第80話 増殖する白蜘蛛
「──っ、ヴィオレットさん! 大蜘蛛に動きが!」
「はい、解ってます! クリムさんは念の為に色のついた足場に移動しておいてください! その残ったカラーボールは、足場を作りたい時に自由に使ってください!」
「解りました!」
塗料でコーティングされた糸であれば、横糸に変えられたとしても足が捕らわれる事はない。
彼女が持っているカラーボールは残り一つだけとはいえ、緊急時の備えにはなるだろう。彼女の方はしばらく問題無さそうだ。
さて、肝心の巨大蜘蛛だが……
(この膨れ上がった魔力。何をしてくるつもりでしょうかね……?)
見上げた先では、尻から伸びた糸を辿り天井の巣に逆さまに張り付いた巨大蜘蛛が、その両前脚を天井の巣の中に深々と突き入れているのが見えた。
その先端を通して、大量の魔力が巣の中に注がれていくのが解る。
再び糸の性質を変えようと言うのだろうか……警戒する私達の視線の先で、純白の巣が蠢く。そして──
「……そう来ましたか」
「これは……少し怖いですね……」
蠢いた天井の巣から、無数の白い塊が顔を出し……白い糸を伸ばしながら降りて来る。
その正体は無数のトラップスパイダーと、デッドエンドスパイダーだった。その数、それぞれ十数匹……奴は私達を数の暴力で叩き潰すつもりのようだ。
(流石にこの数の蜘蛛型魔物に一斉に狙われたら、全ての攻撃を回避するのは難しい……!)
トラップスパイダーは腕輪や武器を封じ、デッドエンドスパイダーは直接的な攻撃方法も備えている。
それに、巨大蜘蛛自身も何もしないなんて事はないだろう……
「ど、どうします……?」
「先ずは増援の蜘蛛を倒しましょう。巨大蜘蛛の動向にも注意してください」
「は、はい!」
数が多いとはいえ、トラップスパイダーとデッドエンドスパイダーは戦い慣れた魔物だ。ある程度動きが読める。
空中を跳ね回り、発射される糸を躱しながら距離を詰め──
「──【エンチャント・ヒート】! ハッ!」
一撃で簡単に倒せるトラップスパイダーから対処していく。
蜘蛛の糸の脅威が同じである以上、とにかく数を減らす事が最優先だからだ。
「──【クレセント・アフターグロウ】!」
同時に地上から昇る燃える三日月が、トラップスパイダー・デッドエンドスパイダー問わずに両断していく。
武器の影響なのか、それとも単純にスキルの威力なのか。一撃の重さは彼女のスキルに軍配が上がるようだ。
ただ限られた足場での回避に苦慮しており、攻撃に転じる機会を探りながらとなっている。それならば……
「クリムさん! 手の届く範囲の糸は私が掃いますから、貴女は出来る限り攻撃に専念してください!」
「っ、はい! 任されました!」
役割を明確に分けよう。彼女は攻撃、そして私が援護だ。
蜘蛛型魔物からの糸を回避しながら、クリムに向けて放たれる糸を空中で燃やし、掃う。
そして余裕が出来た分、クリムが攻撃にリソースを回して蜘蛛を倒す。……流石に全ての糸を払い落とせはしないものの、成果は直ぐに表れた。
蜘蛛の数はみるみる減っていき、その分私も攻撃に転じる事が出来るようになる。
……だが、蜘蛛の数はゼロになる事はない。何故なら──
(次から次に巣から蜘蛛が現れる……! やっぱりこの巨大蜘蛛、生殖機能があるのか……!)
生殖機能と言っても、魔物のそれは一般的な動物のものとは違う。魔物の生殖に雌雄の存在は必要なく、更に生み出すのは卵ではなく『魔石』だ。
手順としては莫大な魔力を結晶化させて疑似的な魔石を作り、それが周囲の塵や水分等の材料を取り込むことで魔物になる。
……道理でトラップスパイダーやデッドエンドスパイダーの魔石の質が悪い訳だ。何せ機能や性質は似通っているだけの、紛い物なのだから。
さて……少し話が逸れたが、このような生殖が可能な魔物が誕生するのは極稀だが、そういった存在は異世界でも確認されていた。
彼らは『王』や『母』と呼ばれ、総じて強大な力を持つと言う共通点がある事が知られている。
その脅威度は、一国の軍がその魔物一体の討伐の為に派遣されるほどの物。
(到底二人で戦うような相手ではない。だが──勝ち目はある。その鍵は……っ!)
チラリと視線をこの部屋の入口へと向けると、壁を伝ってこっそりと通路の方へ近づいていたデッドエンドスパイダーを発見する。
壁を覆う蜘蛛糸と同色の身体を利用し、あんなところまで移動していたようだ。
「クリムさん! 通路を塞ごうとしている蜘蛛が居ます! 優先的に対処を!」
「えっ!? は、はい! ──【クレセント・アフターグロウ】!」
「ギチィ……ッ!」
通路に近付いていたデッドエンドスパイダーが両断されると、天井の巨大蜘蛛の顎がまるで舌打ちのような苛立たし気な音を発した。
……やはり奴も、自身の弱点が何か解っているらしい。
(強大な魔力を持つ魔物にとって、魔力の濃度が薄まると言う事は空気が薄くなるようなもの……! この部屋に籠っていた魔力が通路から裏・中層全体に流れて行けば、それだけ状況は私達に有利になっていく!)
