第218話 呪い
「ただいま帰りました」
「おー、おかえり」
腕輪の転送機能で自宅に戻ると、部屋の方から女性の声が返って来た。
その後、声の持ち主である小柄な女性が軍靴を鳴らしながら玄関まで迎えに来てくれたが……
「──確認しますが、兄さんですよね?」
「……やっぱり俺もあの悪魔に見えているのか?」
幼げな顔立ちに悩まし気な表情を浮かべる女性の側頭部からは角が伸びており、背中からは一対の黒い飛膜の翼。そして尻尾がゆらゆらと揺れていた。
「ええ。声もしっかり変わって聞こえていますよ」
「大丈夫なのか? それ……」
「まぁ……一応ですが、解除方法に心当たりはあります。着替えてから説明しますよ」
そう確認を取って靴を脱ぎ、脱衣所でドレスアーマーを腕輪にしまう。
脱衣所には毎日使っている洗面台もあり、大きめの鏡もあるのだが……
「まさか鏡に映った私自身すら、あの悪魔に見えるとは……」
見下ろした身体はいつもの私の裸だというのに、鏡には軍服姿の悪魔が映っている。
鏡像認知まで影響している辺り、相当強力な攻撃を受けてしまったようだ。
(裸なのに軍服姿に見えるのは変な感じだが、まぁアークミノタウロスも言ってしまえば全裸だからな……アレが軍服姿の悪魔に見えていたのだから当然か)
とは言え、見下ろした自分の身体が正常に認識できるだけまだマシだろう。
それまで軍服の悪魔に見えてしまったら、今自分がどんな格好をしているのか……そもそも、【変身魔法】の効果中かどうかの判断も面倒になりそうだ。
そんな事を考えながら、部屋着に着替えた私は脱衣所を出てローテーブルの前に座る『俺』(見た目は悪魔に見えているが)の正面に腰を下ろすと、改めて現状の共有を試みる。
「──お待たせしました。とりあえず、今のところ解っている現状について説明しますね」
「お、おう。なんか思ったより冷静だな……?」
「ダンジョンの外に出てしまえば、危険度は大分薄れますから。それで今私が受けている攻撃ですが……」
「──認識阻害……配信の感じからして想像はしていたが、かなり強力っぽいな」
「はい。特に問題なのは、私が何もしなければこの魔法は半永久的に私の認識を歪め続けるだろうという点ですね」
「『暴走術式の撃ち込み』か……そんなコンピュータウイルスみたいな魔法もあるんだな……」
コンピュータウイルスか。言い得て妙だ。
今私が受けている攻撃は、いつの間にか悪魔によって私の中に撃ち込まれた術式が原因だ。
この術式は起動前の状態で私の中に侵入し、数秒程の遅延を経て自動的に発動する。そして、その際に使用するリソースなのだが……私の魔力を勝手に使うのだ。
術式は誰の制御も外れた暴走状態と化し、私の魔力で勝手にその効果を発動し続ける。一度撃ち込まれれば時間制限なんてものは存在しない、かなり厄介な魔法だ。
加えて今は実質私自身が自分の認識を歪める魔法を使わされ続けているような状態……つまり、発動者である悪魔を倒せたとしてもこの魔法は解除されないというのが実に質が悪い。
そう言う意味ではこれは魔法と言うより、『呪い』と形容した方が良いかも知れないな。
「……でも、さっき『解除方法に心当たりがある』って言ってたし、解除は出来るんだよな?」
「ええ。ただ、それも結構厄介でして……ダンジョンでは使えない方法なんです。私の場合は特に」
先程『俺』にも説明したが、この術式は私の魔力で維持され、動き続けている。
つまり私の魔力が一時的にでも尽きれば、この術式も消滅すると言う事だ。魔力が尽きて維持できる魔法は存在しないのだから。
しかし、それはイコール──
「──【変身魔法】も解除されてしまう……」
「はい。加えて数時間ほど意識も失ってしまうので、魔物がいるダンジョンでは余程安全を確保した上でなければ使えない方法です。そう言う訳で、今までこの術式を放置せざるを得ませんでした」
一応『魔法を強制的に解除する魔法』を受ければ、この術式も破壊されるのだが──少なくとも私はその術式を使えない。
そもそもこの方法でも結局【変身魔法】も破壊されてしまうから、仮に私がこの魔法を使えたとしても、自宅に帰るまで使うことは無かっただろうけどな。
