第212話 牙を研ぐ白虎
視界が白と黒を行き来する。
身体の内から生まれた火花が全身に広がる度に、心地好い痺れと敗北感が私を満たす。
スローになった世界で、ゆっくりと自分の胸元を見下ろせば──バチバチと弾ける音が光と共に私を貫いていた。
◇
「──おぉい、チヨぉ! 降りて来んかい! ウチと一戦やろや!」
突如として耳に届いたお誘いに視線を向ければ、地上から小さな人影がこちらに向かって不敵な笑みと共に手を振っているのが見えた。
彼女の事は記憶に残っている。以前私と戦い、鋭い一撃で勝利をもぎ取った有望株のティガーだ。
(前と装いが変わっている……更に対策を積んで来たってところか)
白い防具に銀の年輪模様。いつだったかコメントで教えて貰った『WD』装備と言うやつは変わっていないが、その隙間から覗く黒い護謨のような質感のぴっちりした肌襦袢が目を引いた。
「ヤッホ~! ティガーちゃん、お誘いしてくれて嬉しいよ! その不思議な肌襦袢、似合ってるね。白虎の模様みたいでカッコいいよ!」
「はだじゅばん……──ああ、このインナーか? なんや、妙な言い方するなぁ……」
「ふむふむ……『いんなぁ』か、今の人間はそう呼ぶんだね。ならあたしも合わせよっかな」
装備の変更に関しての情報は得られなかったけど、その辺りは実際に戦ってみてのお楽しみとしよう。
「ティガーちゃんの事だから、その『いんなぁ』も何か意図があるんでしょ? 戦いの中で見せて貰うよ、その秘策を……!」
「ハッ! まぁ秘策なんて大層なもんとちゃうけど……狙ってるもんはあるなぁ。ウチは今回含めて後二回、あんたに勝たせて貰うで!」
私が戦闘の構えをとると、ティガーも以前私が作った魔法武器の双剣を構える。
すると、その双剣から光が迸り、バチリと刀身が激しい雷を纏った。
(へぇ……? 前回見た体捌きも相当だったけど……どうやらこの子、魔力も結構高いみたいだ。人造魔法武器でここまでの放電が出来るなんて……ちょっと本当に楽しみになってきたかも)
双剣に流す魔力の配分もピタリと同量……さながら天秤を安定させるような、繊細な調整がされている。
魔法の造詣が深い印象は無かったけど、知り合いに専門の相手がいたのだろう。これは、私もちょっとだけ調整が必要かも。
「その武器、かなり使いこなしてるみたいだね。それなら、あたしもちょっと魔法を解禁しようかな。良いよね?」
「上等や。簡単に勝ち譲って貰う気なんか……──端から無いわ!」
ティガーが四足獣のような低い姿勢から、高い脚力を活かして突進してくる。
最初に私との間にあった数メートルの距離を、一瞬で詰める勢いだ。以前ならこの後は問答無用の近接戦だっただろうが、今回は私も簡単に近付けるつもりは無い。
(──【風の礫】)
極小規模の突風をぶつける、殺傷力の低い風魔法をティガーの顔へ向けて放つ。
不可視にして高速の魔法。無詠唱で放つこの牽制は本来、相当回避が難しい物だが……
「っ!」
ティガーはそれを見切り、最低限のサイドステップで回避。すぐに私をその双剣の射程に捉えた。
「やるね! さては知り合いに結構強い魔法使いが居るんじゃない? 紹介してよ! その人も強そうだ!」
「おうおう、ウチとやっとるっちゅうのに随分と余裕やないか! 他の女の話せんと、ウチを見ィや!」
ティガーの双剣が一際激しい稲妻を生みながら、無数の斬撃を放つ。
直接攻撃を受けずとも軽く感電しそうな放電の嵐だが──
「雷の魔法は雷の魔力で受け止められる。当然知ってるよね?」
「当然! こっからが本番や!」
雷の魔力を纏わせた両手でティガーの斬撃を受け止めると、そこから更に激しい連撃の応酬が始まった。
私の手刀とティガーの短剣がぶつかる度に、火花が生まれて周囲を照らす。
普段は薄暗いこの下層が、まるで昼間のような明るさだ。
この速度の連撃について来れるのは私も想定済み。ならば、当然──
「──っとぉ! やっぱ厄介やなぁ、その尻尾……!」
「そう言いながら、しっかり躱せてるじゃん!」
