第198話 オーマ=ヴィオレットvsチヨ ③
下層を揺らした轟音が遠ざかり、キーンという耳鳴りにも似た静寂が身を包む。
チヨを包んでいた爆煙の中からボトリと足元に飛んできた小さな物体に目を落とせば、それは黒い煤に覆われたチヨの左腕だった。
飛ばした斬撃と闇の魔力の浸食で脆くなった左腕。それが、今の爆発をトリガーに完全に砕けたのだろう。
間違いなくここが攻め時だ。
「──【エンチャント・ゲイル】! ハッ!」
念の為にグリーヴのエンチャントを掛けなおし、未だに煙に包まれたチヨの下へと急行する。
『奈落の腕』が破壊されたことで重力は正常に戻っており、これならば空中での近接戦も問題なく行えるだろう。
そしてチヨを覆う煙を目前に、私の耳に彼女の声が届いた。
「──いやぁ、今のは驚いたなぁ……まさか小麦粉が爆発するなんてね」
「っ! くぅッ!」
やはりか、と内心で思いつつ私が両手の細剣を同時に突き出す。と、同時に煙を内側から裂いて突風が吹き荒れ、私の身体は僅かに押し戻された。
煙が晴れた事で明らかになったチヨのダメージ具合は、肘の直ぐ下が存在しない左腕を除けば軍服が激しく破損している程度で、それ以外はまるで堪えていない様子だった。
(チヨ! やはり、ほぼ無傷か……!)
正直、これは想定内だった。
先程の粉塵爆発はその衝撃と規模こそ派手ではあったものの、魔力を一切含んでいない攻撃だ。
既に大きく損傷していた左腕の傷を広げて破壊する事は出来ても、悪魔である彼女の核にダメージを与える事は出来ない。
ダンジョンで各種兵器や拳銃のような火器が使われないのも、これと同じ理由だ。
直接手で引き絞り放つ弓矢と異なり、弾丸を込めた後は直接魔力を弾丸に流し込めない拳銃ではどうしたって魔物の核にダメージが入らない。
もしもライフルやグレネードでダメージが与えられるのなら、今頃ダンジョンの攻略方針は大分変わっていた事だろう。
(だから最初から爆発の役目はあくまでも衝撃によるチヨの移動防止と目晦まし! 私がここまで近付ければそれでいい!)
「ハァッ!」
アセンディアを振り抜き、再び闇の斬撃を飛ばす。
チヨは身体を逸らしながら高度を下げる事で回避したが、私はすかさず空中を蹴ってチヨに接近。間髪を入れずに追撃し、近接戦に持ち込んだ。
「爆発も、そうだけど……ッ! 今のも、驚いたよ! 一体、いつの間にそんな技ッ、覚えたの……ッ!?」
「秘密です! それより、流石の貴女も余裕が無いようです、ねッ!」
闇のアセンディアと凍結のデュプリケーター……いずれも直接斬撃を受ければ痛いだけでは済まされない属性での連続攻撃を、チヨは残った右手の爪と尻尾を魔力で強化して捌きながら後退する。
敵ながら素晴らしい対応力だと舌を巻くが、やはり彼女もいっぱいいっぱいなのだろう。蹴りによる反撃の頻度が目に見えて減っている。
その事を指摘するといつも通りに見えたチヨの笑顔が僅かに引き攣り、本気のチヨを初めて追い詰めつつある高揚感が私の笑みを深める。
「駄目押し! ──【千刺万孔】!」
「ッ! それ、は……流石にキツいかなぁっ!?」
長期戦になれば魔力の消費が激しい為、ここぞと言う時以外は使用を控えるようにしている【千刺万孔】をここで解禁すると、チヨの表情が青褪めた。
直ぐに翼を羽搏かせて生み出した突風で距離を取ろうとするが、今回はそれも予想済みだ。
一瞬早くサイドステップの要領でチヨの左側──腕が欠損し、防御が難しいだろう側面へと回り込み、一気呵成に畳みかける。
「ハアアァァァァッ!!」
「うッ……グ、クゥッ!」
一突き毎に私の攻撃の手数は増えていく。
最初は尻尾と右手で辛うじて捌いていたチヨも、その全身に少しずつ傷が増えていく。
軍服は更に破損し、四肢の部分に至ってはほぼボロキレ同然だ。
そこから覗く彼女の青白い肌には私の攻撃によって無数の傷が作られており、血こそ流れないもののかなり痛々しい状態になっている。しかし──
「舐、めるなァッ!」
「──ッ!?」
ガンッ、と突然私の左腕が跳ね上げられるような真下からの衝撃によって、ピンと上へと伸ばされる。
もしも僅かにでも握りが甘ければ、手からすっぽ抜けていたかもしれない程の衝撃。
原因へと視線をやれば、チヨの右脚が蹴りを放った直後の状態で凍り付いていた。脚部が凍り付くリスクを承知で、私のデュプリケーターを蹴り上げたのだ。
これは追撃のチャンスか……等という考えが甘いのだと、私は知っている。チヨの攻撃がこれで止まるとは思えず、彼女の次の攻撃を読むべく観察すれば──
(ッ、不味い……!)
