第86話 vsユキ③
私が【エンチャント・サンダー】を使ってからというもの、ユキの戦い方は一変した。
「──くっ、ちょこまかと……! いい加減、観念しなさい!」
「断るわ。貴女こそ、諦めた方が良いんじゃないの?」
先程までとは一転して、ひたすら回避に徹するユキ。
無駄のない脚捌き以外にも翼も利用した回避は捉えどころが無く、それ程大きく距離を取られている訳でもないのに私のレイピアがまるで掠りもしない。
攻撃を放棄して回避に集中している所為もあるのだろうが、やはり翼による飛行が可能と言うのは大きい。比較的天井が低い室内でも3m程度の高さはある為、立体的な回避は十分可能なのだ。
「く……ッ!」
(狙いは何だ……!? 魔力を回復させる為の時間稼ぎにしては、妙に距離を気にしているが……)
ユキは空中を自在に舞いながらも、私から必要以上に距離を取るような動きは見せない。常に付かず離れずの距離で、私の攻撃を避け続けている。
時折ユキの眼が不自然な動きを見せている事から考えても、間違いなく何かを狙っている筈なのだが、それが読めない。
狙いも分からないまま敵の懐に深く踏み込むのは危険もあるが、これがただのハッタリであった場合私は絶好のチャンスをみすみす逃す事になる。何より──
(このままだと、ユキの魔力が回復してしまう……その前に!)
「──【ラッシュピアッサー】!」
こうなれば多少のリスクは覚悟しなければならないだろう。
回避する隙を与えない連続突きで、一気に勝負をかけるべくスキルを発動する。その瞬間……
「はっ!」
「く……またそれですか!」
ユキが私の頭上を飛び越え、背後に回り込む。
私はその動きを目でしっかりと追って、着地の瞬間に連撃を叩きこもうと振り返り……
「な、ぁ……ッ!?」
──つるり、と足を滑らせた。
咄嗟に視線を足元に移せば、原因は一目瞭然。戦闘中にユキの攻撃が原因で、いつの間にか床の一部に薄い氷の膜が張っていたのだ。
それは私の足……グリーヴも同様だ。
ユキの攻撃を敢えて受けた際、グリーヴは一度ユキの攻撃で凍り付いていた。直ぐに氷を剥がしたつもりだったが、どうやらその一部はまだ残っていたらしい。
そして今、グリーヴの裏の氷と床の氷が触れた事で摩擦が働かなくなり、私はまんまとバランスを崩されたと言う訳だ。
(そうか……! 距離を取らなかったのも、私の頭上を飛び越えて視線を誘導したのも、私に足元を確認させない為か……!)
おそらく他にも私の立ち位置だったり方向だったりも誘導されていたのだろうが……気付いた時には遅いと言う奴だ。
振り向きざまに足を滑らせた私は今、ほぼ完全な無防備状態。ユキの方へと視線を戻せば、そこには──
「う、グゥ……ッ!」
「! まさか、ガードが間に合うなんて……私の予測が外れた……?」
既に眼前に迫っていたユキの拳が、咄嗟に盾にした私の左腕を打ち抜いた。
一見華奢な細腕に見えても、悪魔の膂力は人間の数倍だ。バランスを崩されたところに全力の一撃を受けた事もあり、私の身体は吹っ飛ばされ……背後にあった本棚に叩きつけられた。
〔ヴィオレットちゃん!〕
〔これ大丈夫か!?〕
〔腕凍らされてない!?〕
木製の本棚は衝撃によって破壊され、上段に収められていた本が私の上にバサバサと降り積もる。
私を心配するコメント欄を目にしながら、ズキズキと痛む左腕を見ると……
(凍り付いてはいない。攻撃の時点では、まだ魔力が回復していなかったらしいな……)
逆に言えば、魔力の籠っていない一撃で今の威力を繰り出せると言う事でもあるが……まぁ、悪魔の膂力に関してはチヨと戦った時に既に知っているしな。そこに動揺は無い。
直ぐに立ち上がり、レイピアを構えてユキの追撃に備えるが──
「……糸!? しま……ッ!」
その瞬間に背後から飛んできた糸がローレルレイピアに絡みつき、強い力で引っ張られる。
ユキにばかり意識を向けてしまっていたが、この部屋にはトラップスパイダーが潜んでいる事を失念していた。
当然、トラップスパイダーに指示を飛ばしたのだろうユキは、この好機を逃すまいと一気に距離を詰めて来る。
既に魔力も回復しているようで、両手からは再び冷気が漏れ出しているのが解った。
(やむを得ないか……!)
