幼馴染
最近発見した、という隠れ家的カフェに連れていかれたオレは、おいしそうにケーキを食べるナタリアをぼんやり眺めていた。
そういえば、こんな風に二人でカフェに寄ったりなんてこと、今までなかったかもしれない。
何か、新鮮な気持ちだ。
言葉は特になく、ただ幸せそうな笑顔でケーキを頬張るナタリアを、オレも満たされた気持ちで見つめていた。
・・・張りつめすぎていたのかもしれない。
もっと、緩めなければ、切れてしまう。
結局カフェでは他愛もない会話をしただけだったが、大いに心は癒された。
その後の帰り道すがらに、ナタリアはふと呟いた。
「エリアスが私と二人で一緒に帰ってくれるなんて、一年ぶりくらいじゃない?」
「あぁ・・・。そうかな、そうかもな。」
一年。
つまり、オレが姫と交際開始した頃から、ということだ。
特別何かを意識したわけではないのだが、自然とナタリアと二人で行動する機会は減っていたのだろう。正直、あまり覚えていない。
それはオレからだったのか、ナタリアが意識したからなのかはわからない。
ただ、お互い無意識的にでも、姫の存在が少なからず影響していたのは間違いないだろう。
「私はさ、昔から、エリアスと一緒に学校に通って、どうでもいいようなお話をしながら寮に帰るのがさ、ささやかなんだけど、夢だったんだ。」
そう言われて思い出してみる。
オレは当時、ナタリアとどういう話をしていたのだろうか。
だが、内容は全く覚えていなかった。
特別意識していない相手との記憶なんて、そんなものなのかもしれない。
「たぶんオレは、何も深く考えず、その時その時で思いついたことを都度口にしてたんだろうな。きっと安心してたんだ。ナタリアならなんでも聞いてくれるし何を話しても大丈夫って。」
気の置けない関係ってやつだ。
おお心の友よ、とか言っちゃっても差し支えないだろう。
「でも、覚えてないよね? エリアス。私とのこと。」
「・・・。」
「あ、いいんだよ、全然。別に責めてるわけじゃないから。
でもね、私は、すっごく覚えてるんだ。
色んなこと。
たとえば、出会って最初の頃。エリアスは、私に友達との喋り方から教えてくれたんだよ?」
「喋り方?」
「うん。私その頃まで、同年代の友達が全然いなかったから、大人との喋り方というか、格式ばった会話しかできなかったんだ。
だからエリアスが、友達とはこうして話したらいいんだよって。
だから、今の私の口調の基礎は、エリアスが作ったの。」
それは・・・覚えて、いるような、気もする。
かすかに、記憶の底の底に。だが、思い違いかもしれない。わからない。
「他にもね、エリアスのお父さんお母さんの話とか、友達と遊んだ話とか、魔法のこととか、色んなお話したなぁ。
どれもが、私にとっては、大切な大切な、絶対になくしたくない思い出。」
とても申し訳ない気持ちになる。
その話のどれもが、オレにとっては『そんなことあったような、なかったような』という話だったから。
「なんか、ごめん。オレこの一年、姫のことばかり考えてたから・・・。
昔のことまで一緒に忘れちゃったのかも。」
姫と付き合い始めたことにより、他の女性との記憶に対する心理的抵抗が生まれ、強制的に思い出を彼方に沈めたのかもしれない。
「ううん、そうだよね。そういうものだと思う。そんな風にエリアスに一生懸命思われて、姫様はきっと、幸せだったと思うよ。」
幸せだった、という過去形。暗に姫はもういない、と言われているように聞こえてしまう。もちろんナタリアは、そんなつもりはないのだろうけれども。
「言い訳に聞こえるかもしれないけど、別にナタリアのことがどうでもいいから昔のこと覚えてないとかじゃないよ?」
「そう? 私のことなんて、大して興味ないでしょ? 気にも留めてなかったんだよね?」
「うーん、そういう言い方をされると語弊があるけど・・・。」
「でも、間違ってはいないでしょう?」
「オレにとってナタリアは・・・幼馴染で親友。
それ以上でもそれ以下でもない。
だから、興味がない、なんてことはない。」
「ふうん、一応、興味はあるんだ。」
いまいちうまいこと伝わらない。伝えられない。
あ、そうだ。
ナタリアに聞こうと思って忘れていたことを思い出した。
「そういえばナタリア、いつ髪切ったの?」
「・・・え?」
ナタリアの表情が変わり、固まっている。
あれ? そんなおかしなこと言ったかな?
というか、髪切ったってのも、もしかして思い違いだった?
「・・・ご、ごめん、エリアスがそんなことに気づくなんて初めてだから、びっくりしちゃった。一応、私のこと、見てくれてたんだね。」
びっくり、びっくりだよーと言いながらナタリアはオレに背を向けた。
そして、肩を震わせている。
・・・え? 泣いてる?
