第157話 戦争の終わりに
──ドゴンッ!
「ッ! 皆、備えろ! そろそろ来るぞ!」
オーマ=ヴィオレットが無数のゴブリンを巻き込んで作った氷壁の向こう側から大きな激突音が響き、氷に亀裂が入る。
恐らくはコマンダーか、それ以上の個体……ジェネラル級の突進だろうと辺りを付けたKatsu-首領-の指示で、身体を休めていたり補給をしていたダイバー達も迅速に陣形を整える。
氷壁を揺らす突進はその後何度も行われ、その度に轟音が響く。
(この緊張感、まさにロビーの再演だな……)
心の中で独り言ちるKatsu-首領-。
誰かの息を飲む音が響く中、ついに氷壁が砕け散り、数体のゴブリンジェネラルが拠点へと雪崩れ込んできた。
「な……ッ!?」
「ゴブリンジェネラルがこんなに!?」
氷壁を破った勢いそのままに突進してくるジェネラル達。
「──【ノブレス・オブリージュ】! 【聖痕】!」
ここが切り札の使いどころと判断した春葉アトが、二つのバフスキルを躊躇いなく発動する。
「スタッフの皆さんは後ろに! 私が迎え撃ちます!」
鋼糸蜘蛛の焔魔槍を油断なく構えたクリムが協会職員達を背に庇い、穂先の炎を輝かせる。
「はっ、数ばかり揃えようがウチに攻撃は当たらんでェ!」
四足獣のように姿勢を低くしたティガーが、突進を掻い潜り一瞬でその背に闇を纏う双牙を突き立てた。
「く……っ、この巨体やと風で飛ばすのは厳しいなぁ……」
「魅國さん、こちらに! 【サテライト・ウォーター】!」
百合原咲が【サテライト・ウォーター】と槍に付与して貰った氷の属性を使い、後衛職の為に即席の防御壁を作る。
それぞれが自身の持てる力を最大限に発揮し、戦線を何とか維持しようと奮闘していた。
そんな中──
「ッ! クリム! 危ない!」
「えっ──」
背に庇った職員達を守る為に奮闘していたクリムに向かって、二体目のゴブリンジェネラルが向かっていた。
そして、それに逸早く気付いたKatsu-首領-が二体目のジェネラルの前に立ちはだかり……
「──ぐ、ぶっ……!」
構えた盾を容易に突き破り、その腹をジェネラルの拳が痛烈に撃ち据えた。
「かっ、Katsu-首領-さーーーん!!」
内臓を損傷したのだろう。大量の血がKatsu-首領-の口から溢れた。
意識は一瞬で刈り取られ、吹っ飛ばされた身体は岩壁に叩きつけられる。
「そんな……! 早くKatsu-首領-さんを治療しないと……」
「彼は私に任せて。貴方は目の前の相手から意識を逸らさないで」
「貴女は……?」
「いいから!」
フードで顔を隠した女性が倒れたKatsu-首領-の元へと駆ける。
途中で立ちはだかったゴブリンジェネラルの攻撃を華麗にいなし、それどころかカウンターを叩き込んで逆に吹っ飛ばしていた。
驚異的な身体能力……それも、見たところスキルを使っている様子も見られない。
(あんな人が居たなんて……! いけない! 私も戦わなくちゃ!)
一瞬呆けていたクリムだったが、直ぐに目の前のゴブリンジェネラルに向き直る。
(きっともう直ぐ、ヴィオレットさんがゴブリンキングを倒してくれる筈だ! それまで頑張るんだ!)
◇
眼下に広がったゴブリンの国へと墜落したゴブリンキングを追い、私は地上へ向けて高度を落としていく。
……が、途中で地上のゴブリン達から放たれる矢の斉射により、一定以上ゴブリンの国に近付く事が出来ない。
【千刺万孔】でコピーされる刺突の方向がコピー元と同じである以上、全方位からの矢の雨に対抗するのは一人では難しい。
(ゴブリンキングが上がって来るのを待つしかないのか……)
【千刺万孔】の効果は一分間だ。
一応春葉アトの持つ【ノブレス・オブリージュ】や【聖痕】のように、再使用の条件があるスキルではないが、再使用すれば刺突のカウントは当然リセットされる。
今と同じコピーの数に戻すにはその分の魔力も消費するし、何度もカウントをリセットされるのは非常に都合が悪いのだ。
「──オオオォォッ!!」
「ッ! 来ましたか!」
墜落の際に舞い上がったおがくずや土煙を裂いて、ゴブリンキングが再び飛翔してくる。
当然無策ではないだろうと考え、その全身を素早く観察すると、先ほど氷漬けにした右脚が完治しているのが分かった。
(まさか……右足を自ら切り落として再生したのか!? 確かにそうすれば凍らされていようと、闇の魔力が定着していようと関係なく再生が可能になる……!)