「──【エンチャント・ヒート】!」
素早くローレルレイピアの纏う属性を炎に切り替え、糸を焼き切る。
これで武器は自由になったが、状況は振り出しに戻された。……いや、手札を知られたと言う点で言えば、寧ろ最初よりも状況は悪くなったと言える。
ユキはもう、私にレイピアの属性を切り替えるような隙を見せてはくれないだろう。
「く……ッ!」
直後、飛びかかって来たユキの右手の指先とローレルレイピアがぶつかり合い、ひと際大きな金属音が響き渡る。
何とかユキの初撃を受け止める事には成功したが、今の立ち位置は非常にマズい。
吹っ飛ばされた関係で私は壁際に追い詰められているし、背後にはユキの指示を待つトラップスパイダーも潜んでいる。
鍔迫り合いのような一瞬の均衡に思考を巡らせ、この状況を抜け出す方法を模索する。
そこに突き込まれるユキの左腕が放つ貫手。それを身体全体を低くする事で回避しつつ、更にユキの懐に潜り込み足払いを仕掛ける。
「甘いわ」
しかし相手は翼を持つ魔族だ。当然のように空中に浮きあがり、横薙ぎに振るった私の脚は空を切る。
だが、そのおかげで生まれた空間に私は咄嗟に身体を滑り込ませ、尻尾の追撃をギリギリで捌きながらなんとか体勢を立て直した。
「ふぅ……!」
(とっさの判断だったが、何とかなった……!)
一先ず逃げ場のない状況から脱する事には成功し、少しばかりの余裕を取り戻す。
ユキは既にこちらを向いており、落ち着き払った様子で私の動きを観察しているようだった。
「……貴女、もしかして──」
そして何かに気が付いたのか、ユキが眉を潜めながら私に何かを問いかけるように口を開いたその時……
「ヴィオレットさん! 助けに来ましッ!? ……あ、開かない!?」
「ッ!? クリムさん!? どうして──」
ガンッ、と何かがぶつかったような音が金属扉から響き、その向こう側からクリムの声が聞こえた。
「助けに来たんですよ! いっぱい準備して、助けも呼んで! なのに何で扉開かないんですか!? ──って、冷たっ!?」
「扉のこちら側が凍らされているんです! 私の事は大丈夫なので、引き返してください!」
扉を蹴破ろうとしているのか、ガン、ガンとしばらく断続的な音が響いていたが、私の声が聞こえたのか、クリムはこんなことを言い出した。
「──少し待っててくださいねヴィオレットさん! 直ぐに助けに入りますから!」
「いえ、安全の為に逃げて欲しいんですってば!!」
◇
「皆さん、少し後ろに下がっていてください!」
扉越しに聞こえたヴィオレットさんの言葉から状況を察した私は、ここまでついて来てくれたダイバーさん達にお願いして場所を開けてもらう。
そして十分に安全なスペースが確保できた事を確認し、進化した相棒──【鋼糸蜘蛛の焔魔槍】を構えた。
名前に関してはここに来る途中でついて来てくれた大鎌使いのダイバーさんが考えてくれたのだけど、何となくカッコイイ気がして割とお気に入りだ。……っと、今はそれは置いておいて──
「──行きます!」
焔魔槍の柄をぐっと握り、スキルを使う時のような力の流れをイメージすると、焔魔槍の穂先が眩く赤熱を始める。
忽ち空気が熱せられ、周囲に陽炎が立ち込める。……これが現在確認できている、鋼糸蜘蛛の焔魔槍の能力だ。
具体的な事はよく分からないけど、とにかく自力でエンチャント・ヒートのような効果を再現できるようなのだ。
「やああっ!!」
そして十分な高温に達したと判断した私は、赤く燃える焔魔槍で思いっきり金属製の扉に突きを放った。
(──待っていてくださいね、ヴィオレットさん! 貴女がくれたこの力で、絶対に助けて見せますから!)