第226話 不穏
(──今や!)
双雷牙の性質を利用した奇襲により悪魔の拘束が緩んだ隙を突いて素早くヴィオレットの手を掴むと、ウチは背後にある部屋の入口へ向けて一直線に駆けだした。
悪魔は感電の所為で動きが鈍っており、部屋を脱出するまでは上手く行ったんやけど……
「あ、あなたは誰ですか!? 私をどこへ連れて行くつもりですか!?」
「ウチや、ティガーや! 今の内に腕輪で撤退するで!」
「なんですか!? なんて言ってるんですか!?」
困った事に肝心のヴィオレットがこのありさまや。
悪魔の術式でウチの事を認識できとらんし、どうやらこっちの声も届いとらんらしい。
(参ったなァ……こんなんでどうやってやりとりすんねん……──せや!)
ウチの顔も声も分からんようになっとるヴィオレットやけど、以前配信で言うとった内容から察するにウチの動作自体は認識できとるはず。……そんなら、アレが伝わるはずや。
ウチは手元に残った双雷牙の片割れをベルトに引っ掛けて右手を空けると、それをヴィオレットに見せながら指をおっていくつかの形を作る。
「! そのハンドシグナル……──ティガーさんですか!?」
(──よっしゃ、上手く行ったで!)
ヴィオレットとは以前、ゴブリンキング──いや、アセンダーロードっちゅう名前になったんやったか。アイツの起こした戦争に一緒に参加した仲や。
その作戦で声を出さずに作戦を立てる必要がある状況を想定して、いくつか簡単なハンドシグナルを決めていた事を思い出した。
数か月前に決めたそれをヴィオレットも覚えているかは賭けやったけど、どうやら問題なく伝わったようやな。
ウチはヴィオレットの確認に首肯で答えると、引き続きハンドシグナルでこちらの意図を伝える。
──『今すぐ』『撤退』『腕輪の機能』。
「す、すみません。腕輪で撤退したいのは私も同じなのですが……腕輪が何処にあるのか、今の私には見えないんです!」
(そう言う事かいな……!)
いざとなれば撤退を直ぐに選択できるヴィオレットが、何故引き際を誤ったのか疑問やったけど……どうやらそれが困難な状況に追い込まれとったらしい。
それならウチがヴィオレットの手を腕輪に重ねてやれば解決する筈や。そう思った時──
「ヴモオオォォッ!!」
「──ひっ……!」
「!」
(アビスミノタウロス! そうか、さっきのヴィオレットの叫び声に集まって来とったか!)
間の悪い事に、ウチらの向かう先から複数体の黒い巨体が顔を出す。
普段のヴィオレットなら何の苦も無く倒す相手やっちゅうのに、ヴィオレットはその姿と声に身体を震えさせていた。
一体アイツらが今のコイツの眼にはどう見えとるのか分からんけど、いずれにしても邪魔する気満々なのは間違いないやろし、先に仕留めるとするか。
「──【ストレージ】! いくで、『旋風刃』!」
腕輪から取り出したのは、反りの大きい二つの剣の柄同士を繋げた『双刃刀』。
この前チヨとの戦いに勝った時、また新たに作って貰ったウチの魔剣や。
元は双雷牙と同様に双剣やったもんやけど、性質を確認する内にこの形状の方が便利やと判断して行きつけの鍛冶屋に頼んで一つにして貰ったウチの新しい相棒。
やや長めの柄の中心を掴み、片手でバトンのように回転させると、魔力によって生み出された風の刃が遠心力で引き伸ばされる様に伸びていく。
回転の速度が十分上がったところで、ウチはヴィオレットの手を一旦離すと、すぐにビクッと跳ねた肩を掴む。そして──
「これでも、喰らえや!」
ヴィオレットを力任せにしゃがませながら、旋風刃を正面のアビスミノタウロス達に向かって【投擲】した。
迷宮の壁に無数の斬撃痕を刻みながら、巨大な手裏剣のように飛ぶ風の刃がアビスミノタウロス達の胴体を両断。こちらの狙い通り、これで道が開けた。
「──【ゲット・バック ”旋風刃”】! 【ストレージ】、【ゲット・バック ”双雷牙”】!」
腕輪の機能で手元に武器を戻し、今の内に収納した後の事や。
しゃがみ込んでいたヴィオレットの手を引いて、再び走り出そうとしたところで、ウチの脳裏に一つの疑問が浮かんだ。
(──何で後ろから追手の一つも来ないんや……?)
