第88話 vsユキ⑤
「そうだ、ヴィオレットさん! 腕輪の糸、切ってしまいますね! ──はっ!」
「あ、ありがとうございます。クリムさん」
戦う事に集中するあまり忘れていたが、私の腕輪は今まで使用が出来ない状態にされていたんだったな。
それを私が思い出したと同時に、クリムの赤熱する槍が蜘蛛糸を溶断。一先ずこれでダンジョンからの撤退も容易にはなった訳だが──
「皆さん、私の後ろに。彼女の攻撃は私の水魔法で封じます」
(百合原さんを始めに、これだけのダイバーが助けに来てくれたんだ……今更、撤退なんて選べないよな)
杖の代わりに槍を構え、騎士甲冑を纏った百合原さん。
彼女はここにいる全員の中で唯一、ユキの攻撃に対する致命的なカウンターが可能なダイバーだ。
一時期はダンジョンから距離を置いていたものの、復帰してから数か月経った今ではブランクもすっかり取り戻しており、その経験と実力はその出で立ちもあって非常に頼もしく映る。
「──【クラスターミスト】!」
「くっ、小癪な……!」
百合原さんの魔法で部屋全体に霧が発生する。
これは空気中の水分を集めて作り出したもので、本来は水魔法の発動補助や雷魔法の威力・規模の底上げとして使われる補助魔法だ。
だが、ユキにとっては部屋の中に霧と言う水滴が充満するという、厄介極まりない魔法と言える。
咄嗟に魔法を解除したのだろうがその時点でユキの指先は薄い氷で覆われており、あの魔法を継続して使用すればどうなるかを物語っていた。
しかし、ユキはあの魔法が無くても十分に高い近接戦闘能力を持っている。一人で戦うのはやはりリスクが高い。そこで──
「そらっ!」
「援護射撃、撃ちます!」
「こっちもくらえ!」
「母なる闇の御手に抱かr……」
「私もいますよ!」
駆けつけてくれたダイバー達の手も貸してもらう事にした。
予め私がエンチャントした炎を纏う長剣が、追い風を受けて飛翔する矢が、闇を湛えた大鎌が霧の中で舞う。付与した属性の中に雷が無いのは、霧の中での戦闘で味方同士で感電する事故を避けるためだ。
彼等は元々悪魔との戦闘も覚悟の上で駆けつけてくれていたらしく、ユキの姿を前にしても戦意に衰えは見られず、実力もそれなり以上の者ばかりだった。
1vs1ならともかく、連携さえ組めば極低温を封じられた状態のユキとならそれなりにやりあえる。
その中でもやはり頭一つ抜けて高い実力を持っているのが……
「そこです! ──【クレセント・アフターグロウ】!」
「ッ!」
クリムの焔魔槍が赤熱し、周囲を覆う霧のスクリーンに残光を映しながら鋭い連撃を繰り出す。
彼女の槍はそれそのものが炎の属性を持ってしまった為に私のエンチャントは受け付けなくなったものの、その分より火力を増しており、一撃一撃の重みは周囲のダイバーから頭一つ抜けている。
そして、連撃の締めに放たれた燃える三日月がユキに迫り……その姿が一瞬で掻き消え、クリムの背後に現れた。
皆の奮戦の甲斐あって、とうとう転送魔法を言う切り札を使うほどに追い込まれたユキがクリムに攻撃を仕掛ける……その瞬間──
(捉えた!)
