第205話 深層の魔力
「……よし、開けましょう」
扉の前まで歩み寄り、深呼吸を一つ。
覚悟を決めて取っ手を握れば、金属特有の硬質な冷たさが私の気を一層引き締めた。
〔マーキング更新しなくて大丈夫?〕
「マーキングは敢えてこのままにします。今ならマーキングに飛ぶだけで下層に逃げられますからね」
〔なるほど〕
〔下層が安全圏扱いなの流石やわ〕
コメントとのやり取りで程よく緊張も解れた私は、取っ手を回して扉を開く。
その先に広がっていた光景は、私がなんとなく想像していた物とは違っていた。
(迷宮構造じゃ……ない……?)
金属製の扉とその周辺のレンガの壁から、中層のような迷宮構造だとばかり思っていたが、扉を開けてみればそこに広がっていたのは洞窟だった。
扉をくぐって振り向けば、その一部だけはレンガで覆われているものの、周辺は天然の洞窟さながらの岩肌が続いている。
一言で形容するのであれば、まるで洞窟に後からレンガで壁を作ったような見た目だ。
(この壁と扉は、後から悪魔が設置したって事なのか……?)
疑問を胸にしまい込みながら、私は慎重に扉を閉める。
改めて洞窟の様子を観察すると、どうやらこの深層もランプの助けは必要なさそうだと感じた。
先程の部屋同様に至る所から突き出た結晶、均された地面。更に時折空気中に発生する指先程の大きさの光球が、魔力の流れに沿うように暫く空中を漂うと、やがて光が薄まって空気に溶ける。
これらの光源により、洞窟の中はむしろ下層よりも明るい程だった。
「……身を潜められる場所は、無いようですね」
これ程の視認性。そして、結晶や時折現れる光球によって不規則に伸びる影……ここの構造は、洞窟と思えない程『敵に見つかりやすい構造』になっている。
〔そうか見やすいのは向こうも同じか…〕
〔明るいから安心って訳じゃないんだな…〕
警戒しながら洞窟を進む。
私はまだ、このエリアでどんな魔物が出て来るかも知らない為、武器はアセンディアのみ。空いた手はいつでも逃げられるよう、腕輪に添えておく。
──カチャ、カチャと足を踏み出す毎に、金属製のグリーヴが小さな音を立てる。
魔力による探知に意識を向けながらしばらく歩くと、やがて洞窟が丁字路のように分岐した。
(……魔力の流れからして、奥に続くのは恐らく左か)
緊張からか、迷う時間も惜しいと考えた私は、直ぐに正解らしき左の道へと進もうとするが……
「──ッ!?」
咄嗟に地面を蹴り、転がるように前方へと回避する。
すると、私が今しがた踏みしめていた地面が浅く抉れる。何者かによる攻撃があったのだ。
〔攻撃!?〕
〔ヴィオレットちゃんが気付かなかった!?〕
(バカな……! 一体どこから!?)
直ぐに魔力による探査と視界による索敵を試みるが、そのどちらにも反応はない。
……いや、違う。よく見れば、視界には僅かに違和感があった。
「っ、そこか!」
素早くアセンディアに魔力を流し、その刀身を伸ばしつつ斬撃を放つ。
すると、私の攻撃を躱す為に大きく身を捩ったのだろう。空間が一瞬、ぐにゃりと不自然に歪む。
この時点でタネは割れたようなものだが、私はここでダメ押しとばかりに腕輪に指を添える。
「──【ストレージ】! 食らえッ!」
そして素早く腕輪から取り出した防犯用カラーボールをすかさず空間の歪みに投擲すれば、弾けて撒き散らされた塗料によって忽ちその輪郭が浮き彫りになった。
〔!?〕
〔なるほどカメレオンみたいな魔物か…〕
〔全然気付かんかった〕
「ええ……どうやら、魔力によってほぼリアルタイムに周囲の光景を体表に描いているようですね……」
いわば疑似的な透明化だ。
浮かび上がった輪郭からして、恐らくは四足。顔が大きく、口はカメレオンと言うよりはワニのように長く大きい……
これ程特徴的な輪郭を、光源の多いこのダンジョンでもほぼ完ぺきに隠せる程の擬態精度。ほんの僅かな歪みを見抜けなければ、決して発見できなかっただろう。
しかし、その構造を理解すれば理解するほど、解せない点がある。
(それにしても、何で魔力の探査に引っ掛からないんだ……?)
