第152話 人鬼戦争⑰
「ギギィーーーッ!」
「グゲッ!? ギャッギャァ!」
洞窟を包囲するゴブリン達の軍の一角に撃ち込まれた【メルティ・リップル】の爆発と、『香』を括りつけた矢の斉射によってゴブリン達の間に混乱が広がる。
【メルティ・リップル】の威力は洞窟からの距離もあってかなり減衰してしまっていたが、それでもゴブリンを数十体規模で吹っ飛ばし、『香』の匂いをまき散らすには十分な効果を上げたようだ。
「──【エア・レイド】!」
それに乗じて洞窟から素早く飛び出した私に向けて、あまり香の影響が出ていないゴブリン達の弓兵が無数の矢を射かけてきた。
しかし混乱が起きている方向だけは矢の層が目に見えて薄く、私はその一角へ向けて飛び出す事で無事作戦通りに上空へと跳躍する事が出来たのだった。
それでも諦めの悪いゴブリン達が、なおも矢をこちらに放って来るが──
「よ……っ! ハッ!」
今の私の位置に届く頃には矢の勢いも落ち、対処も容易となっていた。
(よし! ここまで高度を稼げばゴブリンの矢も余裕で回避ができるな……! ──しかし、なんて数だ……)
高度を稼いだ事でゴブリンの戦力を文字通り俯瞰できる余裕が出来たが、眼下に見えるゴブリンの包囲網はこちらの想定以上に分厚く、その頭数は遠目で見ても夥しい物となっていた。
この様子ではいくら一部で混乱が起きているとは言っても、やはり地上からの正面突破は難しいだろう。
(援軍は期待できない。本当に単騎で突入するしかないんだな……)
厳しい状況を再確認し、地上から射かけられる矢を時に躱し、時に両手の細剣で叩き落としながら空中を進む。
途中で見かける光景はゴブリン達の伐採や、整地の影響で幾分か変えられてしまっているが、向かうべき道は地上のゴブリンの行列が教えてくれた。
地平線の先まで続きそうな程、太く長い進軍の大河……それを遡上したその先にゴブリンの王は居る筈だ。
(速く……もっと、速く……!)
強く虚空を蹴る度に私の身体は速度を増していく。
肌に触れる空気は冷たく感じられ、聴覚は風の音に支配される。
それでも速度は緩めない。全てはほんの僅かでも早く、ゴブリンキングを討つ為に。
◇
「──よし、ヴィオレットさんは上手く包囲を越えられたようだ! 俺達も作戦通りに動くぞ!」
「おう!」
上空の闇に消える後姿を見送ったダイバー達は、【メルティ・リップル】の爆発によって刺激されたゴブリンが攻めて来る前兆を確認し、洞窟の奥へと駆けていく。
圧倒的な戦力差を埋める為、戦線を洞窟内に張ろうと言う作戦だ。
「早くしないとゴブリン達が来るぞ! ちゃんと隙間なく仕掛けろよ!」
「分かってるってば!」
その途中、ダイバー達は手にもっていたカラーボールを洞窟の壁面や地面へと投げつけながら拠点化した境界の部屋へと逃げていく。
叩きつけられたカラーボールからは『帯電する液体塗料』が溢れ出し、そこら一帯にまき散らされてこびり付いた。
これらは包囲を突破する前にヴィオレットが武器にエンチャントした際、ついでに協会から支給されたカラーボールにもエンチャントを施し、彼等に残したアイテムだ。
彼女は洞窟に突入してくるゴブリンの勢いを削ぎ、少しでも防衛を容易とする為にはこういったアイテムも必要だと判断したのである。
「やっぱりエンチャントって便利だな……即席のトラップも作れるのは強いわ」
「とは言え、過信は禁物だぞ。相手はゴブリンの大軍だ。これはあくまで一時しのぎにしかならん」
洞窟の通路を一面帯電する道に作り替えたダイバー達だが、今のゴブリン達はこれだけでは止まらないと言う確信が彼等にはあった。
