第87話 vsユキ④
『ガンッ!』と重い音が金属扉から響くのを背に、私はユキの猛攻を躱しながら策を考えていた。
「貴女の数少ないお友達が戻って来たみたいだけど、残念だったわね。扉はもう私の氷で塞いでしまったわ」
「解ってますよ……! それくらい──……ッ!」
ローレルレイピアの属性が雷から炎になった事で、ユキの攻撃は再び激しさを増していた。
まるで守りを考えていないかのような深い踏み込みと、両手による隙の無い連撃……レイピア一本で完全に対処しきるのは難しく、私はその勢いに押し込まれるようにズリズリと後退を余儀なくされていた。
(駄目だ、手数ではどうしても分が悪い! こちらからの攻撃で牽制しようにも、小さな傷ではユキは怯みもしない!)
ローレルレイピアが纏っている属性が雷であれば『感電』と言うリスクが牽制になったのだが、生憎今のローレルレイピアが纏っているのは炎だ。
多少の火傷を与える事は出来るかもしれないが、その程度のダメージは悪魔にとってリスクにはなるまい。
現にローレルレイピアと打ち合っているユキの指先は幾度となく焼け爛れていたが、その度にその傷は再生されている。やはり、何としても属性を切り替えなければ……
「──【エンチャント……」
「させる訳ないでしょう?」
「くっ……!」
やはり雷の属性は警戒されてしまっているのだろう。
エンチャントしようとした途端、属性を切り替える為にローレルレイピアへと添えようとした左腕を狙った尻尾の攻撃が突き込まれる。
私が身に着けている手袋は手首周辺までを覆う大きさであり、肘の周辺から肩にかけては無防備になっている。この部分を凍らされてしまえば、流石に厳しい。
仕方なく左腕を引き戻し、背後に庇う様な姿勢でローレルレイピアを握った右腕のみでユキの攻撃に対処するが……
(やっぱりこのままではジリ貧だ……! 何とか流れを変えるには……──っ、そうだ……!)
周囲の状況を思い出した私は、この部屋に入って来た記憶を頼りに、後退りする方向を少しずつずらしていく。
(──もう少し、もう少しだ……!)
ユキとの位置関係の微妙な変化。
ユキと扉に挟まれていた私の位置関係はこれで変わる。依然として追い込まれている事には変わりないが、この些細な変化が私の反撃のチャンスに繋がるのだ。
「──何か企んでいるって顔ね。今度はどうするつもりなのかしら」
「『何か企んでいる顔』? 残念ですが、それは間違いですね……。これは──既に企みが成就した顔ですよ!」
そう宣言すると同時、私は地面を強く蹴って大きくバックステップする。
途端に靴に付与されていた風属性の効果で突風が巻き起こったが……ユキはその向かい風の中を翼を広げて飛んでくる。
全力の後退も空しく、私とユキの距離はほとんど変わっていなかった。これではローレルレイピアのエンチャントを切り替えようにも、先ほどと同様に妨害されてしまうだろう。……だが──
「──【エンチャント・……」
「何度やっても……──ッ!?」
(目的はそっちじゃないんだな!)
ローレルレイピアの刃へ添える左手を狙おうと、ユキの尻尾が揺らめくが……私は構わず左手を突っ込んだ。
そう──壁伝いに無数に並んだ、本棚の中に。
「──サンダー】!」
そこから引っ張り出した本を、私はそのままユキに向けて【投擲】する。
本は【エンチャント・サンダー】の効果で帯電しており、それが【投擲】スキルと呼応した事で眩く輝く。
瞬間的に眩んだ目。そして視界が効かない中で迫ってくる帯電した本──ユキの取れる行動は限られていた。
「チィッ……!」
「──【エンチャント・サンダー】!」
攻撃を中断し、体全体を使って大きく回避行動をとるユキ。
それは、私がローレルレイピアの属性を切り替えるには十分過ぎる隙だった。
「これで再び対等ですね」
「……してやられたようね」
雷を纏ったローレルレイピアの切っ先を向けられたユキは、やれやれと肩を竦める。
だが、やはりその表情に焦りは見られない。『面倒な事になった』とは思っていそうだが、自分の優位性が崩される事なんてありえない……そんな余裕すら感じる仕草だ。
「……言っておきますけど、二度と同じ轍は踏みませんよ。地面の氷も、穴に潜んだトラップスパイダーも、警戒しておけば十分避けられるんですから」
「そうでしょうね。私も同じ手が通用するなんて甘い考えは持っていないわ。でもね……」