こういう時、普通に考えればヴィオレットを取り返そうとするか、ウチに報復するか……いずれにせよ後ろからミノタウロス達が追って来るもんやないか。
あの部屋にはまだまだアビスミノタウロス達がおったし、あの悪魔の一声で奴らが追って来るやろうと覚悟してた。
けど振り返ってみても奴らの姿はおろか、未だに足音の一つも聞こえへん。
(なんや、ヤな予感すんなぁ。こら早いとこおさらばした方が良さそうや……)
──『もう少し』『進む』『OK?』
「はい……っ! ティガーさん、助けに来てくれてありがとうございます!」
◇
「ちぃっ! あの人間め、妙な魔法を……!」
ボクの身体の痺れが取れたのは、妙な攻撃を受けてから数秒後の事だった。
その間に新しく現れた人間はボクが折角捕らえたあの人間を連れ、この部屋から出て行ってしまったが……
(逃がす訳ないよねェ!)
新しく現れた方の人間なんてどうなっても良いが、捕えておいた方の人間はそうもいかない。
何せあの方から直々に『連れて来い』と言われたのだ。何が何でも取り返さなければ。
「おい、魔物ども! ぼさっとしてないで、さっさと──」
「待ちなさい」
「ッ!?」
黒い魔物達をけしかけようとしたまさにその時。ボクの背後から冷たい声が響き、ボクの命令に従おうと腰を上げていた魔物達が一斉にへたり込んだ。
(この声! この気配! 不味い……!)
恐る恐る振り向くと、そこにいたのは予想通りあの方だった。
「──また、余計な事をしてくれましたね。どうして言われた事だけ出来ないのですか、貴女は」
「……っ!」
思わずごくりと唾を飲む。
腕を組み、悪態をつくあの方の表情はいっそあからさまなまでに不機嫌であり、冷たい口調からは静かな怒りすらも感じられた。
しかし、ボクの攻撃は本当に余計な物だったのか。そこに関してはボクにも反論がある。
「……お言葉ですが、あの人間はボクの部下の金色の魔物をあっさりと倒すくらいには強い人間です。何かしらの方法で行動を封じなければ、ボクにはアイツを連れて行く事はおろか捕まえておく事も難しい。貴女もボクの戦闘能力が低い事はご存じの筈です」
そう。ボクの直接的な戦闘力は低い。
チヨに勝てないのは当然だが、他の悪魔にだって真正面から勝つ事は難しい程だ。……というか、認識を狂わせなければ、あの金色の魔物に毛が生えた程度の実力しかない。
そんなボクが術式を使わずにアイツを捕まえておくなんて、そもそも無理な話なのだ。ボクがそう伝えると、あの方はため息一つ吐いた後、納得したように頷いた。
「そうね……確かに私の采配にも問題はあった。だからこの一件で貴女を罰する事はできないけど……でも、よりにもよって過去の記憶を掘り起こす術式を使うなんてね。おかげで、計画を早める事になったわ。本当なら、あの子の出番はもう少し後──然るべきタイミングで、よりドラマチックな邂逅になる予定だったのに……」
「あの子……?」
彼女の言う『あの子』。ボクにはまるで心当たりがないけど、話の内容から考えて計画においてかなり重要なピースらしい。
そして、どうやら『既に手は打った』と言う事なのだろう。彼女はついにボクや魔物達に『あの人間を追え』『捕まえろ』と言った指示を出す事はなかった。
その代わりに──
「とりあえず……そうね、貴女は本拠地に帰って来なさい。そこで新しい仕事を割り振るわ」
「えぇ……また面倒な事やらせるんです?」
「安心しなさい。貴女の術式があれば楽な仕事よ。ちょっと面倒を見て欲しい悪魔が居てね……」
と、ボクに新しい仕事を押し付けて来た。
詳しい話を聞くと、確かにボク向きの仕事だ。というか、多分ボク以外には出来ない。
しかも……
「──へぇ……それはちょっと面白そうだなぁ。ある程度はボクに任せて貰っても良いんですよね?」
「えぇ。貴女の性格的にもうってつけでしょ?」
「へへっ、流石リーダー! 話が分かる!」
どうやら今度の仕事は楽しめそうだ。




