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【BL】短歌で恋する男子たち  作者: 川上桃園
第3章 三十一文字《みそひともじ》の告白練習(勇×悠馬)
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第5話 アルプス席 てらいなく手を振りかえす きみへの恋 「馬」の字も愛し

 週明け。ため息混じりに登校した。

 かばんを自分の席に置く。普段より重たさを感じていた。

 先に教室に入っていた宗太が、おれを見るなり「おっす」と声をかけてきた。


「あぁ、宗太じゃん。おはよう。試合に勝ってよかったな。おめでとう」

「おうよ」


 宗太は面映そうに鼻の頭をかく。


「いやあ、みんながんばったけど、エースさまが今回神がかってたかなって感じよ。気迫が違ってた。やっぱ、あいつ、持ってるわ」


 宗太は自分の二の腕をばつんと叩いてみせた。

 エース、とは勇を指しているのだろう。


『小気味よく響いた打球 喜びをまっすぐ伝えたい人がいる……』

『本番もよろしく頼む』


「おい、なんだ、オレの顔をみながら朝からためいきつくなよ!」

「あぁ、ごめんごめん。なんかいろいろ考えていたら憂鬱になってきてさぁ」

「えー、なんで?」

「言えないんだなぁ、それが」

「あれか! 恋のお悩みか!」

「……適当に言うなよな」


 おれは呆れながら机に突っ伏した。変に核心をつこうとしてくるのをやめてほしい。

 宗太は肩をすくめて、「怒られちったな」とぼやきながら自分の席に戻っていく。


「……おれにも、なんなのか、よくわかっていないんだよ」


 小さな声でひとりごちても、返してくれる者はない。

 おれと勇の間で、これからなにかが起こりそうな予感だけが、増していく。



 幸いにも一日勇の顔を見ることなく、放課後がやってきた。いつもなら勇を見かけるとうれしくなって自分から話しかけにいくのに、今は会わないことに安堵を覚えている。


――おれ、どうしちゃったんだろうな。


 自分らしくないのはわかっていた。

 放課後には、おれの所属するソフトテニス部の練習があったので一応参加した。

 テニスボールを追いかけていれば、気が紛れたが、練習終わりのタイミングで勇から連絡がきていた。


『今日は一緒に帰れそうか?』


 スマホの画面をしばらく眺めてから、ぽちぽちと文字を打つ。


『今日は教室寄って帰るから、先に帰ってていい』


 送信したメッセージにはすぐに既読がついた。


『わかった』


 返信がすぐにつく。

 本当はすぐに帰ってもよかったが、勇と会うのが気まずい。罪悪感までのしかかってきた。


「……行くか」

 

 自分で勇に伝えたとおり、教室に寄ってから帰ることにした。もしかしたらだれかが教室に残っていて、雑談の相手をしてくれるかもしれない。

 のろのろと廊下を歩いていると、正面から「五十嵐くん!」と声がかかった。

 顔をあげると、さらさらの黒髪をなびかせた女子がいた。同じクラスで、先日、おれが失恋したばかりの唐橋さんだ。


――あいかわらずかわいいなぁ……。


 以前と同じようにそう思う。

 だが、何かが根本的に変わっていた。唐橋さん自身は何も変わっていないのに。


――いや、おれの気持ちのほうか。


 付き合いたいな、といった熱心な思いは消えていたことに気づく。失恋が確定してからそんなに経っているわけでないから、もっと引きずっていてもおかしくないのに。

「かわいいな」と思っても、ただそれだけだ。

 唐橋さんは、おれを呼び止めると、


「五十嵐くん、最近あんまり話せていないけど、元気?」


 そう尋ねてくる。

 唐橋さんに明確な告白こそしていなかったが、あの件でおれにも思うところがあるのだろう。

 唐橋さんとふたりで話す機会もそうない。


「まぁまぁ、かな。唐橋さんは?」

「えぇ? 元気だよ〜」


 唐橋さんは明るく言った。そのままの笑顔で言う。


「この間は変な空気にしちゃってごめんね。そういえば、ちゃんと彼氏がいるって言ってなかったもんね」

「いや、こっちこそごめん。いやあ、おれもあれからちょっと恥ずかしくなっちゃって……あはは」


 おれも唐橋さんに合わせて笑ってみせた。

 やはりクラスメート同士、気まずいばかりではやっていけない。ここで唐橋さんから言ってもらったのはありがたい話だ。

 実はさ、と唐橋さんが話を切り出す。


「今教室で話していたんだけど、これから何人かでボーリングに行かないかって話になってて。男女混合なんだけど、五十嵐くんもちょうどここにいるし、よかったらどう?」

「あはは。おれはいいよ……」


 おれが首を振ると、唐橋さんは少し考えるような表情を浮かべた後に付け加えた。

 