そう言ってユキは、彼女の背後──ジュウジュウと言う音と湯気を立てながら凄まじい勢いで溶かされていく氷と、それが封じていた扉を指さした。
「──貴女の数少ないお友達を庇いながら、貴女はどこまで戦えるのかしらね?」
「な……!?」
ここに来て、早速扉から距離を取った弊害が現れた。
その事に私が気付いた瞬間……金属の扉はガチャリと音を立て、勢い良く開け放たれた。
「──っ、クリムさん!」
途端に駆けだす。
一秒でも早くユキの注意を私に向けさせなければ、クリムの身が危ない。
決死の覚悟で飛び出した私だったが、到底間に合う距離ではない……まだユキとの距離がある状態で扉の隙間から覗く、クリムの特徴的な赤毛に私の血の気がサッと引いた。
「遅いわ。さて……とりあえず、面倒な腕輪をしている左腕から凍らせて──」
「今です! ──予定通りにお願いします、咲さん!」
「な……ッ!?」
クリムを凍らせるべく伸ばされたユキの指先は、その途端に空を切った。
部屋に飛び込んできたクリムが、突入と同時にスライディングをして床に転がったからだ。
そして一瞬呆気に取られたユキの前に、クリムの言葉で突如として第三者の姿が割って入った。
「──【アクア・バレット】!」
そのダイバーは自身の武器である槍の先端をユキへと真っすぐ向け、一つの魔法を放った。
それは水魔法の初歩中の初歩の魔法……空気中の水分を集め、狙った方向に真っすぐ撃ち出すだけの魔法だ。
構成されているのがただの水である為に殺傷力も低く、こちらの世界では水魔法使いが弱いと言われる原因の一つともなっている。
「ッ!!」
しかし、単純なその魔法にこれまでの何よりも焦りを滲ませたユキは、直ぐに手を引っ込めて扉から距離を取った。
「やっぱり! 貴女の弱点はコレだったんですね!」
その姿を見たクリムが得意げな笑みを浮かべながら立ち上がると、開け放たれた扉に向けて呼びかけた。
「さあ、効果は見ての通りです! 皆さんも咲さんの後に続いてください!」
そして部屋にぞろぞろと入って来た男女5名……その中には、先ほど水魔法を放った女性ダイバーの姿もあった。と言うか──
(あの人って確か、私が以前魔物化を治した……! そうか、ちゃんと復帰していたんだな……)
いの一番に水魔法を放ちユキを後退させたダイバーは、私が以前斗真の頼みで治療をした『ラウンズ』のメンバー……『百合原咲』だった。
顔の傷を隠す為に伸ばしていた前髪は短めに切り揃えられており、顕になった表情はすっかり自信を取り戻していた。
私がそんな彼女の様子に内心で安堵していると、いつの間にか近くに駆け寄っていたクリムが話しかけて来た。
「ヴィオレットさん! どうです? これなら勝てそうじゃないですか!?」
「! クリムさん……えっと、あの人達は? それに、今のユキの行動は一体……?」
「あ! そう言えば説明がまだでしたね! ヴィオレットさんに言われてダンジョンから脱出した私は──」
クリムが説明してくれたことを簡潔に纏めると、彼女はあの後自身の配信を見ていたリスナー達に呼びかけ、その時に裏・渋谷ダンジョンの上層や中層で配信中だったダイバーの中から『水魔法を扱えるダイバー』に限定して助けを求めたらしい。
残念ながら裏・中層にまで探索を進めていたダイバーはいなかったが、一人だけ……『百合原咲』だけは裏・上層の深い所で配信中だった為、クリムの案内で駆けつけられたのだと言う。
他のダイバーは水魔法使いではないが、その途中でクリムに同行を申し出たダイバーと言う事だったが……
「それは分かったのですが……何故ユキは初歩的な水魔法をあんなに必死に躱したんですか?」
「え? だって、困るじゃないですか。手が凍っちゃったら」
「え? ……あぁ! そう言う事でしたか!」
クリムの言葉でユキが焦った理由に納得がいった。
ユキのあの魔法はよく観察すれば分かるが、触れたものを凍らせる魔法ではない。極低温を指先に生み出す魔法なのだ。
当然ながら、凍らせる対象を選ぶ事が出来る訳でもない。
では、その指先を含んだ手全体が水で濡らされてしまえばどうなるか……考えるまでもないだろう。
「まさか、こんな簡単な対処法があったとは……」
「……くっ……」
彼女の魔法を利用して、彼女の魔法を封じる事ができる……その弱点に気付かれたユキの表情は、憎々しげに歪んでいた。




