第170話 深夜の捕物劇(前編)
「──それじゃ、そろそろ行くね。帰りは明日の朝になると思う」
「分かった。……まぁ、大丈夫とは思うが気を付けてな」
「うん。ありがとう、行ってきます。──【ムーブ・オン ”渋谷ダンジョン”】」
ゴブリンキングの魔石をL.E.Oに預けた後に一度帰宅した私は、これまで買って来たプライベート用の服装から動きやすい物を選ぶと、【変身魔法】で変えた姿に見合う服装に着替えて再び渋谷ダンジョンのロビーへと向かった。
ロビーに到着した私を人気の少なくなって来たロビーの職員達がチラリと一瞥し、私がそのまま出口へ向かう姿を見ては再びそれぞれの職務に戻っていく。
渋谷ダンジョンのダイバーが私用で渋谷に来る際にこのロビーを転送先として利用する事は実は多く、私の行動を疑問に思う職員はいないだろう。特に最近は他県から様々なダイバーが集まってきているし、見慣れない顔立ちでも怪しまれにくくなっているしな。
(さて、多分間に合うと思うけど……)
今の私の格好はUMIQLOで買った『冒険にも耐えうる私服風の衣装』だ。こうして都会を歩いていても夕方の時ほどの注目を集める事も無く、私の事も数日経たずに忘れるだろう。
すっかり歩き慣れた渋谷を、時折声をかけて来るナンパをスルーしながら歩く事約二十分。私の前には夕方にも訪れたL.E.Oのビルが聳えていた。
(……今のところ異変は無いようだな)
外観をざっくり観察した程度だが、事件が起きているような気配はない。
現在も営業中であり、ダイバーらしき客も出入りしているが、その様子は至って自然だ。どうやら間に合ったと言う事なのだろう。
(夕方に感じた気配は周囲に無い。諦めた可能性もあるが……念の為に待機しておこう)
一旦この場を離れ、人目の少ない路地裏に入る。
(この辺で良いか……【隠密】!)
誰にも見られていない事を確認し、魔法で姿と気配を消す。そして──
(【変身魔法】)
背中から魔族の翼が音も無く広がり、魔力によって飛翔する。
身に着けている衣服の背中部分も【変身魔法】で穴を作った為、翼は問題なく動く筈だが……
(……ちょっと飛びにくいな。本格的に飛ぶのも久しぶりだからか、鈍ってしまったか)
この辺に関してはまた折を見て慣らすとして、今はL.E.Oに向かう事が先決だ。
(L.E.Oの閉店は20時だ。急がなければ!)
最後に時刻を確認したのはL.E.Oの前だったが、その時には既に19時50分を回っていた。流石に閉店して直ぐ事が起こるという訳ではないと思うが、念の為にそれまでに現場に待機しておかなければ。
(──よし、何とか間に合ったようだ)
飛翔中、L.E.Oのビルに灯りが点いているのが見えた。
詳しい事情は分からないが、恐らく閉店した後に軽い清掃等もあるだろうし、スタッフが残っている内は向こうも動かないだろう。
(ここからは忍耐だな……)
私は獅子をモチーフにしたL.E.Oの看板の影に着地して身を隠すと【変身魔法】で翼を隠し、その時を待った。
6月となり、夜もそこまで寒くないこの季節。環境的には問題なくとも、退屈はやはり敵だ。
もう何度目とも知れぬ欠伸を噛み殺していると、一台の自動車の走行音が近づいてきて、ビルの裏の方に止まった。
(! 来たか……)
すかさず気配を探れば、それは間違いなく夕方に私を尾行していた三人の物。もしやとは思っていたが、やはり仲間だったらしい。
狙いは私がL.E.Oに預けたゴブリンキングの魔石だろう。
受付の話だと既に加工は完了しているだろうが、それでも30億の魔石だ。依然として価値は高く、裏ルートも使えばいくらでも買い手がつく。
そんな私の予想を裏付けるように、小さくガラスの割れる音が耳に届いた。裏口の窓のいずれかを割り、ビルに侵入したようだ。
(さて、この時点で捕縛するのは簡単だが……)
そもそもL.E.Oには警備員が常日頃から詰めている。
なるべくなら彼等には自力で解決して貰い、私が介入しなくても済むのが理想なのだ。
だから今の私に出来る事は──
(……あの黒いワゴンが犯人達の車か)
ビルの屋上から地面に着地し、【隠密】を解除した私は曲がり角の物陰から様子を伺う。
ワゴンの運転席には一人の青年。手にしたスマホの灯りが彼の顔を照らし出していた。
(──彼は……確か元・ダイバーだったかな。随分前のように感じるが、あの時までは渋谷ダンジョンで配信していた気がする)
その時確認した彼はお世辞にも実力は高いとは言えず、リスナーの数もかなり少なかった。
しかし、私がそれでも彼の顔を覚えていたのは、もう一つ。彼には『とある過去』があったからだ。
(──元・フロントラインのダイバー……まさかこんな形でまた関わる事になるなんてな……)
そう。彼は以前渋谷ダンジョンで様々な犯罪に手を染めた果てに解散した、フロントラインの元・メンバーだ。
彼の立場は下っ端であり、罪状が比較的軽かった為か、多額の賠償金とダイバー資格のはく奪処分で済んでいた筈だ。まぁ、情状酌量が付かなかった辺り、やる事やってたみたいだが。
(彼が仲間だとすると、残りの二人も……?)