「……友だち、紹介できるかもよ? 他校の友だちにも声かけてるから。今回の件、わたしにも落ち度はあったから、気になってて。それぐらいの埋め合わせはするよ?」


 思いもよらない提案で、言葉に詰まる。

 唐橋さんが気にかけてくれていたことにも驚いたが――。


――少し前なら、喜んでついていったのにな……。


 ここで誘いを断るのはもったいない。おれの頭ではそう考えている。

 唐橋さんの友達を紹介してもらえたなら、運がよければそのまま付き合えるかもしれないのだ。おれにとって得しかない話だ。


――だが、今、おれには……。


 勇と一緒に帰るのを断ったのに、唐橋さんの誘いに乗ってしまうことに、うしろめたさがあった。

 唐橋さんは、どうかな、と無邪気に首を傾げた。


「きっとボーリングも楽しいよ」

「五十嵐」


 何の前触れもなく、おれの肩が叩かれた。おれは死ぬほど驚き、飛び上がる。

 振り返れば、制服姿の勇が立っていた。

 おれを見下ろした顔。その表情は……傷ついているように思えた。

 勇は、おれと唐橋さんの会話を聞いたのだとすぐにわかった。


「勇……」


 おれが名前を呼べば、勇の口元がぐっと引き締まる。

 勇は、何かの覚悟を決めた――そんなふうに見えた。


「ああ、えっと……。隣のクラスの、角野くん、だっけ?」

「そうだ」


 果敢にも会話を試みようとした唐橋さんに、勇は小さく顎を引くが。

 突然、おれの手を掴んだ。


「は!?」

「悪い。五十嵐には先約があるから。帰ろう」


 おれは素っ頓狂な声が出たが、勇は固い表情でおれを引っ張り出した。

 何が起こったのかよくわからない。だが、おれの足は引っ張られるままにもつれながら進みだす。


「え、そうだったの。ごめんね、五十嵐くん。また明日ね」

「え、おう、また明日!」


 唐橋さんがびっくりしつつもおれに謝る。そんな声も遠ざかっていく。

 どこに連れていかれるのは把握できないまま、おれは疑問を口にした。


「勇、おまえ、今日はもう帰ったはずじゃ」

「……教室に寄る、ってあったから。もしかしたら会えるかも、と思った」


 おれの前を歩く勇の表情は、おれから見えない。

 勇は、わざわざおれを探しにきたのだろう。――そして、唐橋さんとの会話を耳にした。

 おれが失恋相手から遊びに誘われているところも。


――勇は、何を考えているんだ。


 勇の手はごつごつとして、熱い。しかし、大きな歩幅には隠せない苛立ちも滲んでいた。

 人気のない校舎裏まで来て、ようやく勇は立ち止まり、おれの方を向いた。


「……どうして、こんなことをしたんだよ、勇。らしくないぞ」


 これまでの勇なら、唐橋さんともうまく会話を合わせられたはずだ。あんなふうに波風を立たせるようなやり方はしない。


「それは……」


 勇も自覚しているのか、指摘されればうつむいた。眉根を寄せ、おれを捕まえていない方の手は拳の形を作っている。

 煮え切らない態度だ。

 一向に返事が返ってこない勇に、おれもだんだんいらいらしてきた。


「どこまで聞いたか知らないけどさ、さっきまで唐橋さんと話していて、友達を紹介してくれるって話になっていたんだよ。彼女をつくれるチャンスだったかもしれない」


 言い過ぎた、という感覚があった。自分の言いたかったことは、そんなことではなかった。唐橋さんの誘いにしたって、勇が来なくても、きっと断っていたのに。

 案の定、おれの手を握る勇の手がびくっと震え、おれの手から離れた。

 なあ、とおれは、ここしばらくの疑問を勇にぶつけていた。


「勇は、おれをどうしたいんだよ。はっきり言ってくれよ。おれにはわからないんだ」


 告白の練習をしたいと短歌を読まされ、試合に呼ばれた後に「本番もよろしく」と言われ。

 唐橋さんとの会話にも割り込んで、校舎裏まで連れてくる。

 そのたびに、おれの心はかき乱されていた。変にどきどきさせられ、ときめかされて。

 「好きなやつがいる」。勇の一言からすべてがはじまったのだ――。


――あ。


 おれは、いまさらながら、気が付いた。

