第168話 転がり落ちる
オーマ=ヴィオレットが魔物相手に技術の研鑽に取り組んでいる頃、そこから離れた場所を飛行する一つの影があった。
「~♪ ~♪」
鼻歌まじり飛翔する、ご機嫌なその女性の名は『チヨ』。今しがたオーマ=ヴィオレットを負かし、彼女の住処へと向かう帰路の途中だった。
「──……ん? なんか、変な気配……」
ふと何かを感じ取ったチヨは視線を地上に向け、そこで戦う一人のダイバーに視線を向ける。
「ォッラァッ! ──ハハッ、どんなもんよ!」
身の丈程の大剣を軽々振り回し、周囲を取り巻くアークミノタウロスを次々屠る青年は、傍に浮かぶ球体に向かってガッツポーズを取るなど余裕の様子だ。
彼を見て人間にしては強い気配を感じたチヨだったが、奇妙な事に彼女の食指は微妙な反応を示していた。
「んー……?」
チヨから見れば、彼の印象はとてもちぐはぐな物だった。
力は強く、内在的に持っている魔力も人間にしては高い。しかし、一方で戦い方は膂力に頼り切っており、豪快ではあるが戦闘技術はチヨの基準で言えば皆無に等しい。
「……ちょっと確かめてみようかな?」
そう呟いた彼女は、好奇心からその青年ダイバー──無礼童の前に降り立つのだった。
◇
「──オラオラァ! この調子で残りのアークミノタウロスもぶっ殺すぜぇッ!」
最近新調した魔鉄鋼製の巨大な大剣を力任せに振り回せば、アークミノタウロスが防御の為に構えた武器ごとその身体は忽ち両断される。
全身が一瞬で弾けるように塵と化し、ゴロゴロと大きな魔石が転がって出てくる様は爽快で、コメントも盛り上がりを見せていた。
〔テンポよく狩って行くなぁ〕
〔最初アークミノタウロスに囲まれた時はどうなるかと思ったけど〕
「はっ! 今更こんなザコに負けるかよ! もう何が来ても返り討ちにしてやるぜ!」
そうだ。この力があれば俺は無敵だ。
どんな敵が出て来ようとぶちのめしてのし上がる。そうすりゃリスナーは増えて、俺も更に強くなり、更に上を目指していける。
少し前までずっと燻っていたのが嘘みたいだ。だけど俺はもう変わった。
祭器のおかげで生まれ変わったんだ。だから、もう──
(──もう俺の成長は止まらねぇぞ!!)
この調子であの忌々しいオーマ=ヴィオレットも踏み台にして、俺がトップダイバーになってやる。
「さぁ! どっからでも掛かって来やがれッ!」
まるで負けるビジョンが見えねぇ。
高まったテンションのままアークミノタウロス達へ向けてそう叫んだ、まさにその時だった──
「ヤッホ~! やってるね!」
「……はっ!?」
俺の目の前に、悪魔が降り立った。
〔チヨ!?〕
〔チヨが来た!〕
〔うおお!チヨちゃんかわいい!〕
悪魔──チヨの登場にコメントが湧く。
コイツはダイバーを見つけ次第配信にやって来ては、ダル絡みしたり愚痴を零したりと妙に人懐っこい悪魔として今やダイバー界隈でちょっとした有名人だ。
『チヨに勝負を挑まれれば強者の仲間入り』……そんなジンクスまで浸透しており、その影響でチヨの注目度は常に配信でも上位に位置する。
(当然非公式だが)ファンクラブまであると聞く。そんじょそこらのダイバーよりも人気な悪魔……それがコイツだった。
〔無礼童はどっちだ!?〕
〔チヨちゃんジャッジ来るぞ!〕
(気に食わねぇ……)
俺がこれまで苦労して稼いできたリスナー達も、こいつが出た途端に反応を変えやがった。
確かに見た目は良い女だが、直接会えばそんな気も起きねぇ程にゴツイ魔力を放ってやがるバケモンだぞ。
これじゃ戦う前から人気も実力も、俺がコイツに負けてるみてぇじゃねぇか。
そんな事を思いながら、奴の出方を観察していると──
〔構えた!〕
〔勝負だぁ!!〕
〔無礼童は強者認定か〕
チヨは俺を見て無言で構えを取って見せた。
(──ハハッ! 何だよ、分かってんじゃねぇか!)
