第29話 トカゲのしっぽ
「──フロントラインのメンバー……ですか?」
水曜日の19時から開始した雑談配信にて、配信開始からそれ程間を置かずにその話題はリスナーから飛び出した。
〔あの小さい香炉が実は最前線にしか配られない物だったらしい〕
〔他のダンジョンで最前線やってるダイバーから裏も取れたからほぼ確定〕
〔だから今度攻撃されたら身の安全を最優先に撤退して!〕
〔なんなら警察や協会も動くと思うから、犯人が捕まるまで探索配信を控えるのもあり〕
どうやら私の知らない内に、ネット上で色々と進展があったらしい。
矢継ぎ早に流れてくる情報群は、誰が見ても犯人はフロントラインの誰かとしか考えられないような物ばかりだ。
(──参ったなぁ……)
だが、正直その事実については私もほぼ確信していた話であり、それ自体は特に脅威と言う訳でも何でもない。実力の半分も発揮していない今の私でも、正面から戦えばまず負ける事は無い筈だ。
問題は、敵がフロントラインの誰かだと言う事がリスナーにバレた事。
フロントラインと言えば、実情はともかくとして世間一般では相当な実力者と言う評判だ。何年も連続で最前線の恩恵を受け続けているのだから、少なくとも資金や装備等は私とは比べ物にならない事は考えるまでもない。
そんな相手に『駆け出しダイバー』である私が一人で立ち向かう事を、リスナー達は許さないだろう。もしもそんな素振りを見せれば、間違いなく配信は荒れる。その結果私が勝っても負けても、リスナーは呆れて離れていく可能性が高い。
既に前回の配信のように応援してくれる声も少なく、『とにかく撤退!』『安全第一!』と言うムードがコメント欄に漂っている。……仕方ないか。
「……そうですね。皆さんを心配させるのも悪いですし、犯人を捜すのは警察に任せます。ただ……探索配信は続けますよ。犯人も直接私を襲うような事はしませんでしたし、こちらから仕掛けなければそれ程危険も無さそうなので」
〔確かにそうかも…?〕
〔配信中のダイバーに攻撃すればどう足掻いても逮捕だからな〕
〔配信してれば安全か…〕
〔一先ず戦おうとは考えてないみたいで良かった〕
〔ヴィオレットちゃん脳筋だからてっきり「逃げない!倒す!」って言うかと…〕
「それもう脳筋通り越して蛮族じゃないですか……」
私が犯人を捕まえる事を諦める……ような事を言うと、コメントは安堵に包まれた。……だが甘い。私が宣言したのはあくまでも犯人を捜す事だけだ。
もしも向こうから仕掛けてくるような事があれば、その時は遠慮するつもりは無い。その為にわざわざ必要な道具まで買ったのだからな。
「さて、暗い話題はここまでにして、楽しい話をしましょう! 実は先日、名探偵金田の映画を見に行ったんですけど──」
〔あれ見に行ったんかw〕
〔俺も見たよ。面白かった〕
〔ネタバレは無しでお願いします!〕
意図して笑顔を作り、話題を変える。
直ぐにリスナー達も暗い雰囲気を散らす為か、少しわざとらしくはあるものの早速新しい話題に食いついてくれた。
(……ゴメンね、皆。やっぱり私は逃げたくないんだ)
ネタバレをしないように配慮しながら話題を広げ……その笑顔の裏で計画を固める。
彼等に疑われないように、今回の犯人に立ち向かう為の計画を──
◇
「──この、バカ野郎がッ!!」
男の怒号と共に、渋谷ダンジョンの中層に鈍い打撃音が響く。
「ぐッ……! す、すみません、リーダー……」
現在の時刻は午後10時過ぎ。こんな時間帯にダンジョンに呼び出された挙句、頬を殴られ尻餅をついた男は、そのまま立ち上がりもせず目の前に佇む男に対して土下座で謝罪した。
リーダーと呼ばれた男が激怒しているのには理由がある。それは、前回の『オーマ=ヴィオレット』の配信に映り込んだある物が原因だった。
「てめぇ、あの香炉がどう言ったもんか理解もしてなかったのか! アレはなぁ……攻略最前線に優先的に回される『テスト品』だったんだぞ!!」