視線を手刀に誘導してから放った尻尾の一撃だったが、一瞬早く回避に転じたティガーには当たらない。これは彼女の瞬発力が優れているのもあるが、それ以上に──
(攻撃の察知が巧い。多分、魔力感知だな……)
彼女の反応から恐らくは無意識だろうが、本能にも近い部分で魔力の攻撃を感じて回避に転じている。
さっきの問答で彼女に魔法を使える知り合いが居るのは確定だとして、ここまでの反応速度は流石に異常だ。
(何かありそうだけど……刺激するのはやめておくか。あまり良い思い出でもなさそうだ)
恐らくはトラウマにも近い体験からくる反射速度。
戦闘に活かせている辺り克服済みだとは思うが、つつかれて良い気分はしないだろう。
私としてもそこまでして聞き出したい理由も無いし、今はこの戦闘に集中しよう。
「──さあっ、まだまだ行くよ!」
手刀に尻尾、蹴りも交えた私の連続攻撃に、ティガーの脚が後退を始める。
時折彼女の防具を雷を帯びた私の尻尾が掠めていたが、彼女が感電する素振りはない。
私はすぐにその原因を理解した。
(護謨の『いんなぁ』か……!)
私の雷への対策だけであの装備を選んだのかと一瞬思ったが、きっとそれだけではないのだとすぐに思い至る。
それは、彼女が放つ攻撃で生じる放電の激しさだ。
高い魔力と膂力は彼女があの双剣を扱うに際して、想定外のデメリットを孕んでしまったのだろう。激しすぎる放電が、彼女自身を苛む事になったのだとすれば……
(これは……後で調整してあげた方が良いのかな?)
あの武器は私が作ったものだ。それに不具合があったのだとすれば、要望に応じて調整してあげるのが誠意だろう。
この戦いが終わったら持ち掛けてみようと心に決めつつ、勝利へ向けて攻撃を畳みかける。
「──そこッ!」
「ぐぅ……!」
僅かな隙を突いて放った私の蹴りを、ティガーは交差した双剣で受け止めるが、その小柄な体躯では勢いまでは殺せない。
正面から受け止めた威力をそのまま推進力に、彼女は後方へと飛ばされていく。
「まだまだ! ……っ!」
すぐに追撃をかけるべく彼女に追いつくが……しかし、彼女が両足で着地した瞬間、ティガーの重心が前方に──私の方へと偏っている事に違和感を覚える。
そして、彼女の狙いを次の瞬間理解した。
「──そこやぁッ!!」
着地と同時に踏ん張ったティガーが、その全身を伸ばす勢いでアッパーカットのような切り上げを放つ。
激しい放電の輝きが私の眼前を通過し、視界を一瞬白く染め上げた。だが……
「──ハッ……ほんま、厄介やなぁ。その尻尾……!」
私の身体は彼女の放った斬撃が僅かに届かない位置で静止していた。
その理由は単純明快。私が自身の尻尾を船の錨のように地面に突き刺し、強引に突進を止めたからだ。
それによって間合いを測り損ねたティガーは、アッパーカットの勢いそのままに空中へ跳躍。明確な隙を晒してしまった。
「楽しかったよ! これで決着──……!?」
空中で回避もままならないティガーに、【風の鏃】の照準を合わせた瞬間……彼女が右手に持った短剣を振りかぶっているのを確認。
狙いを看破し、半歩右に身を躱した瞬間、私の身体スレスレを激しい雷を纏う短剣が通過した。
「──っちぃ、外したか……!」
「投擲……!」
攻撃は回避したが、その隙にティガーは危なげなく着地を済ませてしまった。
上手くこちらの攻撃を躱した判断力は素晴らしい。だが……
「ちょっとビックリしたけど、今のは悪手じゃない? 双剣の片方を手放しちゃったら、これからのあたしの攻撃を──どう捌くのかな!」
そう。彼女は自身の武器の一つを手放してしまった。
先程までの近接戦、彼女が私と切り結べた理由があの手数だ。
それが半減してしまった今、もう次の私の攻撃を捌き切れないだろう。
確信と共に私が地を蹴り、彼女との距離を詰めたその瞬間……ティガーの左手に残った双剣の片割れの放電が、一気にその力強さを失った。
一瞬彼女が戦いを諦めたのか……そんな考えが浮かんだが、そうではないのだとティガーの表情が物語る。
(なんだ、あの表情は……──勝利の確信……?)