内心でチヨの判断を褒めてやる。
コイツが俺をこうして強者と認定した事で、俺の注目度は更に高まる事だろう。
いや……何ならこの場でコイツを打ち負かして、俺が最強だと証明してやるのも悪くない。
〔さっきヴィオレットちゃんもチヨちゃんに負けてたよな…〕
〔ヴィオレットが負けたってマジ!?〕
「──っ!」
(おいおい……こいつは本当に運が向いてきやがった!)
アイツが負けたってのも胸がすく思いだが、それはつまりチヨにとってはオーマ=ヴィオレットと俺の連戦って事だろう。
気に食わねぇが、オーマ=ヴィオレットは強い。アイツとやり合った直後なら、チヨだって少なからず消耗している筈だ。これはまたとないチャンスと言える。
ついつい口角がつり上がるのを感じながら、大剣を構えたその時だった。チヨが構えを取ったまま口を開いたのだ。
「正直あまり強いとは感じないんだけどさ……君、なーんか変な気配してるじゃん? 思いっきり手加減してあげるから、ちょっと戦ってくれる?」
「……は?」
耳を疑った。
(『あまり強いと感じない』? 『思いっきり手加減してあげる』? 俺の事を言ったのか……?)
……何の冗談だ。それは。
「てめぇ……! あんまふざけてっと……!」
「ヴオオオオォォーーーッ!!!!」
「ヴァアアーーーーーーッ!!」
激昂し、切りかかろうと俺が一歩踏み出した瞬間──チヨの背後にいたアークミノタウロス達が、突然チヨに襲い掛かった。
集団で俺と戦っていたところに割り込まれ、チヨの事を邪魔者に感じたのだろう。しかし……
「──ヴギィ……ッ!?」
「──グヴォォ!」
チヨはそいつらに一瞥もせず、尻尾を一瞬しならせただけで返り討ちにしてしまった。
ごろりと転がる二つの魔石。その光景を見て、チヨに恐れを抱いたのだろう。残ったアークミノタウロス達は、忽ちその巨体を翻して逃げ出した。
「……ほら、どうしたの? 先手くらいいくらでも譲ってあげるよ?」
「っ……!」
……化け物だ。
間違いない。目の前のこの女は、マジのバケモンだ。戦って勝てる相手じゃねぇ……それが今の一瞬で分かってしまった。
思わず足が竦む。先程踏み出した一歩の次が続かない。ただ向き合っているだけだというのに、嫌な汗が噴き出してきやがった。だが……
〔結局チヨちゃん的には「あんま強くない」って判定で良いのか〕
〔多分そう。何か無礼童は気配が変わってて興味持っただけっぽい〕
(──駄目だ! ここで逃げるのは奴の言い分を認めるようなもんだ!)
今の俺のリスナーは、俺の豪快な戦いを目的に来ている奴が多い。折角手に入れた力で積み上げてきた俺のイメージが、ここで退けば全て崩れてしまう。
「──ッ、ぅ、オオオォォォッ!!」
「おっ? 思ったよりは速いね。パワーもやっぱり人間にしては強いし……」
決意の咆哮と共に駆け出し、大剣を振り下ろす。
チヨはそれを何とも思っていない表情で、僅かに身体をズラす最小限の動きで躱しやがった。
大剣が地面に減り込み、岩盤に大きな亀裂を生む。直ぐに大剣を引き抜き、何度も何度も振るうが……
「ただなぁ……うーん……」
高速で振るわれる斬撃が、まるですり抜けているかのように当たらない。
しかもチヨは涼しい顔で時折大剣の腹を手で触れる等して、何かを確認する余裕まで見せてやがる。
「クソがアァァァーーーーーッ!!」
怒りのままに水平に薙ぎ払う。しゃがんで避けようものなら、そのスカした面に蹴りを叩き込んでやるつもりだった。しかし──
「……やっぱりこんな物だよねぇ」
「な──ッ!?」
奴は俺が振り抜いた大剣の腹の上にしゃがみ込んで、手をついていた。しかも、その眼は俺を見もしてねぇ……
「こっ……、こけにしやがってェェーーーーッ!!」
「あぁ、ゴメンね。でも──もういいかな」
「ハァッ!? ──グェ……ッ!」
突然チヨの姿が掻き消えたかと思ったら、視界がぐるりと回転する。
そしてその現象に反応するよりも早く胸を打つ衝撃と、いつの間にか捻られていた右腕から伝わる痛みに声が漏れた。
(なんだ? 今、何をされた……!?)
