第93話 コラボ前日
「──あれっ!? もしかして、ヴィオレットさんですか!?」
とある日のダンジョン。
私達が探索を進めていると、驚いた様子のダイバーの女性に話しかけられた。
振り返るとどうやら配信中だったらしく、彼女のドローンカメラの周囲にはリスナーのコメントが表示されている。
「あ、はい。そうですよ~」
「やっぱり! 今日はお兄さんも一緒なんですね!」
「どうも、ソーマです。よろしく」
「はい! よろしくお願いします!」
「兄さん、彼女は配信中なんですからもうちょっと明るく挨拶してください」
「うっ……! 苦手なんだよな、探索配信……」
「何でダイバーになったんですか……!」
「あはは……」
〔この兄妹普段こんな感じなんだw〕
〔カメラ苦手は草〕
〔ソーマのアーカイブ見るとマジでそうなんだなって思うわw〕
私達のやり取りに、彼女の配信を見ているリスナー達のコメントが少し賑わう。
どうやら最近の練習が功を奏したらしく、私と『兄さん』の会話に不自然なものを感じているリスナーはいないようすだ。
〔配信はしてないみたいだけどどうしたんだろう〕
そんな中、コメントの一つを拾う形で女性ダイバーが質問を投げかけてきた。
「確かにそうですね……? それに今日は木曜日なのにダンジョンに居るなんて……」
「明後日の大型コラボに備えてマーキングの場所を更新しておかないといけないので、こうしてコツコツと進めているんですよ。ね、兄さん?」
「あ、はい。まぁ、そんな感じです」
何せ前回の配信終了時は裏・中層で、次の配信開始は表・下層の入り口だ。当日になって移動していたのでは、到底待ち合わせに間に合わない。
そう言う訳で、こうして他のダイバーに見つかってもあまり怪しまれない時間帯にコツコツと探索を進めている訳だ。変身魔法で人目も憚らず移動する事も出来るにはできるが、逆にヴィオレットの目撃者がいない事がバレるのも面倒だしな……
と、そんな事情を説明すると、ダイバーの女性は納得したように手を叩く。
「おお、なるほど! 裏・中層から裏・下層に続く境界は無くなっちゃったって話ですもんね……」
「はい。あの一件の後にあの場所に行ったダイバーの配信も見ましたけど、影も形もありませんでしたね」
軽い世間話をしながらしばらく一緒に歩く。
あの境界は私達の目の前で消失して以来、そのままだ。
書斎の隠し通路から続く部屋はただただだだっ広い空間が広がっているのみで、静寂を保っている。
それに伴い裏・渋谷ダンジョンの人気も下火になり、取り残しのトレジャーを探すダイバー以外は表の方へと戻ってきているようだ。
ここに来るまでにも、そう言ったダイバー達に話しかけられることもあったしな。
「さて……私は先を急ぎますので、この辺で。ご希望の属性を教えていただければエンチャントしますが……」
「あっ、それじゃあこれに雷属性をお願いします!」
配信中の彼女から言い出すのは難しいかと考えてこちらからエンチャントを切り出すと、彼女は慌てた様子で腰の鞘から抜いたショートソードをこちらへ差し出した。やはり機会を伺っていたようだ。
「ショートソードですね。では──【エンチャント・サンダー】」
「お、おお! これが……!」
属性を付与され、バチバチと帯電するショートソードを受け取った女性ダイバーは感動したような面持ちで自身の相棒を見つめる。
「時間は約20分です。一時的な物なので、くれぐれも無茶はしないで下さいね! それでは!」
「はい! ありがとうございました~!」
以前エンチャントを施したダイバーの中には一部強引に魔物を狩ろうとした結果、包囲された状態でエンチャントが解除されてしまった者も居たらしい。
