第84話 vsユキ①
「さて……残念だけど事ここに至った以上、貴女達をこのまま帰す訳にはいかないの。覚悟してもらうわよ」
そう言って正体を現した悪魔の女性『ユキ』は、直立した状態で両腕を僅かに広げた構えをとる。
よく観察すれば彼女の指先周辺から白い靄が生じており、何らかの魔法によって極低温を作り出している事が解った。
(──氷属性の魔法……!)
『このまま帰す訳にはいかない』と発言していた通り、どうやら彼女は本気で私達を始末するつもりのようだ。
氷属性は私の知る限り、最も手加減が出来ない属性だ。問答無用で体温を奪い、動きを封じ、息の根を止める……生物を殺す事に最も特化した属性と言えるだろう。
更に、以前戦ったチヨが風と雷の魔法を使用していた事を考えると、ユキの扱う属性が氷だけではない可能性も十分に高い。
……やはり、クリムだけでも先に逃がさなければ。
「クリムさん……私があの悪魔の注意を引きます。貴女はその隙に腕輪を解放し、地上へ帰還してください」
「えっ……!? ですが──」
小声で告げた私の提案に、クリムが動揺する。
彼女の槍に炎の属性が宿っている事は既に判明している為、それを用いれば蜘蛛糸の解除も容易だ。故に私が身を挺して時間を稼ぐ必要は無い……きっと彼女はそんな事を考えていたのだろう。
だが、それでは駄目なのだ。
武器を自身の腕輪に向け、糸を焼き切り、腕輪に手を添えて【リターン・ホーム】と発声する……これだけの隙を晒せば、少なくともチヨであれば距離を詰めて致命の一撃を放つのに十分だ。チヨと同じ悪魔であるユキに、それが出来ない保証が無い。
彼女に私達を逃がすつもりが無い以上、腕輪を封じている蜘蛛糸を目の前で解除するような隙は晒せないのだ。
「私なら大丈夫ですから……──【エンチャント・ゲイル】!」
「あ……」
即座に靴に風を纏わせ、クリムの声を置き去りに全速力で飛び出した。
ユキが立っている場所は丁度私達と扉の中間の位置だ。私達を逃がさないと言う目的の為だろう。
だから、彼女の注意を私に向けさせる為には……
「──逃がさないって言ったでしょ?」
部屋の隅ギリギリを回り込むような軌道で扉の方へ向かって走れば、狙い通りに彼女は私の逃走を阻止すべく、更に回り込んできた。
そして間髪入れず、白い靄を纏った右手で鋭い抜き手を放ってくる。
「く……ッ!」
容赦なく顔を狙ったその突きを首を捻ってすれすれのところで回避すると、まるで極北の寒風を思わせる冷気を肌に感じた。
食らえば間違いなく一瞬で氷漬けになるような威力……しかし、その出力を維持するのに必要な魔力は膨大だ。指先のような局所に集中させなければ、これほどの効果にはなるまい。つまり──
(指先以外は無防備!)
「──【エンチャント・ヒート】、【ラッシュピアッサー】!」
彼女の攻撃は言わば、刃に猛毒を塗った槍のような物だ。
直撃すれば致命となるが、回避してしまえば大きな隙を晒す事になる。
私は彼女の右手の突きを躱し、更に彼女の身体の右側に回り込んでいた。
自身の身体や腕が邪魔となり左腕を使った攻撃は届かない、人間の身体構造では明確な死角だ。
しかし、彼女は悪魔……腕の代わりに振るわれる『もう一本の槍』が、抜き手と比べても遜色ない速度で私の喉元に迫っていた。
「──ハァッ!!」
「ぐっ……!」
だが、そのくらいの反撃はチヨとの戦闘で経験済みだ。
彼女との戦闘経験が無ければ虚を突かれる事もあったかもしれないが、知っていればカウンターに更にカウンターを合わせる事も可能。
私は指先と同じ冷気を纏った尻尾の一撃を、燃えるレイピアで捌き──反撃にその途中で切り落とした。
ユキの表情が苦悶に歪む。私はこの隙を逃さず、更に炎を纏ったレイピアの連続突きを放つが……
「あまり私を甘く見ない事ね……!」
「っ!?」
その瞬間、ユキはバク宙の要領で私の頭上に回り込んでいた。
咄嗟に私は正面に飛び込むように身を投げ出し彼女の反撃を回避すると、地面を転がって体勢を立て直す。
再び正面から向かい合ったユキの尻尾は既に再生を済ませており、両腕を僅かに広げた構えを再びとっていた。
状況は仕切り直し。だが、私の脳裏には一つの疑問が浮かんでいた。
(今の動きは一体……?)