「なるほどな……じゃあ、もう解除しようと思えば出来るのか」
「ええ。ですが、解除の前に今の私の状況をもう少し検証しようと思います。……あの悪魔と戦う際にも、きっとこの状態にさせられますからね」
あの悪魔の真の狙いは恐らく、あの部屋にいた二十匹ほどのアビスミノタウロスと金毛のミノタウロス全てを自分と同じ姿に誤認させ、ダミーに紛れて攻撃し続けるという物。
悪魔の直接的な攻撃手段は分からないし、そもそも周囲のミノタウロス達だってかなりの脅威と化す。
元々奴らの膂力は他の魔物と比べてもかなり強い。ただ、攻撃の殆どが大振りで軌道が分かりやすいから、今の装備でも問題なく戦えるというだけなのだ。
そんな彼等の攻撃の間合いが、認識阻害によって狂わされる……かなり恐ろしい話だ。
だからこそ、『認識が狂わされてなお攻撃を正確に把握する方法』を確立させておきたい。
「そう言う訳で、──【ストレージ】。……これを買ってきました」
「これって……訓練用の剣か」
腕輪から取り出したのは、以前クリムとの組手にも使った剣──の、木剣バージョンだ。
ダイバーになる前に志願者が通う剣術道場で使う事もある物で、刃が無いのは勿論、スポンジのクッションがついている等かなり安全面に考慮されている。
これを『俺』に振って貰い、それを私が認識できる方法があるか。それが今回検証しておきたい事だった。
その為にUMIQLOに寄り道して買って来たのだが……
(街の人も店の人も、みんな軍服の悪魔に見えたのは結構怖かったな……)
同じ顔があれ程いると、美少女だろうと怖くなるものなのだと、千年生きてきて初めて知った。
「──とりあえず、私に向かって一度それをゆっくり振ってみてください。ギリギリ当たらないと思う場所まで、私が歩いて行きますので」
「ああ、分かった」
目の前の悪魔が、私から受け取った木剣をゆっくりと真横に動かす。
対して私は『俺』本来の間合いを意識しないよう心掛けながら、視覚から判断できる要素だけでギリギリの位置に立つが……
「これ、今私には当たっていないように見えてるんですが、触れられた感覚があるの不思議ですね……」
「……マジに見えてないんだな」
調べたところ、私は十センチ程間合いを読み違えたらしい。
『俺』と悪魔の身長差が約二十センチと考えると、やはり腕の長さの違い分間合いが短く見えてしまうようだ。
と言っても、ここまでは想定内。肝心なのは、この見えない攻撃を把握する方法だ。
「──【ストレージ】。……次は私が持つこの木剣に、貴方の木剣を思いっきり振ってみてください」
「思いっきり……この部屋、あんまり広くないんだが……」
「流石に真横に薙ぐくらいのスペースはあるでしょう。大丈夫ですよ、思いっきり木剣に当たっても威力は受け流しますから」
私の手から木剣がすっぽ抜けて、アパートの壁に大穴が……なんて事は起こらないと説明する。
そもそも、万が一があったとしても修繕費ならもうこのアパートまるごと修繕できるくらいの金の余裕はあるのだし。
……通学の都合があるとは言え、なぜまだこの安アパートに住んでいるんだろうな。この『俺』は。
「すぅー……ふぅー……──行くぞ」
「そんなに緊張しなくても……」
まぁ、急に金が入ったからと成金になるよりは大分マシか……そんな事を頭の片隅で考えながら、私は木剣を正面に構える。
無駄に気合と覚悟を決めた『俺』の一閃が木剣に──私の眼からは、その十センチ程手前を薙ぐように動き……
──『カッ!』と、木と木がぶつかる音が響いた。
「おっと……! 流石にこの距離では空気の流れで攻撃を把握するのは無理ですか……」
「そんな事しようとしてたのかお前……」
「あの悪魔を倒す為ですからね、何でも試しますよ。……もう一度、お願いします」
「ああ……頼むから、柄だけはしっかり握っておいてくれよ?」
「心配しなくても大丈夫ですって……」
貧乏性で心配性な悪魔は流石にシュールだな……なんて事を思いながら、その後も私達は夕飯の支度をする時間になるまで検証を続けたのだった。




