第197話 オーマ=ヴィオレットvsチヨ ②
激しい剣戟の音が、下層の薄闇に絶えず響き渡る。
闇を纏うアセンディアの刃を、チヨは魔力で補強した爪で受け流す。
同時に彼女の尻尾がしなり、迫る薙ぎ払いを私は凍結属性を纏わせたデュプリケーターで弾いた。
私が攻撃と防御に両手の細剣を使った一瞬──後隙に差し込まれたチヨの鋭い蹴りが、私のがら空きになった腹部へ迫る。
(──くそ! 折角尻尾を凍らせたのに……!)
チヨの狙いは分かっている。しかし、対応しなければ一撃でこちらの意識を絶たれる威力の蹴りだ。
止む無く風を纏わせたグリーヴによる蹴りを合わせると、弾けるように巻き起こった突風により私もチヨも大きく吹き飛ばされてしまった。
戦闘が始まってから早数分。
ここまでの近接戦でこちらの斬撃に対してチヨは両手と尻尾で対応し、反撃は主に蹴りのみとなっている。恐らく両手と尻尾は防御に追われ、反撃に割く余裕がないのだ。
つまりそのいずれか一つでも封じる事が出来れば、その後の戦闘はこちらの有利に進められるという事になる。
当然チヨの方もそれを理解しており、今のように片腕や尻尾を封じられる度にこうして距離を空けさせられてしまうのだ。
(クリムから教わった技術のおかげで、純粋な近接戦闘の力量はこちらが上回れたのに……これでは決定打まで持って行けないか……!)
先日のコラボでクリムから教わった手首のスナップを利かせた斬り返しは、今回の戦闘でもチヨを少なからず翻弄する事に貢献していた。
しかし、一筋縄では行かないのがチヨだ。
致命的な隙は翼による微細な位置調整も用いた巧みな立ち回りによってしっかりカバーしており、折角作り出したアドバンテージもそれを活かす前にリセットされている。
既に凍らせた尻尾は自切され、再生したチヨの尻尾はしなやかな動きを取り戻してしまっていた。
だが──
「あははっ! いや~……また強くなったね、ヴィオレットちゃん! あたしは嬉しいよ!」
「それはどうも……でも、その様子だとそろそろ決めに来るんでしょう?」
「勿論! あたしも負けたくはないからね~!」
(──ついに、仕掛けて来るか……!)
チヨの言葉に気を引き締めなおす。
彼女の満足気な表情から察してはいたが、やはりいよいよ『奈落の腕』を使うつもりのようだ。
それを隠そうともしない様子から、並々ならぬ自信を感じるが……
(今日の私はその自信をへし折りに来たんだ……そうでなくては困る)
今回の私は『奈落の腕』への対策を幾つも準備した上で、彼女と相対している。
チヨの思うまま勝利を譲りはしない。
「──? 『宿りたまえ 宿りたまえ 汝の腕を我が腕に』……」
詠唱を始めたのにそれを止めようと動く事も無い私の様子に眉を潜めつつも、チヨの口は淡々と呪文を紡ぎ続ける。
これまでの私はチヨに『奈落の腕』を使わせないという対策を取っていたが、その目論見は尽くチヨに打ち破られて来た。
しかし今回私が用意した秘策は、チヨが『奈落の腕』を使った後にそれを打ち破るという物。
内心でほくそえみながら、私はチヨとの距離を維持したまま腕輪を手で触れる。
「──『奈落の腕』!」
チヨが呪文を完成させ、その左腕に膨大な魔力が集約されていく……
(ここだ! 今日、私は『奈落の腕』を攻略する!)
