第183話 堕ちる
「会長! 信じてくれ、俺は人間だ! ダイバーの無礼童だ!」
「うんうん、信じてあげるとも。だからここに来たんだしね」
「会長……ッ!」
ニコニコと笑顔を向ける会長の言葉に感激した無礼童は、そのまま彼女に駆け寄ろうと立ち上がり……一歩踏み出したところで、はたと気付く。
「──待ってくれ、会長……あんた、そもそもどうやってここに来たんだ……?」
無礼童は彼女がここに来た瞬間を感知できなかった事を思い出す。
最初は自分達ダイバーの様に、腕輪の機能で転移して来たと思っていたのだが、よく見れば彼女の腕に肝心の腕輪が無いのだ。
会長の服装はかっちりしたビジネススーツであり、腕輪を身に着けていれば一目でそれが分かる筈……その事実に気付いた無礼童の脚は、先程までと異なり彼女から距離を取るべく後退る。
「ふぅむ……──流石にそう簡単には行かないか。手加減が面倒だから、穏便に済ませたかったんだけどな……」
「何を──」
希望は一瞬で反転し、得体の知れない何かに変わる。
その不気味さに思わずもう一歩後退った無礼童の足の下で、パキリと薄い陶器を踏み割ったような音がした。
思わずそちらに目をやった無礼童は直ぐにその正体に思い当たり──
(なんだ『祭器』の欠片か……)
そう内心で納得したその時、会長の口が開かれた。
「まったく……折角私が造ったアイテムを破壊してしまうなんて、酷い事をするね。プロトタイプでも、思い入れがあったんだけどな……」
彼女がボソッと呟いたその言葉に、無礼童の視線が自らの足で踏み割った『祭器』の欠片から女性の方へと鋭く向けられた。
「ッ! お前が造った……だとぉ……!? ──この野郎ッ!」
人ではなくなった責任を目の前の女性に押し付け、激昂した無礼童は殴りかかるが……その次の瞬間には地面に組み伏せられ、取り押さえられていた。
「──な……ッ!? はなっ……離せェッ!!」
捻られた左腕の鈍い痛みと、背中に感じる彼女の体重。その感覚にいつだったかのチヨにやられた記憶が呼び起され、恐怖と屈辱に藻掻く無礼童。
しかし、人の枠から外れた膂力をもってしても背に乗った女性を退かすどころか、腕の拘束すら外せない現状に無礼童の中で焦燥感ばかりが高まっていく。
「く、クソが……ッ! お前さえ、お前さえあんな物を作らなければ……!」
「何を言ってるんだい。確かに作ったのは私だが、使ったのは君だろう? それに……君は今も、私の作品を身に着けているじゃないか」
『何のことだ』と言い返そうとした無礼童の、捻られた左腕に自身の手を添えた会長はそのまま続けてこう告げた。
「この──『腕輪』をね」
「は……?」
無礼童の理解を完全に超えた発言に、喉まで出かかっていた彼の言葉が止まる。
(何の冗談だ……!? 『腕輪』が作られたのはダイバー協会の……いや、その前身の『探索者協会』の設立時の時代! 二百年近く前だぞ!?)
それ以前の時代は『腕輪』が無く、ダンジョンの探索は今よりも遥かに命懸けだった。そんな時に現れたのが一人の天才、『深見 ユカリ』──『探索者協会』の創設者だ。
彼女がダンジョンから得た技術で開発したと言う『腕輪』によって『探索者』の生存率は跳ね上がり、その貢献を認めた当時の日本政府の全面協力の下に『探索者協会』は創設された。
今では『腕輪』の機能の拡充や管理ができる唯一の機関として、国境を越えて世界にも強い発言力を持つに至った。
……昔中学校の世界史で学んだその常識が、今の彼の脳裏には呼び起されていた。
「おかしいと思わなかったかい? どうしてこんなちんけな腕輪一つで『魔法』や『スキル』なんて力が手に入るのか。地上とダンジョンなんて異界を行き来できるのか……」
腕輪の機能やスキル・魔法のメカニズムについて、解析を試みた者が居なかったわけではない。
世界レベルの発言権を有するに至ったその技術を自国の物にしようと、腕輪の技術解析は各国が現在進行形で進めている事だろう。
しかし、誰一人としてその深淵を暴く事はおろか、覗く事さえも出来ていない。
完全なブラックボックスにしてオーパーツ。それがこの腕輪なのだ。
『そう言うもの』としてしか、一般の人間は考えない。考える意味がない……それが常識であるがゆえに。
「全部全部、長い時間をかけて私が整えたからだよ。……君達人間が気軽にダンジョンに潜れるようにするのには、本当に苦労させられた」
「何を……っ! 何を言ってる!?」
