授業でやった際には散々だったのに。
だが――。
――勇は『短歌』でくれたんだよな。
あの時、勇の短歌はクラスで一番になった。その短歌は、最後まで名前を伏せられたままだったが、おれにはすぐに勇が作ったのだとわかった。
おれは純粋に感心していたし、「すごいな!」と勇をほめた気がする。
――ああ、そうか。勇、おれが前に褒めたから。それで、短歌なんだ。
そんなの、おれが覚えているとは限らないのに。それでも伝えたかったのか。
――ばかだなあ。
不器用すぎる勇に、おれは笑ってやりたい気持ちになる。
「その本、気に入った?」
司書の先生に問われ、おれの意識は昼休みの図書室に戻ってきた。
「はい。この本、借りていきます」
反射的にそう答えていた。
家に帰った後、さっそく本を開いてみた。目次を見て、めくってみる。
文字数は少なめだが、どうにか読み通したいと思った。
本の脇には、ルーズリーフとボールペンを置く。勇からもらった短歌の紙は、デスクライトの根本に重ね、すぐに眺められるようにしていた。
「……よし」
両頬をぱちんと叩いて、気合を入れる。
――短歌には、短歌で、返す。
それでこそ、告白の返事になるというものだろう。
短歌なんて、ほぼ作ったことがない。自分でも無茶苦茶なのはわかっていたが、それでもやらなくちゃいけないと思った。
「まずは、一首目……」
深夜の短歌練習がはじまった。
一週間後。寝不足やら疲れやらで身も心もへろへろになりながらも、おれはようやく目標を達成した。
そして、勇に連絡を取る。
『返事をしたい。今日、一緒に帰れるか』
『わかった』
勇からの既読表示と返信はすぐに来た。おれはほっと息をつく。
授業もそこそこに、放課後を迎える。
おれは部活終わりの勇を校門前で待ち構えていた。勇が、自転車を引いてやってきたので、手を挙げる。
「おつかれ」
「ごめん、待たせた」
さすがの勇も、緊張でやや顔が強張っている。
「いいって。……話は公園でしたいんだが、いいか」
「……うん」
自転車に乗って、公園まで移動する間、会話はなかった。
互いに、何を話せばいいのか、わからなかったのだ。
例の公園には、あいかわらず人影がない。夕暮れが迫ってきている。
自転車を入口まで止め、以前も話したベンチまで来た時、おれは意を決して口を開く。
「勇、返事の前にひとつ確認したいことがある。目をつむって、そこに立ってくれるか」
「なんでだ」
「いいから」
不思議そうにしながらも、勇はおとなしく立ったまま目をつむった。
その大柄な体に――おれは力強く抱き着いた。
「い、五十嵐……なにを」
おおげさなぐらい、勇の体がびくっと震えた。
「いいから……。ちょっと、確かめてる」
驚かれてもおれは勇の背中に両腕を回していた。
制服のシャツとシャツが密着し、互いの熱が伝わってくる。
心臓の音は、どちらのものだったろう。
勇の体は、想像よりも柔らかく、制汗剤と汗の匂いがした。
――そうか。やっぱり、おれは勇のことが……。
おれは、勇から体を離した。
勇が、信じがたいものを目にしたような顔で、おれを凝視していた。
「悪かったって。突然、すまん。でもさ、これも必要だったというか……自分の気持ちをはっきりさせるためにさ」
おれは小さく息を吸ってから話を切り出した。
「おまえからの、告白の、返事なんだけどさ」
「……ああ」
勇は真剣におれの話を聞こうとしていた。おれの背も押されているように感じる。
「今回のことで、めちゃくちゃおまえのことを考えたよ。おれもどうしたいのか考えなくちゃいけなかったし。で、さ、おれは男同士で付き合うとか、そういうことを全然考えていなかったわけだ。だから驚いた。変な態度をとって、傷つけていたらごめん」
「いや……それは、無理ないことだから」