いつの間にか、チヨの翼と右腕が風を纏っていた。
慌てて攻撃に回していたアセンディアを引き戻し、バックステップで距離を取る。
次の瞬間、彼女の翼が激しく羽搏き、右腕が何度も空中を引掻いた。
「──ッ!!」
数えるのも億劫な程の風の刃と、二つの竜巻が私へと殺到する。
これは到底捌ける攻撃ではないと即座に判断した私は、とっさの判断でドローンカメラを抱き込み身を護る。
私が今身につけているドレスアーマーの斬撃耐性は万全だ。しかし、この竜巻から抜け出さなければ延々と攻撃され続ける事になる。
そこで私は抱き込んだドローンを操作し、身を守ったまま竜巻から離脱した。
「はぁ……ッ、はぁ……ッ!」
地上に降り立ち、チヨを見上げれば、珍しく荒い息を繰り返す彼女の姿が見えた。
全身に及ぶ傷口の闇の魔力が今も彼女を苛んでいるのだろう。ボロボロの軍服同様、彼女が普段から付けている笑顔の仮面が剝がれかけていた。
「……まだ、やりますか?」
「! ……ふふっ……いいや、今日は私の負け……──完敗よ」
暗に『止めまで刺す気はない』と告げると、チヨは大人しく両手を挙げて降参を示すと地上へと降りて来た。
私はそんな彼女に歩み寄り、彼女の全身を苛む闇と凍結のエンチャントを解除する。
すると彼女の傷口はあっという間に塞がり始め……痕も残さずに再生を遂げた。
左腕も元通りになっており、軽く動かして動作を確かめたチヨは私に目をやり尋ねる。
「……何で私を助けたのか、聞いても良い? 前に貴女には答えたわよね? 『悪魔と人は──』」
「ええ、勿論覚えてますよ」
『悪魔と人は絶対に分かり合えない』……かつてチヨ自身が私に告げた事だ。
それを忘れたのかと一瞬彼女の目に僅かに剣呑な気配が滲んだが、私がその言葉を覚えていると告げると忽ちにそれは霧散し、後には純粋な疑問だけが残る。
私自身分かっているのだ。チヨを倒すチャンスはきっと、今しかなかった。
今回の奥の手を知ったチヨは、今度からは最初から飛ぶ斬撃を警戒するだろう。しかし……それでもあの姿を見た私は、彼女にここで止めを刺す気にはなれなかったのだ。
「──貴女は今まで何度も私の命を見逃したじゃないですか。たった一回勝っただけで命まで取るなんて……ズルいって言うとなんか、違う気もしますけど……でも、そう思ったんです」
多分、言ってしまえばこれはただの意地。
もう勝てない可能性の高い相手を仕留めるチャンスをそんな理由で見送った私は、後でこの選択を後悔するかも知れないが……少なくとも今はこれが正しい判断だと信じる事にする。
実際チヨがいる事で下層を探索するダイバーは増えているし、強くなろうというモチベーションにもなっている。
『人間を殺す気はない』……私は彼女のその言葉を信じる事にしたのだ。
「ふふ……甘いわね。でも、今はその甘さに助けられておこうかしら。……私にも、絶対にやり遂げたい事が残ってるから」
「……それについて聞く事は?」
「ダ~メ! これだけは絶対に話せないよ。──成し遂げるまではね」
ここまで強い彼女が未だに成し遂げられない悲願……それに少しでも踏み込もうとした途端、彼女は再び笑顔の仮面を被りなおしてしまった。
その態度でなんとなく察する。きっとその悲願こそが、彼女が仮面を被る最大の理由なのだと。
「さぁ~て! あたしに勝ったヴィオレットちゃんには、他のダイバーと同じご褒美をあげないと! アセンディアだっけ? そっちは無理だけど、そのデュプリケーターは魔剣にしてあげられるよ。どうする?」
そう言って、私が左手に握るデュプリケーターを指で示すチヨ。
私はデュプリケーターへと視線を向け、それをチヨに手渡しながらこう言った。
「属性を付与せずに魔剣にして貰う事は出来ますか?」
春葉アトと百合原咲……これまでチヨに認められた二人は、それぞれ属性を持つ魔法武器に作り替えて貰っていた。
これは当然属性を持っていた方がスキルとの相乗効果を受けて強力な一撃を繰り出せるからだが、私はその属性を敢えて要らないという注文をしたのだ。
「貴女も分かっていると思いますが、【エンチャント】を使って戦う私にとって属性のある魔剣は相性が悪いんですよね。出来ない場合は魔剣にして貰わなくて結構ですが……」
「勿論できるよ! あたしも、ヴィオレットちゃんならそう言うと思った!」
チヨも知っていたようだが、元々何かしらの属性を持っている物に対しては【エンチャント】が出来ない。一つの物体に二つ以上の属性を付与出来ないのも、この性質が理由だ。
状況に応じて属性を変更して戦うスタイルの私が扱うのは、属性を持たない魔剣が良い。
そんな注文を予期していたのだろう。彼女は笑顔でデュプリケーターを受け取ると、その手から莫大な魔力が流れ込む。
私はその光景に──いや、その魔力の気配に目を見開いた。
(この、魔力……! まさか、そう言う事なのか……!?)
動揺を隠せないまま私の視線がチヨの顔に向けられると、彼女は一瞬私に視線を向けて一度ウインクをして見せた。
その意図は恐らく──
(肯定……そして、秘密……か)
私は彼女の意を汲み、魔剣の完成を待つ事にした。
これもきっと、今は話すべきではない事なのだろう……彼女の境遇を、きっとこの世界で一番近くに感じる私はそうする事しか出来なかった。




