黄緑の髪の泣き虫
王宮を出ると、すぐに、ナタリアに捕まった。
その場でずっと待っていたらしい。
寮の部屋で待っている、と言っていたのに。
「どう・・・だった? 姫のことは、わかった?」
一体何をどう説明したらいいかわからない。混乱している。考えるのも億劫だ。
いや、ただ一つ、言えることがあった。
「オレはもう、生きるのを諦めたよ。」
「・・・そう。」
オレはそれ以上言葉を紡げなかったが、ナタリアも同じように何も言わず、ただオレの背中に触れながら、少しだけ力を込めた。
「帰ろう。」
無言でそう言われたような気がした。
今更だけど、泣きすぎて目が腫れているのではないか、とふと、恥ずかしくなった。
鼻をすする、音? オレではない。見ると、ナタリアが泣いていた。
「なんで・・・。泣いてるの?」
「・・・エリアスが、泣いてるから。」
そうか、そういうことか。
でも、今ナタリアに泣かれると、オレまでまた、泣きたくなってきてしまう。
行き交う人々に変な目で見られてしまう。
そんなことを考えることができた、というだけで、なんだか少し、落ち着けた気がした。
何故か、オレが泣いているナタリアをいたわりながら、寮まで帰ることになった。
逆だよ。
そう思いながら、かすかに笑えた。
オレは少しだけ、救われた気持ちだった。
部屋に戻ると、二人でベッドに腰を下ろした。
せっかく作ったオレの同棲ルールは、形骸化も甚だしかった。
「エリアス、覚えてるかなぁ。
もしエリアスが姫のことで立ち直れない状態になったなら、その時はもう一度、私と二人だけで話をしてってお願いしたの。」
ナタリアはそんなことを呟いた。
あぁ、確かに、確かにそんな話をした。
覚えてる。覚えている。
「とりあえず、落ち着いてからでいいから。
ゆっくりでいいから。
王宮で聞いたこと、私にも教えて?
もちろん、聞いたからって、どういう役に立てるかはわからないけど・・・。」
正直、話したい気持ちはあった。
誰かに聞いてもらいたかった。
だが、誓約の魔法酒の効果もある。どこまで話すことができるのだろうか。
サルサール王族の、姫の能力について伏せたまま、わかるように話すのはかなりの困難に思われた。
「話せないことも多くてさ。うまく喋れそうにない。」
「そっか・・・まぁ、そうだよね。じゃあ、要点だけ教えて?」
「要点・・・。」
この場合、ナタリアにとって姫のことに関しては知る必要もないし、知ってもどうしようもないだろう。
きっと彼女が知りたいのは、オレの今後についてだ。
「オレ、近いうちに死ぬって。ガルバン家に殺されるって。」
「・・・!」
ナタリアは息を飲んだ。
「アダン王子は、オレを生かしたいみたいなんだけど、どうすればいいのかはわからないらしい。」
「エリアスがガルバン家にって・・・どうして? 理由があるの?」
「オレがディエゴ・ガルバンの結婚したい相手も次々持っていくから気に入らないんだってさ。嫉妬からの逆恨みだよ。だっさいよな。」
しかし、そもそもそれが始まりだった。
ディエゴ・ガルバンの嫉妬さえなければ、オレが死ぬ未来が現れることもなく、姫が身を切る必要もなかった。
「でも、もういいんだ。なんか、姫にはもう、会うことはできないみたいだし。
姫に会えないなら、生きていたって仕方ないし。
なんか、前にナタリアが言った通りになっちゃったよ。
そんな未来あるわけない、ってあの時は思ってたのにさ。」
自分の命はもう諦めた。
だが・・・恨みは、ある。
アダンの話を信じる限り、オレと姫の仇はディエゴ・ガルバン筆頭に、ガルバン家全体だ。
どうせ死ぬなら、恨みを晴らして死ぬのもいいかもしれない。
「・・・大丈夫、大丈夫だよ。エリアス。そんな怖い顔しないで。」
「え?」
「私、エリアスが死なずに済む方法を思いついたから! 心配しないで。」
死なずに済む方法? いや、それはオレの望んでるものと違う。
命は惜しくないのだ。
むしろ今は、そんなことよりもガルバン家に対する憎しみがドンドン増幅してきていた。
「あのね、ガルバン家は要するに、ディエゴ・ガルバンの結婚相手が欲しいんでしょ?
