第150話 人鬼戦争⑮
「おぉ、戻ったか! ヴィオレッ……」
「──伏せてください! 衝撃がここまで来ます!」
「は? ──うおぉッ!?」
全力で境界を抜けて中層に辿り着いた私は、歓迎の声を遮る大声で警鐘を鳴らす。
そして境界内で使用していた【エア・レイド】の力で空中で素早く軌道を修正し、地面に着地すると同時にロープを切り、背負う様な形で固定されていた火車ヒナを庇う様に覆い被さった。
──その直後。
『ドォン!』と、空気が爆発するような轟音が境界から響き、空気がビリビリと激しく振動する。
密閉された洞窟に放たれた【メルティ・リップル】の爆圧が逃げ場を求め、境界を逆流。中層にまで達したのだ。
「な、なんて魔法だ……」
衝撃が過ぎ去り、静けさの戻って来た中層に呆然とした誰かの声が響く。
今、この場に居るダイバー達の思いは間違いなく一つだろう。
(──この人とだけは一緒に探索したくねぇ……)
「ぅっひょぉーーーッ! スッゴ! 私、スッゴ!! 今の私がやったんだよねェ!?」
……何せ、本人のテンションがこれだものなぁ……
魔力を使い切って力の入らない全身でなおも興奮を伝えようとするその様子からは、それまでの物静かで礼儀正しい彼女の姿はもう思い出せない。
火羅↑age↑と言い、この人と言い、トリガーハッピーの人は二重人格だったりするものなのだろうか。
「……っと、こうしている場合ではありません! 私は今の内に下層の様子を見に行きます! 皆さんは私の配信で安全を確認してから入って来てください!」
「あ、ああ! 頼む!」
「あたしはどうする?」
「アトさんは念の為に残ってください! さっきの爆音で魔物が集まってくるかもしれませんし……」
「りょーかい! 確かに巨大なダンジョンワームとか、まだ残ってるかもしれないしね~」
そう言ってひらひらと手を振る春葉アトに見送られ、私は再び下層にとんぼ返りするべく境界に飛び込んだのだった。
「──【エンチャント・ヒート】! ……凄まじいですね。これは」
サウナを思わせるような熱気を残す境界を抜けて下層に降り立った私は、早速【エンチャント・ヒート】で炎の性質を付与したナイフを洞窟の隅に投擲して光源を確保した。
炎によって照らされた洞窟の隅には【メルティ・リップル】の爆発で集められたゴブリン達の魔石が積もっており、その一角にはそれでもなお生き残った巨体の姿があった。
「フゥー……ッ! フゥー……ッ!」
(あれ程居たゴブリンは全滅。残ったのは、指示を出していたと思しきゴブリンジェネラルが一体だけか……)
しかし生き残ったゴブリンジェネラルも、今しがたの【メルティ・リップル】はかなり堪えたと見える。
見たところ身体の傷はすっかり再生されているが、片膝を着いた姿勢で荒い呼吸を続けている辺り、本体である魔石に相当のダメージが入ったのだろう。生き残ってはいるものの、かろうじて耐えただけといった印象だ。
(洞窟の入り口から新たに入って来るゴブリンは……今のところ居ないな。【メルティ・リップル】を警戒しているのかもしれない)
ここは一本道の洞窟の突き当りに位置する部屋だ。
【メルティ・リップル】の爆圧がこの密閉空間からの逃げ道を求めて中層まで達したように、唯一下層に通じる一本道にも流れ込み、洞窟の外までを蹂躙したと考えれば、ゴブリンが入って来れない理由にも納得がいく。
同じ魔法を使用されれば逃げ場は無い為、外のゴブリンも警戒して突入する踏ん切りがつかないと言う訳だ。
そして、この状況は困難に思えた洞窟の制圧を達成する、最大のチャンスでもある。
「……見たところかなり弱っているようですが、容赦しませんよ。──【エンチャント・ダーク】」
「フゥー……! ヴゥォァアアアァァッ!!」
油断なく構えた二振りの細剣に闇を纏わせ、一足飛びに距離を詰める。
ゴブリンジェネラルも、そんな私を迎え撃つべく決死の雄叫びを上げて拳を振りかぶったが──
「──流石だな、ヴィオレットさん。助けに入る心算で急いで突入したのに、もう終わらせてしまうとは……」
「いえ。ヒナさんの魔法で、私が来た時にはもう虫の息でしたからね。私は止めを刺しただけに過ぎませんよ」
ダイバー達を引き連れて下層へとやって来たKatsu-首領-の賞賛に、そう答える。
