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迫る“闇の教団”の影

それは、王国からの使節団が魔王城に到着する三日前のことだった。

 緊張感漂う城内で、私は赤ちゃんを寝かしつけたあと、保育室の窓辺から城下を見下ろしていた。曇天模様の空が陰りを帯び、まるで近づく嵐を予感させるような風が吹いている。

 ギゼルによれば、“和平派”を名乗る王国の使節団は、勇者アデルたちとは別行動らしい。彼らは「魔王が赤子であるのなら、対話の余地があるのでは」と主張してきたそうだ。

 しかし同時に、**“闇の教団”**と呼ばれる謎の勢力が水面下で暗躍している、という不穏な報せが入っていた。彼らは魔族にも人間にも紛れ込み、あらゆる争いを煽っては、世界を破滅へ導こうとしているという噂だ。

 その噂が真実かどうか、詳しいことはわからない。だが、今この時期にわざわざ動きを見せている以上、この城にも何らかの影響が及ぶかもしれない。そんな漠然とした不安が、胸の奥でじくじくと疼いていた。


■予兆:噂話が呼ぶ不安

「羽鳥 心殿、少しよろしいでしょうか」


 窓際で遠景を見やっていると、控えめなノックの後、兵士の一人が保育室を訪れた。すっかり顔馴染みになった若い魔族の兵士で、私のことを「先生」と呼んで慕ってくれる、心優しい青年だ。彼はいつもより落ち着かない様子で、ドア越しに軽く頭を下げる。


「もちろん、どうしました?」

「実は、城下町のほうで奇妙な噂が流れていまして……“人間の女が魔王をさらった”だの、“魔王を闇の術で操っている”だの……。おかしな誤解が広まっているんです」


 その言葉に、私は目を丸くした。確かに私が“人間”であり、魔王の赤ちゃんを世話している状況は珍しい。誤解を生むのも仕方ないかもしれないが、闇の術って……。


「それ、私のことですよね? でも、そんな荒唐無稽な……何の根拠で?」

「おそらく、“闇の教団”と呼ばれる連中が嘘の情報を広めているのでは、とギゼル様は睨んでいます。魔族たちを混乱させ、人間をますます警戒させる狙いがあるのかと」


 なるほど。狙いはわからないけれど、私と赤ちゃんの関係を歪んだ形で流布することで、城内に不穏を煽ろうとしているのかもしれない。


「でも、ここまで堂々と嘘をばらまいても、いずれ事実と食い違いが出るはず……」

「それが“噂”の怖さです。真実より刺激的な嘘のほうが広まりやすい。下手をすれば、城の中にもそれを信じる者が現れかねません……」


 たしかに、魔王を育てていると言っても、私の正体や経緯はまだ完全に周知されていない。表向きは「人間だが、魔王様を泣き止ませる特殊な力を持つ“召喚された存在”」という程度だ。

 そこへ“魔王誘拐説”なんて飛び込んでくれば、敵視される可能性は否定できない。私は思わず深いため息をつく。


「わかりました。ギゼルさんにも報告して、対策を考えてみます……。ところで、あなたは信じてくれてますよね? 私が闇の術なんか使えないって」

「もちろんですとも、先生! 先生は魔王様の笑顔を守ってくださる方だって、皆知ってますから」


 兵士がきっぱりと即答してくれたことで、少しだけ心が軽くなった。けれど、このまま放っておけば誤解が広がるばかり。やはり何らかの手を打たねばならないだろう。


■闇の教団の企み:城内の監視網

 その日の午後、ギゼルから「会議に出席してほしい」と招集がかかった。場所は城の中でも比較的広い作戦室。歴戦の魔族たちが集まり、使節団への対応策や今後の方針を話し合う重要な場だ。