あのタイミングでの全身を使った回避……本来ならそんな事不可能だった筈なのだ。
確かに翼を持った悪魔なら、しゃがむと言う過程を経ずに中空へ身を躍らせる事も可能だろう。
しかし、それでも間に合うようなタイミングでは無かった……その瞬間、私達のやり取りを見ていたクリムが、動揺しながら声を漏らした。
「え……!? い、今の何ですか!? 一体何が……」
(! そうか……!)
クリムの誰にとも知れない問いかけが切っ掛けとなり、私の中の疑問は氷解した。
それと同時に、私は彼女がこの部屋に現れた時の事を思い出す。
(間違いない! そうか、彼女は──)
「転送魔法……!」
「! ……やるじゃない。まさか、初見で看破されるとは思わなかったわ」
私とユキの戦いを俯瞰して見ていた筈のクリムにもユキの動きが追えなかった事が、ユキの動きのからくりに気付く切っ掛けだった。
彼女の視点から見ても気が付いた時にはユキは私の背後に回り込んでいたのならば、そんな芸当が出来る魔法は一つしかない。だが──
「まさか、転送魔法を戦闘に使用できる精度で扱えるなんて……」
異世界でも転送魔法は珍しくもなかったが、それは予め決められた座標──例えば、王都や港町等の物流に深く係わる場所同士を行き来する為の物だった。
決められた座標を予め術式に込めておく事で、漸く瞬間的に術式を発動できる……そんな高度で複雑な魔法を戦闘中に扱えるような存在に会ったのは、これが初めてだった。
「クリムさん! 腕輪を解放したのであれば早く逃げてください! 恐らくこいつは視認できる範囲にいる相手であれば、どこにいても瞬時に攻撃できます!」
座標を指定する術式である以上予め設定した場所でないのなら、視認した範囲に限定されるのが転送魔法の弱点だ。
だから少しでも早くこの部屋から逃げてほしいのだが……
「! わ、解りました! ──【リターン……」
「させないわ」
「く……!」
腕輪に手を添えて帰還の機能を使おうとするクリムに、ユキが地を蹴って急接近を試みる。
慌てて私も同じく駆け出し、その背に追いつく。そして……
「捕まえた……ッ!」
ユキの尻尾を左手で掴み、全力で引き戻す。
不幸中の幸いと言うやつで、今私が身に纏っているドレスアーマーには合成素材で出来た手袋がある。
その為例え極低温となっている尻尾を掴んでも、直ぐに手まで凍り付く訳ではないと踏んでの行動だったが……それは、あらゆる意味で正解だった。
「──ッチィ!!」
煩わし気にこちらを向いたユキが、舌打ち混じりにこちらへと攻撃を仕掛けて来る。
至近距離から両手で放たれる連続突きを右手のレイピアだけで捌くのは不可能である為、尻尾を掴んでいた左手を離して距離をとる。
その瞬間再びクリムへと視線を向けるユキだったが──
「残念ですが、既に彼女は帰還しましたよ」
「……そうみたいね」
振り向いた先にもはや誰もいないことを確認したユキは、先ほど見せた一瞬の形相が嘘のように静まり返っていた。
今の一瞬、彼女にとってクリムを逃した以上の痛手が彼女にはあった。
その一。いくら悪魔とは言え、転送魔法を連続では扱えない。
何度も転送魔法が使えるのであればユキが私の前に回り込む際にも使っていただろうし、今だって直接クリムの元へ転送していれば彼女を逃がす事もなかった。
その二。ユキを引き戻すために彼女の尻尾を掴んだ手袋だが、霜が付いていないどころか冷たくもなっていない。これが意味する事はすなわち──
「貴女の転送魔法ですが……使うと転送魔法どころか、しばらく普通の魔法も使えないようですね。まさに緊急用の最終手段、と言ったところでしょうか?」
「……ふん」
ようやくユキの攻略法が見えてきたと言う事だ。