第181話 チヨ配信
「──『奈落の腕』!」
私の左腕に集めた魔力が、呪文の完成と共に世界の理を一つだけ塗り替える。
地面は最早地面に非ず、重力の向かう先は今や私の左腕だ。
私が独自に作り出した魔法にして、切り札の一つ。地上でその発動を確認したヴィオレットちゃんは、私のこの魔法に対してにやりと笑みを浮かべた。
「……ついに使いましたね! 奈落の腕を!」
「!」
その表情から確信を得る。彼女は私の魔法に何かしらの備えを持って、今回の戦いに臨んだのだと。
次の瞬間、この時を待っていたのだと言わんばかりの滑らかな動作で指を腕輪に添えた彼女は、右手に持っていた細剣『デュプリケーター』を収納すると、そこから無数のアイテムを取り出した。
(あれは──水風船……?)
私がその正体を判別するよりも早く、ヴィオレットちゃんの口が更なる言葉を紡ぐ。
「──【エンチャント・サンダー】! 食らいなさい!」
「ッ!」
そしてそのまま帯電した無数の水風船を私へ向けて投擲。
重力の影響に囚われた水風船は、速度を増しながら私の左腕へ向けて落ちて来る。勿論ヴィオレットちゃん自身も重力の影響下には入ったが、彼女は空中を蹴る事でこの重力にも多少抵抗が出来る。
どうあがいても水風船の着弾の方が早いだろう。私が『奈落の腕』を維持する限り……
(なるほど……そうやって私の奈落の腕を封じようって事か。悪くない考えかも。だけど──)
それだけで私の切り札の一つを封殺できると思っていたのなら、流石に少し侮り過ぎだ。
そんな事を考えている間に重力に引かれた水風船が、ついに私の左腕に落下。破裂した水風船の中から溢れ出した帯電する水が、そのまま私の左腕に纏わり付くと、私の全身に電流が走る。しかし──
「なっ、え……ちょっとぉ!? 何で解除しないんですか!?」
「あ、あはは~……だって、それ、が、狙いでしょ~? なら、こっちは……このまま、これも利用しちゃうもんね……!」
そう。このくらいの痺れなんて、悪魔の身体にはそれほど大きなダメージにはならない。
勿論多少とは言え体の動きは鈍くなるし、食らわないに越した事はないが……今のこの状況なら、このまま『奈落の腕』を維持する方が良い。なにせ……
「さぁ、今度は貴女がこ、これを食らう番だよ……っ!」
「お、おのれチヨーーーーーーーっ!!!」
この帯電する水に、これからヴィオレットちゃんも落ちて来るのだから。
「──よ、っと……!」
感電によってヴィオレットちゃんが失神した事を確認し、奈落の腕を解除。重力の法則が元に戻り、地面に向けて落下を始めるヴィオレットちゃんを空中で抱き留め、優しく地面に横たえる。
(──っと、さっきまでヴィオレットちゃんが使っていた剣は……あ、あったあった!)
キョロキョロと周囲を見渡すと、少し離れた場所に落下した細剣が目に留まる。
(いやはや……何度見ても凄いオーラだね、この剣は……)
『アセンディア』と呼ばれていた剣を拾い上げると、握った柄からその内部に眠る力の胎動を感じる。
この剣の生まれた経緯については思うところもあるが、こうしてこの剣がヴィオレットちゃんの手にあり、彼女の力になっているのは私としても喜ばしい。
……『アセンディア』か。響き的には多分エゲレス語だよね。私あんまり得意じゃないからなぁ……後で意味とか調べておこう。
(──っと、感傷に浸ってる場合じゃないか。起きた時にこの剣が傍に無いと、ヴィオレットちゃんも不安になるだろうしね)
すやすやと眠るヴィオレットちゃんの傍らに『アセンディア』を置き、彼女の頭に手を添えると回復魔法を使用。先程の戦いで彼女に与えたダメージを治療していく。
(やっぱり、攻撃の捌き方はどんどん上手くなってるね……もう、殆ど治療する場所がないや)
そして一通りの傷を癒し終えた私は、ヴィオレットちゃんの傍らに浮遊する球体を両手で鷲掴みにすると眼前に持って来る。
そして──
「ヤッホー! ヴィオレットちゃんが起きるまで、チヨちゃんのハイシンやってくよー!」
今までに何人かのダイバーから聞いたハイシンのコツを思い出しながら、ヴィオレットちゃんの真似事をしてみる。
〔あぁっヴィオレットちゃんの寝顔が!〕
〔チヨちゃん配信だー!〕
〔すっかり配信慣れしたなぁこの子もw〕
「こらこら、あんまり女の子の寝顔とか勝手に見るの良くないぞ~」
見様見真似ではあるが、それなりに様になって来た気がする。
私がこうしてハイシンの真似事をするのは、りすなぁの言葉から様々な事を知れるのが大きい。特に気になるのが──
「へぇ……その子も力を付けて来てるんだ。特徴は?」
強いダイバーの情報だ。最近は私を倒して武器を作り変えて貰おうとするダイバー達がそれぞれ特訓を開始したらしく、興味深い情報がいくつも得られた。
たまにやってて全然面白くない相手もいるけど、総合的にはあの時宣伝して良かったと言った感想だ。