 いつもなら私が口を挟むような席ではないけれど、どうやら「人間としての意見」や「赤ちゃんの育児方針」についても意見を聞きたいとのことらしい。


「もしよろしければ、羽鳥 心殿、席についていただけますか?」


 ギゼルに声をかけられ、私は遠慮がちに頷いた。背筋を伸ばして円卓の末席に座り、赤ちゃんを抱きながら出席する。魔族の重臣や部隊長らが鋭い眼光を向けてきて、思わず冷や汗がにじむ。


「さて、まずは情報の共有だ。人間側の“和平使節”が三日後に到着予定だが、同時に“勇者アデル”率いる討伐隊が控えている可能性が高い。つまり、彼らは二面策を取っているわけだな」

「はい。人間界が内部で意見を二分しているのは確かでしょう。和平派と討伐派、そのどちらが優勢になるかは、まだ読めません」


 ギゼルが報告するのを聞きながら、私は赤ちゃんがぐずり出さないか気を配る。こういうピリピリした空気は、赤ちゃんにも伝わりやすい。今はだっこ紐のように布で私の胸元に固定しているが、万が一泣きだしたら大変だ。


「さらに厄介なのが、“闇の教団”と呼ばれる勢力だ。どうやら人間と魔族の双方に潜り込み、誤情報を流したり、テロ行為を行ったりして争いを煽っているらしい。目的は……おそらく“混乱”そのものと推測される」


 重々しい空気が流れるなか、続いて中年の参謀らしき魔族が口を開く。


「奴らの真の狙いは、魔王様の力を邪悪に利用することかもしれません。もし“破滅”の方向に魔王様を育て上げれば、世界を手中に収められると考えているのでしょう。歴代の魔王が持つ破壊力は、我々が一番よく知っています」


 私は思わず赤ちゃんをぎゅっと抱きしめる。破滅だなんて、冗談じゃない。今だって、泣き声や驚きで簡単に魔力が漏れ出してしまうほど、この子は不安定なのに。それを邪悪に導かれたら……想像するだけで背筋が凍る。


「そうはさせません。この子を優しく育てたいんです。そんな邪悪な教団に奪われたり、利用されたりなんて絶対に……」

 思わず声が出てしまった。周囲の魔族たちは一瞬息を飲むように私を見る。だが、ギゼルは静かに頷き、席の重鎮たちも深く考え込む顔つきだ。


「羽鳥 心殿の言葉はまったくの正論でしょう。この子を安全に、穏やかに育てられれば、世界に災厄をもたらすこともない。だが、奴ら“闇の教団”はあらゆる手段を使って、この子を手中に収めようとするはずだ。気を引き締めねばなりません」


 重苦しい討論のあと、会議は「闇の教団の動向を探るため、城下および周辺地域の監視を強化する」という結論を出して解散となった。私も不安になりながら、保育室に戻る。

 赤ちゃんが今の話を理解していないのは救いだけど、どんな小さな動揺でも、この子の魔力が暴走する可能性がある。何とか平和に過ごさせてあげたいのに、現実はそう甘くないらしい。


■夜の来客:不審な影

 それから数時間後、日はとっぷり暮れて、城は夜の静寂に包まれていた。

 赤ちゃんの入眠を確認した私は、部屋の隅に簡易ベッドを敷き、うとうとと浅い眠りに落ちかけていた。しかし、不意に聞こえる何かが床をかすめるような足音で、思わず目を覚ます。


(……誰か、いる?)


 薄暗い保育室の中、ランプの灯りが揺れている。ギゼルなら必ずノックをするし、兵士たちも巡回に来る際は声をかけてくれる。だとしたら、これは……。

 私は息をひそめ、赤ちゃんの寝床へ視線を移した。そこには異様な気配の人影。黒いローブをまとい、顔を隠したまま、赤ちゃんにそっと手を伸ばそうとしている。


「誰っ……!?」


 咄嗟に声を上げると、相手は驚いたように身を引いた。その動きは素早く、闇に溶け込むように後ずさる。だが、その動揺でローブの一部が少し乱れ、中の装飾がちらりと見えた。

 ──怪しげな紋章。歪んだ輪郭の上に逆さの十字らしきものが重ねられたような、見たことのない紋章だ。


(まさか、これが“闇の教団”……!?)


