第172話 事後処理
「ただいまー……」
カーテンの隙間から白い日光が細く差し込む薄暗い部屋。
多分『俺』もまだ寝ているだろうと声量を抑えた私の声が、小さく空気に溶けていった。
(──やっぱり寝ているか。まぁ、朝の5時だもんな)
例の強盗犯を捕縛したのは昨晩の事だが、あの後通報に駆けつけた警察に事情を説明して犯人を引き渡した後も、私はその場を去ったフリをして近くに潜伏して警戒を続けていた。
しかしその後は平和そのもの。私の心配は杞憂に終わり、こうして空も白んで来た早朝に腕輪の機能で帰って来たという訳だ。
(この後はオーマ=ヴィオレットの姿でイヤーカフを受け取りに行く予定だったけど……一度風呂に入ろうかな)
特に汗をかいた訳じゃないけど【変身魔法】でそれなりの時間過ごしたし、一度体を解したい気分だった。
脱衣所のかごに着ていた服を入れ【変身魔法】を解除すると、私の姿は再び魔族の物となる。
私はそのまま風呂場に向かうと魔法で浴槽を水で満たし、それを程よい温度のお湯へと変える。
「──よし、こんな物か」
と、湯船に突っ込んだ手で温度を確認したその時だ。
私は昨晩犯人のスマホで聞いた、女性の声の事を思い出した。
(そう言えば……あの女の声って、今の私の声に似ていたな……)
少し前、なんかの番組で聞いたのだが、声が似ている人は骨格も似ている事が多いらしい。
そうなると今の私の顔立ちは、もしかしたらあの女性を探す役に立つかもしれないな。
「……兄さんの目が覚めたら、今の私に似た有名人が居ないか聞いてみよう」
そう呟いて、思わずくすっと笑みが漏れた。
(この声だと『兄さん』って呼び方に違和感しかないな……)
「──えっ、似ている人を知ってる?」
暫くして目を覚ました『俺』に早速尋ねてみると、思いもよらなかった答えが帰って来た。
「ああ。『言われてみれば』って感じだけどな。確かに声もちょっと似てるかもしれん」
「それは誰!? その人、三十億円ポンと支払える財力持ってそう!?」
「お、落ち着けって! どう言う質問なんだそれ!?」
起きたばかりの『俺』の肩を掴んでぐいぐいと揺さぶると、それですっかり目が覚めた様子の『俺』は私を宥めながら答えた。
「あー……要するに『金持ちか』って話か? まぁ……持ってるだろうな、金は。何せ──ダイバー協会の会長さんだし」
「!?」
『俺』のその返答に衝撃が走る。
思い出したのは捕縛した直後の犯人の言葉だ。
──『俺達が捕まろうとあの人が手を回してくれりゃあ俺達は直ぐに刑務所暮らしとおさらばよ!』
──『そうさ! いくら俺達だって何の保証も無い相手に従うかよ!』
(なるほど……もしも本当にダイバー協会の会長が裏で指示を出していたのだとすれば、奴らの自信にも合点がいく!)
財力、権力、影響力……そのどれもがこの国のトップに匹敵し得る立場に居るのが、ダイバー協会の会長と言う立ち位置だ。
何せ前身となった探索者協会の発足から数百年……この国どころか、主要各国の発展をダンジョンの探索と言う面で支えて来た、この世界にとって無くてはならない存在がダイバー協会なのだから。
(……とはいえ、そうなると動機は何だろう? いくら会長と言っても、犯罪に手を出せば普通に失脚するだろうに……)
世界に求められているのは、あくまでダイバー協会の技術とコネクションだ。ぶっちゃけてしまえば、協会が今のまま回るのであれば会長なんて誰でも良い……危ない橋を渡れないのは普通の社会人と変わらない筈なのに、ゴブリンキングの魔石にはそこまでの価値があったのだろうか。
「……どうかしたのか? 難しい顔して」
「え? あ、ああ……そうね、詳しく説明するわ。でもその前に──【変身魔法】っと」
L.E.Oでの一件を話す前に、配信前のオーマ=ヴィオレット──紫織の姿になっておく。やっぱりこっちの方が何かと気楽だ。
「──なるほどな……強盗の指示役が会長の声に似てるって訳か」
「ええ。まぁ、電話越しなのであくまで似てるだけですが」
顔立ちと違い、声が似ているだけなら結構いるからあまりそれだけで断言はできないが、あの犯人達が従った背景も踏まえて考えるとかなり怪しく見えて来るのがダイバー協会の会長と言う女性だ。
「あの会長がねー……? そんな人には見えなかったんだけどな……」
「? 見た事があるんですか?」
「ん? ああ、前にも話したが俺ってダンジョン療法士目指してるだろ? その関係で見学に行った時にちょっとな」
聞けばダンジョン療法士と言うのはダイバー協会における部署の一つでもあるらしく、専用の免許とダイバー資格を持って初めて目指せる仕事らしい。
そう言う事もあって学校行事でダイバー協会に見学に行った際、話す機会があったのだとか。
「顔だけならサイト調べりゃ出て来るぞ。……──ほら、ちょっと似てるだろ?」
「……確かに、ちょっと似てますね」
『俺』の見せてくれた画像に映る女性は、確かに魔族の私に似ていると言えば似ている顔立ちだった。気が強そうで迫力のある美人と言った感じだ。
骨格が似れば声も似る理論が通用するのなら、多分声も『俺』の言った通り似ているのだろう。電話越しなら更に似るかも知れないな。