攻撃の一瞬だけ感じた魔力の残滓と殺気から、この魔物はアークミノタウロスと同等以上の魔力を持っていると推察できるのだが……こうして対峙した今はもう先程の魔力を感じ取る事が出来ない。
体表に魔力で周囲の光景を描画しているのであれば猶更、魔力の反応を感じ取れなければおかしいのに……
そう考えていた私の視界の先でまた一つ空中に光球が生まれた時、脳裏に電流の如く衝撃が走った。
(──! そうか、周囲の魔力が濃すぎるんだ……!)
深層の魔力は常に飽和状態で、自然に光球が発生する程に濃いのだ。
絶えずジャミングを受けているような状態になっていて、魔物の魔力を感知できなかったのだと考えれば納得もいく。
「ッ!」
その瞬間、感じた殺気と敵意ある魔力に身を翻せば、先程同様私の立っていた地面が抉られる。
最初の不意打ちとは違い、正面からの攻撃と言う事もあって今回は攻撃の正体がハッキリ見えた。
(やはり、舌か!)
疑似的な透明化というカメレオンに似た能力からもしやと思ってはいたが、やはり攻撃の手段もまたカメレオンに似たものだったようだ。
カラーボールの塗料で着色された口が開いた次の瞬間、透明な口内から鋭く飛び出した細長い歪みが地面を抉り取って行ったのを確かに見た。
(やはり攻撃の瞬間だけはその魔力を感じ取る事が出来るようだが、舌の速度も大したものだ。最大の武器がこれなのは間違いない)
脚を狙っている辺り、先ずはこちらの機動力を奪うつもりなのだろう。
不意打ちのセオリーと言えば間違いではないが、見つかっているというのに未だにその攻撃にこだわる辺り、あまり知能は高くないようだ。
この事からこの魔物は厄介な特性を持ってこそいるが、そこまで高位の魔物ではない事が推察できる。
(攻撃も見切れる速度ではあるし、倒そうと思えば直ぐにでも倒せる魔物だが……)
高位ではないとはいえ、相手は全く未知の魔物だ。攻撃の手段がこれだけとも限らない。
ここは先ず敵の動きを観察し、今後同様の魔物に遭遇した時に活かせる情報を可能な限り引き出したいところだな。
「──ふぅ……まぁ、強さとしてはこんな物でしょうね。──【ストレージ】」
数秒後、私の目の前にはスイカよりもやや大きな魔石が転がっていた。
先程の魔物の成れの果てを腕輪に収納し、油断なく周囲を観察する。……どうやらこの近くにはもう、他に魔物は居ないようだ。
〔流石ヴィオレットちゃん!〕
〔こ ん な も の〕
〔結局最期まで見た目は分からなかったな…〕
〔下層の魔物よりは強かった?〕
「そうですね……身を隠しての不意打ち特化って感じなので、どこにいるか分かってしまえばアークミノタウロスと同じか、むしろちょっと弱い程度だと思いますよ」
何せ、攻撃手段は素早い舌だけ──確かに岩壁を抉るほどの威力は脅威ではあるが、それ以上のものは結局見せてはこなかった。
噛みつきのような攻撃もしてこなかった辺り、ワニのような大きな口を持っている割に、あごの力はそこまで高くないのだと推測できる。所詮は初見殺し特化の魔物と言ったところか。
〔それでもアークミノタウロスよりちょっと弱い程度か…〕
〔↑ヴィオレットちゃんの評価は俺らにはあんまり参考にならんからな?〕
〔俺らは先ず見つけるとこからよ〕
〔ヴィオレットちゃんも不意打ちの回避自体はギリギリだったからな…〕
「ああ、そうだ。これは注意しておかないといけませんね……実は、深層の魔力の濃度が高過ぎて、魔力の感知があまり意味をなさないみたいなんです。悪魔のような強い魔力であれば多分感じ取れるとは思うんですが、今みたいな魔物の場合まるで何も感じません。魔力感知が出来るダイバーは魔力感知を過信しないようにご注意を」
〔そんなの出来るのはお前とクリムくらいやw〕
〔いや最近魔法使い系ジョブのダイバーも魔力感知の練習してるから、何人か出来るようになってる〕
〔魔力感知使えないの!?練習したのに!?〕
「いえ、過信すると不意打ちに対処が遅れるだけです。攻撃の際の魔力の動きを感知すれば、回避の助けになるのは深層でも変わりません。練習は無駄にはなりませんよ」
そうフォローしてから、私は探索を再開する。
今度は先程の魔物にも警戒しながら、常に神経をとがらせて……




