第2話 重いのを知りつつほしくなるバット 大胆に振り抜き届かせよ
きっかけは、放課後に自転車をひきながらコンビニアイスを食べていた時だ。
外はけだるい暑さだった。
おれと勇は中学が同じで、帰る方向も近い。よって、週に何度かは示し合わせて一緒に帰る。
部活帰りの勇と合流したおれは、学校近くのコンビニに寄ろうと持ち掛けたのだ。
自転車をちゃりちゃりとひきつつ、ガリガリ君をがつがつと食ったおれは、聞いてほしいんだけど、と勇に話を切り出した。
勇も同じくソーダ味のガリガリ君を食べていた。おれより一口がでかそうだ。
「実はさ、思い切って唐橋さんを誘ったんだよ。一緒にでかけませんかって」
唐橋さんは同じクラスの女子で、おれの意中の人だ。かわいらしい黒髪ストレートの女子だ。
どうにか声をかけて、連絡先を交換して、春からやりとりを続けていたのである。彼女にひかれないように、じんわりと、慎重に事を運ぼうとしていたのだ。
「……おう」
勇はかじりかけのアイスを見つめてしかめつらになる。頭がキーンってしたのだろうか。
「いや、おれもさ、ちょっとぐらいはいけるかなって期待してたんだけどさ――彼氏がいるってふられたわけよ」
「そうか」
勇は淡泊な反応だ。少しは失恋したこちらにも同情してほしいな、と思って、まくしたてる。
「だったら早く言ってくれね、って話よ。これまで散々、連絡取り合ってきて、こっちの気持ちもわかっていたとおもうんだよなあ。なのに、あっさり断られるわけ。もう、おれの純情返せーって正直思った。……いや、おれ、重すぎたのか? どうおもう?」
ここまで来て、おれは手までアイスが溶けてきそうになることに気づき、一気に食べきる。
頭に締め付けられるような痛みが走る。おぉ、やべー。
「五十嵐はがんばっているよ」
勇は食べ終わって残った棒をコンビニのビニール袋に放り込んでから呟く。
「相手にも事情があったんだろう。そこまで考えていても仕方ない。――前に踏み出せただけ、えらいよ」
――さらっというんだよなあ。
だが、不快な感じもなかった。
勇は中学からの友人だからか、気が置けない関係だ。高校生になっても、こうして帰り道を一緒に帰るぐらいには親しい。
勇のいうことならば、という安心がある。絶対に裏切らない友人なのだ。
「そっか……そうだよな。まじでありがとう、勇。おまえって本当にいいやつだよ」
いや、と言葉を切った勇は、おれのほうをじっと見ながら、
「なあ、五十嵐はこれからどうするんだ。まだ彼女がほしいのか?」
「ほしい! だってそのほうが楽しそうだろ」
おれが即答すれば、勇は瞳を揺らしていた。
「勇はそう思わないか? おれよりもよほどモテるだろ」
実際、中学でも高校でも、勇のことを良いと思っている女子の声がおれにも届いている。
高校でも野球部でエースをやっているし、顔もイケメンの部類に入るだろう。成績も良好だし、もてないという理由がなかった。
しかし、不思議なことに本人はいたってそれに無頓着なのだ。〇〇ちゃんが勇に告白した、なんて話も聞いたりするが、おれの知る限り、ぜんぶ断っているらしい。
――ま、本人に聞くと、あんまり乗り気じゃない顔をするんだよな。
案の定、この時の勇も、自転車をひきながら地面のアスファルトを見つめている。
「モテたって……本命に振り向いてもらえなくちゃ、意味ないよ」
やがて勇はそれだけを言って、自転車にまたがった。おれはアイスの棒を適当に鞄に突っ込んでから同じように自転車で走り出す。
「本命かあ。なるほど、真面目だね!」
おれは勇の後ろから半ば叫びながら主張した。声がでかくなるのは、互いに自転車を漕いでいるからである。
「おれなんか、ちょっとかわいい子に告白されただけでコロッと好きになっちゃって、ま、付き合ってみようかなってなるかもしんないわ」