 反射的に私は赤ちゃんのそばへ駆け寄り、小さな体を抱きかかえる。うっすら目を覚ました赤ちゃんがぐずり始めるが、私は必死でトントンとあやす。


「泣かないで……大丈夫だから。ここは私が守る……!」


 闇の教団らしき男は、ひっそりと退路をうかがっている様子だ。下手に私から距離を取るように、少しずつ後退しはじめる。

 私が大声で叫べば、兵士たちが駆けつけるだろう。けれど、その一瞬で赤ちゃんが大泣きでもしたら、魔力暴走を引き起こすかもしれない。どうする……?


「ギゼルさーん! 誰か、来てえぇ!!」


 意を決して叫ぶと、男は舌打ちをしたような気配を残し、素早く窓から外へ飛び降りた。驚いて窓辺に駆け寄ってみても、下のほうで黒い影がするすると城壁を伝い、闇に消えていく。

 ほどなくして廊下から兵士たちがなだれ込んでくる。「どうしました!」「何者だ!?」と慌てた声が飛び交うが、もう姿は見えない。仕方なく、ギゼルに報告を入れて、警戒を強化することになった。


「深夜の侵入……やはり“闇の教団”が動き始めましたか。羽鳥 心殿、幸い被害はなかったようで何よりですが、今後は一層の注意が必要になりますね」


 ギゼルは渋い顔で言い、私の肩をそっと叩く。


「今夜は兵士を増員させ、あなたと魔王様の周囲を厳重に警護させます。何かわずかな異変でも感じたら、すぐに知らせてください」

「はい……ありがとうございます。あの紋章、初めて見ましたけど、やっぱり闇の教団……ですよね」

「恐らく。正式な儀式用の装束を纏っていた可能性が高い。間違いないでしょう」


 赤ちゃんは私の胸元で小さく泣いている。普段なら抱っこであやせば落ち着くが、今は私自身が緊張で心拍数が上がっており、その焦りが伝わるのか、赤ちゃんも落ち着きを取り戻せない。

 兵士が慌ただしく部屋の周囲を見回り、窓や扉に追加の魔法結界を施してくれる。けれど、一度内部に潜り込まれた以上、完全な安全は保証できない。どうしたらいいのか、もどかしくて仕方なかった。


■闇の計略と“悪しき育成”への恐怖

 その後、徹夜での警戒が続くなか、ギゼルは早速調査隊を出し、“闇の教団”の痕跡を追わせた。すると、城下町や近隣の集落で幾つか奇妙な噂が確認されたという。

 人間の使節団が到着する前に「魔王は破滅をもたらす不浄の存在」という恐怖を煽るビラが貼られていたり、「魔族など所詮は人間を食らう化け物だ」といった極端な憎悪が書かれた文書がばら撒かれていたり……。明らかに、衝突を誘発する工作だ。


「もし彼らが本格的に動けば、王国と魔族の間で血で血を洗う混乱が起きるかもしれない。そうなる前に、なんとか食い止めないと……」


 ギゼルと私、そして城の重臣たちは頭を抱える。そんな中で、私が特に恐ろしいと感じたのは、**“魔王は破滅をもたらすために生まれた。ならばその力を最大限に引き出させよ”**という趣旨の落書きが見つかったという情報だった。

 つまり、「悪しき方向へ魔王の力を誘導し、世界をまるごと混乱に陥れよう」という発想。そんな無茶苦茶な……。


「……この子をそうやって利用しようとするなんて、許せない……」


 今も私の腕のなかで穏やかに眠る赤ちゃんを見下ろしながら、歯ぎしりしそうなほど悔しさが込み上げる。

 この子の力は強大かもしれない。だけど、まだ純粋で何もわからない赤ちゃんだ。優しく育てれば、悪い方向には行かない……そう信じたいのに、闇の教団の連中は意図的に“破滅の道”へと導こうとしている。