勇は儚く笑っていた。とうに諦めているようだった。
「それはちがうだろ」
断言するおれの拳に力が入る。
「おれたちは友だちだっただろ! 少なくとも事実上はそうだった! おれは友だちに無神経な真似をしたくないんだ!」
「うん……五十嵐は、そういうやつだよな」
勇の笑みが深まる。
「そういうやつだから、いいんだよ」
しみじみと言われてしまっては、怯む。
――まるでこれから失恋するみたいな顔だな。
おれは腹立たしくなってきた。
「で、だ。それをふまえて、返事していくから、ちゃんとぜんぶ聞けよ」
ぶっきらぼうな言い方になったが、こちらを見ていた勇の眼がふいに揺れる。
「……ぜんぶ?」
「そう、ぜんぶだよ」
だから全首聞けよ、と念を押す。
「一首目な。勇がくれた短歌は――重いのを知りつつほしくなるバット 大胆に振り抜き届かせよ、だった。この短歌に対するおれの返歌が、これだ」
おれは勇に、四つ折りの紙を差し出した。
「届けたい一球の重さ 遠くに飛んでほしいと願える強さ……?」
勇がおれの短歌を読み上げた。
おれは説明する。
「勇の短歌で、バットで球を打ち上げたわけだから、思いのこもった球も重いんだろうなって思った。で、たとえ遠いと思えるような相手でも、がんばって届かせたいと努力している勇ってすごいな、と改めて感心した。おれの短歌に込めたのはそんな気持ちだ。……勇、伝わってるか」
「あぁ……うん」
勇は紙からおれへ目を移し、聞いてくる。
「五十嵐、もしかして、本当に、おれが送った短歌にぜんぶ返歌をつけたのか……」
「……そうだよ」
おれは渋々認め、唇を尖らせる。
「下手だがな。だからちゃんと聞けよ!? ほんとーに! 苦労したんだからなっ!」
「そうか……うん」
目を伏せる勇はうれしそうだ。
――そうだよ。勇が喜んでくれるから、がんばったんだよ。
欲しかった顔が見られたので、おれの溜飲も下がる。
「じゃ、次な。さくさく行くぞ。勇がくれた二首目は、自転車を並べてとめたコンビニでアイスを食って帰る残暑――だった。これもここでもらったな。返歌は、これだ」
四つ折りの紙を広げて、勇に見せてやる。
「秋がきてペダル踏む足軽くなり少し遠くも目指せるかふたり、だ。勇の短歌に「残暑」とあったから、季節を進めて秋の短歌にしたんだ。勇と一緒にいる時間は楽しかった。同じ自転車でどこまでいけるのかなって、思った。だからこんな感じにつくってみた」
「……そうか。俺も同じ気持ちだ、ありがとう」
勇が微笑みながら紙を受け取った。宝物を見るように紙を見つめている。
「よし、次は三首目だ。野球の試合終わりにもらったやつだな。小気味よく響いた打球 喜びをまっすぐ伝えたい人がいる――返歌が、これだ」
三枚目の紙を渡す。勇が小さく読み上げた。
「カキーンってするどかったな スタンドに入ってた おれ見てた 見ていたよ――五十嵐、これは……?」
「そのまんまの意味だ」
おれはもそもそと続けた。
「野球場でがんばっている勇の姿は……まちがいなくかっこよかった。ちゃんと、おれは見てたぞってことだ。あの時、おれは勇に、ときめいた」
「五十嵐……」
勇の眼が見開かれるが、おれは、待て、とポケットを探る。用意してきた紙は残り一枚だ。
「まだ四首目がある。最後にもらった本番の短歌が――アルプス席 てらいなく手を振りかえす きみへの恋
「馬」の字も愛し、だった」
おれの声は低くなる。
「もらった時はかっとなった。勇に裏切られたんだって、そんな思いもあった。でも次に、おまえに申し訳なかったなって。勇が気持ちを隠していたのは、間違いなくおれのせいでもあるんだろうなって……。あらためて読み返してみると、勇がずっとおれのことを短歌にして送ってくれたんだとわかって――恥ずかしさもあるが、うれしさも、あった。勇は、おれに恋をしてくれていたんだな……」