「ちなみにエリアス・・・それって、今気づいたの?」
「え・・・いや、イサ―クと一緒に、学校に出て来いって言いに来てくれた時。」
「そ、そっかぁ、そうなんだ。びっくり、びっくり・・・。」
「ちょ、ナタリア、泣いてるよね? どうしたの?」
「ご、ごめん、ごめんね・・・。私のことに気づいてくれたのが嬉しくて・・・。」
逆に、そんなに今まで無神経な態度をナタリアに対してとっていたのか、と思うと申し訳なさに拍車がかかる。
「ごめんね、なんか、変な話した上に、泣いちゃって。
こうやって二人で帰るのが久しぶりすぎて、テンションが上がりすぎちゃったのかもね。
この一年、エリアスは姫、姫って、そればっかり言ってたから。」
ナタリアは寂しそうに笑う。
「そして姫様が一番ってのは、今も全然変わってない。探すの? 姫様。」
「うん。」
戦士養成学校から寮に向かう道は、整備された見通しのいい通学路と、オレがよく剣や魔法の練習に利用している森を突っ切る道がある。
示し合わせたわけでもなく、自然と足は整備された道へと向いた。
より人気がない森の道の方が、人に聞かれたくない話をするときは安心できるのだが、一方で死角が多く尾行を許しやすい。
そういう意味で、前後の見通しがいい整備された道の方が、密談はしやすいのだ。
もちろん、密談などと言うほどの話題ではない。
だが、姫の話題は、もう世間では終わった話だ。蒸し返すような内容の会話を、他人に聞かれたくはなかった。
「姫様のこと、諦められないのね?」
軽く、前後と周囲に目を走らせながら、ナタリアは聞いた。
「何もわからないまま諦めるわけにはいかない。」
「そっか。」
ナタリアは一度足を止めてオレを見た。
「それで、今日誘ってくれたのは、何か私に聞きたいことがあると?」
「だね。」
「じゃあ、交換条件。」
「え?」
想定していなかった流れに、固まってしまった。交換条件?
「構えなくて大丈夫。難しいことじゃないの。
私にわかることならなんでも教えてあげるから、その代わり、私にも一つ、先にエリアスに質問させてほしい。」
「質問? そんなことなら、別に交換条件なんて言わず、オレが答えられることなら、なんでも答えるよ?」
「ありがとう。でも、この質問には、答えられなくても答えてほしいの。
だから、交換条件にさせて?」
答えられない質問とはどういう質問なのだろう?
だが、ここは了承するしかないだろう。
「・・・可能な限り、努力する。」
「うーん、弱い。
可能な限り、とかじゃなく、絶対答えて。
約束だよ?」
質問の予想が全くできないので、『絶対』と言われると自信がない。
戦々恐々としつつも、頷いた。
「では、質問。私が聞きたいのはたった一つ、
『エリアスは、どういう状況になったら、姫様を諦めるの?』
あ、『諦めない』っていう答えはなしね。」
先んじて選びたかった答えを封じられ、選べない選択肢だけが残された。
どういう状況であっても、現時点で諦めるという未来はない。答えようがない。
だが・・・。
強いて答えを、と求められるのなら。
もし、もしも。
こういう状況だったなら、諦めるしかないのかもしれない、そんな未来を想定してみる。
そして、その未来は想像するだけでオレにとっては非常に苦しいものでもあった。
口にしたくない。
言葉として発すると、その想像の輪郭は明確になり、途端に可能性を帯びる。
「教えて?」
ナタリアは容赦しない。
何故、なぜこんなことを聞くのだろうか。
あり得ない未来を語ることにどういう意味があるのか。
ナタリアの目を見る。視線が絡み合う。
真剣な表情で、それでいて彼女も苦しそうに見える。
それならどうして聞いたのか。わからない。わからない。
じっとオレを見て離さないナタリアの瞳は、オレの中の回答を引き出していく。
気がついたときには、オレの口は動いていた。
「真実がすべて明らかになり、その上で姫が亡くなられたことが間違いなかったなら・・・。その時は、諦めるしか、ないのかもしれない。」
はっとした。
慌てて「だがそんな未来は信じられない」、と言い訳のように付け加えた。
ナタリアの表情は動かない。
「そっか、わかった。じゃあさ、そんな、エリアスが想像したくもない未来がもし訪れたなら、その時はエリアス自身、立ち直れないような状態になってるかもしれないね。
でも約束して。
万が一、の可能性でも。
もし、そんなエリアスにとって最大の不幸といえる未来が訪れたなら。
その時は、もう一度こうして、私と二人だけで話をする、って。」
「・・・。」
「エリアスは姫を諦めた瞬間、生きていること自体が嫌になるかもしれない。
でも、私との約束、絶対に忘れないで。
何もかも嫌になってもなお、私の話し相手になってほしい。」
「・・・その時は、まともに会話できる状態か約束はできないけど、それでも良ければ。」
「うん、約束。忘れないで。」
「忘れない。だけど、そんな未来は、やってこないよ。」
「そうだね。私もそう願ってるね。」
ナタリアは感情のない声でそう言った。