つまり、四肢への凍結や闇の魔力の定着はあまり意味をなさないと言う事だ。
唯一、両腕を同時に凍らせる事が出来れば四肢の自切を防げるだろうが、奴もそれは理解しているだろう。せめて利き腕を奴の細剣ごと凍らせる事が出来れば──
(……? そう言えば、奴の構えに違和感がある。なんだ……?)
観察している内、一つ気付いた違和感。その正体は、奴の左腕が角度的に私から隠されていると言う事だった。
(そうか、さっきまでのゴブリンキングの構えと違うんだ!)
たまたまそう言う角度や姿勢だった訳ではない。明確な意図を感じる構えだ。
私は直感がかき鳴らす警鐘の命じるまま、二つの細剣で攻撃に備える。──次の瞬間、身体で隠されていたゴブリンキングの左腕が露わとなった。
(──ッ! 左腕に風のエンチャント!? 不味い!)
左腕の前腕部から爪の先にかけてを象るように風の魔力が取り巻いているのが見えた瞬間、私はこの後放たれる攻撃の苛烈さを理解せざるを得なかった。
風の魔力は付与された物の性質や動きによって補助の形を変える。
例えば魅國が使う巨大鉄扇の場合、閉じた状態は棍棒としてスイングをアシストし、開けば扇として扇いだ際の突風の勢いを強める。そして先端の刃で突けば鉾としてその鋭さやリーチを増やす。
……では、それを生身の手に付与した場合はどうなるか。
「バアァッ!!」
ゴブリンキングが左手を大きく広げ、五指の爪で空中をひっかくように振るう。
すると爪の軌跡を象った五枚の薄い三日月状の風の刃が、私の方へと回転しながら飛んでくる。
「チィッ……!」
放たれた風の刃をローレルレイピアとデュプリケーターで捌いた瞬間、正面から発生した突風で体勢を崩される。
直後、側面へと回り込んでいたゴブリンキングが手刀を放てば、その先に形成された風の刃がまるでもう一本の刀のように私の首へと迫って来た。
「ッ! 舐めるなッ!」
風の刃は薄く、非常に鋭い。しかしその分、側面を叩かれれば直ぐに構成を乱されて散ってしまう。
私は素早くローレルレイピアを薙ぐ事で風の刃を散らし、一気に距離を詰めようと空を蹴る。しかし──
『──空の乱渦!』
(不味い……!)
風を纏わせた左手を翳し、ゴブリンキングが呪文を唱える。
付与された風の魔力が竜巻の魔法をアシストし、とんでもない暴風が私の身体を吹っ飛ばした。
(この風威……! 予め呪文を唱えていたな……!?)
恐らくは私の側面に回り込みながら、既に詠唱を済ませていたのだ。詠唱を省略した簡易発動の魔法では、いくら風の属性のアシストがあってもここまでの威力にはならない。
完全に竜巻に囚われてしまった私は、上下の間隔を失う程に振り回されてしまう。
「……!」
(竜巻の中に無数の風の刃が……!)
回転する視界の中、発見した刃から頭部を守るように身を固める。
私のドレスアーマーは薄布に至るまで対斬撃に強い素材で作られている為、これでほとんどのダメージは防げるが──
「──ハハハハハァッ!!」
「な……ッ!?」
まさかゴブリンキングが竜巻の中まで追って来るとは、流石に想定外だった。
ゴブリンキングは力強く空中を蹴り生み出した豪風で、この乱気流の中を強引に突っ切って来る。
当然彼の全身は自らが生み出した風の刃でボロボロになっていくが、そこは凄まじい再生能力を持つゴブリンキングだ。作られた傷は一瞬で完治し、また新しい傷が作られては次の瞬間消えていく。
(迎え撃たなくては……!)
止む無くガードを解いて二本の細剣を構えるが、不運は更に重なる。
(く……【千刺万孔】の効果が切れた……!)
ここに来て丁度一分の制限時間が来たらしい。
両手の剣から感じていた魔力の感覚の消失に、その事を理解する。
「──【エンチャント・ゲイル】、【千刺万孔】!」
「カァッ!」
両方の細剣に風を付与し、【千刺万孔】を再発動したところで私に追いついたゴブリンキングが燃え盛る細剣を振るって来た。
「く、おおぉっ!!」
「ハハハハハ! ──ハァッ!」
迎え撃つ突きの連打。
時折ゴブリンキングの左腕が生み出す風の刃や突風に妨害を受けながらも、本命である炎の細剣だけは確実に弾き、逸らし、反撃の機会を狙い続ける。
風の連撃がゴブリンキングの炎を巻き込んで、周囲の気流を更に掻き乱す。
そして……
「──【螺旋刺突】!」
見出した僅かな隙を突き、デュプリケーターによる【螺旋刺突】が生み出した竜巻が、ゴブリンキングが生み出した竜巻を内側から食い破った。
一瞬で無風状態へ戻り、空中へと投げ出された一瞬。私はゴブリンキングの姿を見失った。
(ッ! ──後ろか!)
