第184話 『私』の変化
「──緊急の反省会をします!」
「ど……どうした急に……?」
日曜日の配信後。
帰宅一番で風呂に入り、着替えを済ませた私がそう切り出すと、『俺』は夕飯を作っていた手を止めて私を見る。
私は「手は止めなくても良いので聞いてください」と前置きし、今日の配信中に気付いた胸の内を吐露する。
「……実は最近、チヨに負けても心の何処かで『仕方ないか』と思い始めていた私に気が付いたんです。『奈落の腕があるから』『相性が悪いから』『相手の方が格上だから』……そんな言い訳で納得したら、本格的に不味いんですよ。ダイバーって」
「……そんなに不味いか? チヨの強さは皆知ってるだろ?」
視線は手元に置きながら相槌を打つ『俺』の、小気味の良い包丁のリズムを耳にしながら私は続ける。
「問題は納得してしまう事なんですよ。現状に納得してしまった時点で……『強くなりたい』と言う意思が弱まった時点で、ダイバーの成長速度は急激に衰え始めるんです」
そう話しながら、私は部屋の電気をつけて沈みかけた夕日の光が差し込む窓のカーテンを閉める。
日照時間が伸びて来たこの時期、未だに節制癖の抜けきらない『俺』は日が沈み切るギリギリまで部屋の明かりをつけないようだが、この後の説明でカーテンを閉める必要があったので私の独断で閉めさせて貰った。
気付けば包丁の音も止まり、『俺』が本格的にこちらの話に集中してくれているのが分かる。
「……料理は進めたままでも大丈夫ですよ?」
「ん? ああ、後は煮込むだけだからな。待つ間に聞いておこうと思ってさ」
「そう言う事でしたら、早速本題に入りましょう。……見ていてくださいね」
そう言って私は【変身魔法】を解除し、魔族としての私の姿に戻る。
部屋着の方には逆に【変身魔法】を施して翼や尻尾用の穴を空け、そこから魔族の証である異形の特徴がズルリと生えて来るが……
「──何か、気付きませんか?」
「いや……気付くかって言っても、その姿を見るのもそれなりに久しぶりだしな……」
そう言って首を捻りながら、私の全身を隈なく観察する『俺』。
普段の私がこの姿に戻るのは決まって入浴中である為、彼があまり見慣れていないのは仕方のない事。
しかし、だからこそなのだろう。私がつい最近まで気付く事が出来なかった変化に、彼はこの十数秒で気が付いた。
「……気のせいかも知れないが、ちょっと血色が良くなったか?」
「……正解です」
「最近はお前も飯食うようになったし、健康になって来たって事なのかもな」
そう。今の私の肌の色は健康な日本人と比べればまだまだ青白いのは変わりないが、私がこちらの世界に来た時と比較すると大分変化していた。
毎日風呂場で見ていた私は少しずつ起きていた変化に気付くのが遅れてしまったが、久しぶりに見たからこそ彼の目にはこの変化が大きく映ったのだ。
だが、この変化が意味するのは私が健康になった事ではない。
「人間に……近付いているんです。私の身体が」
「?」
「レベルアップの影響で、容姿が少しずつ変化していたんです。多分、こっちに来てからずっと」
「……深刻な顔だな。人間になるってのは、不味い事なのか?」
この変化が外見だけなのか、それとも本当に人間になるのかは分からない。
私としては人間になれるのであれば喜ばしい面もあるのだが……少なくとも、この変化が起き続けている現状が示すのは喜ばしい事実だけではないのは確かなのだ。
「──レベルアップで見た目に変化が起きると言うのは、あくまでも『強くなること』に主眼を置いた場合で言えば、大きなロスなんです。本来筋力や潜在魔力の向上に充てるべきリソースが、その分容姿の補正に回されている訳ですからね」
レベルアップの本質は、『フリーな魔力』を取り込んだ事で身体に起きる変質現象だ。
その方向性は、本人の潜在的な願望や理想に沿う形で決定付けられる。
だからこそ純粋に『強くなりたい』と思う程レベルアップによる実力の向上は顕著になるし、その逆も然りなのだ。
「……そう言えば、ここ最近は百合原さんの成長が著しいと聞くが……」
