「百万石の酒」の名場面
さて、今度は、超爆裂台の「CR花の慶次」について書かねばならない。
何の因果か、私の、部下には、パチンコ好きが、非常に多かった。
で、普段は、極、真面目な部下が、「花の慶次」がどうの、「キセルをトントンすればどうのこうの……」と、面白い話を、昼食時に、しきりにしているのである。
どうも、パチンコの話らしいが、私は、漫画で『花の慶次 雲のかなたに』を、確か、『少年ジャンプ』で、読んだ気がするが、その台は打った事が無いので、部下の言っている意味が分からない。
しかし、部下と一緒に行った、パチンコ店で、そのスペックのもの凄さに驚いたのだ。何しろ大当たり確率は、ほぼ1/400である。つまり、千円で20回、デジタルを回せるとしても、最低でも2万円ぐらいは必要なのである。
ここが最も大事なところで、400回に1回の大当たりになると言う事は、下手をすれば千回以上もハマる事も十分にあり得るのである。あっと言う間に、5万円ぐらいは無くなるのだ。
これは、もう無茶苦茶だ!!!
しかも、仮に、大当たりを引いても、単発だった場合には、完全に負けである。
だが、驚くべきは、一旦、確変(確率変動)を引けば、確変継続率は80%代である。つまり、一度、確変さえ引ければ、10連チャンや20連チャンは当たり前、だから人によっては、ドル箱、10箱、20箱を積んでいる者も、ちょくちょく見かけたのである。
それで、あまりに、厳しいスペックなので、今回ばかりは、「パチンコ攻略雑誌」を買い込んで、十分に、研究してから挑戦する事にしたのである。
また、丁度、その頃、コンビニで、漫画『花の慶次 雲のかなたに』のコミック版が、全12巻出ていたのでそれも読んだ。
原作は、隆慶一郎氏の『一無庵風流記』で、これも文庫本で売っていたので、それも読んで、さて、実戦に向かう事にしたのである。
しかし、実際打ってみると、まず、大当たりがほとんど引けないのだ。
何しろ、1/400の確率である。
更に、奇跡的に大当たりを引いても、単発だったら、ともかく一度出た出玉が無くなるまでは、何とか打ち続けるものの、大抵、追加投資しなければ、次の大当たりは来ないのだ。これでは、パチンコで、飯を喰うどころの話ではとても無いのだ。
まだ、在職中で、給与が当たっていたから良かったものの、これが、定年後だったら、まず、打つ事自体が、不可能だったろう……。
既に、漫画の粗筋は知っているが、それでも、パチンコ台の演出画面は非常に凝っていて、全く飽きなかった。また、そうで無いと、あまりに単調な、演出画面だった場合、お客が飽きてしまうからである。
だから、途中途中に、打ち手に「もしや」と思わせる、リーチ画面は、結構、出て来るが、大概が全てハズレであった。
しかし、このパチンコ台には、非常に大きな特徴があった。
いずれ、後で述べる事にもなるであろうが、CRパチンコ『冬のソナタ』と、同様に、連チャンが続くと、その連チャン回数に応じて、漫画の名場面が、順々に液晶画面に表示されて行くのである。
この演出には、私は、大変に感激した。
めったに確変を引けないのだが、何故か、偶然、確変を引けた時があった。前田慶次が、キセルをコンコンと叩く場面が出た後である。
この時、確変が一画面づつ進むにつれて、漫画『花の慶次 雲の彼方に』の粗筋が、一画面づつ進んで行くのであった。
この時、連チャンが確か5回目まで進むと、漫画でも有名なある画面に変わるのであった。
それは、「百万石の酒」と言う場面であった。私は、漫画『花の慶次 雲のかなたに』でも、最も、好きな場面でもあるのだが……。
これは、要は、小田原城攻撃の際に、前田慶次、真田幸村、伊達政宗、直江兼続、奥村助右衛門等の、面々が、一服して温泉に入っている時の話である。
で、そこで、真田幸村や伊達政宗らが、あと、十年、いや二十年早く生まれていれば、天下を取れていたものと悔しがっていた時、その湯治場に、全身、傷だらけの豊臣秀吉がひょっこり現れ、一緒に温泉に入り、
「幸村、あと10年早く生まれていれば、天下が取れたか?」と、聞く。
幸村は頭をかいて、恥じ入るのだが……。
「天下人は天が決める!」と、諭すのである。
そして、その当時、加賀藩を脱藩していた、前田慶次に、秀吉が指1本を立て、
「これで、ワシのところに来ないか?」と、聞くのである。
で、誰かが、さすが太閤殿下だ、「一万石をポンと与えるとは!」
と、そう驚くのだが……、
秀吉は、「……百万石では不足なのか?」と、切り返す。
これに対し、前田慶次は、
「人は日に米は三合、畳は一畳あれば十分。そんなことより……一献くれまいか?」と言って、この秀吉の申し出を、キッパリ、断るのである。
ここまでの段階に来ると、10連チャンぐらいは普通であって、安心して見ていれたが、ともかく、私の人生上でも、数少ない、異常な連チャン台であった事は、間違い無かったのだ。