第175話 チヨの初配信?
「『──奈落の腕』!」
「く……ッ!!」
上空で掲げられたチヨの右腕に重力の中心が移ると、その瞬間に私の身体はチヨに向かって落下し始める。
チヨとの戦いが始まってから暫く、地上の近接戦では有利を取れていたが、やはりこの魔法を使われると状況はガラリと変えられてしまう。
上空に飛び上がったチヨは地上の私に向けて風の刃を放ちながら呪文の詠唱を続け、私はこの状況にまんまと持ち込まれてしまった。
風の刃を躱す為のサイドステップで両足が地面を離れたタイミングを狙われた所為で、早くも私の身体は地面から数m程離れてしまっている。これでは細剣を使って地面に粘る事も出来はしない。
しかし前回とは異なり、既にその魔法を見た事がある私は、即座に現状持つ手札で対抗するべく意識を切り替えていた。
流石にこんな一瞬で幾つも対抗策は思い浮かばなかったが、一つだけ『これは』と思いついた打開策。
(イチかバチかの賭けだけど……やるしかない!)
今の状況で取れる選択肢は【エンチャント・ゲイル】がまだ付与されているグリーヴによる空中機動のみ。しかし普通の重力よりも数倍強力な『奈落の腕』の影響下では、【エア・レイド】や【ブリッツスラスト】で脚力を強化しても、一時的に距離を取る事しか出来ないだろう。だけど……
「──【エア・レイド】【ブリッツスラスト】!」
一時的でいい。その一瞬の推進力で良いのだ。魔法の発動直後のこのタイミングなら、まだ──
(──良し! 届いた!!)
地面だった岩盤に、一瞬とは言え着地が出来る。
体感としては天井に向けて跳び上がった慣性を利用して、一瞬だけ逆さに立つようなイメージだ。
本来正しく踏みしめる筈の地面が天井であるように感じる独特の違和感はあるが、そんな事は今は重要ではない。
大事なのはこの一瞬、私は両足をついて踏ん張れると言う事。
「……ッ!」
視界に収めたチヨの眼がハッと開かれる。そして彼女の翼がバサリと広げられた。
どうやら私がこのまま地面にしがみつき、彼女の魔力が切れるまで耐えようとすると考えたのだろう。私に向かって突っ込んでくるつもりのようだ。
(『奈落の腕』の重力はチヨに近付くほど強力になる……それはつまり、チヨの方から近付いて来ても同じ効果があると言う事だ。彼女が私に近付けばやがては高まった重力に屈し、私の身体は結局浮き上がってしまうだろう。彼女の対応は正しい。しかし──)
元々私の狙いは粘り勝ちではない。
一瞬の隙を突いての、必殺だ。最初からそれしか狙っていない。
「──【ブリッツスラスト】ォ!」
「──あは……ッ!」
一回だけ踏み込む脚力を強化するスキルを再び使用し、全力で地面を蹴る。チヨに向かって。
私の身体はチヨの発生させた重力さえも味方につけ、嘗てない速度でチヨに迫った。
「……ッ!!」
(当たれ……ッ!!)
口を開く事も出来ない風圧の中、狙いを定めて突き出した闇を纏ったローレルレイピアの一閃。
──その切先は、チヨの身体に届いた。
「今のは……凄く良かったよ! ヴィオレットちゃんっ!!」
「く……ぅぐっ──!」
振り抜かれたローレルレイピアの切先は、確かにチヨの身体に微かに届いた。
へその付近から右肩に向けて真っ直ぐに刻まれた、一筋の黒い線がその証だ。しかし──浅い。本当に浅い切り傷だ。
チヨにはあの速度でも見切られてしまった。その上、ほぼゼロ距離のこの場所では、チヨの『奈落の腕』から逃れる方法は無い。
重力の中心である右腕を直接押し当てられ、身体が軋む。そしてそのまま──
「えいっ!」
「グゥアアアァァッ!!」
再び全身に電流を流し込まれ、私は意識を失った。
「──……! で…、別に……つも…………ってる訳じゃないからね!?」
(──なんだ……? 声……? 誰かが話してる……)
どこかで聞いたような声……そうだ。これはチヨの声だ、とぼんやりとした頭で考える。
チヨが誰かと話しているのだ。寝ている私の直ぐ傍で。
相手の声は聞こえない……だけど、チヨの雰囲気からしてかなり親しい相手なのかもしれない。……いや、チヨなら誰相手でもこんな感じの話し方してそうだな……
(……──ッ!!)