「ま、電話越しにこの人を騙って元ダイバーを動かしたって可能性だってある。電話越しなら声を変える方法だってあるからな」
「む……、それもそうですね」
確かに『俺』の言う事ももっともだ。
ダイバー協会会長の名を騙り、声を似せれば犯人達の扇動は不可能ではない。
私とスマホで平気で会話をしたのだって、そもそも声を偽っていたと考えれば辻褄も合うのだ。
「盗難は防げたんだし、あまり深く考えすぎるなよ。この後L.E.Oに改めて行くんだろ?」
「……分かりました。引きずり過ぎるのも問題ですからね。出かける準備でもしておきます」
「ああ。……朝食は、まぁ適当にパンでも良いか」
今日は日曜日。探索配信もする事を考慮すると、午前中の内に受け取っておきたい。
支払いの為に『俺』について来てもらう必要もあるし、あの女性(?)の事は今は置いておくとしよう。
「──えっ、押収!?」
「はい。今回の強盗犯が標的とした物品として、捜査や裁判の証拠と言う扱いになりますので……ご協力をお願いします」
時刻は午前10時。
朝食を済ませてL.E.Oに到着した私達を待っていたのは、事件現場として捜査が進められているL.E.Oへの入店を阻むイエローテープと、捜査中の警察官からの無慈悲な宣告だった。
「何とかなりませんかね……? 元々の魔石……素材の殆どは妹の──オーマ=ヴィオレットの持ち込みなので、所有権はあると思うんですけど」
「そう言われましても……やはり一度盗まれた物と言う点が重要な証拠なので、ご理解ください」
『俺』の説得も撥ね退けられ、まるで聞く耳を持ってくれない警察官。
確かに証拠としてアレが重要なのはわかるが、流石にこの扱いはあんまりだ。……そう思って項垂れていると、イエローテープで仕切られた店内から一人の男性が警察官に声をかけた。
「すみません。証拠品のイヤーカフについてですが、詳細な情報のみを提供するという形に出来ませんかね?」
「貴方は……確か店長の」
「はい。今回の事件は私共の不注意にも責任がございます。この上、お得意様に不義理を働くと言うのは、こちらとしても不本意ですので……」
パリッとしたスーツに身を包んだ、背筋の伸びた中年男性が警察官と交渉を進めている。
曰く、私の配信で魔石の入手経路が明かされている点、三十億と言う価値が配信にて全国に拡散されていた点等から、証拠能力を求めるのであれば現物は必ずしも必要という訳ではないだろうとの事らしい。
「お望みであれば、加工の際に使用された貴金属や機材等の機密情報もご提供いたします」
「……少々お待ちを」
そう言って頭を下げる店長を見た警察官が無線に手を伸ばし、何やら話しているのを横目に、私は店長へと駆け寄る。
「良かったんですか? 機密情報って言ってましたけど……」
「はい。私共なりの誠意、そしてケジメです。今後は警備体制をより強化していきますので、これからもL.E.Oを御贔屓願えばと存じます」
「……ありがとうございます」
店長の好意に素直に礼を言う。
ここまでの対応を見せてくれたのだ。これでダメだったなら、私も大人しく引き下がろう。
そう心に決めた時、無線での会話を終えた警察官が声をかけて来た。
「──お待たせしました。今回の盗品のイヤーカフに関しては、資料用の撮影と指紋の採取のみさせていただき、そのまま返却とさせていただきます。それまではお待ちください」
「! 本当ですか!?」
「はい。ただし、イヤーカフの材料となった魔石に関する聴取を取らせていただくという条件付きにはなりますが」
「分かりました。そのくらいでしたら!」
イヤーカフが証拠として押収されたら、多分裁判が終わるまでは返って来ない。それを思えば事情聴取くらい何てことない。
そう考えて私は提案を受けたのだが……
「ご協力感謝いたします。聴取の方は4時間ほどを想定しております。昼食に関しましては出前が取れますので、ご安心ください」
「えっ」
『 オーマ=ヴィオレット
@Ohma_Violette
少しトラブルがあって、今日の配信開始が遅れます!
かつ丼食べてきます!!!!!! 』
『なにごと!?』
『最後の「!!!!!!」からそこはかとない憤りを感じるw』
『ええんやで』
最近外で質の悪い風邪を貰ってしまったらしく、咳が止まらず頭も少しぼーっとしています。
なので更新を待って下さっている方々には申し訳ないのですが、少しの間身体を労わり静養に専念させていただきます。隔日更新続けたかった……
07/25追記
体調回復しました!
感想見たら凄いかつ丼の事に触れられていたので確認したら、確かに誤解を与えやすい表現をしていたので軽く文言の修正を入れました。
修正前:警察官「こちらで出前を用意いたします」
修正後:警察官「出前が取れます」
確かにこの言い方だと奢りますって言ってるように聞こえるなぁ……
08/22上記文言の一部訂正
市民に対する捜査協力の場合、拘束が長引いたりした時は警察側の配慮で奢って貰える場合もあるようです。私の知識不足で誤解を与える可能性を減らす為、この場で訂正いたします。(ちょっと遅いかもですが…)