それならちょうどいいよ。」
ちょうどいい? 何が?
「私がガルバン家に嫁ぐよ。そうして、エリアスを殺したりしないように、ディエゴを説得する。」
「・・・。」
オレは大きく、大きく目を見開いて、ナタリアを見た。
何を。何を考えているのだ。
「いや、ナタリア。」
「大丈夫、心配しなくても。私、自信あるの。
ちょっとした根拠もあってさ。たぶんうまく行くよ! だから、安心して、エリアス!」
「ナタリア!」
「・・・ん?」
「そんなことはしなくていい。」
「どうして!」
「ナタリア、優先順位が違う。」
「何も違わないよ、これでみんなハッピーになれる!」
「・・・。」
違う。そんなの一つもハッピーじゃない。
心の底から湧き上がってくる不快感。
絶対にそんなことをさせるわけにはいかない。
「ね? エリアス、そうしよう?
姫様を見つけられないのは残念だけど、エリアスにはまだ未来があるじゃない!
私がガルバンに行けば、そうすれば生きられるんだよ!
エリアスには、ダイラか、他の人かわからないけど、そのうちいいなって思える人、きっとまたできるよ!」
ナタリアの、瞳。
「その人とさ、結婚して、幸せになって、そのうち子供もできちゃったりして、それは元々望んだ未来とは違うかもしれないけど、それはそれできっと楽しい新しい未来になるよ!」
なぁナタリア。
それって・・・涙?
「ずっとずっと愛する誰かと一緒にいてさ、一緒の思い出をたくさん作ってさ、同じだけ同じように歳をとっていくの!
気が付いたら孫までいたりしてさ、エリアス、きっと子供も孫も溺愛しちゃうタイプじゃない?
そんなこと考えてたらさ、幸せな気持ちにならない?
きっとエリアスにはたくさんの、たくさんの幸せな未来が・・・。」
なんで泣いてるの?
なんで笑顔で泣くの?
あぁ、なんかオレ、わかっちゃったよ。わかった。
ナタリア。
「エリアス・・・。死んじゃいやなの・・・。生きてて欲しいの・・・。」
「なぁ、ナタリア。」
「・・・。」
ナタリアは涙が溢れて、喋れなくなってしまった。
オレに縋りついた手を、オレは優しく包んだ。
「オレさ、ガルバンなんかに、ナタリアを取られるのは、絶対に嫌なんだ。絶対に。何があっても。」
オレから姫を奪ったガルバンに、ナタリアまで奪われることは、あってはならない。
「オレ、好きな人がいるんだ。」
「・・・うん、わかってる。姫様・・・だよね。」
「ナタリア、オレが愛する姫は、もういないんだ。」
オレの記憶のどこにも、姫はいない。
でも。
オレはナタリアを抱き寄せた。
「え・・・?」
「オレ、さっきナタリアがガルバンに嫁ぐって言ったの聞いてさ、心の底から不愉快だったんだ。
もちろん、ガルバンには今回の件で恨みがあるからだと思ったんだけど、それだけじゃなかった。
なんでだろうなんでだろうって考えて、そしてわかったんだ。
オレ、ナタリアのこと好きなんだ。」
「え、え、・・・。」
「姫のことはさ、オレ、名前も顔も覚えてない。
あんなに楽しく一緒にいたはずなのに、その思い出の欠片さえないんだ。
もう一生、思い出すことはできないんだと思う。
でも、それはもうそれでいいんだ。
ナタリア。
君を見て、君と新しい思い出を作って、君の名前を改めて呼ぶんだ。
君の名前はナタリア。
忘れたくないから。もう二度と、その名前を。」
ナタリアは声を上げて泣いた。
あぁ、何度目だろう。
ナタリアはよく泣くなぁ。
オレの中には確かに、よく泣くナタリアの思い出があった。よく泣き、よく怒り、よく笑い、ずっと一緒にいてくれた、ナタリアとの思い出。
「オレさ、姫との思い出は忘れちゃったけど、ナタリアとの思い出は、覚えてるんだ。
しかも驚くことに、姫と会えなくなった後の思い出だけ、鮮明に。
それ以前のナタリアとの記憶は、見事に何も覚えてないのに。」
ナタリアはオレの胸の中で泣き続けた。オレはずっとナタリアを抱きしめ続けた。
「エリアス・・・。」
「オレ、ナタリアと新しい思い出を、一緒に作っていきたいんだ。
そう決めたんだ。
だから、オレと一緒にいてよ。
オレもそうしたら、君と一緒に、生きるよ。
死なない。
