第146話 人鬼戦争⑪
ゴブリンの奇襲に警戒しながら中層の攻略を進める事数分……境界の部屋を目前に、最後の曲がり角に差し掛かったところで私は周囲のダイバーを手で制した。
「──ここで止まってください」
「ヴィオレットさん……?」
「あ、やっぱり居るよね?」
突然の事に疑問符を浮かべるKatsu-首領-と対照的に、納得した様子の春葉アト。
私は彼女に無言で頷きながら、その場の全員を一歩分下げさせた。
現在私達が攻略中の中層は、レンガ造りの人工的な迷宮構造だ。全ての曲がり角は緩やかなカーブではなく直角になっており、死角も多い。
加えて等間隔に並んだ壁の灯りも視覚の確保と言う点では役に立つが、灯りに照らされて伸びた影は待ち伏せをする側から見れば良い目印だ。
それ故に角を曲がるこの瞬間は、中層において最も奇襲に適した機会だと言える。
……ゴブリンはそれを狙って、ずっとこの好機を待っていたのだろう。
(魔力の感覚からして、恐らくかなりの大部隊が待ち構えている。しかし、なんて巧妙な気配の消し方だ……魔力を感知できないこっちの世界の人間では、気付きようがない)
……まぁ、何故か春葉アトは気付いている様子だったが、彼女のこの能力に関してはもう深く考えない事にした。あの直感はもう超能力の類だと言えるだろう。
とまあ方法はともかくとして、何かするつもりだと看破できたのなら、次は実際に何をしてくるのかを見極めたい。
私はハンドサインで『自分が様子を見る』と伝えると、静止の声も待たずに一人無警戒を装って曲がり角に飛び出した。
──次の瞬間、ザァッっとゲリラ豪雨の降り始めを思わせる音が耳に入り、奥へと向けた私の視界を矢の雨が埋め尽くしていた。
(通路を埋め尽くす矢衾の面制圧か! これは流石に退くしかない……!)
この数は細剣二本で払い落とせるような物量ではない。即座にそう判断した私は地面を蹴ってバックステップし、転がるように引き返す。
──ガカカッ!
その直後、そんな音と共に迷宮の壁から地面にかけて、私が立っていた場所には一面ゴブリン達の放った矢がびっしりと埋め尽くす様に突き立っていた。
この光景には咄嗟に転がり込んできた私の様子にただ事ではないと様子を伺っていた周囲のダイバー達の表情もひきつっており、ごくりと喉を鳴らす音が聞こえるようだ。
「これは……」
「はい。少しでも反応が遅れていれば、やられていましたね……」
私一人での確認に踏み切ったのは正解だった。
私のように身軽でない誰かが最初にこの曲がり角に差し掛かっていたら……特に、『もしも集団でこの角に差し掛かっていたら』と思うとゾッとする。
そんな状況であの矢の雨を放たれれば後続のダイバーが壁となり引き返す事もままならず、最前衛を務めたダイバーの過半数が命を落としていた事だろう。
何よりも恐ろしいのは、声掛けの合図も無しにここまで統率の取れた斉射が出来る事。
まるでセンサーで敵を狙う精密機械のタレットのように、放たれた矢が降ってくるまで敵意すらも潜めていた。
(ゴブリンキングの影響が、下層に近付く毎に強くなっていっている……そう言う事なのかもしれないな……)
しかしいくら統率の取れた隙の無い斉射だとしても、これはあくまで所謂初見殺しの類だ。
矢が降って来ると解っていれば、対策も簡単に取れると言う物。
「──という訳で、お願いします。百合原さん」
大盾では完全に防ぎきれない矢の雨も、彼女の水魔法による全面防御であれば問題なく絡め捕れる。
前回の下層での戦いでも、彼女はそうやって斉射の嵐から仲間を守ってくれていた。その防御の信頼性は非常に高い。
「分かりました。──【サテライト・ウォーター】」
彼女が操作する大きな水球がその形を自在に変化させ、通路全体を覆う巨大且つ分厚い水の壁となって通路の先に配置された。
突如現れた水の壁を警戒したゴブリン達が再び一斉に矢を放つが、通路を埋め尽くす規模の斉射を受けても揺るがない水魔法の壁は目論見通り機能し、ゴブリン達の矢が【サテライト・ウォーター】を越えてこちらまで届く事はない。
それを確認した私達は、【サテライト・ウォーター】の制御の為に最前列にやって来た百合原咲に続くように通路を進む。
その間も無数の矢が水の壁に撃ち込まれていたが、やがてそれもパタリと止んだ。
斉射が無駄だと悟ったのだろうか……そんな空気が私達の間に流れた、その時──
「危ないッ!」
「アトちゃん……!?」
百合原咲と【サテライト・ウォーター】の間に身を滑り込ませた春葉アトがハルバートを構えた直後、『ドパァッ!』と【サテライト・ウォーター】の壁が弾け、全身を濡らしながら現れた巨体が雄叫びを上げて突進して来た。
「ヴォオ゛オ゛オ゛ォッ!!」
「なっ!?」
「こいつは……ッ!」
姿を現した巨体の正体に、数人のダイバーが息を飲む。
(ゴブリンジェネラル!?)
