第158話 戦争の終結
「──う……っ! お、俺は一体……!?」
響き渡る剣戟の音、人と魔物の雄叫びや悲鳴……それらの物音によってKatsu-首領-の意識が浮上する。
真っ先に彼の目に飛び込んできたのは、切り揃えられた黒髪の下から覗く怜悧な瞳だった。
「目が覚めた? 怪我は大丈夫?」
「君は……? ──っ! そうだ、俺はゴブリンジェネラルの攻撃で……!」
彼の身を案じる彼女の言葉に、Katsu-首領-は意識を失う直前の記憶がぶり返す。
ゴブリンジェネラルに狙われていたクリムの姿を咄嗟に探せば、彼女は今も焔魔槍を手にゴブリンジェネラルと戦い続けていた。
「無事だったか、良かった……!」
「……他人の身を案じる事が出来るのは美徳だけどさ、今は貴方自身の心配をしなよ。そんな装備じゃ、今度は一溜まりも無いよ?」
ほっと息を吐くKatsu-首領-だが、女性の指摘通り彼の装備は先程のゴブリンジェネラルの一撃でボロボロだった。
魔鉄鋼製の重厚な大盾は粘土細工のようにひしゃげ、治療の為か身体から外されていた甲冑の腹部も同様に穴が開いている。
前腕を覆うガントレットも、盾を貫通された際に攻撃が掠っていたのだろう。固定する為の金具が壊れており、防御性能を著しく落としているのが分かった。
そんなありさまを確認したKatsu-首領-は、このままでは戦線への復帰は難しいと判断し、駆けだそうとした脚を踏みとどまらせると、女性へ向き直り感謝の言葉を述べた。
「! そうだな……君の言う通りだ。治療の事も重ねて、ありがとう。……ところで、なんだが……」
「何?」
感謝の為に彼女に目を向けた際、心の片隅に引っ掛かる物を感じたKatsu-首領-。
彼は失った装備の代替品を補給する前に、その違和感の正体を確認しようと女性に問いかけた。
「失礼を承知で聞くんだが──君は、誰だったかな……?」
「え?」
「いや、助けて貰ってなんだが、君の顔に見覚えが無くてな……この作戦に、最初から参加していただろうか……?」
「……もしかして、さっき頭打ってたからかな? 記憶が混乱してるのかもね」
「そう、なのか……? だが──」
女性の返答に釈然としない物を感じたKatsu-首領-。
しかし、彼が更に追求しようとしたその時、彼等の方へと突進するゴブリンジェネラルの雄叫びが上がった。
「──っと、ゴブリンジェネラルが来たよ! ここは私が抑えておくから、今はとにかく装備を整えて来な!」
「! わ、分かった! だが、後で話は聞かせて貰うぞ!?」
妙に間が悪いと思いながらも、しかし身を挺してくれた女性の脚を引っ張る様な真似も出来ない。
Katsu-首領-は彼女の言った通り、協会の支援物資の中から破損した装備の代わりを探す為にその場を離れたのだった。
(……行ったか。流石に怪しまれたかな? まぁ、どの道この一件が終われば行方をくらますだけだし、別にいいか……)
女性はKatsu-首領-の背中を一瞥した後、突進してくるゴブリンジェネラルに向き直る。
(──殺気を向けただけで反応してくれて助かったよ。でも……もう用済みだね)
女性の姿が突如として掻き消える。
ゴブリンジェネラルが突き出した狼牙棒が空を切り、岩壁に突き刺さり固定された。
「!?」
「──シッ!」
「ォガァッ!?」
直前まで確かに目の前にいた標的の姿を探すゴブリンジェネラルの背後に既に回り込んでいた女性は、食いしばった歯の隙間から鋭く息を吐きながら強烈な掌底を背中に叩き込んだ。
バキバキと背骨を砕く威力のそれをもろに受けたゴブリンジェネラルは全身を仰け反らせ、苦痛に呻く。
勿論ゴブリンキングのバフを受けているジェネラルはそのダメージも直ぐに回復し、一転女性に対しての敵意を滾らせたが……