運命に抗ってみせる。」
「・・・姫様とのことは、もういいってこと?」
「オレの姫はナタリアだ。ナタリアしかいないんだ。」
抱きしめた両腕に力を込める。
ナタリアは少し苦しそうな声をあげる。
それでも、ナタリアはオレに答えてくれている。
姫の記憶はないし思い出すこともできないけれど。
ナタリアが姫だ。
オレの姫は、ナタリアだ。
「わ、私が姫だなんてそんなこと・・・。」
「だからもう、いいんだ。オレはナタリアが好きなんだ。それがすべてだ。」
オレは姫を忘れ、ナタリアを愛した。愛する姫はもういないけれど、ナタリアがいてくれる。
「エリアス・・・私も・・・。
私も、ずっと、ずっと、エリアスが好き・・・。」
ナタリアはいつまでも泣き止まなかった。
だってナタリアは、いつだって泣き虫だったから。
オレは姫を忘れ、ナタリアを愛した。
だが、姫からナタリアに乗り換えた、という意識はまったくなかった。
何故なら、オレにはナタリアが姫としか、思えなかったからだ。
根拠もある。
ずっとおかしいと思っていたこと。ナタリアとの思い出だ。
オレとナタリアは幼馴染なのに、オレにはナタリアとの思い出がまったくない。
思い出せない。
それだけじゃない。子供の頃のナタリアの顔も声も性格も、何もイメージできない。
姫のことを思い出せないのと同じ。
記憶がなくなっている?
いや、違う。
逆じゃないのだろうか。
元々ナタリアとの子供の頃の記憶なんて、オレにはないんじゃないか。
ふと思いついて、ある日、イサ―クに聞いたことがある。
ナタリアと出会った時のことって覚えているか? 具体的に聞きたい、と。
イサ―クは、全然覚えていない、気が付いたら友達になっていた、いつから友達なのかも記憶がない、と答えた。
そんなことがあるだろうか?
もしかしたらナタリアは、ごくごく近い人にだけ、架空のナタリアという偽りの記憶を受け付けることができたのではないか。
だがそれは、あくまで表面的な記憶なので、細部を思い出そうとすると、空虚しか見つからないのだ。
そう考えると、つじつまが合う。
思い返せば以前、ナタリアと昔の話をした時、オレが何も思い出せなくても怒りもしなかったし、むしろ忘れていて当然という態度だった気がする。
つまり、姫はナタリアとしての記憶をオレたちに与えたあと、いかにも親友のふりをして日常に溶け込んだのだ。
仮に、自分が姫だと明かしても、オレは覚えておらず真偽を確かめる術がないのだから、意味がない。
姫はナタリアとして、まったく新しいナタリアとして、オレと生活を共にすることを選んだのだ。
二人の関係はまっさらの状態からだったけれど、それでもそこから改めて、オレと恋仲になることを目指したのかもしれない。
そうだとすると、その場合の最大のライバルはダイラでもマルタでもない、他でもない姫、かつてのナタリアなのだから皮肉なものだ。
それが正しいと仮定するなら、オレがナタリアとはじめて会ったのは、イサ―クにボコボコにされて気を失い、治療してもらって回復したあとだ。
あの時オレは、ナタリアが髪を切った、と思った。
実際、切っていたのだろう。
そして、それに気づいたオレに、ナタリアはひどく驚いたじゃないか。
きっと、髪の長いナタリアは、まだわずかにオレに残っていた、姫の記憶だったのだ。
聞いても彼女は答えないだろう。意味がないから。
今いるのはナタリアで、姫ではないから。
だから、オレは聞くことはもう、しない。
オレは姫ではなく、ナタリアを愛するのだ。
ナタリア、オレと一緒に逃げてくれるかな?
それこそ、運命によって死を定められたオレが生きることができるかはわからない。
厳しい旅になると思う。
あるいは、オレはすぐに死ぬのかもしれない。
たとえそうだとしても。
元々そういう運命だったんだ。
運命の日が訪れるまで、オレはナタリアと一緒に過ごして思い出を作りたい。
なくしてしまった思い出を、もう一度。
姫ではなく、ナタリアと。
まだ完結ではありません。
もう少し続きます。
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