動揺する無礼童の様子を一通り楽しんだ会長はくすくすと笑うと、徐に彼を拘束から解放する。
自由を取り戻した無礼童は未だに痺れる腕で構えを取り、会長と対峙するが……目の前の女性に起き始めた『変化』に、僅かな戦意は忽ち崩れ去ってしまった。
「──まぁ、要するにこういう事さ」
女性の背中から一対の羽がバサリと広がり、しなやかに伸びた尻尾が地面を擦る。
中年に差し掛かっていた肌は時間を巻き戻すかのように肌艶を取り戻していき、それと同時に血の気が失われ青白く変色していく。
「あ……、あぁ……ッ!!」
「絶望する事無いじゃないか。私は君を助けに来てあげたのに」
気付けば彼女の髪は黒から紫色へと変化しており、長い髪の毛を割いて側頭部から生えた角はヤギの角の様にぐるりと捻れ、切っ先は天井に向けて伸びている。
そして僅かに変化したその顔立ちは──
「お、オーマ=ヴィオレット……!?」
彼が一方的に憎む相手にそっくりだった。
いや、外見の年齢はオーマ=ヴィオレットよりもやや上ではあるのだが、『もしもオーマ=ヴィオレットが成長したらこんな容姿になるだろう』と言われれば誰もが納得する……それほど、彼女と目の前の女性の印象は似通っていた。
そして……もしも彼女の姿を見たのが蒼木斗真であったなら、もっと衝撃を受けていた事だろう。
なにせ今の彼女の姿は、オーマ=ヴィオレットの『本当の姿』と瓜二つだったのだから。
「ふぅ……やっぱり偶には本当の姿に戻らないとね~、すっかり身体が凝っちゃったよ」
「ど、どういうことだ……お前がオーマ=ヴィオレットなのか!?」
「んー……君には関係のない事だよ。まぁ、違うとだけは答えておこうかな。それよりも──」
次の瞬間、女性の姿が掻き消えると、無礼童の首に背後から腕が回される。
「──ッ!?」
「ねぇ、私と共に来ないかい?」
それは命を握られた勧誘だった。
「その姿ではもう人間と同じ世界に住めないよね? でも、一人も嫌だよね? ……だったらもう、私達の仲間になってしまった方が良いんじゃないかな? ……ねぇ?」
「──はぁ……! はぁ……っ!」
首に回された腕に力が籠められる。
彼女の腕を力尽くで引き剥がす事が出来ないのは、先程の拘束で証明されていた。彼女の機嫌を損ね、この腕が捻られれば自分の命が無い……そう確信した無礼童に、選択肢なんて存在しなかった。
──こうして一人の人間がダンジョンに呑まれた。
渋谷ダンジョンが誕生し、約千年……実に、数百年ぶりの行方不明者だった。
◇
「──ねぇ、チヨ。アンタ、あの方の事ちょっとなめてない? あの方は……!」
「分かってるってば、ユキ。あたしよりも凄いし、偉いって言うんでしょ? あたしも勝てる気しないもん」
「だから、そもそも勝てるかどうか考える相手じゃないって何度も……!」
『あの方』が『もう一つの用事』の為に姿を消して暫く、解散を命じられたチヨとユキは街をぶらぶらと歩きながらそんなやり取りを交わしていた。
「──全く、戦う事しか考えられない単細胞はこれだから。……これなら、まだ昔の方が……」
「……ん? 何か言った?」
「! な、何でもないわよ。気のせいじゃないの?」
チヨの追及をそう誤魔化して、ユキは街道を行く足を速める。
少しずつ遠ざかる背を見失わないよう、自身もやや速足になりながら、チヨは脳裏で彼女の言葉を反芻していた。
(『昔の方が』……か。私も同感だよ……──『お雪』。私も昔の貴女の方が好きだった)
チヨの眼が昔を懐かしむように細められる。
彼女の目に映るこの街並みはどうにも昔の故郷を思い起こさせる。そこに嘗ての自分達を探す様に視線を彷徨わせたチヨは、やがてその姿を目に捉えた。
「そんで~、こっちが書店。アンタ日本語は読めるよね~?」
「は、はい……大丈夫、です……」
それは金属の様な光沢を持つ、鬼のような姿をした『悪魔』だ。
名残の様に背負った大剣が彼の以前の姿を必死に訴えている様子に、チヨの眼は憐みの色を湛える。
「……だから言ったのに。『強くなりたいんだったら真っ当に鍛えた方が良いよ』ってさ」
小さく呟いた声が微かに届いたのか、前を進んでいたユキが振り返る。
「──チヨ? 何見てんのよ」
「ん、何でもないよ。ユキ……──ちょっと昔を懐かしんでただけ。さぁ、早速飲みに行こう? 良い店見つけたんだ~」
どこか寂しげな表情は直ぐにいつもの笑顔に隠される。
そして二人はいつものように、街の中に消えるのだった。