……どちらにせよ、それも直ぐ分かる話だ。気持ちを切り替えた私は、ふらふらと足取り覚束ない様子で自動車の方へと向かう。
魔法で体温を上げて頬も上気させているので、如何にも今しがた近くの店で飲んできましたと言った雰囲気に映った筈だ。
私の接近に気付いた運転席の青年も、こちらの様子を伺っているのが気配で分かる。そして──
「──うぷっ……!」
「ちょちょちょちょちょ……ッ!!」
ワゴンの横を通り抜けようというまさにそのタイミングで口を押さえて蹲ると、ワゴンに吐かれると思ったのか青年が慌てた様子でドアを開けて降りて来た。
(──よし、今だ!)
接近して来た青年の背後に機敏な動きで回り込むと、私は彼の首に手刀を放ち──
(──【睡魔よ】)
「ぇっ……?」
同時に発動した魔法で眠らせた。
漫画とかでよくある首トンは実際にはかなり危険と言う話だし、意識を奪うのは魔法の方が確実だ。それでも手刀を放ったのは『気絶の原因』を手刀だと錯覚させる為であり、魔法のカモフラージュでしかない。
警察の事情聴取で『急に謎の眠気に襲われて』なんていわれたら無駄に混乱させるだけだろうしな。
「これで、よし……っと。先ず一人ね」
気絶したように眠る青年を運び、探索用のロープでワゴンの運転席に縛り付けた私は、そのままワゴンの運転席に刺さっていた鍵を引き抜いてポケットにしまった。これで万が一にも私が犯人を取り逃す事はない。
(さて……最初はあまり介入しない心算だったけど、相手が元・ダイバーとなると話は変わって来るな……)
犯人が完全な非ダイバーであればこの時点で詰んでいるのだが、私の予想ではビルに侵入した二人も元・フロントラインのメンバーである可能性は高い。
その場合、色々と面倒な選択肢が奴らにある可能性もあるのだ。
(腕輪をはく奪された元・ダイバーでも、レベルアップの恩恵はそのままだ。その気になればビルの数階程度飛び降りるのは訳無いだろう)
わざわざ逃走用の車両を待機させている辺り大丈夫だろうと思うが、もしも腕輪を持った仲間がいれば、そのまま腕輪の機能でおさらばと言う事も考えられる。
(出来れば警備員達に頑張って欲しい所ではあるんだけど……)
そう考えながら裏口の一枚だけ割られている窓に近付いたところで、ビル内部から『ジリリリリ!』とけたたましい警報音が響くのが聞こえた。
更に、何処かに収納していたゴブリンキングの魔石が取り出されたのだろう。L.E.Oの店内から濃密な魔力の波動を感じる。
(随分仕事が早いな……!? 急ごう!)
万が一の事を考えると、迷っている時間は無さそうだ。
私は割れた窓からL.E.Oのビル内に飛び込み、ゴブリンキングの魔石が放つ魔力を探知しながら犯人の元へ一直線に駆けだした。




