第208話 尾行
今回はキリの良さを優先した結果、ちょっと短めです
「──さて……さっきの今であまり気乗りはしませんが、行きましょうか」
〔もう行くのか…〕
〔そろそろヴィオレットちゃんの門限っぽいからな〕
〔準備に時間取れなかったのは不安だけど、今検証しておけばアーカイブで何度も見返せるしありだと思う〕
火口に広がる境界の淵に立ち、その黒い水面を見下ろして覚悟を決める。
時刻はそろそろ十七時──配信終了も見据える時間帯だ。
しかし深層から撤退したばかりではある私だが、それでも配信終了前にもう一度だけこの境界の先へ挑戦しておきたい事情があった。
(深層探索をスムーズにするために、まずはミノタウロス達の巣を潰す……確かに作戦は形になって来た。次回の探索で早速実践に移すつもりだ。──だけど、最後に一つだけ確認しておかなければならない……)
ずばり、黒いミノタウロスが吠えるより早く、その喉を切り裂く事が出来るのかどうかの検証だ。
意識していれば反応は出来ると思う。リーチだって、アセンディアのオーラ斬りならば問題ないだろう。
だが、問題は奴らのタフさだ。
硬い毛皮と強靭な筋肉。それらを闇の魔力を付与したオーラだけで、それもたったの一撃で的確に切り裂けるのか……
(さっき仲間を呼んだのは大槌──つまり、後衛のミノタウロスだった。役割をそう分担しているのだとすれば、今後は前衛を無視してでも後衛の喉を狙う必要性が出て来る)
理想は前衛ごと後衛まで切り裂ければ良いのだが……まぁ、それが可能かも含めた検証だ。
なるべく多くの情報を持ち帰ろうという決意を胸に、私は火口の境界へと飛び込んだ。
「……よし、付近に魔物はいないようです。早速あの黒いミノタウロス達の巣を探しましょう」
深層の入り口である大部屋の金属扉を慎重に開け、周囲の魔物の気配を探りながら一歩一歩洞窟の通路を進む。
今のところ魔物の足音や息遣いなどは聞こえてこないが、それでも光学迷彩じみた透明化で待ち伏せするカメレオンの魔物には絶えず気を配り続ける必要がある。
僅かでも空間に歪みが無いか常に索敵する必要があり、緊張感も相俟って精神的に疲弊させられるのを嫌でも実感する。
(早く目的を達成して、家でゆっくり休みたいな……──っ!)
ついついそんな事を考えてしまう私の耳に、遠くから巨体を感じさせる荒い足音が届いた。
咄嗟に息を殺して耳を澄ます。音は私の正面に見える緩い右曲がりの通路の先からきているようだ。音の大きさから距離にはまだ余裕があると判断し、落ち着いて岩壁に耳を当てて音に集中する。
やがて、足音の他にもミノタウロス種特有の鼻息も聞こえて来た。もしかすると先程集まったミノタウロス達が、それぞれの巣に帰ろうと移動しているのかもしれない。
(……もしもそうだとすれば、これはチャンスだ。この足音の主を上手く尾行できれば、迷う事なく巣の一つを発見できる!)
深層は洞窟と迷宮が入り組んでいるうえに、通路の一つ一つも非常に広い。
先程のミノタウロス種の三、四メートルの巨体が横に数体以上余裕をもって並べる程度には通路に幅がある。
こんな規模のエリアが迷路のように入り組んでいるのだ。
ヒントも無しに探索するのは無謀だと思い始めていたところに、これはまさに渡りに船と言えるだろう。
「──そう言う訳なので、暫くコメントを非表示にしますね」
〔はーい〕
〔了解!〕
〔気を付けてね!〕
最後にリスナーと短いやりとりを交わしてからコメントを非表示にし、隠密性を高めて足音の主であるミノタウロス種の尾行を試みる。
足音の主はまだ私の視界に入る場所にはいないが、意識を集中させればある程度の動きは把握できる。
(距離は多分二十メートル以内……数は三──いや、四体か。この先の通路をこっちに向かって歩いてきている……)
このまま歩いてくるとなると、私の居る場所を通過する事になるが……
(! 通路を曲がった! もう少し待ってから、後をつけよう……)
幸運にも私の方へと到達するルートから逸れたのが音の動きで分かったので、念の為に暫く時間を置いてから角から身を乗り出す。
(──よし! 行ける!)
ミノタウロスの姿が見えない事を確認し、追跡を開始。数メートル先で枝分かれした通路の先に、黒いミノタウロスとアークミノタウロスの背中を視認する事が出来た。
どうやら種類ごとに巣が分かれているという訳でもなさそうだ。歩調を合わせている節がある事から、目的地が同じだと推察できる。
(ミノタウロス種は鼻も利く。距離には注意しなければ……)
ここまで来て、もしも追跡がバレたら……負ける事は無いにせよ、それでも巣の在処と言う大きな情報を得る機会を失う事になる。
じりじりとした緊張感に、思わず呼吸が浅くなる。唾を飲む喉の音すらも、やけに大きく響いているように感じる。
細剣を握る手に滲む汗さえ、妙に気になり始めたが……しかしこちらの不安とは裏腹に、見つめる先を歩くミノタウロス達は私の尾行に気付いた様子もなく、悠々とダンジョンを進んでいった。
その後も彼等の足取りにこちらへ気付いた様子がないか、最大限の注意を払いながら、私は彼等の後について行き──
(──! この魔力……間違いない、あそこがミノタウロス達の巣だ!)
暫くダンジョンを進み、ミノタウロス達が洞窟に空いた横穴に入っていくのを見届けたところで、その奥から濃密な魔力を感じ取った私は足を止めて様子を観察する。
彼等が入って行った横穴の奥から漂う魔力の殆どは、あの時に対峙した黒いミノタウロスと同質のものだと言う事は分かる。しかし、やはり数が多い。
(アークミノタウロスも含めて合計十二体程。ギリギリ感知できる魔力から考えて、見張りはアークミノタウロス一体か……巣の広さにもよるが、流石にやりづらいかもな)
横穴の入り口は黒いミノタウロスが悠々と通れる程度には大きいが、見張りの目を誤魔化して侵入できる程ではない。正面突破以外の選択肢はなく、簡単にはいかなそうだ。
だが、巣を潰すというのだからこのくらいは想定内。その上で勝算があるからこそ、こうして尾行をしたのだ。
(そもそもいくら強いと言っても、チヨの足元にも及ばない相手だ。この程度の巣を制圧出来ずして、悪魔の本拠地の攻略なんて到底不可能!)
「──すぅー……、ふぅ…………! ──【エンチャント・ダーク】」
精神を落ち着けるように一つ深呼吸すると、デュプリケーターとアセンディアのオーラに闇の魔力を付与した後、軽く素振りをする。
そして数秒程度瞑目し、対集団戦のイメージを整えると──
「たのもーーーーっ!!」
「ヴェ……ッ!?」
闇を纏ったオーラ斬りの一閃でアークミノタウロスの首を斬り飛ばしながら、私はミノタウロス達の巣に堂々と突入した。