「──じゃあね」
「ヒッ!」
直後に正面に現れた女性から放たれた威圧に、その敵意さえも一瞬で恐怖に塗り替えられてしまった。
女性の両腕がブレる。周囲のダイバーからその姿を隠す為に仰け反らされた身体に、長年の研鑽で培われた暴力の嵐がこれでもかと浴びせられ──
「ガ……ァッ──」
ヴィオレットが『闇の魔力で再生を止めなければ倒せない』と判断したゴブリンジェネラルは、彼女の拳の乱打で塵に還った。
「……はぁ、駄目だ。これじゃまだ足りない……『アイツ』を倒すには、まだ──」
しかし女性はそれに満足するそぶりも見せず、更にゴブリンジェネラルから零れ落ちた魔石に目もくれず……ただその眼を静かに燃やし、場を後にしたのだった。
……女性が人知れず姿を消したその数秒後。
「──ッ! ゴブリン達の動きが変わった!?」
装備を整える為、戦線から離れた場所にいたからこそ、Katsu-首領-にはその変化が直ぐに分かった。
いや……今まさに前線で戦っているダイバー達の中にも、ちらほらと気付いている者がいるようだ。
その眼は一様に期待と興奮に輝き、この苦境において希望を見出した事が伝わって来る。
……そう、状況は変わったのだ。ゴブリン達の著しい弱体化と言う形で。
(この急激な変化……間違いない!)
「ゴブリン達が弱体化しているぞ! ヴィオレットさんがゴブリンキングを倒したんだ!!」
「うおおおおお!!!」
確信したKatsu-首領-は声を張り上げてダイバー達を鼓舞すると、彼等から一斉に喝采が上がった。
「やりやがった! アイツ、やりやがったよマジで!」
「ヴィオレットさん……! 流石です!」
「ハハッ、やるやんけ! こらこっちも気張らなアカンなぁ!」
「ほな、ここに居る奴ら倒せばこの戦いも終わりやね。最後まで油断せずに行きまひょか」
「こうなったらもうこっちのもんだ!」
「ふっ……流石は深淵の剣姫だな……」
「あはは、これはもう完全に超えられちゃったかも? 最強の名も返上かなぁ」
士気が向上したダイバー達と、今までの力が急激に抜け落ちたゴブリン達……もはや勝負は決した。
……いや、既に勝負ではなくなっていた。
これまでゴブリンキングと言う絶対的な支配者が居たからこそ手を取り合っていた複数体のゴブリンジェネラルは、この時点でそれぞれが軍のトップと言う立場になったのだ。
ゴブリンの本能はそれぞれを味方ではなくライバルと認識するようになり、もはや協力どころではない。
戦いのいざこざに紛れて同士討ちまで起きており、足を引っ張り合う泥沼状態だ。
(……明確なトップがいなければ、軍はここまで堕ちるのか……)
勿論人間は彼等のように単純な本能で生きてはいないため、ここまで露骨に仲間割れをする事態には陥らないだろう。
しかし、それでもKatsu-首領-はこの光景を胸に刻むことにした。いつか自分のクランが……自分の身の回りの人間がこのような分裂を起こした時、何か出来る事があるのではないかと模索する為に。
(……! そう言えば、あの女性は……!)
ハッとして洞窟の戦いを見回すKatsu-首領-……しかし、既にそこに彼女の姿は無い事に気付く。
(──……居ない、か。一体何者だったのだろうか、彼女は……)
逃がしてしまった無念と、やはりかと言った納得の綯交ぜになったため息を零すKatsu-首領-。
程なくしてゴブリン達の殲滅は終わり、渋谷ダンジョンを中心に起こった小さな戦争は終結する。
負傷者は多数出たものの死者は0と言う結末に晴れ晴れとした喝采を上げるダイバー達の様子とは裏腹に、彼の胸中には小さなしこりが残るのだった。