 「好きなやつ」と名指しする相手が、女子とは限らないことに。

 おれの前で、勇は目元に苦悩をたたえながら、ズボンのポケットから四つ折りの紙を出す。


「本当は……こんな形では、なかったんだがな……」


 その両手は小刻みに震えていたが、それでもおれへ向かって差し出している。――おれに、その、見覚えのある紙を。


「受け取って、くれ」


 しばらく紙を凝視していたおれは、唇を歪めながら勇を見上げていた。


「いや、意味わかんないな。おれに渡そうっていうのか……?」

「……ああ」


 勇は神妙に頷く。だが、おれは、その紙に手を伸ばせなかった。


――中身を見てしまったら。そこにある『短歌』を読んでしまったら。


 もう、戻れない。何もかも。


「……受け取れないよ、勇」


 おれは泣きそうな気持ちで首を横に振るが。

 勇は、もうそれを許さなかった。おれの手をとり、指を開かせ、強引に紙を握らせる。


「ごめん……もう無理なんだ」


 逃げることはできなかった。おれは、震えそうな指で紙を開く。心臓の鼓動がうるさくなる。

 ――書いてあったのは、想像通り、勇からの短歌だ。


アルプス席 てらいなく手を振りかえす きみへの恋 「馬」の字も愛し


 「アルプス席」。一般的には甲子園の球場の一部スタンドを指すけれど、たぶんここで言いたいのは違う。

 「てらいなく手を振りかえす」。……先日の野球場。ホームラン打った勇と手を振り返った時。

 「きみへの恋」。いわずもがな。そのための短歌だ。

 「「馬」の字も愛し」。おれの名前は五十嵐、悠「馬」。

 この短歌を読み解いた瞬間、おれは怒りの眼を勇にぶつけていた。


「なんでっ……! おい、勇! こんなのまちがいだろ! 渡す相手が、まちがってる!」


 勇の顔にもさっと朱がのぼる。


「今度は本番だって、前に言った!」

「本番ってなにさ、おれにか! おれたち、友達だったじゃん! おまえがおれをからかっているんじゃなきゃ、まるで……まるで、これって」


 その続きは、口が重くなって言えなかった。だが。


「なにも、まちがってない。……五十嵐、悠馬」

「……っ」

「好きだ」


 その一言で、おれは崩れ落ちそうなほど衝撃を受けた。


――「好き」。だれが、だれを。


「いやそれは……ちがうだろ。ほら、友情のあれってやつでさ」


 勝手に口が回りだすが、勇はもはや落ち着き払っておれに相対していた。


「出会ったころは友情でも、俺の中ではだいぶ前から変わってた」

「いやいやいや、そんなのないって。そうそうないって」

「悠馬」

「っ! 頼む、名前で呼ばないでくれ……!」


 何もかも受け止めきれないのだと、手で耳を塞ごうとしたのに。


「まだ足りてないみたいだから、もう少し、説明する」


 勇が一歩、距離を詰める。

 それは、もう友情の距離じゃなかった。

 耳を塞ごうとした手を両方とも掴まれ、体の横に下ろされる。

 勇はさらに半歩詰めた。反射的に逃げようとした体が冷たい壁にぴたりとついた。

 見上げれば、顔を赤くした、勇がいる。


五十嵐いがらし。俺の「好き」というのは――『こういうこと』をしたい、ということなんだが」


 『こういうこと』。それを口にした勇の顔はさらにかがむようにおれに寄る。

 おれは精一杯、顔を逸らしてやり過ごすしかなかった。


「本当に――わかってるのか?」


 受け入れてほしい、と懇願するような――初めて会った中学時代の高い声とは変わってしまった、低い囁き声。

 頭がくらくらする。

 のぼせてしまうほどに、体が熱い。

 心臓が痛いほどに高鳴っている。俺の体はいつの間にこんなふうになってしまったのだろう。


「俺は、五十嵐がほかのだれかと付き合うことがいやなんだ。きっと見ていられなくなる。俺が五十嵐をひとりじめにしたい。五十嵐の特別になりたいし、五十嵐に触りたい。……俺の気持ちは、友情なんかじゃない」

「……勇」

「だから、俺のこと、精一杯、意識させて、口説いて、口説いて……俺のところまで落ちてきてほしかった。そのための、『練習』だった。だから、言う」

 