「うん……。きっと、五十嵐に短歌をほめられた時にはそうだった」
「そうか……」
おれは最後の紙を手渡した。
「最後の返歌だ。読んでくれ」
「わかった」
重々しく頷いた勇の指が、丁寧に紙を開く。
勇の眼に映った短歌は――
きみと目が合えば指先までも熱こもる 本気の恋に落ちてしまい
勇が弾かれたようにおれを見つめた。
「解説、いらないよな……? 告白の返事、これでぜんぶなんだが……伝わったか」
「……俺は正直、だめかもしれないと思ってた」
勇の眼は赤くなっていた。
「気持ち悪いと思われても仕方ない、と」
「おもわねーよ。おれも、同じだから」
四首目の返歌を作った時に、心の整理がついた。
勇がおれを好きなように、おれも勇が好きなのだと。
「本気で恋をしてくれるのか、俺と……。短歌の『きみ』は俺のことなんだよな」
「ほかにだれもいないよ」
勇に釣られて、おれも泣き笑いみたいな表情になる。
沈黙した勇は顔を赤くしたまま、やがて尋ねた。
「……確認だが、付き合って、いいってことだよな?」
面と向かって言われると、おれも恥ずかしくなってきて、斜め上を見たくなる。
「そ、そうだよ。面と向かっていうなよ……」
「そうか……」
勇は優しい目になった。
「なんだよ、そんな見つめるなって」
「かわいいな、悠馬は」
「か、かわいいって! 急にどうした!」
今まで言われたことがない表現に一気に体温が上昇する。
――勇は、恋人にとことん甘くなるタイプか……!
親から子供時代に言われるならともかく、高校生になってから言われたことがなかった。
おれが「かわいい」の破壊力に恐れおののいていると、勇はさらに追撃してくる。
「ずっと……思っていたから。俺は悠馬に触れても、いいんだよな……?」
「そこは、初心者だからお手柔らかに頼みたい……だれかと付き合うのは初めてだし」
「俺もだ。大事にする」
勇は真面目に頷き、ひとつだけリクエストした。
「これから名前で呼びたい」
「さっきも呼んでいたじゃん。好きにすればいいよ。……恋人だからな」
「そうだな。俺は悠馬の恋人だ」
おれはまたも、勇にうっかりとときめいてしまった。
話し込んでいるうちに、すっかり夜になっている。
公園の灯りの下のベンチに並んで座る。秋風はそろそろ肌寒さも連れてくるようだったが、肩と肩が触れ合って座っている今は、とてもあたたかかった。
おれと勇は、こうして友人から――恋人になった。
季節は巡り、冬。
クリスマスが近いので、おれと勇は電車を乗り継ぎ、街のイルミネーションを見に行くことにした。
少し照れくさいが、デートなのだ。
私服にマフラー、コートを着込んだおれたちは、きょろきょろとあたりを見回しながら街中を歩いていく。
「きれいなもんだなあ」
「そうだな」
きらきらしているものを見るだけで浮かれてしまうおれに対し、勇はしみじみとライトの美しさをかみしめているらしい。目が絶え間なく動いているのがその証拠だ。
駅前のエリアは特に人通りが多く、イルミネーションに立ち止まり、撮影している姿もあった。
「勇、次は……」
片手で握ったスマホでイルミネーションのマップを眺め、次はどこに行こうかと勇に聞いた時。
するりと冷たくなった手に勇の手が絡みつく。身を寄せ合い、おれたちの距離がゼロになる。
勇と見つめ合った。
目に書いてあった――勇は、おれと手を繋ぎたいって。
わかったよ、と告げる代わりに握り返す。
なんとなく人目を忍ぶように付き合う形だけれども、普段行かない街でなら――おおっぴらになっても、いい。
勇の手がうれしそうに動いていた。
「悠馬――行こうか」
「おう」
おれと勇は、どこまでも一緒に歩いていく。