「あー! 君あの時の子かぁ! じゃあアドバイスあげちゃおう! 君は攻め時でも慎重になり過ぎちゃう癖があるから、『本当の攻め時』と『誘い』を見分ける目を持つと一気に美味s……強くなれると思うよ!」
〔今美味しくって言った?w〕
〔ありがとう!参考になる!〕
〔やっぱアドバイス貰えるの良いなぁ…俺も渋谷行こうかな〕
正直彼が私に攻撃を当てるにはまだまだかかりそうだけど、彼は程よく褒めると良い感じに伸びるタイプだと何となく感じていたので正直ちょっと期待している。人の成長は時に私の想像を超えて来る事があるって、この前咲ちゃんに教えて貰ったばかりだし。
〔チヨちゃんが目を付けてるダイバーってどれくらいいる?〕
〔今まで戦った中で楽しかったのって誰?〕
「目を付けてるダイバーかぁ……ヴィオレットちゃんは勿論でしょ? クリムちゃんとか、アトちゃんと咲ちゃん……あ、この間戦ったティガーちゃんはかなり良い線行ってたよ。あの子の武器がもう数cm長ければ当たってたもん」
りすなぁのコメントで思い出したのは、小柄な女の子のダイバーの姿だ。
低い姿勢から繰り出される独特のリズムとパワーの連撃は、私にヒリつく新鮮さを感じさせてくれた。惜しむらくは彼女の得物のリーチが比較的短い事だ。
本当に後数cmだけ武器が長ければ、私の身体に間違いなく彼女の攻撃は届いていた。
「だからおまけであの子の武器作り直してあげようと思ったんだけど、『情けはいらん! 絶対に実力で届かせたる!』って断られちゃった」
〔ティガーのああ言うとこ正直好きだわ〕
〔今もどんどん強くなってるよティガーちゃん〕
「うわぁ、楽しみな事聞いたなぁ! 今はりすなぁの中に居ないの?」
〔多分いない〕
〔あの子あんまり他の人の配信見ないのよ〕
「うーん、残念。挑戦状叩きつけたかったのに……」
〔挑戦者は寧ろティガーちゃんの方だと思うけどw〕
〔魅國は?〕
「魅國ちゃんかぁ……あの子は何と言うか、あたしと相性が悪過ぎるのが残念だね。実力は間違いなく高いと断言できるんだけど、一工夫ないとあたしに攻撃は届かないと思う」
魅國ちゃんは大きな鉄扇と炎魔法を使いこなす、オールレンジで戦えるダイバーだ。
近距離であの鉄扇から感じたパワーは正直、ティガーちゃんの比じゃない。だけど、速度の点においてあの鈍重な武器は大きなハンデになる。
それをカバーする為の炎魔法なのだが、これまた私の風魔法と相性が悪いのだ。
私が指先で操る風魔法一つで、彼女の魔法は彼方に吹き散らされてしまう。いや、寧ろやろうと思えば逆に反射まで出来るだろう。
この致命的な『相性』。これが彼女の大きな課題だった。
「逆に言えば、鉄扇と魔法以外であたしの動きを鈍らせる方法を用意すれば十分可能性はあると思うよ」
と、そんな応答を繰り返している内に背後からヴィオレットちゃんの意識が戻った気配を感じる。
「……またやってたんですか。配信ごっこ……」
「あ、起きた! じゃああたしのハイシンはここまで! おつチヨ~!」
〔おつチヨ~!〕
〔おつ~!〕
「はい! コレ返すね~」
目を覚ましたヴィオレットちゃんの元に駆け寄って球体から手を離すと、球体は自然にヴィオレットちゃんの傍へと飛んで行き滞空を始める。
「また勝手に挨拶まで考えて……まぁ、良いですけどね。壊されるよりはマシですし」
「あはは~! ゴメンね! 毎回毎回壊しちゃって!」
「……今後も配信したいなら、壊さないように注意したらどうですか?」
「それは無理! 戦いが最優先!」
「はぁ……」
確かに配信で色々な情報を仕入れられるのは魅力的だけど、やっぱり本命はヴィオレットちゃんなのだ。
そう伝えると彼女は深いため息を吐くが、最近は彼女のこう言うリアクションも楽しみになって来た自分がいる。
「──っと、ヴィオレットちゃんも目が覚めたし、あたしはそろそろ帰るね! またね~!」
「もう来なくても良いんですよ~」
「絶対!! また会おうね~!!」
「やけに力強い返答ですね……」
控えめに手を振るヴィオレットちゃんに、ブンブンと大きく腕を振って私は帰路につく。
(……ちょっとあの子に入れ込み過ぎかな? でも仕方ないよね、ヴィオレットちゃん。貴女は私の『希望』でもあるんだから……)
「──たっだいま~!」
「チヨ! 帰ったのね! 急いで準備しなさい!」
家のドアを開けると、直ぐに慌てた様子のユキが声をかけて来た。
手には落ち着かない時にはいつも弄っているスマホが握られており、相当焦っている様子だ。
「わゎっ、どうしたのさ!? そんなに慌てて──」
並々ならない様子に内心で警戒を引き上げながら、私はいつも通りの振る舞いで彼女に問うが──
「『あの方』が視察に来るの! 出迎えないと!」
「ッ!」
返って来たユキの言葉に、私の警戒レベルは更に引き上げられることになった。




