第209話 巣
見張りのアークミノタウロスの首を斬り飛ばし、巨体が崩れて塵となる。
その塵を割いて現れた私の姿に、巣の中のミノタウロス種の視線と、突き刺すような鋭い敵意がまるで矢衾のように射かけられた。
その瞬間──
「──っ!」
魔力と殺気を感じて咄嗟に身を躱せば、一拍遅れて私が居たところを薙ぎ払う棍棒の一撃がブゥンと空気を震わせる。
見れば入り口からは死角となる位置にいたアークミノタウロスが、仲間をやられた怒りにその深紅の毛並みを逆立てていた。
そして、今の彼の攻撃を合図にしたかのように、周囲のミノタウロス種の気配が一斉に膨れ上がる。
──臨戦態勢に入ったのだ。
「さて……この巣のボスはどいつでしょうかね……?」
全身を苛むようにビシビシと突き刺さる殺気の嵐に、緊張から僅かに口の端が強張る。
それでもこんな派手な殴り込みをかけた理由の一つは、彼等の反応から即座にボスを見極める為だった。
リーダーとしてこの状況でも冷静でいるのか、それとも部下の喪失に一層憤るのか。魔力の強さは、殺気の鋭さは。指示を出すのか、それとも士気を高めるように吠えるのか……それらの情報を見逃さぬよう、私は巣のミノタウロス種全員を観察する。
しかし──
「ヴルルルル……!」
(……居ない。というより、分からない……?)
そのように目立つ反応を示す個体は見当たらない。
いや、確かに一応ではあるが……数体程、この巣の中にあって特別強そうな気配を放つ者は居る。
しかし、そのいずれも『ボス』と形容できる程の差は感じられない。これはもしや──
(──っと、考えるのは後だ! 今は先ず、この初撃を正確に当てる!)
目的を思い出し、意識を切り替える。
突然の犠牲と闖入者に、怒りと動揺が巣を支配したこの一瞬。
奴らが正確な判断を行動に移す前に、やらなければいけない事が私にはあるのだ。
「届けっ!」
正面に掲げたアセンディアに魔力を流し、闇を纏うオーラを操作する。
薄く、鋭く、長く、それでいて強固にイメージを編むと、忽ちアセンディアのオーラは私の意思に従って大蛇のようにうねり──巣の奥の方で雄叫びを上げようと息を吸い込んでいた数体の黒いミノタウロスの首を、正確に切り裂いた。
「ヴガ……ッ!?」
「──ッ!」
(良し! 先ずは成功! これで奴らの声は封じた!)
浅く切り裂いた喉から、肺に溜め込んだ空気が声になる前に漏れ出した。
浸食した闇の魔力が再生を阻害し、これでこの後二十分は奴らは声を発する事が出来なくなったのだ。
痛みと衝撃に、思わず二、三歩と後退る黒いミノタウロス。
企みを阻止された怒りと苦悶からか、憎々しげな視線がこちらへと向けられた。
その様子に、私は作戦の第一段階の成功を確信する。……しかし──
(──くっ、やはりちょっと無茶をさせ過ぎたか……!?)
ただでさえ巣の奥の方と言う事で強引に十メートル以上も射程を延長した所為で、奴らの首を切り裂いた際のアセンディアのオーラはとにかく薄くなっていた。
一応イメージで多少は強固にできていた筈なのだが、それでも黒いミノタウロスの鎧のような毛皮と筋肉を切り裂くのは反動が大きかったようだ。
(まさか、オーラが砕けるとは……!)
絵面としては砕けるというよりも散ってしまったと言った方が正確かも知れないが、印象としてはそんな表現が相応しいだろう。
伸ばしたオーラの切っ先付近の特に脆い部分ではあるが、そこが半ばから空気に溶けるようにして消えてしまったのだ。
(想定以上のオーラの消失。これも遠距離攻撃の代償か……)
「ヴォオォッ!」
「──! おっと、そんな攻撃には当たってあげませんよ!」
多少予想外の事態ではあったが、それでも最初の一撃の成果としては上々なのだ。
気持ちを切り替え、役目を終えたオーラをまるでメジャーを巻き取るように元に戻しながら、背後から襲い来るアークミノタウロスの棍棒をサイドステップで回避する。
この後も雄叫びを上げようとするミノタウロスには注意が必要だが……周囲を見回せば、今は奴らの大半も突然伸びて首を切り裂いた黒いオーラに動揺している。
念の為にチラリとアセンディアのオーラを確認すれば、まだまだ十分な量のオーラが残っているのが分かった。
戦闘に直ちに支障が出る程の喪失ではない。
(ここが攻め時!)
