第160話 戦いの後に
夢中で突き出したローレルレイピアの切っ先が硬質な何かに触れ……その直後、宮殿に響き渡る甲高い破砕音。
まるで悲鳴のようにも聞こえた悍ましい反響が収まると共に、脳へと直接流し込まれていたイメージは次第に途切れて行き……『洗脳』の影響を脱した私は思わず膝を着いた。
「はぁーっ、はぁーっ……!」
〔ヴィオレットちゃん!?〕
〔どうしたの!?〕
〔え、何で今あの釜壊したん?トレジャーじゃないの?〕
彼等にはあの声は聞こえなかったのだろう。
実際、過去に私自身も結晶の洞窟のアーカイブを確認したが、声が聞こえなかった。
今ならばその理由も納得できる。あれは厳密には音ではなかったのだから、配信に載る筈がなかったのだ。
「ぅ、く……っ! ──ふぅ……」
ふらつく脚で何とか立ち上がり、息を整える。
未だに頭がぼーっとしている感覚が残っており、思考がまとまらない。だが、これだけは言っておかなければならないだろう。
「……配信を見ている皆さん……特に、渋谷ダンジョンに潜るダイバーの皆さん。もしも今後、貴方達がダンジョンで先程の大釜を見つけても、迂闊に近付かないでください……実は──」
〔──洗脳!?〕
〔マジか全然気付かんかった…〕
〔様子が変だとは思ってたけどそんな事されてたなんて…〕
〔今も調子悪そうだけど大丈夫?〕
「ええ……多分、一時的な物ですから大丈夫です。ただ、ちょっと頭がぼーっとするだけですし……」
最初に比べればかなり良くなったが、頭に靄がかかったように言葉の整理が出来ない。
その所為で説明には少し時間がかかってしまったが、何とか危険性を伝えられたようで何よりだ。
ゴブリンキングの進化の原因も破壊できたし、これで一先ずは大団円だな……そう安心した時、視界の端に赤く揺らめく物が映り込んだ。
「……どうやら、火の手がこの宮殿の内部にまで回って来たようですね。ここでの用事も済ませましたし、早く拠点に戻って皆さんと合流しましょう」
〔あ、もう皆地上のロビーに戻ってるよ!〕
〔戻るなら渋谷ダンジョンのロビーに!〕
〔皆ダンジョンからはもう出てるよ!〕
「っと、そう言えばそんな手筈でしたね……ありがとうございます。まだちょっと思考が纏まっていなくて……──【ムーブ・オン "渋谷ダンジョン"】」
〔ええんやで〕
〔これ相当エグイ攻撃だったんだな…〕
〔後遺症にならないか心配〕
最後の最後でリスナーの皆に心配をかけてしまったが、ともあれこうして私も無事に渋谷ダンジョンの下層から帰還するのだった。
ロビーへと戻った私に待っていたのは、周囲からの大喝采だった。
共に戦ったダイバー達や協会職員達から私に向けて投げかけられる賞賛は少しくすぐったかったが、同時にやっと成し遂げたんだという実感が湧いて来た。
洗脳の影響も心配されたが、現時点でおかしいと思う事は無かったので、そう答えておいた。実際それまで頭にかかっていた靄も、帰還直後に湧き上がった歓声で吹っ飛んでしまったしな。
何か忘れている気もするが……まぁ、いずれそれも思い出すだろう。
「──そうだ! 折角皆無事だった事だし、この後打ち上げ行こうぜェ! 良い時間だし、パァーっと飲もうじゃねぇか!」
「そう言えば、シャッターが下りている所為で忘れていたが、もう夜なんだったな。俺としては先に戦果の換金もしたいところだが、今は設備がこのありさまだし……──そうだな、行くか!」
「ウェーイ! 話分かるジャン、Katsu-首領-さん!」
「あ、勿論未成年はダメだぞ? 皆早く帰って、家族を安心させてあげなさい」
と、どうやら大人なダイバー達の大多数は、この後OKAサーファーの誘いで打ち上げに行くようだ。飲み配信が出来る店で盛大にやるらしい。