すぐに大きな道路にさしかかり、信号待ちをしていると、直前の会話を引き継いで、勇は「それは、いやだな」とおれの様子をうかがうようにして告げた。
勇からしたら、風見鶏のようなおれの思考が理解できないのだろう。
勇には勇の考えがあるので、そういうものかもしれない、とも思う。
「勇らしいね。おれはまた、新しく好きになれそうな子を探してみるわ」
自分なりの決意を口にすれば、勇が自分の自転車のハンドルをいっそう強く握ったように見えた。
信号が青になる。
しかし、勇は動こうとしない。
「……五十嵐」
「うん?」
清水の舞台から今にも飛び降りそうなほど真剣な面持ちに、おれも道路を渡るのをやめた。
交差点には次々と車が入り込んでいた。運転手は信号前からいっこうに動かないおれたちを不審に思っているだろう。
「俺も、告白したいことがある」
棗型の眼が、おれを射抜いてくる。勇の顔はがちがちに固まっている。
――本当に、こいつ、顔はいいんだよなあ。
おれは女子だったら間違いなく片思いしていたな、などと変な思考が頭をよぎった。
「おう、なんだ、急にあらたまって。どうした?」
そう尋ねれば、勇は小さく息を吐き、そして。
「……いや、俺にも好きなやつがいるんだが」
恥ずかしそうに、秘密を告げるように、言ってきたものだから、おれのテンションはぶちあがった。
「ん? ほう! 勇にもついに春が! 聞く聞く、どんな子なんだ? おれ、勇を応援するよ!」
勇はおれの勢いに身を引いていた。
「あ……いや」
「恥ずかしがらないでもいいじゃないか!」
おれは自分の自転車をさらに勇の自転車に近づけて、話を聞く姿勢を取った。
――勇のそういう話を聞くのは初めてだ。
てっきりそういう話は照れくさくて苦手なのだろうと思っていたのだ。思いがけない展開に、おれは自分の失恋を放っておいて、勇の話に興味津々になる。
「おれと勇の仲じゃん。ちゃんと聞いてやるからさ」
これは本心だった。おれも散々、恋バナを聞いてもらってきたのだ。ならば、おれも真剣に相談に乗ってならねばなるまい。おれは鼻息荒く、勇に迫る。
勇は背中をややのけぞらせながらも、慎重に言葉を選んだ様子で、告げた。
「ならさ……練習、付き合ってもらってもいいか」
「練習?」
「うん……。好きなやつに、告白するための、練習」
ややぎこちなくなった口調。あの勇でさえ、恋の前では迷うこともあるのだろう。
それがなんだか自分と同じに思えてきて、おれは勇の助けになってやりたいと思う。
「え~、そうかあ。いいよ! 緊張するもんな、一世一代だもんな! 付き合うよ。で、おれは何すればいい?」
「それは……いや、笑わないで聞いてくれるか」
「おう! 元からそのつもりよ」
おれは勇を安心させるように胸を叩いてみせた。
「手紙を、書こうと思っていて」
手紙。意外な発言だった。
「ほう! 古典的だね! でも、まあいいんじゃないか。人の字のぬくもりもあるしな!」
「うん……俺が書いてきたものを、読んでほしいんだけど」
よほど不安なのだろう、勇はおれの様子を終始うかがっているようだった。
正直、おれにも恋愛経験は失敗ばかりなので、勇と似たようなものだ。だが勇が頼ってくれていると思えば、おれははりきるしかない。
大事な友人に力を貸さないやつがいるものか。
「よっしゃ、わかった! まかせろ! いいアドバイスをするからな!」
おれは勇を勇気づけるように力強く請け合った。
ちょうど信号が青になっていたので、今度こそおれたちは自転車で道の向こう側へ渡る。
「……ありがとう、五十嵐」
ややかすれ気味の声が背後から聞こえてきた時、おれはくすぐったい気持ちになったのだった。
次の日の帰り道だ。一緒に帰らないか、と勇から連絡をもらい、一緒に帰った。
おれと勇の通学路が分かれる三叉路近くで、勇は自転車をとめた。周囲は田んぼで何もない。交通量も少ないところで、だれの邪魔にもならない場所だった。
