第156話 激突④
オーマ=ヴィオレットが腕輪の機能で撤退した数分後──
『──黒角の姿が消えた?』
『は、はい! 我々も落ちて来たところを狙うべく目を凝らしておりましたが、忽然と……!』
帝国へと叩き落としたオーマ=ヴィオレットの姿を見失ったゴブリンキングは、消火活動が進む国の中心広場にて、オーマ=ヴィオレットが姿を消した場に居合わせていた部下達からそう報告を受けた。
彼の知識には『転送魔法』と言う物は無かったが、しかし何らかの方法でヴィオレットが自ら姿を消した事は状況を考えれば明白だ。と、なれば彼女の消失が意味するのは──
『逃げたか……』
それはゴブリンキングにとっても残念な結論だった。
彼は先程の一戦でオーマ=ヴィオレットと実際に剣を交え、今の自身の方が勝っていると言う確証を得ていた。
しかし『宿敵と定めた相手が勝負から逃げた』と言う事実は、直接的な勝利を得られなかった事以上に落胆の思いを強める結末だったのだ。
『──まぁ、良い。引き続き奴らの洞窟を攻めよ。想定よりも深い洞窟のようだが、攻め続ければいずれ果ても見えて来よう』
『はっ!』
逃げた宿敵との決着に、もはや未練はない。
このまま洞窟の全てを掌握し、角無し共の武器から魔石まで全てを奪い、更に高みを目指すのみ……彼の行動指針は最早それしか残されていなかった。
(これも高みに至った者の宿命か……なんと無機質で、虚しい)
今以上の高みを目指すとして、その先に何をするかの目標も得られず、ただただ振るう機会のない力を追及するだけの生涯。
『天上の力』を手にした時の高揚も既に遠く、しかし王として臣民を導く責務ばかりがのしかかる。
手にした宝剣の輝きさえも色褪せていくような思いでいると──
『お、王! 奴が、あの黒角がまた現れました!』
『──何……?』
上空を見上げれば、そこには確かにオーマ=ヴィオレットの姿。
しかし、一度逃げ出した者が今更どうすると言うのか……無感動にその出方を伺っていると、オーマ=ヴィオレットは闇を纏ったデュプリケーターの切っ先を、ゴブリンキングへと真っすぐに突きつけた。
(──『上がって来い』と言っているのか? 一度逃げ出した分際で……)
そう考えたゴブリンキングだが、歯痒い事にその要求を飲む必要性があるのも事実だ。
彼が周囲を見回せば、そこら一帯にはオーマ=ヴィオレットによって引き起こされた火事の延焼を食い止めるべく、消火作業にあたるゴブリン達の姿があるのだ。
ここで彼が誘いに乗らなければ、オーマ=ヴィオレットは再び燃える球を国に落としてくるだろう。王として、それだけは避けたかった。
『ふん……仕方ない。安い挑発だが、乗ってやるとするか。──我が意に沿いて、脚に宿れ──荒ぶ豪風よ!』
もはや敵も無く、持て余すだけの力だ。暇潰しに相手をしてやろうと、再びゴブリンキングは上空へと飛翔する。
何度逃げようと、何度戻ってこようと、何度だって叩きのめす……先ほどの交戦を経て、彼はもはやオーマ=ヴィオレットを格下としか見ていなかった。
『我が意に沿いて、刃に宿れ──紅き猛火よ! ハァッ!』
絶対的な勝利への確信と共に振るわれた細剣の一撃。それがオーマ=ヴィオレットに到達する寸前、ゴブリンキングは小さな異常を感じ取った。
(なんだ……? 肌寒い……?)
もともと下層は日光が届かないと言う事情から、地上と比べると非常に肌寒い場所だ。
しかしそんな下層に生まれ、低い気温にも慣れているゴブリンキングにとってもなお肌寒く感じる程の冷気……それがオーマ=ヴィオレットの周囲には漂っていたのだ。
(いや、寒かろうが関係ない! 終わりだ、黒角!)
冷気を裂きながらオーマ=ヴィオレットへと迫る宝剣の刺突。
それを受け流したのは、白い霜を吐き出す様に纏ったローレルレイピアだった。
『──!』
突き出された極低温の刃の側面を、灼熱の刃がつるりと抵抗なく滑る。
炎と氷、反する属性の刃が触れあった面からは『ジュウゥ!』と高温の鉄板に垂らした水が急速に蒸発するような音と共に、水蒸気が溢れ出す。そしてそれは忽ち冷やされ、霧となって二人の姿を覆い隠した。
(視界が……これが狙いか! だが甘いぞッ!)