数の暴力の強さを良く知り、その上で倫理・道徳を知らぬゴブリン達であれば、仲間を踏み台に道を作る程度の事はしてくるだろうからだ。
「──よし、全員戻ったな!? バリケードを組め! 弓隊は備えろ! 盾持ちはバリケードの陰に身を潜めて待機だ!」
洞窟の壁と言う壁、地面と言う地面に属性を付与したカラーボールを境界の部屋になだれ込んだダイバー達。
一団の最後の一人が部屋に飛び込んだのを確認したKatsu-首領-が待機していたメンバーに指示を出し、地上から持ち込ませたアイテムの入っていたコンテナや長椅子などで通路の下半分を塞ぐ。
そしてバリケードから数m程の距離を置いて、わざと空けておいた上半分のスペースから矢を射かけるべく、ウェーブダイバースのアーチャー部隊が矢を番え、ゴブリンの接近に備えた。
(一先ずはこれで良し……! 後は弓隊がタイミングを見計らって香をゴブリンの軍に投じれば、狭い通路内で混乱を作り出せる。その影響は広い下層とは比べ物にならない筈だ)
勿論、『香』で凶暴化したゴブリンは周囲のゴブリンだけを襲う訳ではない。中にはこちらに向けて特攻を仕掛けて来る者も出るだろう事は、Katsu-首領-も承知の上だ。
だが、馬鹿正直な特攻はアーチャー部隊の良い的でしかない。連携して矢を防がれる事がなくなる分、凶暴化させた方が防衛し易いとKatsu-首領-は考えていた。
加えてバリケードの陰に隠れた盾持ちのダイバー達は、矢の攻撃を耐えてバリケードを乗り越えようとするゴブリン達に対する布石となっている。
彼等の潜伏に気付かせない為にも、『香』で理性を飛ばすのは効果的だった。
(……とは言え、これで持ち堪えられるのは精々数分が限度と言ったところか。直ぐに俺達自身の実力が問われる事になるだろうな……)
迎撃の準備を整え、敵が突入してくるのを待つ緊張感……Katsu-首領-は数時間前、ダンジョン協会のロビーにてゴブリンの群れをダンジョンに押し込んだ事を思いだしていた。
地上から下層へとゴブリンキングに近付いた影響なのか、今彼等が相手しているゴブリンはあの時の個体とは明らかに別格の実力と連携力を備えている。
端的に表現するならば、『群』と『軍』程の差があるのだ。
ロビーでの戦いの時は春葉アトが一人で境界に戦線を押し込んでいたが、今の『軍』は策も無しに任せられる規模の敵ではない。
(……ギリギリまで、作戦を詰めよう)
そう思い立ったKatsu-首領-は、更なる対策として魅國へと声をかけようとダイバー達の中からその姿を探そうとして、何やらその光景に小さな違和感を覚えた。
(──なんだ……? 何か、おかしいような……)
居並ぶダイバー達は皆、緊張した面持ちで洞窟の通路へと視線を向けている。
パッと見た感じでは特におかしな点は見当たらない。……しかし、何かが引っ掛かる。
それがどうにも不気味に感じられたKatsu-首領-だったが、こうしている間にも通路の奥からは感電や炎のダメージによるものだろうゴブリンの悲鳴が聞こえてきており、敵の接近を伝えていた。
(っと、そうだ! もう時間は無いんだ!)
「魅國さん、一つ良いだろうか?」
それにより素早く意識を切り替えたKatsu-首領-は、魅國の元へ駆け寄り声をかける。
「あら、Katsu-首領-はん。何でしょうか?」
「貴女の攻撃のタイミングについて、すまないが──」
そして彼女の武器と、オーマ=ヴィオレットに付与して貰った属性を最大限活かす為のKatsu-首領-の提案を聞き入れ、頷く魅國。
その後も戦略に組み込めそうな能力を持つダイバー達に順に声をかけていく内、Katsu-首領-の脳裏から違和感の一件はいつの間にかひっそりと消えていたのだった。




