第145話 人鬼戦争⑩
上層の本格的な攻略はゴブリン達の激しい妨害と抵抗があったものの、大きな被害を出す事なく順調に進んだ。
『──分かれ道だ! 側面からの攻撃にも備えろ!』
『アレは下層でも見たゴブリンのスナイパーか! 矢を防げる者はなるべく対処してくれ!』
分かれ道が多く側面からの攻撃や挟み撃ちに晒されながらも下層での戦いの経験を活かし、百合原咲の【サテライト・ウォーター】等で矢を防いだり、殿にクリムや魅國等の遠近共に高い火力を発揮できるダイバーを布陣する等で混乱を抑える事で攻略のペースはあまり落とさずに済んだ。
ただし全くの無傷とはいかず、隙を突かれた一部のダイバーがゴブリンの攻撃で軽傷を負う事もあった。特に一部のダイバーが守りの薄い部分を噛まれた事で『黒い傷痕』を付けられた際には、治療からの帰還を待つ間攻略を一時的にストップする事になる等のトラブルもあったが、そんな彼等も顔色を真っ青にしながらも戦線に復帰。全体的な戦力としての損耗はない状態を維持して中層への境界に到達する事が出来た。
『──境界だ! 先ずはこの部屋を制圧するぞ!』
境界の部屋での戦いではゴブリン側も矢を射かけてきたりと多少の変化はあったが、それでも下層で見たのと同じ戦法だ。正直道中の通路で突然挟み撃ちになった時よりも対処は容易く、こちらに被害は出なかった。
問題があったとすれば境界を包囲した後の事──
『くっ、上層に散らばったゴブリンの残党が想定よりも多いな……!』
『参ったな……無視して中層に向かえば、常に背後からの奇襲を警戒しなければならなくなるのか』
境界の中から現れるゴブリンに加えて、部屋の入り口の方からも度々ゴブリンの残党が襲い掛かって来るのだ。
これは複雑な構造を持つ上層で消耗を抑える為に最短ルートを進んできた弊害とも言えるが、そもそも入り組んだ上層に散らばるゴブリンを全滅させるのはほぼ不可能に近い。
かといってここでなんの対処もせずに進めば、誰かが言ったように常に背後を狙われる危険性があった。中層においては脅威になり得る存在が先日の作戦会議の時点で判明している為、あまり余計な問題を持ち込みたくなかったのだ。そこで──
『すみませんが、中層の境界付近を制圧するメンバーから私を外してもらえますか? その代わり、背後のゴブリンは私が何とかします。具体的には──』
『──なるほど。だが、それではヴィオレットさんの身が……──いや、俺に心配される程、貴女は弱くないな。……わかった、貴女の案に賭けてみよう。何かこちらで出来る事はあるか?』
『少し地上から持って来る物がありますので、それまで時間を稼いでくれれば大丈夫です。──あ、ですが、中層に向かう前に皆さんここで一度【マーキング】の座標を更新しておいてくださいね。この先は緊急で腕輪の転送機能を使う事も多くなるでしょうから』
『ああ、了解した。伝えておこう』
その後Katsu-首領-から私の作戦の詳細が皆に伝えられ、中層制圧メンバーから外して貰った私の代わりに新たにメンバーが選抜された。
名前が挙がったのは、クリムを含む数名のダイバーだった。判断の基準は乱戦になっても個々の力で戦い抜ける者らしく、個人勢として活躍する者が多かったように思える。
私は一足先に中層へと向かう彼等の武器に【エンチャント・ヒート】を施し、そしてその場を彼等に任せてロビーへと一時帰還した。
『では、私は少しの間離れますね! ──【マーキング】、【ムーブ・オン ”渋谷ダンジョン”】』
そして私がロビーから腕輪に収納しダンジョンに持ち込んだのは、大量の長椅子だった。
これは本来渋谷ダンジョンのロビーに置かれている物だが、今回はこれをバリケード代わりにして通路を塞ごうと言う訳だ。
もちろんこれだけではゴブリンも強引に突破して来ようとするだろう。そこでもう一工夫する。
『──【エンチャント・サンダー】!』
直後、バリケードの向こうからゴブリン達の悲鳴が上がる。
雷の性質を付与した長椅子のバリケードに触れた事で、その身体に電流が流れたのだろう。
これだけでは勿論強化された今のゴブリンを倒すには至らないが、肝心なのは奴らにこの感電を経験させる事だ。
知能が0に近いレッドスライムでさえ、炎の熱さを知れば忌避するようになる。それが知恵のついたゴブリンであればどうなるか──
『ゴブリンの声が聞こえなくなった……?』
『「長椅子に触れると身体が痺れる」と学んだのでしょう。これで少なくともエンチャントの効果が切れるまでは、背後からの奇襲は考えなくて済むはずです』
何度かバリケードに軽い衝撃を感じ、そしてその度にゴブリンの悲鳴が上がった後……唐突にゴブリンの気配が遠ざかるのを感じて、一息吐く。
勿論エンチャントの効果が切れてしまえば容易く突破されてしまうだろうが──何を隠そう、その対策の為に私を中層側の制圧メンバーから外して貰ったのだ。
『さぁ、皆さんも先に行ってください! 私はコメントから合図を受け取り次第、追いつきますから!』
