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第219話 解呪

「……」


 トン、トン、と軽快なリズムがキッチンに木霊する。

 一人の女性が包丁を片手にまな板に向き合い、人参を一口大に切り揃えている。

 私がその姿をじっと見つめていると、やがて居心地悪そうな表情で女性がこちらに視線を向けた。


「なぁ……さっきからずっと視線が気になるんだが……」

「すみません。流石に軍服姿の悪魔がカレーを作ってる光景はシュールだったもので、つい……」


 私に撃ち込まれた呪い──目に映る全ての人物や魔物を、術者の悪魔と同じ姿と誤認させる術式は、今も私の中で暴走している。

 あの後いくつかの検証を経て一応の対抗策は見つけだしたのだが、私はまだこの術式を解呪していなかった。

 というのも、この術式の解除には一時的に私自身の魔力を枯渇させなければならず、そうすれば私は数時間ほど意識を失う事になる。

 今の時刻は既に夕飯時であり、『それならば食事も済ませて後は寝るだけとなってから解呪を試みよう』という話になったという事情があった。のだが……


(何というか……ちょっと面白いんだよな。この状態)


 安全が確保された状況だからこそこう思えるのだろうが、この数時間で私はいくつものシュールな光景を目にする事になった。

 現在目の前にいる『カレーを作る悪魔』もそうなのだが、何よりシュールだったのが『スマホで再生する動画の人物まで皆悪魔に見える』という事だ。

 漫才やコント、ドッキリやお笑い番組を全部悪魔がやっているのは独特の面白さがあった。『熱湯風呂で熱がる悪魔』なんて、絶対私以外見た事ないだろう。


「話を聞く限り、確かに面白そうな状態ではあるが……だが、もしもお前以外のダイバーがその状態になっちまったらどうすれば良いんだ? 魔力を枯渇させるって言っても、少なくとも俺はそんな方法知らんぞ」

「あぁ、その点でしたらご安心を。私が自発的に魔力を枯渇させなければならないのは、私が魔族だからなので」


 魔族は殆どの点で人間の能力を上回っているが、特に魔力に関しては人間と比べ物にならない適性を持っている。

 当然保有魔力量も人間とは桁違いに多く、その所為でこの術式のリソースも勝手には尽きてくれないのだが、人間がこの術式を撃ち込まれた場合は……


「まぁ、一晩寝て起きる頃には術式も消えているでしょうね。寝覚めは最悪だと思いますが」


 異世界で短期間だけパーティーを組んだ魔術師によると、二日酔いが数倍酷くなった感覚との事だ。まだ体験した事がないが、明日の朝には私もその感覚を嫌でも知る事になるのだろうと考えると今から気が重い。


「二日酔いか……どんな感覚なのかは知らないけど、体験したくはないな──っと、後はしばらく煮込めば完成だな。食器出すの手伝ってくれ」

「はーい」


 明日の体調によっては、配信の日程を変える必要もあるのかもしれないな……等と考えながら食事の支度をし、私にとってはいつもと少し違う一日が過ぎていった。




 ──そして、就寝前。


「……さて、やりますか」


 私は一人、ソファに寝そべりながら覚悟を決める。


「……本当に大丈夫だよな? なんか壊れたりしないよな?」


 私の並々ならぬ気合の入れように心配になったのか、ベッドに寝そべる『俺』が不安げな視線を送って来た。


「そこはご安心を。魔力単体ではそうそう悪影響なんて出ませんから」


 そうとだけ告げて目を閉じると、私は全身から魔力を吐き出し始めた。

 体内を巡る魔力の流れを一部堰き止め、体外へと誘導する……難しい操作にはなるが、魔族は魔力の扱いに長けた種族だ。ある程度は感覚で出来る。のだが──


(ぅ……今、少しくらっと来たな……)


 私が思っていたよりも大分早く、魔力枯渇の初期症状が現れた。

 これは私の保有魔力量が、こっちの世界に来た時点と比べて減少している事を示している。

 ……体感だが、今の私の魔力は全盛期の魔力量のおよそ三分の二と言ったところか。


(思ったよりも魔力が減っているな。完全な人間になった時、ここからさらにどのくらい減るのやら……)


