第217話 悪魔の計略
悪魔の居た部屋を離れ、暫く通路を歩く。
ようやく発見したボス部屋だったが、まさかミノタウロス達のボスが悪魔だとは全くの想定外だ。一体どうするべきか……
(……厄介なのが、あの悪魔が何をしてくるのか分からないという点だ)
正直金毛のミノタウロスだけならば、多分何とかなるのだ。
身体的特徴もアビスミノタウロスを一回り大きくしただけであり、戦法もほぼほぼアビスミノタウロスと変わらないだろうと予想できる。
身体能力で多少手こずる事はあるかもしれないが、手札が割れている相手であれば脅威ではない。
……しかし、悪魔は全くの未知数だ。
これまで戦ったチヨとユキでさえ、まるで異なる魔法を使って来た。
チヨは風・雷・重力の魔法と肉弾戦を織り交ぜた総合的な強さを有していたが、ユキの方は転送魔法による回避と、極低温の指先による一撃必殺が最大の脅威だった。
属性も戦法も全く異なっており──必然、あの悪魔も二人とは全く異なる能力を持っている事だろう。
(……いっそ、このまま無視して先に進むのもありか……?)
元々私がミノタウロスの巣の構造を崩そうと思った理由は、アビスミノタウロス達の対処が厄介だったからだ。
タフでパワーがあり、長期戦を強いられるのに仲間まで呼ぶ……正面から一々相手していてはアセンディアのオーラが持たず、探索どころではなかった。
だから巣の構造を破壊し、群れを縮小させる事で奴らの仲間呼びの数を減らす事で探索しやすい環境にしようとしていたのだ。
しかし戦闘を重ねるにつれてアビスミノタウロスの対応も最適化されていき、アセンディアのオーラも奴らの喉を切り裂く用途に限定する事でかなり節約できるようになった。
(今の私なら深層の探索もそこまで苦ではないし、当初の目的地である悪魔の本拠地を目指しても……──ッ!?)
そんな思考をしながら迷宮構造の通路の曲がり角の先を覗き込んだ矢先、私の眼に信じられない光景が映った。
(な……っ、さっきの悪魔……!?)
癖っ毛のショートカット、側頭部から覗く角、小柄な体格、その身を包む軍服……間違いなく、先程金毛のミノタウロスの肩で舟を漕いでいた悪魔だ。
それも左手に盾を、右手にサーベルを持ち、完全に戦闘態勢を整えている。
不幸中の幸いかこちらに背を向けていた彼女はまだ私に気付いておらず、きょろきょろとしきりに周囲を見回しながら一人歩いている。
(回り込まれたのか!? まさか、ユキと同じく転送魔法で……!?)
だとしてもさっき私が見た時は眠りこけているように見えたのに……
と、そこまで考えてふと思い至る。
(──まさか、さっきのは狸寝入りだったのか……!?)
あの時既に彼女が私に気付いていたのだとすれば、一見無防備な姿を見せておいて私を誘っていた可能性がある。
千載一遇のチャンスと勇んで飛び込めば、直ぐに臨戦態勢を整えた悪魔とミノタウロスの集団に囲まれてピンチに陥る……と、そんな罠を仕掛けていたが、私が一時撤退をした事で不発に終わったのではないか。
だから私が離れた途端、こうして装備を整えて転送魔法で……
(……いや、自分で考えておいてなんだが、流石にそれは無いだろう。罠としてもかなり雑だし、その後の対応も不可解だ)
そもそも転送魔法が使えるのならば、私が撤退を決めた時点で回り込んできたはずだ。
そのまま私をボス部屋に追い込むなり、ボス部屋のミノタウロス達を呼ぶなりすれば、もっと簡単に優位に立てた。
それをせず、あんな安っぽいサーベルと盾を持って一人で、しかもあんなに隙だらけで迷宮をうろつくなんて……
(──悪魔の知能も個体差があるって事なのか……? それとも、これもまた何かの罠か……)
狙いは皆目見当もつかないが……ここで直ぐに背後から奇襲をかけるなんて判断は、流石にリスクの方が高いだろう。
悪魔が隙だらけなんて、チヨとの戦いを経た私からすれば怪しさしか感じない。
(……ここも、撤退だな)
悪魔相手に慎重になり過ぎるという事は無い。手の内が分からない相手なら尚更だ。
私は静かに踵を返し、別の道を進もうとして──再び我が目を疑った。
(ッ!? また、アイツ……!? いつの間に……!?)
直線に伸びた通路、約二十メートル程先の曲がり角から、あの悪魔が姿を現したのだ。
かなり遠いが、魔族の眼には良く分かる。
あの癖っ毛も角の形も、さっきチラリと見えた顔立ちまでまるっきり同じだ。しかし──
(武器が変わっている……? さっきはサーベルと盾を持っていたのに……)
今の彼女が持っているのは巨大な戦斧だ。
小柄な彼女の身長よりも大きな獲物を片手で軽々と持っているが、悪魔の膂力ならばおかしくはない。
気になるのは、何故さっきの今で別の武器を持っているのかと言う事……
(……まさか!?)