武器の片方を失い、残った刃も放電を止めた。──にもかかわらず、彼女の口は弧を描き、目はこれまでのどの瞬間よりも力強くこちらを見据えている。
何故そんな顔が出来るのか……その思考に至るのが、一瞬遅れた。
そして──その一瞬こそが勝敗を決定付けた。
「──え……?」
感じたのは背後からの衝撃。
一瞬だけ感じた魔力の気配が、私が対応する間も与えずにこの胸を貫き、ティガーの左手の短剣に流れ込むのをこの目で見た。
(あぁ……そうか。だから、あの『いんなぁ』が必要だったんだ……)
攻撃を受けたからわかる。
あの双剣は私が同時に魔法武器に作り替えた時、二つで一つの物となった。
双剣の間には魔術的な繋がりが──言うなれば魔力の通り道が出来ていたのだ。
そして、彼女が頑なに双剣の魔力を同量に調整していたのもそれが原因だった。
(『電位差』による落雷か……)
双剣の放電は込める魔力の量によって電圧が変わる。
天秤が傾けば、電圧は高い方から低い方へ流れを生み……当然、その武器を両手に持つティガーの身体を経由する。
護謨製の『いんなぁ』は、その電流から彼女自身を守る為の物だったのだ。
しかし、彼女はそのデメリットをも武器に変えた。さっき私の背後に投げた短剣と、自身の手元に残した短剣の電位差を意図的に偏らせる事で、私の背後から雷を差し向けた。
(してやられたな……)
視界が白と黒を行き来する。
身体の内から生まれた火花が全身に広がる度に、心地好い痺れと敗北感が私を満たす。
スローになった世界で、ゆっくりと自分の胸元を見下ろせば──バチバチと弾ける音が光と共に私を貫いていた。
◇
「う~~……悔しいッ! 今のは完全にしてやられたよ!」
「全く堪えとらんやんけ……あれ、結構痺れるんやけどなぁ……」
策がバチリと嵌まって何とか二勝目を得たものの、ぴんぴんした様子のチヨにあまり勝った気がせん事に釈然としないものを覚える。
ウチが初めてアレで自爆した時は気絶しかけたって言うのに、やっぱ悪魔の身体は人間と比べて相当頑丈に出来てるらしい。
こちとらおかげでこんな蒸れるインナー身につける羽目になったと言うのに……ホンマに理不尽なもんや。
(……まぁ、白虎みたいって言われるんは、正直悪い気ぃせぇへんけどな)
カッコええしな、白虎。
「いやぁ~、またまた負けちゃったし、これはまた新しく魔法武器作ってあげなきゃね!」
「ん? ──あぁ、その事なんやけど……今回も保留って事に出来るか?」
「へっ? 武器要らないの?」
「アホ抜かすな。苦労して勝ったんや、当然報酬は貰うちゅーねん。ただ……ホラ、ウチの武器って双剣やろ? 一勝で実質二本ってのは、やっぱ不公平や。だから次に勝った時、二本同時に魔法武器にして貰うわ」
今でこそウチの相棒は二本で一つの正真正銘『双剣』と呼べる武器になったが、元は同じ短剣を二本使ってただけやしな。
一応一本ずつ魔法武器にして貰う事も考えたが……
「多分、二本いっぺんに魔法武器にして貰わんと、ウチの『双雷牙』みたいな特性は獲得できんのやろ?」
「なるほどね~……オッケー! そう言う事なら、次の機会を楽しみにしておくよ! でも……もう次も勝つ気でいるってのは、流石に気が早いんじゃないかな? 奥の手は見せて貰っちゃったし──次はあたしも、もう一段階本気になっちゃうよ?」
「上等や。同じ手が何度も通用するなんて、ウチも思っとらん。──次からが、正真正銘の本番や」
ウチの言葉に満足げに頷いたチヨは、「またね~!」と手を振りながら飛び去った。
これで一勝。……もう一回チヨに勝って、目的の武器を作って貰ったんならその次は──深層に挑戦するつもりだ。