攻略最前線は資金やアイテム等の支援を受ける代わりに、新しく開発されたアイテムのテストを頼まれる事がある。オーマ=ヴィオレットの衣服に取り付けられ、魔物を呼び寄せて狂暴化までさせていたあの香炉もその一つ……限られた極一部の者しか手に出来ない代物だったのだ。
未踏破ダンジョンの最前線に立つと言う事は、何の情報も無い『未知』に常に対応し続けなければならないと言う事だ。そう言った『初見殺し』のオンパレードに対応できる実力者であると見做されるからこそ、彼等には国や協会も期待して様々な支援が行われる。
『実際にダンジョン内で使用した際の挙動に問題が無いか』、或いは『使い勝手に不便が無いか』等のテストの為、最新技術を使用して作られたアイテムが無償で提供されるのも彼等の対応力なら不測の事態も対処できるだろうとの判断からだった。
それがダイバーへの妨害工作に使用された姿がオーマ=ヴィオレットの配信に載せられた事、そしてその後『証拠品』として提供元だったダイバー協会に預けられた事等から今回の一件が協会の上層部に露呈。
その結果協会内でも調査が行われ……この日フロントラインのリーダーである男は、ダンジョン協会の幹部から『これは一体どう言う事か』と直々に詰問を受ける事になったのだ。
それが香炉をオーマ=ヴィオレットに使用した男がリーダーから呼び出される、つい数分前の出来事である。
「『提供された香炉が一つ盗まれていた』と言ってその場は誤魔化したが、疑いの目を向けられた事実はもう覆らねぇ! てめぇ一人の独断の所為で、ここから先の俺達のプランはガタガタだ!」
「し、知らなかったんです! 丁度良いアイテムがあったから、つい……!」
「ふぅー……、オメェ知ってるか? フロントラインの黒い噂って奴が出回ってんのをよ」
「えっ……は、はい。一応……」
「実際に俺達が蹴落とした誰かか、それとも下らねぇ嫉妬で流されたデマか……誰が流したのか知らねぇが、真に受けてる奴は少なかった。所詮はネット中心に出回る噂の一つに過ぎねぇからな……だが、コイツを見ろ。てめぇの行動の結果だ」
そう言ってリーダーは取り出したタブレット端末の画面を、土下座の姿勢で見上げる男の眼前に翳した。
「……っ!」
それはとあるSNSの投稿の内容であり、『最前線にのみ支給されている香炉』がダイバーの妨害に使用された事実と『黒い噂』との関連性を分析する内容だった。タブレットの光に照らされた男の顔が、その内容を理解する度にみるみる青褪めていく。
「見ての通り、少し対応を間違えれば面倒な事になる状況だ。……だが俺達は生き残れる。お前一人を切り捨てればな」
「ま……待ってくださいよ! 俺、今までずっと尽くしてきたじゃないですか!?」
そう言って膝立ちでリーダーに歩み寄り縋りつく男を冷たく見下ろしながら、リーダーの男は口を開いた。
「駄目だ。既に情報は広まっちまってる。一週間以内にクランから自主的に抜けろ……話はそれだけだ、じゃあな──【リターン・ホーム】」
「り、リーダー!!?」
縋りつく男を強引に振り払い、リーダーと呼ばれた男は腕輪の機能でダンジョンから姿を消した。
残された男は去り行くリーダーへと伸ばしていた手を握ると、怒りを表すようにそのまま震える拳を地面に叩きつけた。
「──ふざけんなよ……!」
彼の表情が憎しみに歪む。そして自分のこれまでの行いを棚に上げ、自身に降りかかった理不尽への怒りを誰も居ないダンジョンに吐き出した。
「ずっとずっと俺を雑用係のように扱いやがって!! 元々はお前が俺の報告を信じなかったのが悪いんだろうが!!」
これまで溜め込んだ鬱憤が絶えず口から零れ出す。一体どれ程の時間そうしていたのだろうか、やがて言葉が尽きた男は徐に立ち上がると、妙にすっきりした表情で呟いた。
「……ああ、もうどうにでもなれ……」
その目には、隠し切れない狂気が渦巻いていた。