『わ、わかりました! お気をつけて!』
時間稼ぎの為に残っていたダイバー達に先へ進むように促し、私は一人バリケードの前に残ると配信用のドローンカメラの設定を変更し、リスナー達のコメントを受け取れるようにした。
こうしてリスナー達を通して中層攻略の進捗を確認し、頃合いを見計らってエンチャントを掛けなおして彼等に追いつくと言うのが私の立てた案だったのだ。
『──なるほど、やはり中層のダンジョンワームはレベルアップをしていましたか』
〔前にヴィオレットちゃんが倒したやつ程じゃないけどかなりデカかった〕
〔安心して!アトネキが瞬殺してたから!〕
『流石アトさんですね。頼もしい限りです』
コメントからの情報を聞くと、どうやら地面から現れたダンジョンワームの捕食攻撃を回避しきれずに捕食されかけたダイバーも居たようだが、彼等も問題なく腕輪で脱出は出来ていたようで度々この部屋に戻って来る姿を見かけた。
中層に向かう前にここで【マーキング】の座標を更新するように言っておいてやはり正解だったと、彼等の姿を見る度に思ったものだ。そして──
〔合図!〕
〔Katsu-首領-から合図!〕
〔カツドンが来てくれって!〕
『皆さん、連絡ありがとうございます。では、最後にエンチャントを掛けなおしてから向かいますね。引き続き応援して頂けると心強いです!』
中層の半ばまで攻略が完了したとの報告を受け、私は早速コメントを非表示に切り替えてバリケードに手を添えると、改めて長椅子に雷の属性を付与。
『──【エンチャント・サンダー】! これで良し……さて、行きますか! ──【エンチャント・ゲイル】!』
グリーヴにも風を付与し、迷う事無く中層への境界へと身を躍らせた。
中層のゴブリンはかなり丁寧に殲滅されていたようで、先行した彼等に追いつく道中では魔物に襲われる事がそもそも少なかった。
一応ゴブリンの残党から襲われる事もあったが、それも十数体程度。ゴブリン全体の規模を考えればかなり少なかったと言えるだろう。
レベルアップで成長したダンジョンワームも現れたが、確かにかつて下層で対峙した個体と比べるとかなり小さく、対処もそこまで難しくはなかった。まぁ、武器のリーチの関係で多少時間はかかってしまったが──
◇
「追いつきましたよ、皆さん!」
「あ、ヴィオレットさん! 丁度良いタイミングですよ!」
何とか中層の攻略を進めていた一団に追いつく事が出来た。
私が彼等の背に声をかけると、殿を務めていたクリムの笑顔がこちらを振り向き、急かす様に手を大きく振った。
「丁度いいタイミング……あぁ、そう言えばもうそろそろ中層の境界ですね」
「はい! もうそろそろ下層ですし、今の内に先頭の方へどうぞ!」
「分かりました。頭上、失礼しますね」
クリムと一言二言交わし、私はグリーヴに纏わせた風を利用して彼等の頭上を越えて先頭部隊に追いついた──のだが……
「! ヴィオレットさん! 良かった、無事に合流できたか!」
「おー! ヴィオレットちゃん、こっちこっち!」
先頭を進んでいたKatsu-首領-と春葉アトの前に着地した私だったが、合流を喜ぶよりも先に既に感じていた不自然さに疑問を投げかけた。
「……あれ、ここって先頭ですよね? 何でゴブリンが居ないんです?」
そう。彼等の進行を阻もうとするゴブリン達の姿が見当たらないのだ。だからこそこうしてなんの苦労も無く彼等の前に着地できたのだが……
「それが、正直俺達にも良く分かっていないんだ。途中までは確かにゴブリン達からの激しい抵抗があったのだが、つい先ほどから見ての通りだ」
「正直不気味やで……気付いた時には襲ってくるゴブリンがパタリと止まっとった」
警戒して眉間に皺が寄っているティガーの言うように、周囲には異様な静寂が広がっている。
中層が全体的にレンガ造りの迷宮と言う見た目だからか、さながら廃墟を思わせる不気味さだ。
そんな中、春葉アトがぼそりと言葉を漏らした。
「うーん……何となくだけど、気付かれたんじゃないかなぁ? 何処かであたし達の事を待ち構えてる……って、そんな気がする」
「いや、何となくて……もう少し真面目に考えたらどうなんや? なんかそれっぽい動きをしてたとかならともかく……」
春葉アトの言葉に、彼女の事をよく知らないティガーが胡乱な目を向けるが……
「アトさん、『何となく』そう思ったんですね?」
「うん。完全に直感なんだけどね」
確認の為に投げかけた疑問に対する彼女の根拠の無い返答で、私は逆に確信を得た。
なにせ私は彼女の直感の恐ろしさをよく知っているからだ。
一体何度『前に何処かであったっけ?』と、変身した状態で言われた事か……この人の『何となく』だけは、私は無視する気にはなれない。
「……皆さん、警戒していきましょう。恐らく、ゴブリンは近い内に仕掛けてきますから」
その判断が正しかったのだと私達が知るのは、この直ぐ後の事だった。
ちょっと雑なダイジェストになってしまってすみません。
次回かその次辺りに下層に入る予定です。