先程の一瞬で【螺旋刺突】の性質を看破していたのか、ゴブリンキングは私と切り結ぶのを中断して回り込んでいたのだ。
既に攻撃は私の背中へと迫っており、多少姿勢を変えた程度では躱せない距離。空中を蹴って生み出す風による移動も間に合わない。
紛う事なき絶体絶命だ。
──私が人間であったならば。
バサリと飛膜が空を叩く。
先程の竜巻で吹っ飛ばされたのは私だけではなかった。
当然私に追従していたドローンカメラも吹っ飛ばされており、回転する視界の中で真っ二つになった残骸を私は確認していたのだ。
つまりここに居るのは私とゴブリンキングだけ……他人の目が無い今しか使う事の出来ない切り札だった。
「……ッ!?」
眼下に驚愕に目を見開くゴブリンキングの顔が見える。
私の背中から生えた一対の翼を、彼は呆然と目で追っていた。
「【エンチャント・フリーズ】! ──ハァッ!」
「グオァッ!」
攻撃の直後、がら空きの背中に氷の魔力を付与されたデュプリケーターが突き刺さる。
忽ちに背中が凍り付き、そのまま私は翼を使い急降下。ゴブリンキングの国から離れた地面へと、そのまま叩きつけた。
「──ガハァッ!」
「ふぅ……ふぅ……終わり、ですね。ここには空中に水分が十分にありますから……」
聳える結晶のオベリスク。
光を放つ湖の畔……滝によって常に細かい水滴がキラキラと空中を泳ぐ、美しい光景。……私が見つけた最初の絶景スポットだ。
「オ、ォァ……ッ!!」
空気中の水分がゴブリンキングの背中の氷を急速に育て、その身体を、腕を、燃え盛る細剣の柄を覆い、地面に縫い付ける。
私はゴブリンキングの背に突き立ったまま固定されたデュプリケーターから手を放し、氷が私の脚を覆う前にその場から飛び退き、彼の顔の前まで歩を進める。
「……出来れば、このような不意打ちでの決着は避けたかったのですけどね」
もしも今も拠点で戦っているダイバー達の存在が無ければ、もしもただ探索の果てに始まった戦いであったなら。きっと私はこの翼を使う事は無かっただろう。
私と同じ技、同じ武器を使う魔物。……欲を言えば、正面から戦い、堂々と倒したかった。それだけが残念だった。
そんな私の表情が見えたのだろう。ゴブリンキングは、笑みを浮かべた。
『何故悔やむ。どういう形であれ、勝敗は決した。貴様の器を測りきれなかった、我の敗北だ。……貴様の勝利だ。誇れ。貴様は我を討ったのだ』
驚愕だった。
まさかゴブリンキングが私に話しかけて来るとは……そして、励まそうとするとは。
彼が話しているのは、呪文の詠唱にも使っていた異世界の言語だ。魔法を使える事からそんな気はしていたが、やはりゴブリンキングは異世界の言葉を扱えるらしい。
それはつまり……同じ言語を扱える私とも、会話が成立すると言う事だ。
『……何故、貴方は我々に戦いを挑んだのですか。ゴブリンキングは他のゴブリンキング以外に戦争を仕掛けない……それが我々の認識だったのに』
この貴重な機会。私の口を突いて出たのはそんな疑問だった。
ゴブリンキングは、私が彼と同じ言葉を使える事に少しだけ驚いた後、懺悔するように静かな口調で話し始めた。
『……わからぬ。得た力の大きさに、振るう相手を求めた。ただそれだけだと、我自身も思っていたが……今にして思えば、我は力に「使われていた」……そう言う事なのかもしれぬな』
『力に使われていた……?』
『……大釜の祭器に注意せよ。決して甘言に乗るな。気を許すな。身を任せるな。──奴に一度でも身を任せた時、貴様も我と同じ末路を辿るだろう……それでも力を欲するのなら、我の核を祭器に捧げ、力を得ると良い』
『……』
彼の言う大釜の祭器……私が以前、結晶の洞窟の底で見た物に間違いないだろう。
やはりあの時心に語り掛ける声は、実際にあの大釜から発せられたものだったのだ。
ゴブリンキングは忠告の後、私を真っ直ぐ見つめながら『悔いは無い』と言いたげな表情で告げる。
『……我が伝えられるのは、これで全てだ。さぁ、止めを』
『……誇ります。貴方と戦えた事を。貴方に勝った事を。──貴方の首を取る事を!』
ローレルレイピアを掲げる。
「──【エンチャント】!」
この世界で何度も使って来た魔法により、この世界で見せた事の無い『純粋な力』がローレルレイピアに宿る。
その輝きを目にしたゴブリンキングが、目を細めたのが分かった。
『嗚呼、これこそが……「天上の力」か……』
「さらばです!」
そして、満足気に笑みを浮かべるゴブリンキングの首が舞い……人と鬼の戦争は幕を閉じた。