幸い撤退は問題なくできたとのことで大事には至らなかったようだが、クリムの槍が変化した今となってはそのダイバーのように無茶をする者も増えているだろう。私達は去り際に念の為にそう忠告すると、彼女の声を背にダンジョンの奥へと駆けだした。
「……探索配信の練習も必要みたいですね、兄さん」
「勘弁してくれ……」
前から話には聞いていたが、まさかここまで口数が減るとは。雑談とか企画系の配信だと割といい感じに話せるのになぁ……
そんなこんなで、それ以降も彼女のようにエンチャントを希望するダイバー達に何度も声をかけられながら探索を続け──翌日、金曜日の18時。
「ギリギリ、何とかなりましたね。──【マーキング】」
「だな。──【マーキング】」
私は下層へと続く境界を目前にして、腕輪に座標を記録する。
SNS募集し、コラボの参加者として選んだダイバー達には当日この場所で待ち合わせと伝えてある。
言い出しっぺの私が遅刻する、なんて最悪の事態にならなくて本当に良かった。
「さて、後はもう帰るだけだな。明日に備えてアイテムの確認しておくか……お前はどうする?」
「そうですね……少し気になる事があるので、それだけ確認して帰ります。兄さんは先に戻っていてください」
「? ……わかった。無茶はするなよ?」
「ええ、勿論ですよ」
『リターン・ホーム』で家に帰った『俺』を見送り、私は下層へ続く境界に向き合う。
(……【隠密】、【知覚強化】)
周囲に人の気配が無い事を確認し、無詠唱で魔法を使用。姿を消すと、私は躊躇なく境界に飛び込んだ。
そして、随分と久しく感じる下層に降り立つと、境界のある洞窟を抜けて広大な地下世界を再び目に映す。
(──裏・中層の事があったから心配だったが……ちゃんと下層に通じたか。境界に何か影響が出てなくてよかった。……それにしても、何度見ても異常な光景だな。ここまでの規模になったダンジョンなんて、ここ以外に見た事が無い……)
天井や地面、壁面の所々から生えた結晶の光がうすぼんやりと照らし出す渋谷ダンジョンの下層。
私は星空のような上空に目を凝らし、そこをさまよう不穏な影が無いことを確認する。
……時折天井の結晶が放つ光を横切る物はあるが、それはどうやらレイドバルチャーの影のようだ。
(……チヨらしき影は無い、か。やはりこの場所は彼女も知らないらしいな)
不幸中の幸いだろう。
最奥の場所が分からない下層の広さは、逆に彼女の眼から境界のあるこの場所を隠す事にもつながっている。
明日のコラボ配信における一番の懸念点は、『チヨの乱入』だ。
私の見立てでは、チヨは純粋な戦闘力と言う点でユキを大きく上回る。ユキの場合は水魔法で攻撃手段を封じられたが、チヨの場合はそれが出来ないのも痛い。
今回のコラボ参加者は一定以上の実力を持ったダイバーしかいないとはいえ、彼女が襲ってきた場合は流石に私が相手をしなければならないだろう。
(その間他の魔物は……まぁ、明日はユキと戦ったメンバーが揃っているから問題無いか)
下層の魔物を全種類確認した訳ではないが、悪魔程の脅威となる魔物はいない。
直接戦闘の様子を確認できたあのメンバーなら、十分戦えると判断できる。……いつぞやのダンジョンワームのようなイレギュラーな個体が居ないとも限らないが、そういった最悪の場合でも腕輪の転送機能があるし、トラップスパイダーのいない下層なら撤退は問題ないだろう。
中層を安定して探索できるダイバーは、得てしてそう言う引き際は弁えているものだ。
寧ろ、真に警戒するべきは無差別に魔物を呼び寄せるダンジョンホッパーだが……
(──まぁ、大丈夫だろう。私の配信で奴の存在は周知されているし、配信前に注意喚起だけすれば)
土曜のメンバーには索敵が得意なダイバーも居る事だし、なんとかなるさ。
聳え立つフラグ