途端、意識を失う直前の事を思い出し、ガバッと上体を起こす。
チヨが親しく話す相手……それはつまり、悪魔の仲間なのではないか。
前回こそ気絶した私に危害を加えなかったチヨだが、今度は寝ている私を悪魔の本拠地に連れ去ったのではないか。そんな警戒心から跳ね起きた私は、素早く周囲を見回したが、そこで私が目にしたのは──
「だーかーらぁ! あたしは戦うのが好きなだけで、殺すのは別に──……って、あ! 起きたんだ、ヴィオレットちゃん!」
「……あの、何やってるんですか? 他人のドローンカメラ引っ掴んで……」
チヨが笑顔でこちらに振り向く。
彼女が両手で挟み込むように掴んでいるのは、私が今日使っていた配信用のドローンカメラ。
それに向かって話すチヨの姿はまるで……
「んーっと……ハイシン? って奴かな。前からこれ何かなって思ってたけど、他の人間と話せるんだね!」
「……まぁ、はい……」
まるでも何も、そのままダイバーの真似事の様な事をしていたらしい。
今もカメラの近くに浮かび上がるコメントに目を通しては、あれやこれやといつもの調子で話している。
(……もしやとは思ってたけど、やっぱり読めるんだな。日本語……)
リスナーとのやり取りは基本的にコメント……つまり、日本語を読めなければできない。海外のリスナーからのコメントもAIで自動翻訳されて届く時代だからな。リスナーの実際の言語はともかく、こちらに届くコメントは全て日本語なのだ。
しかし、それをすらすらと読んで返答するチヨを見るに、彼女の日本語力は相当に高いように思える。
「……あの、前から気になってたんですが、良く日本語読めますね? どこで学んだんですか?」
〔ヴィオレットちゃん!〕
〔ホントそれな〕
〔俺も思ってた〕
彼女に近付いて尋ねると、向きの関係で読み難かったコメントの内容も良く分かるようになる。
私がようやくカメラの画角に入った事で、無事を喜ぶコメントや私の疑問に同調するコメントも流れているが、その前はまたなんとも……──いや、それについては後ほど触れるとして、だ。
「日本語は昔ちょっとね! もうどんくらい前なのかは分かんないけど!」
「はぁ……」
詳しく話す気が無いのか、そもそもよく覚えていないのか。軽く流したチヨは、まるで捕まえた小鳥を逃がす様にドローンカメラから手を放す。
するとドローンカメラは自動追従機能によって自然と私の傍にやって来て、滞空し始めた。
「いやぁ~、なんかゴメンね! あたしが毎回それ壊しちゃうせいでハイシン中断されてたんだぁーって怒られちゃった!」
口では謝っているが、あっはっはと朗らかに笑っている様子から考えて、多分反省とかはしていないだろう。
今回はたまたま生き残ったドローンカメラくんも、次回も無事と安心はできないな。今後も予備のドローンカメラは用意しておくとしよう。
「それじゃ、ヴィオレットちゃんも起きた事だし、あたしはそろそろ帰るね! 最後の攻撃、本当に楽しかったよヴィオレットちゃん! またねー!」
いつものようにそう一方的に告げたチヨは、翼を広げて元気に飛び去って行った。
〔またねー!〕
〔おつチヨ~!〕
「……あなた達、いつまでそのノリ続けてるんですか……」
私がチラリと見えたコメントには、チヨをダイバーのように扱い、いつものノリでわちゃわちゃと楽しんでいたリスナー達の様子がありありと残されていた。
〔ごめんw〕
〔おかえりヴィオレットちゃん!〕
〔話すと結構楽しくてついw〕
「はぁ……まぁ、確かに彼女はフレンドリーですけどね……」
面と向かって『敵だ』と言われてしまった身としては、複雑な気分だ。
そう言えばあの会話についてはまだリスナーに共有していなかったな……いや、やめておこう。また今度、カメラが無事な状態でチヨとの戦いが終わった後に、チヨ本人の口から言って貰った方が一番良い。
チヨの普段の様子からして随分と人間と親し気だし、私の言葉だけで信じて貰えるとも思えないしな。
「それにしても、生き残ったかと思えば浮気して……悪いドローンカメラくんですね」
〔草〕
〔よくぞ生き残った!感動した!くらい言ってあげてw〕
〔生き残ってもこんな扱いw〕
〔今のセリフちょっとぞくぞくした〕
〔アレ謝ってたけど次回は普通にドローンカメラ壊しそうw〕
「同感ですね。絶対反省とかはしてないですよあの感じ……因みに、私が気絶している間にチヨは何か言ってましたか? 『実はあたしの弱点は○○だー!』みたいな」
〔そんな事は言ってなかったかなぁw〕
〔言ってたらバカ過ぎるんよw〕
〔チヨの弱点は肩の後ろの二本のごぼうの真ん中にあるすね毛の下のロココ調の右だぞ〕
「そもそもチヨの肩の後ろにごぼうが無いんですけど……」
〔草〕
〔草〕
リスナー達と軽くそんなやり取りを交わしながら、私が気絶していた間のコメントのログを念の為に確認する。
具体的なやり取りに関してはアーカイブを確認しないと分からないが、確かにコメントの様子を見る限りでは重要な話はしていなさそうだ。……なんか、チヨのファンクラブの会員No.001番を名乗っているリスナーも居るが、別にそこは重要でもなんでもないから良しとしよう。
(まぁ、わざわざ自分から不利になる様な情報は話さないだろう。ああ見えて結構色々考えるタイプみたいだからな、チヨは……──ん?)
概ね予想通り、ただチヨとの会話と言う貴重な機会を楽しんでいるだけのコメントに混じって、気になる物があった。
「あの……この『挑戦者爆増するぞ…』って何のことですか?」
このコメントの前後は、特にリスナー達の盛り上がりが目に浮かぶようなやり取りが続いた形跡がある。チヨが何を言ってこんな流れになったのかが気になったのだ。
私としては軽い気持ちの質問だったのだが……
〔そうだ!そんな話もあったな〕
〔チヨが自分にまともな攻撃与えられたら魔剣作ってあげるって言ったのよ〕
「え……!?」
突然の爆弾情報に、私も思わず固まってしまった。
8/2 追記
過去の描写と微妙に矛盾するセリフがあったので修正しました。