「はい。それだけ彼女が純粋に『強くなりたい』と思い続けていると言う事です。今の彼女はレベルアップのリソースを、ほぼ100%の効率で実力の向上に充てられている……理想的な成長期です」
何が彼女の内面に作用したのかは分からないが、暫く彼女の成長期は続くだろう。
そして……今の私はその逆だ。
「『人間になりたい』……これは私の本質的な願望です。異世界で千年間『魔族と言うだけで排斥された』私の精神には、この身体に対するコンプレックスが染みついてしまっている。だから、私の成長速度は一般的なダイバーに比べると非常に遅い事になります」
最初の頃は実力を隠していたくらいに余裕があった私だが、本気になったチヨ相手には全力で戦っても敗北を喫してしまった。
今の私は『強くなりたい』と言う思いが必要なのだ。それも、自分のコンプレックスを吹き飛ばす程に強烈な向上心が。
……しかし、チヨに対してはすっかり負け癖が付いてしまった。
折角の格上との戦いで負けても『勝利したい目標』ではなく、『負けても仕方のない相手』として彼女を見ている今の私では、いくら魔物を倒しても強くなれない。
それどころか──
「寧ろ……私の場合『魔族としての力』をも失って、弱くなる可能性さえあります。勿論技術の研鑽や、戦う上での工夫は欠かしていませんが……このままでは私の成長が実力の面に限って言えば、マイナスの方向に向かうのも時間の問題でしょう」
ここまで説明してようやく事態の深刻さを理解した『俺』が真剣な顔で考え込むが……向き合う課題の難解さに、直ぐにぶち当たる事になった。
「……でも、それってどうすれば良いんだ? 人間になりたいって思いを振り切れば解決するわけでもないよな……?」
「はい。正直なところ、私のコンプレックスは相当根が深いと自覚しています。この感情は切り離せませんし、何より今の私に必要なのは『強くなりたい理由』なんです」
下層に来て暫くは問題なかった。
巨大ダンジョンワームに初めて後れを取り、向上心が戻って来た。
チヨと言う悪魔に出会ってからは、負けたくないと思うようになった。
ゴブリンとの戦争を経験し、勝たなければならないと言う思いが成長と勝利に結びついた。
……だが、今はどうだろう。
ゴブリンキング──アセンダーロードの打倒と言う大きな目標が達成された事で、私の中から『勝たなければならない』と言う思いの根幹が無くなってしまった。
言ってしまえば、『燃え尽き症候群』になっていたのだ。
このタイミングでチヨが本気を出したのは、そんな私が再び『燃え始める』好機でもあった。
しかし、攻略の糸口も見いだせないまま敗北を重ねる内に、次第に『諦め』の感情が育って行った……私は今の自分の状態をそう考えている。
「なるほどな……でも、そこまで自己分析を済ませてからこんな話を切り出したって事は、既に何かしら解決の糸口は掴んでるんだろ?」
「鋭いですね。ただ、それがまた──難しい話なんです」
根本的な考え方が似通った『俺』同士、互いの心理はお手のものだ。
確信めいた表情で尋ねて来た『俺』に対して、私は今の自分が考えている糸口について話し始める。
「必要なのは、『奈落の腕』の攻略です。あの魔法の攻略が出来れば、最悪チヨを倒すに至らなくても良い。『あと少し強ければ勝てる』……心の奥底からそう思う事が出来れば、きっとそれが次の『火種』になります」
「……矛盾した糸口だな。『奈落の腕』の攻略のために、強くならなきゃいけないって話じゃなかったか?」
「確かに負け癖の原因はあの魔法ですが、だからこそ『奈落の腕』の克服がそのまま停滞した現状の打破に繋がる……んじゃないかなぁ、と」
「……それで、具体的にどう克服するんだ?」
「それを一緒に考えて欲しいんですが──っと、煮込みが終わりましたかね?」
「だな。続きは飯食ってからにしよう。お前も食うだろ?」
「ですね。何となく、お腹が空いた感覚もあります……考えてみれば、コレも人間になりつつある予兆だったんでしょうね」
話の途中だったが、台所の方からアラームの音が聞こえた為、一旦ここで話を中断して夕食を摂る事になった。
本格的な作戦会議はその後だ。