「──【螺旋刺突】!」
周囲のダイバーの攻撃をアシストしながら常にこの機会を伺っていた私は、その思惑を読んでクリムの背後に現れた彼女に即座に接近。風を纏うレイピアによる、最大の一撃がついにユキの脇腹を捉えた。
「グ……ゥァアアアアッ!!」
深々と突き刺さった私の一撃は、そのまま竜巻のような風を伴ってその身体を貫き──きりもみ回転をしながら吹っ飛んだユキは、その先の本棚へと叩きつけられた。
「──フゥー……フゥー……! グ……ゥッ!」
「なんて奴だ。まだ立ち上がるのか……」
「これが、悪魔……」
「名に偽り無しか……」
脇腹に人間であれば即死するであろう大穴を開けられ、その美貌を苦痛に歪めながらもなお立ち上がるユキに逆に息を飲むダイバー達。
私の配信で多少はその力を知っていたリスナー達も、実際に見るとやはり衝撃を受けているようだった。
〔なんでまだ倒れないんだよ…〕
〔これって本当に人間に倒せる相手なのか?〕
〔チヨもこのレベルと考えるとそれを二度も撃退してるヴィオレットちゃんやっぱ別格だな〕
(撃退か……)
リスナー達には私がチヨを実力で追い返したと思われているようだが、実際はどうなのだろう。
彼女達は実力『だけ』で考えれば確かに倒せない相手ではない。しかし、実際に戦ってみてより脅威的に感じるのは寧ろ、この『不死性』だ。
チヨに関しても、彼女が徹底的に戦おうとしていないから撃退できているだけなのではないか……
(……そういえば、以前チヨが気になる事を言っていたな)
──『貴女には期待してるよ、オーマ=ヴィオレットちゃん。あたしの退屈しのぎとしてもね』
退屈しのぎとして『も』……彼女は確かにそう言った。それはつまり、彼女は私に退屈しのぎ以外の何かを期待していると言う事だ。
目の前の悪魔はチヨではないが、彼女の知り合いであるような事を言っていたし……駄目で元々。折角だし、この機会に聞いてみるとしよう。
「ユキ。貴女は私について、チヨから聞いていたような事を言っていましたね。……彼女は私に何を期待しているのですか? 何の為に私に戦いを仕掛けてくるのですか?」
「ハァ……ハァ……──ふっ、アイツはただの戦闘狂よ。戦う事が好きだから、貴女に会いに行ってたんでしょ」
ふらふらと壁沿いの本棚の一つに体重を預けながら、ユキは吐き捨てるように答えた。しかし──
(本当にそれだけなのか? 或いは何かを知った上で隠しているんじゃないか……?)
後者の場合、彼女達悪魔全体の思惑に私が関わっている可能性も出て来る。何せ私の前に現れた悪魔は、二人とも同じ軍服を身に着けているのだから。
(少なくとも、チヨとユキは同じ組織に所属している……それも軍隊と呼べる組織に)
悪魔の軍隊か……いやな予感しかしない響きだ。
何かしら企みがあるのだとすれば、ここで可能な限り聞き出しておきたいところだ。
そう考えた私は、少しでも情報が得られないかと口を開く。
「貴女達は──」
……正直に言おう。この時、私達は油断していた。
ユキは見るからに弱っていたし、転送魔法を使った直後で魔法も使えない……今の彼女には何もできない筈だと。
だから、彼女のその行動を防ぐ事が出来なかった。
「──あっ、おい!」
彼女は徐に傍の机に置いてあったスマホを手に取ると──自身が今、体重を預けていた本棚に全力のタックルをかました。
本棚は悪魔の膂力の前に呆気なく破壊され、その裏には……
「っ! 隠し通路!? ──追いましょう!」
急いでユキの後を追って通路を抜けると、そこにあったのは──
「境界……!?」
「なんだこの境界……メチャクチャでけぇぞ!?」
「うぅっ……何ですか、この感じ……寒気が……!」
直径10mはあろうかと言う大穴。
地獄の奥底にでも続いているのではないかとさえ思える深淵からは、下層よりも更に濃い魔力が無尽蔵に溢れ出している。
あまりの魔力濃度の違いに、境界の外にまでゆらゆらと水面のように揺れる層が見えるほどだ。
「ふ、ふふ……来たのね。でもここで引き返した方が貴女達の為よ……命が惜しくなければ、追って来ても良いけどね」
「! 待ちなさい!」
そう言ってユキは巨大な境界に飛び込む。
咄嗟に私も彼女を追おうと境界を覗き込み──
「ッ!!!」
無数の眼と視線が合った。
それはフィクションでよく見るような、空間に目だけが浮かび上がっている光景ではなく……
「悪魔の……軍勢……!」
こちらを興味深々に見つめ返す、数え切れないほどの悪魔達の姿だった。