 おれはひたすらに勇の震える呼気を唇に感じていた。


「俺はもう、友人ではいられない。選んでほしい。……俺の恋人になるか、それとも――全部、終わりにするか」


 足の力が抜けていく。ずるずると壁にもたれて座り込むおれの手を握りながら、勇は覆いかぶさるような姿勢になる。


「返事を、待っている」


 勇はおれを静かに見下ろした後、去っていった。

 気づけば辺りはすっかり暗くなっていて、おれはひとり座り込んでいる。

 両手を顔で覆い、心を落ち着かせようとした。まだちっとも心臓の高鳴りが消えてくれない。


「もう、やってられねえなあ……」


 ぼやきながらも、本当はわかっている。

 勇は選び、決断したのだ。――次はおれの番なのだと。




 帰宅してもなお、落ち着いていられるわけがなかった。

 学校の課題に悪戦苦闘し、ベッドに横たわっても眠れない。目をつむっても意味がない。

 耳の奥底では、『あの』短歌と、勇の「好きだ」という言葉がずっと響いている。


――あぁ、もう!


 ベッドでもだえる。その晩はあまり眠れなかった。

 次の日も、その次の日も、勇に会わずとも勇の言葉が、勇の声がおれを支配していた。

 好きな女子はこれまでに何人かいたが、これほど悩んだことはない。

 いつもなら友人に相談していたところなのに、一番の相談相手が勇なのだ。告白してきた相手を相談相手にすることなど、できるわけもなく。

 おれはこの日も眠れぬ夜を過ごしていたが、ふと思い立って学習机に向かった。


――そろそろちゃんと考えないといけないよな。


 勇も返事を待っている。

 引き出しを開け、平たい缶を取り出した。ぱかりと開けた先には、勇からもらった短歌の紙がある。練習とはいえ、勇の気持ちがこもったものを捨てられまいと保管しておいたのだ。

 ひとつひとつ、机に並べてみる。四枚の紙が左からもらった順に並ぶ。


重いのを知りつつほしくなるバット 大胆に振り抜き届かせよ


自転車を並べてとめたコンビニでアイスを食って帰る残暑


小気味よく響いた打球 喜びをまっすぐ伝えたい人がいる


アルプス席 てらいなく手を振りかえす きみへの恋 「馬」の字も愛し


 勇への返事を考える上で、ヒントになるかもしれないと読み返してみることにしたのだ。

 じっと眺めるうちに思うことは。


――ぜんぶ、自分で詠んだんだよな。……おれのことを考えながら。


 おれの心が動いてほしい、と祈るような気持ちだったかもしれない。

 遠回りなアプローチも、勇の熟考の末に考え出したのだろう。……短歌、という手段はよくわからないが。


重いのを知りつつほしくなるバット 大胆に振り抜き届かせよ――おれに気持ちが届いてほしいと願い。


自転車を並べてとめたコンビニでアイスを食って帰る残暑――一緒に過ごした時間が大切だったと告げて。


小気味よく響いた打球 喜びをまっすぐ伝えたい人がいる――おれに伝えたいんだと語り。


アルプス席 てらいなく手を振りかえす きみへの恋 「馬」の字も愛し――おれへの恋をうたう。


――改めて読み返すと、最初の短歌から、全部、「おれ」を指してるし、おれのことがめちゃくちゃ好きなのが伝わるな……。


 気づかなかったことが申し訳ないぐらいに。


――まさか、同性に告白されるなんて思わなかったんだよな。それも、勇から。


 自分の恋愛対象が女子だったから、その可能性に思い至ることがなかったのだ。

 一番親しいと思っていた友人から、恋愛的な好意を抱かれることなんて……。


――勇気、振り絞っていたんだな……。慎重になるのも、わかる……。おれだったらどうしていいかわからんもん。


 勇の性格を現したような、丁寧な字。

 これまでの勇の気持ちを思うと、胸が疼いた。


――おれ、勇にずっと無神経なことを言ってないか? おれの言葉で傷つけてきたんじゃないか。おれからの恋愛相談を聞いていたときの勇は……。


 真剣に聞いてくれた、気がする。秘めた心のうちを隠したままで。

 見ているだけ、そんなのはつらすぎるだろう。


――いけね、涙がでてきそう。


 慌てて目元をティッシュで押さえる。


――おれは、勇とどうなりたいんだろう。


 自分の気持ちと向き合わなければいけないのだと、思った。

 静かな夜はまだ続いている。

 

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