オレはナタリアと、ありえない未来の約束をした。
こんなものは約束でもなんでもない。何故なら、起こりえない未来だから。
忘れはしないけれど、この約束は間違いなく、空約束になるだろう。
「オレがナタリアに聞きたいことだけど・・・、
4大公爵についてと、その中で特に、ウナムーノ家について、教えて欲しい。」
「なるほど・・・。王族の次に情報を持っていそうなのは、確かに4大公爵だよね。」
仮に姫が生きていてもいなくても、どちらの場合も、王族以外でその事情を知る可能性があるのは、やはり4大公爵しかいない。
王族に近づけず王宮に入れない現状、まず当たるべくは親衛隊よりも4大公爵とオレは目星をつけたのだ。
そして、ナタリアのパレンシア家は、ウナムーノ家配下だ。そのため、ナタリアからは情報を得やすい。
「オレたちには想像もできない事情があり、4大公爵のいずれかが姫を匿っているのかもしれない。」
「それはかなり希望的な観測ね。
でも、いずれにしてもエリアスが調べていくならそこからしかないのかも。
4大公爵についてはどれくらい知ってる?」
「名前を知っているだけで、細かくはほとんど知らない。
興味がなかったから。」
姫と正式に結婚したなら、ゆくゆくは4大公爵とも関係ができるのだろうとぼんやり考えたことはあるが、まだ先の話として真剣に知ろうとしたことはなかった。
「そうよね。うちは昔からウナムーノ家と繋がりがあるけど、普通は貴族と絡むことなんてまずないものね。」
ナタリアは、4大公爵について基本から簡単にまとめて教えてくれた。
サルサール王国における4大公爵とは、王族に仕え、国を支える、最大貴族のことを指す。
その個々の兵力は王族をも凌ぎ、ひとたび野望を持てば国家転覆を狙うことも可能と言われているらしい。
それでも現在国が曲がりなりにも成り立っているのは、国外からの圧力に協力して対抗する必要があるのと、度合いに差はあれど王族への忠誠、そして4公爵それぞれの力の均衡による。
4公爵の中で最大の力を持つソロリオ家は、現王妃の実家であり、魔法使いを主戦力とする。
魔法力に優れた人材を積極登用しているらしいので、オレとは比較的相性がいいかもしれない。
次に、兵力としては2番手をつけるガルバン家は、4公爵の中では最も国民への差別意識が低く、身分の分け隔てなく接してくれる家風があるらしい。
そうした意識が根付いているからか、4公爵の中では最も穏健派だそうだ。
兵力は剣士と魔法使いでバランスがとれており、魔法剣士も召し抱えているそうだ。
そういう意味では、オレの話も聞いてもらいやすいかもしれない。
3番手が、ナタリアのパレンシア家が仕えるウナムーノ家だ。
他の3公爵と違い、医療系の魔法に特化しているという話は以前聞いていた。
もし、ナタリアの両親のコネを使って、ウナムーノの要人とコンタクトが取れれば最も話が早い。
最後に、リナレス家。
過去、世界最強と呼ばれた剣士を輩出した家で、剣術に誇りを持っている一方で、魔法剣にはかなり批判的らしい。
魔法剣士であるオレにとっては厄介な相手かもしれない。
名門である一方で、昨今はかなり勢力を弱めており、どうにか復権したいと躍起になっているという話があるそうだ。
そうした話を聞くだけなら、圧倒的にリナレス家が怪しく思えてくるし、穏健派のガルバン家とナタリア繋がりのひいき目でウナムーノ家が陰謀に絡んでいるようなことはなさそうにも思える。
が、怪しく思える者が無罪で、全く疑いの余地がない者ほど黒幕であるという話など、古今東西極めてよくあるパターンでもあるので、結論として安易な予断は厳禁だ。
「とはいえ、順番としてはガルバン家とウナムーノ家から渡りをつけた方が間違いは無いか。」
「そうね、できる限り無駄なトラブルは避けた方がいいよね。私はエリアスがウナムーノ家と繋がりを持てないか、お父さんに相談してみる。」
「ありがとう、本当に助かる。」
「くれぐれも、焦って無茶なことだけはしないでね。」
「わかってる。この間はイサ―クにもナタリアにも迷惑かけたからね。反省してるよ。」
「イサ―クには今日、会ったの?」
「いや、会いたかったんだけどタイミングが悪くてすれ違いになった。重戦士科の人にオレが来たことだけ伝えてもらうよう頼んでおいたよ。」
この一週間、今オレは何をどうすればいいのか、まったくわからない日々だったが、ここにきてようやく、やるべきことが明確になってきた。
焦ってはいけない。
だが、のんびりしているわけにもいかない。すぐに動き出そう。
ナタリアにはウナムーノ家との繋がりのために力を借りることになるが、正直極力巻き込みたくない。
頼るのはこれっきりにしたいところだ。
同じ意味で、イサ―クにも協力を求めることはしない。助けてくれた友人に対して、現況報告をするにとどめよう。
寮に着くまでに、ナタリアは話題を変えて様々な話を振ってくれたが、もうほとんどオレの耳には届いていなかった。
いいねや評価、ブックマーク等、是非是非、よろしくお願いいたします。
泣いて喜びます。