第203話 登山
「──皆さんごきげんよう、オーマ=ヴィオレットです! お待たせしてすみません! 今日はついに森を越えて山を攻めますよ~!」
〔ごきげんよう!〕
〔ヴィオレットちゃんが遅刻って珍しいな〕
〔なにかトラブル?〕
「あ、心配いりませんよ! 少し遅れたのは、配信前にちょっと話しかけられたってだけなので……」
SNSで告知した時刻から数分遅れて配信を開始した私を心配するコメントが流れたが、実際に危険な目に遭った訳ではないと説明する。
〔配信前のダイバーに長話って…〕〔マナー悪いリスナーだな〕と、私が会話した相手に非難の声が挙がるが、私はそれらのコメントは笑顔でスルーしつつSNSでも伝えていた今回の探索の目的を改めて説明する。
(──やっぱり、説明できないよなぁ……)
しかし、内心にあるのはやはり直前のチヨとの会話の事だ。
チヨから齎された爆弾情報の数々。『ダイバー協会の会長が悪魔のリーダー』『腕輪が何らかの計画の為の道具』『下手すれば人間界がひっくり返るという、悪魔の計画』……どれも、今この場で打ち明けるべきではない大問題ばかりだ。
(今回の配信も協会会長が見ているのなら、その話題を出した時点で配信を止められるかもしれない……そうでなくとも世間をいたずらに混乱させるだけだし、最悪情報を提供してくれたチヨにも危険が及ぶだろう)
彼女が敵か味方か……正直まだ断言こそできないが、少なくとも悪魔のリーダーとは目的が違うのは確かだ。
悪魔の造反者にして情報の提供者。そして、今もダイバーが強くなるきっかけになり続けている存在……彼女を今失う訳にはいかない。
『──それじゃあ……またね、ヴィオレットちゃん』
あの後、ついに彼女は私と戦う事もせずにこの場を飛び去った。
普段とはまるで異なる様子のチヨだったが、そこに演技らしさや嘘くささは感じなかった辺り、もしかしたらアレが本来の彼女の性格なのかもしれない……何となく、私はそう思った。
「──さぁ、早速森から攻略していきましょうか!」
チヨとのやり取りを思い返しながらも今回の段取りを整理した私は、何はともあれ森を抜けなければ始まらないと取り出した二本の細剣──デュプリケーターとアセンディアを掲げて、そう意気込んだ。
樹上に点在するスライムの気配や、時折見かけるタイラントベアの影を避けながら森を進む私の足取りは軽く、リスナーもまさか直前に世界の危機なんて爆弾情報を聞かされた等とは思わないだろう。
これは私が普段通りを意識していたというのも一因だとは思うが、それ以上にチヨから齎された一つの朗報が最大の理由だろう。
(チヨは言った。『悪魔の中で私に勝てるのなんて、リーダーくらいのものだよ』と……)
普段の様子とは裏腹に隠し事や誤魔化しの多い彼女だが、こと戦闘や力量について嘘を言う様な性格ではないのは知っている。
彼女がああ言ったのであれば、その評価はかなり信憑性のある情報なのだ。
しかもあの口ぶりからして、チヨはリーダー以外の悪魔を強敵とも思っていない。──それ程の開きがあるのだ。悪魔の軍勢のパワーバランスには。
(本拠地に到達してしまえば、チヨがいない今なら一気に悪魔側の戦力を削ぐ事が出来る!)
思えばチヨが態々配信前に姿を見せたのは、自分の不在を私に伝える為でもあったのかも知れない。
そんな事を考えている内に森の地面が次第にボコボコと隆起したものに変わり、大小さまざまな岩が転がる様子も目に入るようになって来た。
目的地の山の斜面を転がってきた物なのだとすれば、そろそろ森の出口が近いのだろう。
「ゴアアァァッ!」
「邪魔です」
「グオオォォ……!」
立ちはだかったタイラントベアを一閃で始末し、魔石を回収。
歩調を緩めずにずんずんと森を進むと、やがて予想通り森が開けた。
山の入り口と言うべきだろうか。下層の硬い地面の中でも更に硬質な地面は隆起し、一歩先から始まる緩やかな傾斜は数メートルも進めば断崖のような壁となって行く手を阻む程の荒れようだ。
「これは──近くで見るとまた厳しい地形ですね」
無機質な黒い岩肌が剥き出しな禿山ゆえに、その険しさがこの場所からでも伺える。
これは攻略のルートから考えるべきなのだろうか。
〔エンチャントゲイルで跳べば良いのでは?〕
「それはそうなんですが、【エンチャント・ゲイル】は最後の手段にしたいんですよね。というのも……」
先ずは一歩、と山の頂へ向けて足を踏み出しながら、リスナーからの指摘に対して私がこの山を素直に登ろうとしている理由について説明する。
実は先程態々森を【エンチャント・ゲイル】で跳び越えなかったのも、同様の理由があったからなのだ。
「今後、私の後に他のダイバーが続こうと思った時、ルートが直ぐに分からなかったら危険じゃないですか」
〔なるほど〕
〔やさしい〕
〔確かに登山経験があるダイバーなんてそんなに多くないだろうしなぁ…〕
「ええ。ですから先ずは私が直接登山の様子を配信して、危険なルートや安全なルートの指標になれればと思いまして」
そうリスナー達に事情を説明したが、実際の目的はもう少し先を見据えての事だ。
私は荒れた岩肌を跳ねるように移動しながら、『いざと言う時』の可能性を想像する。
(もし悪魔の本拠地の規模が私の想定を超えていた場合、彼女達の力も借りたいからな……)
下層を探索するダイバーも増え、実力も付いて来た。