自身の攻撃を受け流しながらカウンターとなって迫るローレルレイピアの刺突を身体全体で躱し、オーマ=ヴィオレットの左側へと回り込んだゴブリンキング。
これ程の距離にまで近づけば霧の目隠しも意味をなさず、互いの視線が交錯する。
その瞬間、ゴブリンキングは受け流された直後の刃を捻り、空中へと蹴りを放つとオーマ=ヴィオレットへと迫った。
しかし、同時にオーマ=ヴィオレットも空中でバックステップ。ゴブリンキングと正対しながらも距離を取ろうとするが、ゴブリンキングはそのまま的確に彼女の首へと宝剣を振るう。
オーマ=ヴィオレットはその一閃を右手のデュプリケーターで受け止め、ゴブリンキングの膂力を利用して距離を開けると、再び霧の中に姿を眩ませた。
(また逃げる気か! そうはさせんぞ!)
先程のように再び何処かへと逃げるつもりかと判断したゴブリンキングは、直ぐにオーマ=ヴィオレットに追撃を仕掛けるべく、その姿を追って霧の中へと突き進む。
……その直後、霧に包まれたオーマ=ヴィオレットの口から、彼女に与えられた『新たな力』の名が響いた。
「──【千刺万孔】!」
◇
「──はぁっ!」
「ッ!」
私を追って来たゴブリンキングの頭部目がけて真っ直ぐに放ったのは、新しく解禁した【エンチャント・フリーズ】により『氷』の属性を帯びたローレルレイピアによる刺突だ。
この刃には貫けば傷口周辺を凍て付かせる性質があり、更に相手の身体が濡れていたり等多くの水分を纏っていた場合にはその凍結範囲は全身に及ぶこともある。
凍り付いた部位は物理的に再生が阻害される為、この属性でもゴブリンキングにダメージを与える事は可能な筈だ。
そんな一撃が自身の頭部目がけて向かって来たゴブリンキングは、右手に持った煌びやかな細剣で私の攻撃を弾くと、私の身体を掴もうと左手を伸ばしてくる。私をこの場で確実に捕らえ、そのまま止めを刺すつもりだろう。
当然私はデュプリケーターの刺突で牽制し、ゴブリンキングは手を引っ込める。
「ッ、クァッ!」
「!」
(──左ッ!)
一度は掴みかかるのを断念したゴブリンキングだったが、彼は即座に私の左へと回り込むと鋭い斬撃を放ってきた。
側面から攻撃する事で、私の武器の片方を封じる為だろう。両手の武器を使ってなお手数で劣っていた『以前の私』であれば、彼の一撃を防ぐ方法は無かったに違いない。
しかし、今の私には──先程から発動している『もう一つのスキル』がある。
ゴブリンキングの斬撃に対して、私は刺突で迎え撃った。
私の刺突は斬撃を放つゴブリンキングの細剣の側面に向けて突き進み──
──ギキィン!
直後響き渡った、二重の金属音。
それと同時に、膂力で圧倒的に劣る筈の私の刺突が、ゴブリンキングの斬撃を弾き返した。
「──ッ!?」
少なくない動揺がゴブリンキングの顔に浮かぶ。
「まだまだッ!」
「! オオォッ!!」
その隙を突いて私は更に追撃を仕掛けるが、一瞬早くゴブリンキングの防御が間に合ってしまった。
──ギギキィン!
「……ッ!!」
刺突がゴブリンキングの細剣を弾いた際に響き渡った、三重の金属音。
それでこのスキルの効果を察したのか、ゴブリンキングの表情が一気に険しく引き攣った。
そう、今の重なった金属音は【千刺万孔】の効果によるものだ。
発動から一分間……刺突を放つ度に、その回数に応じた刺突のコピーを魔力を使って生み出すスキル。
……こうして言葉にすると少々分かりにくいが、要するに攻撃の回数が2回、3回と増えて行けば、一度の攻撃で繰り出される刺突が2発、3発と増えていくわけだ。
コピーした刺突の起動は本体に追随する為、全方位に攻撃したりと言った芸当は出来ないが、それでも私が攻撃する度にその手数を際限なく増大させ続けると言う効果が強力無比である事に変わりない。
実際、先ほどよりも一回分多い刺突を同時に受けた事で、弾かれた武器に引っ張られる様に体勢を大きく崩したゴブリンキング。当然、私はその隙を突いて再び追撃を狙う。
「はあァッ!」
「グクッ……!」
咄嗟にバックステップで攻撃を躱そうとするゴブリンキング。
しかし、その右脚に一瞬早く私のローレルレイピアの刺突が届いた。
その瞬間、脚に刻まれた四つの傷口からそれぞれ小さな氷柱が生え、霧によって濡れていた体表を伝い、ゴブリンキングの右脚が完全に氷に覆われた。
「ッ!?」
脚が凍て付いた事で風の制御が利かなくなったゴブリンキングは、そのまま高度を急激に落としていく。
錐もみ回転しながら落ちていくゴブリンキング……一瞬見えた彼の口元は、喜悦に歪んでいるように見えた。