実際あの時点でゴブリンジェネラルの武器も失われており、負ける可能性どころか苦戦する理由も無かったからな。これで褒められても居心地が悪いだけだ。
そのままゴブリンジェネラルの魔石を両手で抱えた私は火車ヒナの元へと歩を進め、彼女にトロフィーを渡す様に魔石を差し出した。
「と、いう訳でこれは貴女が回収しておいてください」
「あら、そう? それなら、ありがたく受け取っておくわね」
「……落ち着いたようでなによりです」
彼女のテンションも何とか元に戻ったのか、最初の冷静沈着な印象が戻って来ていた。
先程『ぅっひょぉーーーッ!』と奇声を上げていた人物と同じには見えないが、他のダイバー達も同じ気持ちなのだろう。
何とも言えない空気が周囲に広がった。
「──そ、そうだ! こうして下層に来た以上、作戦の第一段階は達成した! 早速協会に連絡を入れるぞ! それに、ここの拠点化が完了するまで我々は魔物の流入からここを防衛しなければ!」
微妙な空気を吹き飛ばす様にKatsu-首領-の檄が飛び、ダイバー達も意識を切り替えてそれぞれの配置につくべく動き始めた。
「拠点の防衛……私の出番はしばらく無さそうね。魔力の回復に努めるわ」
「それが良いと思います。私は前線の方に向かいますね」
「ええ。気を付けてね」
「は、はい……」
何と言うかこの温度差には中々慣れないな……と、そんな感想を抱きながらも、私は自分の役割を果たすべく洞窟の方へ向かうダイバーに合流する。
「あ、ヴィオレットさん! 一緒に行きませんか!?」
「クリムさん。はい、行きましょう」
手を振って私を呼ぶクリムに駆け寄り、そのまま二人で洞窟を進む。
今頃は協会職員だけが使える腕輪の機能で下層にやって来たバックアップスタッフ達が境界の部屋に様々な機材や物資を運び込み、ゴブリンキング攻略の為の拠点整備をしている筈だ。
ここからの私達の役目は、その整備が終わるまでの間、この洞窟にゴブリンを一匹たりとも入れさせない事なのだ。
「それにしても、暑いですね。この洞窟……」
「ヒナさんの魔法の影響が残ってるんでしょうね……境界の中も熱が残ってましたし」
「あ! それ解ります! 最初下層が燃えてるのかって思いましたもん!」
等と談笑しながら歩いていると、急に熱気から解放されると同時に視界が広がる。洞窟を抜け、本格的に下層へと足を踏み出したのだ。
その先に広がっていた光景は……──私の見知った下層から随分と変わり果てた物となっていた。
以前はここからの視界に入る範囲にも木々が点在していたが、それが殆ど見られない。ゴブリン達が武器に加工するべく伐採しまくったのだろう。
私達にとってそれも確かに大きな損失だったが……今の私達にとって最大の問題は、そんな生易しい物では済まされなかった。
「こ……これは……」
「おいおい……なんて数だよ……!」
「下層にゴブリンってこんなにいたのか!?」
「いや、そんな筈はない! 俺達だって何度も来てたんだぞ!?」
洞窟を包囲するゴブリン達は、さながらドームを満員にする観客のように隙間なく整列されている。
これだけでも到底数えられるものではない規模の軍だが……遠くの方へと視線を向ければ、更にここに加わろうと進軍するゴブリン達の行列が黒い線となって、下層の奥の暗闇に溶け込むまで続いているのが見えた。
「──くっ、またか! 皆、一旦洞窟に退避だ!」
犇めくゴブリンの中で特に目立つ個体──ゴブリンジェネラルが腕を振り上げると、こちらを包囲するゴブリン達が一斉に弓を構える。
直ぐに洞窟に戻ろうと来た道を戻るダイバー達……しかし、洞窟の幅は彼等が一度に入るには狭すぎる。
「盾を持っている者は矢に備えながらゆっくり後退だ! 盾を持っていない者は先に洞窟に退避しろ!」
「ヴィオレットさん、クリムさん! 貴女達も先に避難を!」
そう促すダイバー達の声に従い、来た道を戻る。
洞窟の出入り口が一カ所しかない以上、包囲しての斉射は単純だが非常に効果的な防衛手段だ。ゴブリン達は今後この洞窟に攻め込んでくる際も、あの包囲を自ら崩すようなことはしないだろう。
つまりこうして私達は三度、ゴブリン達の数の暴力に脚を止めさせられることになったと言う訳だ。