チヨと言う悪魔との戦闘経験を比較的安全に蓄積できているのも都合が良く、特にチヨに攻撃を当てた面々の実力は即戦力としても非常に期待できる。
今となっては彼女達は皆魔法武器を扱えるようになっており、加えて以前の戦争でも共闘した仲間だ。実力も人柄も信頼している。
事情を話せば彼等ならきっと力を貸してくれる筈だ。……今の私なら、そう信じられる。
しかしコメントが補足してくれたように、登山経験があるダイバーなんてこちらの世界では稀だろう。
もし山頂に悪魔の本拠地があり、それが私一人の手に余る規模なら、たとえ登山経験が無くても彼等の力を借りる必要があるのだ。
(それにしても──まさか、異世界で霊峰を登った経験がこんなところで活きるとはな)
ここで周囲を見渡せば、辺り一面がごつごつとした岩場となっていて不安定な足場ばかり……しかし幸いな事に、日本帰還計画の一環で過酷な登山を経験したことで、私には何となくどのルートが安全に登れそうなのかが分かった。
あの山は極寒の環境と『大いなる循環』の所為で上空の気流が乱れに乱れていた為、陸路での登頂が必須の魔境だった。それに比べればこの程度、ピクニックのようなものだ。
(……まぁ、流石にルート割り出しに時間がかかるようなら先に頂上の様子を確認するつもりだけどな)
チヨがいない今が狙い目なのは間違いないし、優先順位は間違えないつもりだ。
だが、なるべく徒歩での攻略を目指したい。ダイバーの身体能力なら数十分で踏破できる程度の高さだしな。
そんな調子で、私は比較的安定した足場を見極めつつ登山を続け、コメントと軽いやりとりを交わしながら数百メートル程の山の攻略を続けていった。
「──っと、ここは比較的安定していますね。この高さでこの広さ……場合によっては小休止にも使えそうです」
でこぼこした地面を踏みしめ、時に少し高めの段差を乗り越え、またある時は飛び石状の足場を跳ねて到達したのは、丁度私と『俺』が済むワンルームマンションの部屋と同じくらいのスペースだった。
ここは体感だが山の丁度八合目ほどに位置しており、高くなっていくにつれて厳しくなる傾斜の中で腰を落ち着けて休めそうな貴重なスペースだ。
「念の為にこの座標を登録しておきましょうか。──【マーキング】!」
〔意外と本格的に山だな…〕
〔周りの光景で忘れがちになるけどここダンジョンの中なんだよね?〕
〔規模が桁違いだわマジで…〕
これくらい安定した場所であれば、マーキングにはもってこいだ。
位置的にも攻略に丁度良いバランスだし、何よりも──
「いやぁ……ダンジョンと言うだけあってくらいですが、なかなか興味深い絶景じゃないですか?」
足場の縁に立って見渡せば、天井と地面の結晶の光が星空のように輝いている。
天井どころか足元まで星を散りばめたような光景を見ていると、まるで宇宙の中心に立っているような錯覚すら覚えそうだ。
〔これは凄いな…〕
〔あそこにチラっと見えてるのって結晶のオベリスクか〕
〔ダンスステージの光も見える!〕
〔ヴィオレットちゃん、自撮りする?〕
「そうですね、数枚程撮っておきましょう。──【ストレージ】!」
これまで見つけて来た絶景スポット同様、今回も腕輪から取り出したスマホで何枚か自撮りをする。
そうして撮影した画像に当り障りのない一文を添えてSNSに投稿すると、それはあっという間に拡散されていった。
その様子を確認した私は再び腕輪にスマホを収納すると、ドローンカメラに向きなおる。
「さぁ、そこそこの休憩にもなりましたし、後少しで山頂です! 頑張りましょう!」
〔おお~!〕
〔山頂ってどうなってんだろうな〕
〔めちゃくちゃ綺麗な結晶があったりして〕
「えー、それ今取ったばかりの絶景が霞んでしまいませんか……?」
〔確かにw〕
〔絶景なんていくらあっても良いからね〕
〔そん時はまた自撮りすればええねんw〕
コメントに目を通しながら、普段の調子で軽快なトークを続ける。
しかし、実際に山頂を目指して一歩一歩踏み出す毎に、私の胸中では緊張が高まっていくのを感じていた。
(──とんでもない魔力を感じるな……)
ここまで登って来たからこそ分かる。
見上げた山頂の縁からは、絶えず濃密な魔力が滝のように溢れてきているのだ。
目には見えなくとも、私の全身がそれを感じていた。だが──
(大丈夫だ。このくらいなら──勝てる!)
これが悪魔の軍勢の魔力だというのなら、やはりその実力はチヨよりも数段格下だ。
チヨと互角に戦える今の私には、少なくとも一対一では負けようのない相手。そう自身を鼓舞しながら、私は一歩、また一歩と山頂へ近付いていく。
そして数分後……とうとう山頂に到達した私の目の前に、その光景はあった。
「──何ですか、これは……」
そこにはここへと至るまでにコメントと話していたような絶景は無く、しかし、悪魔の本拠地がある訳でもなかった。
今の私の目の前には、薄闇の中で天井の結晶の光を反射するように揺らめく水面だけがあったのだ。
〔これって水か…?〕
〔カルデラ湖って奴?〕
〔いや、波の音がしないって事はこれ…〕
そう。これは水ではない。
山頂の縁から僅かに溢れたさざ波は忽ちその形を空気に溶かし、濃密な魔力となって山の斜面を滑るように流れていく。
カルデラ湖のようにも見える、この黒い水面の正体は──
「境界……!」
それは山頂の直径である数十メートルにも及ぶ、巨大な境界だった。