それはゴブリンコマンダーよりも一回り大きく頑丈な体を持ち、より戦闘に特化した個体の名称だ。
戦闘に特化していると言っても知能そのものもゴブリンコマンダーより数段高く、指揮能力にも優れている為にかなり厄介な魔物として知られている。
分厚い筋肉に包まれたその全長は3mを優に超えており、その巨体が放つ威圧感もまたコマンダーの比ではない。
これ程の巨体の突進にも関わらず【サテライト・ウォーター】の中に漂う無数の矢が視界を阻害していた為、周囲のダイバー達も反応が僅かに遅れてしまった。
水の壁を突破したと同時に、破壊的な膂力で振り下ろされる巨大な狼牙棒。
「──【ウェポン・ガード】!」
「ッ!」
しかしそれを予期していた春葉アトのスキルが炸裂し、ゴブリンジェネラルはその威力を変換されたノックバックを受けて大きく後方へと飛ばされる事になった。
「ギギッ!?」
「ゲギャァ!」
「ゥギィ!?」
そして巨体はそのまま通路の奥に集まっていたゴブリンの集団に突っ込み、無数のゴブリンを押し潰した後、もう一体のゴブリンジェネラルに受け止められる事で漸く静止した。
ここで漸く境界周辺に集まっているゴブリン達の戦力を見れば、ゴブリンコマンダーやチーフも混ざった部隊だと言う事が分かる。
しかし今の一瞬で彼等の陣形は崩れ、数体のゴブリンは魔石が潰された事で塵に還り、また巻き込まれたゴブリン達が構えていた白樹の弓もいくらか壊れてしまったのが見えた。
動揺も広がっており、一時的にだが指揮系統がマヒしているようだ。
「──突撃だァーーーッ!!」
「ッ、うおおおおぉーーーーーッ!!」
この状況を即座に好機と判断したKatsu-首領-の声が響き、もう一体のゴブリンジェネラルと言う存在に怯んでいたダイバー達も士気を高めて攻めかかった。
確かに敵の戦力がこちらの想定を超えていた事は衝撃だったが、だからこそこの好機を逃す術はない。態勢を立て直されれば、今度は奴らに近付く事も出来なくなるかもしれないのだ。
「アトさん、ヴィオレットさん、しばらく二体のゴブリンジェネラルを任せても良いか!?」
「オッケー!」
「はい!」
突撃の最中にKatsu-首領-の指示でそれぞれの役割が決定される。
『しばらく』と彼は言ったが、私達二人に任せたと言う事は討伐まで視野に入れた人選だろう。
彼の言葉に私と春葉アトが頷くと、すぐ傍にいたティガーから異が唱えられた。
「なんや、ウチには任せられんって事か?」
「いや、そうではないが、ティガーさんには奴らの持つ弓の破壊を頼みたい! 奴らの弓の弦を切って回ってくれるだけでいい! あの群れの中を素早く、自由に動き回れるのは貴女だけだ!」
今回の交戦においてゴブリン側の最高戦力を受け持つ私達の役目は重要だが、それに負けず劣らず重要なのがティガーに割与えられた役割だろう。
味方の損耗を抑えると言う意味では寧ろ、最重要ともいえる。彼女がゴブリンの持つ弓を破壊して回れば、それだけこちらの被害が減り、戦いやすくなるのだから。
そしてなにより、それが出来るのはKatsu-首領-の言う様にティガーしかいないのだ。
「ぐっ、確かにウチが適任か……! あぁ、わかった! やったるわ!」
と、作戦に納得したティガーも速度を上げ、私達はミッションをこなすべく標的へと向かった。
「ギガギャァ!」
「グォアオォーー!!」
「──【エア・レイド】!」
途中で私達の突撃を少しでも食い止めようとしたゴブリンチーフ達が立ちはだかったが、スキルを発動した私はその頭上を跳び越える。そして──
「──【ラッシュピアッサー】!」
「ッ! ヴォルルォオオッ!!」
中層のゴブリン部隊との戦いが始まった。