いや……大体は分かる。何らかの柔術で投げられたんだ。そして、組み伏せられた。
背中に感じる重みで、そこにチヨがいる事が分かる。しかし、その動きが全く見えなかった……
「──君、本当に人間?」
「ッ!? てめぇ、俺を魔物程度と同列だって言いてぇのか!?」
「いや、そう言うつもりは無いんだけどねー……」
「嘗めやがって……クソ、何で振り落とせねぇんだ!」
チヨの言葉に怒りを滾らせ、拘束を振り払おうとしているのだが……奇妙な事に女一人分の体重だというのに全くどかせられない。
何らかの魔法でも使っているのかとすら思えるが、そんな気配はしない。訳が分からなかった。
「はぁ……これは君の為に言うけど、強くなりたいんだったら真っ当に鍛えた方が良いよ?」
「ッ! 俺が真っ当じゃねぇってのかよ!? 何様のつもりだ! アァ!?」
(コイツ、祭器の事に気付いたのか!? いや、そんな筈はねぇ! 適当ぶっこいてるだけだ!)
チヨの言葉に激昂して追及を誤魔化す。
ただでさえ『迷惑系』として悪名が広まってんだ。これ以上悪いイメージが付けられてはたまらない。
「オオオォォォ……ッ!! ──っく、クソが……ッ! どけよ……! いつまでも人の上に乗ってんじゃねぇ……ッ!!」
「んー……──はぁ……まぁ、仕方ないか。忠告はしたからね」
「っ!」
呆れたようなチヨの声が遠ざかり、ふっと体が軽くなる。
直ぐに起き上がりチヨの方を向くと、奴は俺の大剣を二本の指でつまんだ状態で持ち上げていた。
「はい。これも返すよ」
「……」
奴はそのまま二本の指で大剣を放り投げ、俺の方へと寄越す。
放物線を描いて飛んでくる大剣……──俺は奴の虚を突いて駆け出し、空中で大剣の柄を掴むとチヨに斬りかかった。しかし──
「ッ! い、いねぇ……!」
チヨは忽然と姿を消し、俺の大剣は再び地面に深々と減り込んだ。
「──戦いに正々堂々を徹底しろ、なんて言うつもりは無いけどさぁ……小手先の不意打ちが通用する相手かどうかくらい、見分けられる目は持った方が良いよ」
「ひ……ッ!?」
背後から声が聞こえる。
すぐそこだ。ほぼゼロ距離。俺の真後ろに奴が居る。
だが、俺は動けなかった。俺の首元に、奴のナイフ以上に鋭い尾の先端が付きつけられていたからだ。
一瞬の静寂。それを破ったのは、チヨの方だった。
「──ま、あたしもアレくらいで目くじら立てたりはしないよ。挑戦する気概は買っても良いって思ったしさ」
「!」
首元から尾の先端が離れていくのを見て、途端に震え出した両足が頽れる。地面に突き立った柄を掴んでいなければ、両手も地面についていたかもしれない。
「じゃあね。もし君がちゃんと努力して強くなったら、その時はまた戦ってあげるよ」
……背後からチヨの気配が遠ざかっていくのを感じる。
俺は動けなかった。再び斬りかかる気力も、罵声を投げかける度胸も震えた脚から抜け落ちてしまった。
「畜生……! 畜生……ッ!!」
──足りない。
足りない、足りない、足りない、足りない……力が足りない。
まだ全然足りてない。
(オーマ=ヴィオレットを見返す? その為にチヨを倒す? ……全然足りてねぇじゃねぇか!)
オーマ=ヴィオレットが負けたと知った時に感じた暗い喜びも、それ以上の挫折に塗りつぶされた。もはや探索配信が出来る精神状態ではない。
「……今日の配信はここまでだ。またな」
コメントを一瞥もせず配信を終えると、俺は周囲に散らばるアークミノタウロスの魔石を拾い集め……一人、あの洞窟へ向かった。
俺が生まれ変わった場所……祭器に巡り合ったあの洞窟へ。
祭器は既に腕輪に収納してあるが、使っているところが万が一にも誰かに見られれば面倒な事になる。
最近は他所からダイバーが集まって来たからな……人目を避ける為の場所として、あの洞窟は理想的だった。
(足りないのなら足せば良い……簡単な事だ。俺はいくらでも強くなれるんだ。この魔石と、祭器がある限り……いくらでも……!)
祭器が告げた『天上の力』……それさえあれば、忌々しいオーマ=ヴィオレットも、憎いチヨも纏めてぶちのめしてやれるんだ。
(そして……アの方の力にナルんダ……!)
急ごう。あの洞窟へ……祭器が待っている。