 こんな所でも人間になりつつある影響を感じながら、しかし私は魔力の放出を続ける。すると──


「お、おい……なんか深層で見かけるような光の玉ができてんだけど……」

「え? ──あぁ、オーブですね。一時的にこの周囲の魔力濃度が濃くなっている影響です。空気中に流れて行けば自然と収まりますよ」

「そういうもんなのか……?」


 チラリと目を開けて確認すると確かに私の周囲にのみオーブが生まれていたが、このくらいなら何の影響もない。

 オーブも小さいし、放出が止まれば数秒も経たずに消えるだろう。この程度なら深層の魔力濃度には遠く及ばない。


「ですが……丁度良いですね。このオーブが消えたら私は眠ったと考えて大丈夫ですよ」

「わ、分かった」


 気だるさに嫌な汗を滲ませながらそう伝えると、私は再び目を瞑る。

 全身の倦怠感が無視できないレベルになり、息が乱れ始める。まるで船に乗っているように、ぐらぐらと身体が揺れる感覚……船酔いってこんな感覚なのかもしれないな。


 そして……


(あ……これ、そろそろかな……?)


 目を瞑っているのに視界が更に暗くなるような感覚が急に訪れる。


(……あぁ、落ちる……)


 そんな感覚の一瞬の後、私の意識はここで一度途切れた。










 ──夢を見ていた。

 変な夢だった。


(ここは……?)


 周囲を見回すとそこに地面は無く、見上げても空は無い。

 いや、そもそも上下や左右という概念があるのか……そこはただただ不思議な光と闇ばかりが漂う空間だった。


(私はどこに向かっているんだ?)


 上下も左右も無いこの空間で、私の身体はまるで河に浮かぶように一方向に流れていた。

 時折、光と闇に紛れて風景を切り出した泡のような物が無数に浮かんでいるのが見える。

 泡の中に空があり、海があり、夜があり、朝があった。

 映し出す光景のスケールもバラバラで、中には銀河系のような物を映しているものまである。

 そんな風景の欠片達に視線を彷徨わせている内、私の正面──ずっと遠くにも同じような泡があるのが見えた。

 私もまた周囲にあるような泡の一つに向かって流れているのだと理解した時……視界に一瞬、誰かの影が映り、その手が私の頭に──





「──い! おい、起きろ! 紫織!」

「……んぅ……?」


 聞き馴染みのある男性の声で目を覚ます。

 薄っすら目を開けると、ぼやけた視界に誰かの人影が……


「──あぁ、おはようございます。兄さん」

「! ……ったく、うなされてたから心配したぞ……」

「うなされていた……? ──うっ!?」


 起き上がろうとして激しい頭痛と眩暈に襲われ、直ぐにソファに横になる。


「おい! 大丈夫か!?」

「……あまり叫ばないでください。頭にガンガン来ます……」

「あ、ああ悪い……そう言えば酷い二日酔いみたいになるって言ってたっけ……」


 二日酔い……あぁ、そうだ。私は悪魔の術式を消し去る為に魔力を枯渇させて、そして……


「──うん。どうやら成功したようですね……兄さんの顔が、ちゃんと見えてます」

「それは良かった……そうだ、水飲むか? 二日酔いって確か水飲むんだよな?」

「……どうなんでしょう。効くのか分かりませんが、とりあえず一杯貰います。なんか凄い寝汗ですし……」


 全身を包む不快感。

 寝る前には羽織った記憶のないタオルケットを捲れば、体型の急激な変化に備えて借りていた『俺』のワイシャツが汗でぐっしょりと濡れており、【変身魔法】が解除された青白い肌が透けていた。


(……これは風呂に入った方が良いかも知れない)


 頭ではそう分かっているのだが──


「だるい……動きたくない……」

「まぁ、暫くそうしておけ。ちょっとコップに水入れて来るわ」

「お願いします……」


 【変身魔法】の解除で大きくなった身体が魔力枯渇の後遺症でより重く感じて、立ち上がる気力も湧かない。

 私は『俺』の足音がキッチンに向かうのを聞きながら一人ソファに身を預け、内心であの悪魔を呪うのだった。

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