まぁKatsu-首領-が言ったように、今のロビーは最初のゴブリン達との戦闘に始まり、ダイバー達の補給や治療の為に模様替えしたり、私がバリケード用に長椅子を持ち出したりとした結果、派手にとっ散らかっているからな。協会職員達も忙しそうだし、魔石を始めとした戦利品の換金どころではないだろう。
そんな訳で時間の都合もあり、全員で配信を締めた後は各自解散と言う運びとなった。
「……さて、折角だし配信の締めはヴィオレットさんに任せても良いだろうか?」
「異議なしです!」
「ま、最大の功労者やしな。ウチも異論無いわ」
「だね。私も賛成!」
という感じで、今回の戦いに参加してくれた錚々たるメンバーの前に立たされた私が代表して挨拶をする事になり、目の前には私の言葉を待つようにずらりと並んだそれぞれのドローンカメラの壁が出来る。
以前私が企画した大型コラボよりも遥かに多い数だったが、その時も配信を締めくくったりしていたのでこの光景もすっかり慣れたもの。
ここはバシッと決めて、気持ち良く締めるとしよう。
「では……コホン。皆シャ──さん、ここまで見届けてくれて──」
「いや即噛みかい!!?」
ティガーの鋭いツッコミが背中に突き刺さる。
続いて数名の小さな笑い声や、コメントに溢れる大草原。いやぁ……勢いで誤魔化そうとしたけど無理だったか。
〔顔真っ赤でかわいい〕
〔わざとじゃなかったのかw〕
「う、うるさいですね! 今のは──そ、そうだ! さっきの洗脳の所為でまだぼーっとしてるんです!」
〔さっき自分で大丈夫って言ってたやんw〕
「あ、あぁー! なんかくらくらして来たなぁー! ぼーっとしてる気がするぅー!!」
「もうええから早よ締めェ! ぐっだぐだやないか!」
「各配信の高評価、チャンネル登録、メンバーシップ等々よろしくお願いします解散!!!!」
「雑ゥ!!」
張り詰めた糸が切れたように、どっとロビーに満ちる笑い声。
先程まで息の詰まる様な緊張に身を置いていたところからの開放感もあってか、一気に場が明るいムードに包まれた。
想定とは違ったが、これはこれで平和な日常を取り戻したような感じで良いじゃないか。
と、一人納得し、帰宅の為に腕輪に添えようとした右手を、ガシッと掴まれた。
「いや、それはそれとしてグダグダなまま締める訳にはいかんからやり直しな?」
「はい……」
──そんな事があっての帰宅。
あれから私はちゃんと配信を締めくくり、配信外でそれぞれ健闘を労う言葉を交わしたのち解散。
時刻は既に20時を回っており、今日の晩御飯は出前を取る事になった。
そして注文したちょっとお高い寿司が届くまでの数十分の内に、私は『俺』より一足先に風呂に入ろうとしていた。
(──【変身魔法】っと……──ん?)
……まただ。鏡に映った自分の姿に、何か違和感を覚えた。
以前も風呂場で何か違和感を覚えた気がしたが……そう言えば、あれもその正体は分からず仕舞いだったな。
いや……ここまでくれば流石の私も、凡その見当はついている。
(レベルアップの影響がどこかに出ているんだろうな……)
『レベルアップ』は理想へ近付く変質だ。それは容姿にも当て嵌まる。
異世界では最初から最後まで変化が無かった容姿だが……それがここに来て、少しずつ変化しているのだろう。
(……でも、どうして急に……?)
レベルアップにより近付く『理想』は、本人の深層心理に影響する。
要するに一過性の興味だったり、流行によって左右されないと言う事だ。もしもそんなに外部からの影響を受ける理想像に近付いていくのであれば、情報が簡単に手に入るこの現代社会、同じ顔のダイバーで溢れていた事だろう。
それがここに来て変化が始まったのだとするならば……
(私の『理想像』が異世界に居た頃から変わった……? ……何で?)
本来は起こりえない変化。その答えに私が辿り着くのは、もう少し先の話だった。