■迫る運命の日、そして迷い

 夜半の襲撃未遂から二日が経ち、ついに王国の使節団が城近くの街まで到着したという報せが入る。彼らは明日には魔王城へやってくる予定で、和平交渉の糸口を探りたいらしい。

 一方、勇者アデルたち討伐隊は、まだ王都に留まっているらしく直接的な動きは見せていない——ただし、準備だけは着々と進んでいるという情報もある。いつでも出撃できる態勢なのだろう。

 そして闇の教団が、このタイミングをどう利用してくるか……皆が息を詰めて状況を見守る中、私は再び保育室で不安に苛まれていた。


「……大丈夫、私が守るから。絶対に誰にも渡さない」


 赤ちゃんが笑顔を見せるたび、まるで「ありがとう」と言っているように思えて、胸が苦しくなる。将来この子が“世界を破滅へ”導くなんて、私の知っている赤ちゃんの姿とはまるで結びつかない。

 それでも“魔王”という運命が、この子を強く縛りつけようとしているのは事実。そこに、闇の教団という最悪の勢力が絡めば、世界がどうなるか予測がつかない。


「羽鳥 心殿、失礼いたします」


 保育室にやってきたギゼルの顔は、相変わらず険しい。だけど、その瞳にはどこか決意の光が宿っている。


「先ほど、王国の使節と連絡が取れました。明日、正式に魔王城で会談を行うことが決まりました。人間代表と魔族代表、双方が最低限の護衛を伴い、話し合う場を設けるそうです」

「本当に……! よかった。でも、本当に和平へ向かってくれるんでしょうか?」

「さあ……相手がどこまで本気なのかは不明です。だが、これが唯一の糸口であることは間違いない。我々にとっても、あまり時間は残されていない。闇の教団の潜伏を見過ごせば、いずれ城内外で大混乱が起きるでしょう」


 そう言われ、私は唇を噛む。明日の会談が成功するかどうか。そこに闇の教団がどんな妨害を仕掛けてくるのか。考え始めると夜も眠れないほど不安だ。

 それでも、なんとか踏みとどまって、この子を守り通さなければならない。私が保育士として、そして“母親”のように愛情を抱いている存在として、どこまで頑張れるだろう……。


■夜明け前の希望

 翌朝は、曇り空の中からかすかな朝焼けが覗いていた。

 私は赤ちゃんを抱いて、保育室の窓を開ける。ひんやりとした風が肌を撫で、どこか不穏な気配が漂う。だけど、雲の切れ間から小さな光が差し込み、城の尖塔を照らしていた。

 今日、王国の使節が来る。和平交渉がうまく運べば、人間界と魔族の対話が少しは進むかもしれない。その一方で、闇の教団がこの機を逃すはずもない。いつまた不審者が忍び込むかわからないし、街で騒乱を巻き起こす可能性だってある。

 けれど私は、この赤ちゃんをしっかり抱きしめ、「大丈夫」と言い聞かせるように微笑んだ。


「もし世界が揺れても、あなたを優しい子に育てたい。誰が何と言おうと、それは変わらないからね」


 赤ちゃんはまだ無垢な瞳で私を見上げ、何か言いたげに「あー」と声を漏らす。泣き声の一歩手前かと思いきや、意外にも機嫌は悪くなさそう。

 ほんのりと朝陽が射し込む保育室。この小さな光が希望だと信じたい。闇の教団なんてものに負けず、勇者たちとの衝突も回避できるよう、今はただ祈るしかない。


 運命の日が、もうすぐ始まろうとしている。

 何が起こるのか、誰もわからない。それでも私は、この子とともに歩んでいきたい。闇が迫ろうと、そばにいてあげる——それが“保育士”として、そして何よりも“この子に愛情を抱く人間”としての私の揺るぎない意志だった。

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