勇はスポーツバッグから何かを取り出そうとした。手が小さく震えている。
「五十嵐……例の手紙、書いてみたんだが」
「おう、あれな。よし、確認してやる……」
昨日の今日で、行動が早い。おれは勇から四つ折りになった便箋を受け取り、街灯の明かりを頼りにさっそく開いてみた。
勇の思いのたけがさぞやつまっている長文なのだろう――と思っていたのだが。
「……って、これって――短歌?」
便箋に丁寧に書かれたのは一行のみ。
重いのを知りつつほしくなるバット 大胆に振り抜き届かせよ
文字数を指で数えてみる。全部で三十一音だ。
勇は、がちがちの顔のまま、小さく顎を引く。
「ああ」
「へー! 短歌かあ!」
「短歌」という単語を久しぶりに聞いた。
おれの脳裏には中学時代の記憶が鮮やかによみがえってくる。
「懐かしいな、中学の時さ、勇、国語の……藤井先生にほめられていたもんな。あれからもつづけていたんだな!」
「まあ、な……変か?」
「え! ああ、うん。びっくりしたけど、いいんじゃないか? あ、でも、相手はおまえが短歌詠むことを知ってるのか?」
「ああ、昔に、ほめてくれたから……」
勇も少し緊張がほぐれたのか、かすかに笑う。勇も、よほどほめられたことがうれしかったのだろう。
だが、同時におれにも気になることが出てきた。
「昔? 勇の好きな子って、同中の子とかそんな感じ?」
「いや、あ――」
勇がおれを見ながら言葉を詰まらせる。どうやら言いたくないことだったみたいだ。おれはひらひらと手を振ってみせた。
「いい。わかった。プライバシーだもんな、おれは尊重するよ。話したくなったら話してくれていい」
「……ありがとな。正直、勇気が出なくてさ。告白していいのか、ずっと迷ってる」
おれを静かに見下ろしてくる勇の顔。
中学よりも身長に差ができてしまった。おれもけして低いほうではないのだが、勇のような立派な体格には恵まれなかったのだ。
男らしい眉も、シャープな顎の形も、すっきりとした鼻筋も、どれをとっても好ましく思えるのに。
――こんなにいい男なのに、告白するのも迷うもんなんだなあ。
だが、それも真面目な勇らしい。
――これは、おれがちゃんとはげましてやらないと!
おれは勇が初めての告白に奮闘できるように、しっかりはげまさなければ、と意気込んだ。
「悪いことなんてあるもんかよ。変なところで自信なさげにするなよ。おれからみても、おまえはいい男だぞ。野球部のエースさまだし、顔だって悪くないし、真面目で成績もいい。おまえが真剣な顔で愛をささやきかければころって落ちるって!」
おれは強く言ってやれば、勇は胸がつまったのか、白いシャツごと片手でつかんだ。おれへ顔をかたむけ、囁くように聞いてくる。
「……五十嵐も、そう、思うか」
妙に色気を感じる声だった。
視界はそろそろ暗くなってきていて、街灯の下にはおれと勇のふたりしかいない。車の音も聞こえてこない。
静かで蒸し暑さが残る時間。おれと勇は、向かい合うにしてはやや距離が近すぎないか、と突然に思った。
おれは慌てて便箋を畳みなおし、ポケットにしっかり入れた。
「お、おう……。なんだよ、急に」
声にも動揺が滲む。気づかれたらカッコ悪いな、などと考えていた。
「短歌で口説き続ければ、おちて、くれるだろうか。俺のところまで」
勇は、眉根を寄せたまま、問うてくる。
――これは、おれにも心臓に悪いな。
おれに対してじゃない、と思っていてもなお、恋する男の真剣さは魅力的だった。
「あ、ああ……。そうじゃね……?」
さすがに見ていられなくて、勇の視線から逃げれば、勇の安堵した気配が伝わってきた。
「付き合ってくれるか……練習」
――そうだ、これは「練習」だもんな。
おれは勇が心置きなく告白するための「練習台」に過ぎない。そう気を取り直し、おれはしっかりと頷いておいた。
「おう、いいとも」
そう、おれは請け合ったのだ。