小刻みに地を蹴って、ミノタウロス種達の巨体の隙間を縫うように巣を駆け回る。
脳裏に描くイメージは、以前ゴブリン達との戦争でティガーが見せた立ち回りだ。
小さな体を僅かな隙間に滑り込ませるように動かす。脚は止めず、動揺と混乱を群れ全体に作り出し、一瞬の隙を突いて跳躍。そして、縮めていた両腕を解放するように伸ばし……
(──斬る!)
空中で逆さになった独楽のように回転しながら、両手の細剣で周囲のミノタウロス種の首を一気に切り裂く。
かく乱するような動きから一転。高く跳び上がった私についつい注目してしまい、思わず視線を上げた彼等の喉元はまさに隙だらけ。こちらとしては非常に狙い易かった。
「グァッ……!?」
「ゴフ……!」
苦痛の悲鳴は、その半ばから空気の漏れ出す音に変わる。
しかし、首を斬られたと言ってもその傷は浅く、いずれの個体もこちらに怒りの視線を返す程度の余裕を残している。だが……
(──これで良し!)
そう。この一撃で完全に断ち切る必要は無い。声さえ奪えば良いのだ。
このままミノタウロス達の動揺を静めさせず、更に拡大させ、稼いだ時間でなるべく多く仲間を呼べない個体を増やすのが目的なのだから。
(ここまでは順調……いや、想定以上の収穫だ!)
流石にまだティガーのように柔軟に動き回る事は出来ないが、それでも私よりも遥かに大きなミノタウロス種に対してであれば十分通用する事が確認できた。これも重要な検証結果だ。
(──欲しい情報は殆ど得られたな……折角だからこの勢いのまま、この巣を壊滅させてしまおう!)
再びミノタウロス達の隙間に着地した私は、その隙間を駆け回って巣のかく乱を更に広げる。
絶えず動き回り、時折伸ばしたアセンディアのオーラで周囲のミノタウロス達の首を切り裂きながら、次の標的を見定める。
と、その時──
「──っ!」
鋭い殺気と共に、私の眼前にギラリと光る大剣の刃が差し込まれた。
咄嗟に跳躍して回避のついでに敵を確認すると、それは最初に首を切り裂いた黒いミノタウロスの内の一体だ。
(この個体だけ完全に動揺から立ち直っている……! こいつがボスか!?)
彼は左手で首元を抑えながら、右腕一本で刃渡り二メートル以上の大剣を軽々と操っている。
しかしその豪快な動きに対して、すれ違う目線はあくまでも冷静だ。魔力の量も質も高く、この巣の中で頭一つ抜けている個体である事は疑いようもない。
だが──
(……いや、違う。多分、コイツもボスじゃない!)
作戦立案の際にも話に出たが、コロニーが成立する条件の一つは『リーダーの存在』だ。
魔物の上下関係は基本的に実力の高さで決まる。強い物が弱い者の上に立ち、指示を出す──実に単純な構造だ。
しかし、単純だからこそ、この『リーダー』という物は頭一つ抜き出た程度の実力差では務まらない。
その程度では部下は忠誠を誓わず、リーダーを主張しようとも常に下剋上を狙われるだろう。『頑張れば勝てるかも』と思われている内は、魔物は相手に従わない。
そんな『頑張れば』を許さない程の圧倒的な実力差がリーダーには必要なのだ。
(──どう言う事だ? 巣の中にボスがいない……!?)
視線を走らせて巣の他のミノタウロス達を改めて観察する。
しかし、やはりいない。
アークミノタウロスは論外としても、黒いミノタウロスの中にもこのミノタウロス以上の個体が存在しないのだ。
(それならば……!)
この部屋の様子を最初に観察した時にも感じていた、一つの予感……頭の中でその予感が確信に変わりつつあった。
この考えが正しいのであれば、恐らくこの個体はこの巣の中ではあくまでも『幹部』止まり……そして、この部屋の中にはボスはいない。
ならば、前提を間違えていたと考えるのが自然だ。
(なるほど。どうやら、まだまだ上が居ると言う事らしい。今の内に確認できたのは僥倖だったな……!)
そう、ボスはここには居ないのだ。
──この『小部屋』の中には。
(このミノタウロス達の巣は恐らく──この深層の周囲一帯だ……!)
私が殴り込みをかけたのは結局、“部屋”でしかなかったのだ。