通路が開いている限り、長期戦になればなるほど私達が有利だ。
と言うか、何故こんな強大な個体が裏・中層にいるのかと言う事の方が不思議なのだが……──いや、今考える事ではないか。今の最優先は、この好機にこいつを倒す事なのだから。
「っ! ──っと、危な……!」
思惑通りにいかない苛立ちからか、それとも薄くなっていく魔力への焦りからか、巨大蜘蛛が積極的に糸を飛ばしてくるようになった。
尻付近から発射された巨大蜘蛛の糸はデッドエンドスパイダーのそれと比べても明らかに太く、もしも捕まってしまえば剣で切り裂くのも簡単ではないだろう。
これそのものによって怪我を負う事はないだろうが、即死の原因には十分になり得る。
「クリムさん! 巨大蜘蛛の糸には特に注意を!」
「はいっ! ……あっ、足場が!」
「! なるほど……長期戦をさせないつもりですね……」
クリムが避けた巨大蜘蛛の糸は地面に達すると、そのままぐるぐると渦を巻くように周囲に広がり、足場の大部分を再び白く塗りつぶしてしまった。
せっかく作った足場も、ああやって塗り替えられてしまってはどうしようもない。と言うか……
「本格的に某ゲームのような事になってきましたね……」
特に厄介なのは、あの巨大蜘蛛の糸は切る事は一応出来ても、燃やす事が出来ないという点だ。
例え上手い事空中で切り払う事が出来たとしても地面に付着する事だけは防げず、足場を塗り替える事は避けられない。
対してこちらは、足場を作る為には再びカラーボールを取り出す必要があるのだ。
(クリムさんはまだ、カラーボールを一つ残してる……とはいえ、このままではそれも近いうちに──)
「ヴィオレットさん! 危ない!」
「っ、しまっ……!」
視線をクリムの方へと向けた一瞬。僅かに生まれた隙を突いて飛来した蜘蛛糸が、私の腕輪に巻き付いた。
(この糸……巨大蜘蛛の……!)
私がそう認識するとほぼ同時。腕輪に巻き付いた糸が『ぐんっ』と引っ張られ、私の身体が天井まで一気に持ち上げられる。
咄嗟に左腕に装着している腕輪に巻き付いた糸を右手で掴む。
太く頑丈な糸の先では、尻の先端をこちらに向けた巨大蜘蛛が大きく仰け反るような姿勢で前脚を構えているのが見えた。
なす術も無く引き寄せられた私の身体を、あの鋭い先端で貫こうという腹だろう。だが……
(──これは好機だ……!)
敵に止めを刺そうという一瞬……それは最大の隙が生まれやすい、最も危険な瞬間だ。奴は今、完全に油断している。
これまで散々煽られて来た鬱憤も手伝い、視野が相当狭くなっていると見た。
しかしいくら油断しているとは言っても、ここで私が腕輪に巻き付いた糸を切り裂こうとする動きを見せれば、奴も再び気を引き締めるだろう。
だから──
「ヴィオレットさん! 早く糸をッ!!」
(『まだ』だ! 動くのは今じゃない……!)
悲鳴にも似たクリムの声が響く中、私は全神経を研ぎ澄ませてその瞬間を待つ。そして、巨大蜘蛛がいよいよ私の身体を貫こうと、前脚を更に振りかぶったその瞬間──
(──今だッ!)
「──【エンチャント・ヒート】!!」
「ギシィッ……!?」
私は蜘蛛糸に炎の性質を付与した。
巨大蜘蛛の生成する糸は、炎に触れても燃える事はない。だが、エンチャントは属性を直接付与する魔法だ。
糸は糸でありながら、この瞬間炎でもあるのだ。そんなものが体内にまで繋がっている巨大蜘蛛は、当然タダでは済まない。
突然腹の内部に生まれた炎に巨大蜘蛛は苦しみ、訳も分からずのた打ち回る。さらに──
(少し熱かったけど──これで私の腕も蜘蛛糸から解放された!)
糸に巻き付かれた腕輪には、予めロープが巻き付けてあった。
蜘蛛糸が炎となったあの一瞬。糸は蜘蛛の体内と同時に、このロープも燃やしていたのだ。
ロープの表面が灰となり粘性を奪うと共に僅かながら直径が小さくなった事で、蜘蛛糸の拘束はまるでゆるゆるのリストバンドのようにすっぽ抜けていた。
今や巨大蜘蛛は攻撃のタイミングを完全に逃した上、腹を焼かれて錯乱状態。
そして一方の私は拘束を逃れた上に、天井に張り付く巨大蜘蛛に急接近。
攻守の関係は一瞬で逆転した。
「っ!」
巨大蜘蛛のピンチを救おうと、周囲の蜘蛛型魔物達が一斉に糸を吐きかけて来るが、空中を蹴って起こした風によりそれらをヒラリヒラリと舞うように避ける。
そして……
(──見えた! やっぱり奴の腹側には装甲が無い!!)
のた打ち回る巨大蜘蛛の腹を視界に収めた私は、レイピアに左手を添えて属性を切り替える。
「──【エンチャント・ダーク】!」
再度空中を蹴り、狙い澄ました標的へ向けて急接近。弓のように引き絞ったレイピアを、全力で突き出した。
「──【螺旋刺突】!」
「ギシャアアアァァァァーーーーッ!!!」
闇色の螺旋が巨大蜘蛛の腹を穿ち、その体内から荒れ狂う炎が噴き出した。