「──【ストレージ】! 食らえ!」
私が腕輪から取り出し、チヨに向けて【投擲】したのは一つの薄茶色の紙袋。
特に【エンチャント】を付与された訳でもなく、何の変哲もないそれは空中でゆっくり回転しながらチヨの左腕が発生させる重力に引かれ、彼女へと真っすぐに落ちていく。
「何か分からないけど、無駄だよ! ──なっ……!?」
チヨは正体不明の攻撃に対して安全に対処すべく、即座に風を纏わせた右手で無数の風の刃を放った。
その刃が紙袋を捉えた瞬間──私は作戦の一手目が成功した事を確信した。
「これ……っ、小麦粉……!?」
そう。彼女に【投擲】したのはつい昨日『俺』と一緒に買いに行った小麦粉だ。
風の刃によって生み出された気流が小麦粉を巻き上げ、それらはチヨの左腕の重力に囚われて彼女の付近に滞留し続ける。
小麦粉の煙幕が彼女の姿を覆い尽くしたタイミングで、私は居合のように腰に構えたアセンディアに左手を添える。
「──【エンチャント・ダーク】! ハァッ!」
そして、重力に捕らわれた身体が浮き上がるのもお構いなしにアセンディアを全力で振り抜けば、オーラに付与した闇の魔力が黒い斬撃を象り飛翔する。
狙いは当然、重力を生み出しているチヨの左腕だ。
彼女の姿は煙幕に覆われており、左腕の位置を目視で確認する事は出来ないが……
(あれ程の莫大な魔力を放っていれば、そもそも目視する必要はない!)
『奈落の腕』の維持に使われている魔力を感知すれば、例え目を瞑っていたとしても狙いを付けるのは容易い。
一方で視界が煙幕に遮られているチヨも、私が何かしらの魔力による攻撃を放った事は感知しているだろうが……向こうは目視しなければその正体まで正確には掴めまい。
そのまま彼女がこちらの攻撃の正体を見極めるよりも早く、闇の刃が煙幕に突っ込み──
「ぐっ……──ッ! これは……!」
(手応えあり!)
チヨの呻く声が微かに聞こえた。
魔力の反応から考えて、狙い違わず闇の斬撃はチヨの左腕に命中した事を確信する。
そして──それと同時に、私の全身をフワッという奇妙な浮遊感が包み込んだ。
(──何だ……? 重力の感覚が変わった……?)
試しに一度空中を蹴れば、『奈落の腕』の影響下とは思えない程に自在に跳ね回れる事が直ぐに分かった。
当初の作戦ではチヨの左腕に闇の魔力による傷を付けるのは、彼女の腕を破壊しやすくなる為だったのだが……
(……間違いない。重力の影響が弱まっている!)
これは予期せぬ副産物だった。
これは推測だが、恐らく彼女の左腕を浸食する闇の魔力がある種の蓋の様な役割を果たしたのだろう。
元々制御が困難な『奈落の腕』に使われる魔力の流れや術式がそれによって乱され、発生させる重力に影響を与えているらしい。
想定外の事態ではあるが、この状況は私にとって紛う事なき僥倖だ。
(これなら、直ぐにでも……!)
私は即座に作戦を微調整し、早くも決めにかかる。
「──【エンチャント・ヒート】!」
当初、作戦の成功率を半々と推測した理由……それは、この炎の斬撃を安定して放てる状況を作り出せるかどうかが不明瞭な事だった。
この攻撃は、私がチヨに一定以上近付いた状態で放つ訳にはいかない物だ。
しかし『奈落の腕』の重力に囚われれば、私の身体は急速にチヨの左腕に向かって落下を始める事になる。
【エンチャント・ゲイル】を付与したグリーヴで空中を蹴っても、それは精々落下までの時間を数秒伸ばせる程度のささやかな抵抗に過ぎず、そんな状態では安定した姿勢で斬撃を放つ事も至難の業だ。
だが、そんな今回の作戦に於ける最大のリスクはここに来て突然払拭された。
この千載一遇の好機を逃す手は無い。
炎のオーラを纏ったアセンディアを、私は一気に振り抜いた。
「ハァッ!」
アセンディアを振り抜くと、今度は炎が形を成した斬撃がチヨを覆う小麦粉の煙幕に向かって放たれる。
それと同時に、私は来たる衝撃に備えて身構えた。
何せ密集する小麦粉に向かって火を放てば、その結果起こるのは当然……
「必殺! みんな大好き、粉塵爆発!」
現代の創作では使い古された、格上殺しの定番必殺技だ。
炎の斬撃が小麦粉の煙幕に触れた次の瞬間──ダンジョンの下層に轟音が響き渡った。
バトル漫画で小麦粉が出たら十中八九使われるやつ