ふと思い立ち、私は先程の曲がり角の先に視線を戻す。すると、そこにはやはりサーベルと盾を持って歩く悪魔の後姿。
振り返れば戦斧を持った悪魔。正面にもサーベルと盾の悪魔……二体の悪魔が同時に存在していた。
(これは、間違いない……! 私は既に──!)
◇
「──はぁ~……ちょっと早まっちゃったなぁ……」
金の体毛を持つ牛頭の魔物を椅子代わりにしながら、ボクは自分の失敗を悟る。
無防備な姿を見せれば突っ込んでくるとばかり考えていたのだけど、どうやら人間というやつはボクの思っていたよりは賢い生き物だったらしい。
初めて直接相手にするものだから、少し当てが外れてしまった。
「入って来るとばかり思ってたから──もう攻撃しちゃったよ……」
◇
「皆さん……あそこを歩いている奴が、どんな姿か教えてくれますか?」
私はサーベルと盾を持つ悪魔を指差し、ドローンカメラに──リスナーに問いかける。
すると、リスナー達からは私の想像通りの答えが返って来た。
〔リザードマンの事?〕
〔普通のリザードマンに見えるけど…〕
〔サーベルと盾を持ってるリザードマン〕
その返答を受けて、私は確信に至る。
(──認識阻害の魔法か!)
奴はやはり狸寝入りだったのだ。
そして、奴の攻撃は既に始まっていた。
「……皆さん、正直に打ち明けます。今の私には、アレがさっきのボス部屋にいた悪魔に見えています」
正確には『そう認識させられている』のだが、細かい説明はすっ飛ばしてそう説明する。
〔!?〕
〔どういうこと?〕
〔幻覚みたいな感じか!〕
「ええ、そんな感じです。……多分、あっちの方はミノタウロスですよね?」
続いて戦斧を持つ悪魔を指差して確認を取ると、戦斧の悪魔がこちらを認識。武器を構えながら駆けて来た。
〔そう!〕
〔あれも悪魔に見えてるのか!?〕
〔アークミノタウロスだよ!〕
「あぁ、アークミノタウロスでしたか。ありがとうございます」
私はあれがアークミノタウロスだと説明されるまで、どっちのミノタウロスかも分からなかった。これもかなり面倒な点だな……
「──ヴォオオォォォッ!」
「その顔と声で鳴かれるとシュールですね……」
整った顔立ちで大口を開けて吠えながら向かってくる悪魔……なんとも残念な美少女を相手に、私は油断なくデュプリケーターを構える。
(初撃は振り下ろしか……)
大振りな攻撃は非常に読みやすい。ギリギリで躱してカウンターを──
(──いや、待て! あの斧、本当に今見えている位置にあるのか!?)
今の私の視界には、恐らく全ての魔物があの悪魔に見えている。
しかし、その『誤認識』に元々の魔物の体格は考慮されていない。こうして至近距離に立った今も、目の前のアークミノタウロスは小柄な少女の姿に見えているのだ。
姿が違って見えるだけなら行動は同じはずだが、身長が違えば腕の長さも変わる。当然斧が振り下ろされる位置も、軌道も異なる筈だ。
(ギリギリなんて言ってられない! 確実に躱さなければ!)
「──【ストレージ】!」
私は大きくバックステップし、腕輪からアセンディアを取り出して構える。
直後、『ズン!』と大きな音と共に振り下ろされた戦斧の一撃が、迷宮の地面にその痕を刻んだ。
「……!」
地面の痕と斧の位置は大きくずれていた。その差、実に数十センチ。
今自分自身が置かれている状況の、想像以上のヤバさに身の毛がよだつ。下手にギリギリ躱そうとしていれば、今頃私は真っ二つだったかもしれない。
「──はぁッ!」
「グオオォォッ!!」
もはやオーラの節約とか言ってられない。
最大限まで射程を伸ばしたアセンディアのオーラ斬りで、目の前を一閃する。
どうやら本体の位置は正確なようで、目測通り斬られた悪魔──いや、アークミノタウロスは、甲高い断末魔を上げて塵に還った。
「……これ以上の探索は不可能と判断しました。こんな視界では戦えません」
〔仕方ないね〕
〔どう見えてるんだろう…〕
〔大袈裟に回避してた辺り攻撃もまともに見えてないっぽい?〕
「ええ、一旦ロビーに戻って詳しく説明しますね。──【ムーブ・オン "渋谷ダンジョン"】」
深層にこれ以上留まるのは危険と判断した私は、腕輪の効果で地上へと帰還した。
のだが──
「──やっぱり、こうなってますか……」
ロビーに帰って来た私の視界に映るのは、先程の悪魔が何十人も歩き回る異様な光景だった。




