独り言のスタート
私が、パチンコにのめり込んだのは、大学3年生の時だった。
ある暑い夏の夕方、大学の下宿の駅前にある、一軒のパチンコ店があり、既に、就職が決まっていた先輩の4年生が、ドル箱、4~5杯は玉で満杯状態だった。
で、「疲れたから、この台お前に謙るは……」と、そう言って、私に、その台を譲ってくれたのだが、しかしどのように打とうとも、玉は飲み込まれていくばかり。
しかし、ここで、諦め無いのが、この私である。
即、古本屋で、「パチンコ必勝法」を数冊買って、努力はしてみたものの、結局、パチンコで飯は喰えそうにも無い。
これは、サラリーマン・パチンカーのぼやきでもあり、また、その壮絶な戦いの記録でもあり、その他、諸々の話が詰まっている。
パチンコ店の裏話(裏ロム、遠隔操作等等)も含めての、ごちゃ混ぜの「エッセイ」である。
なお、全くの不定期投稿であり、気が向いたら、書いて行きたい。
私が、パチンコにのめり込んだのは、大学3年生の時だった。
ある暑い夏の夕方、大学の下宿の駅前に一軒のパチンコ店があり、既に、就職が決まっていた先輩の4年生が朝からパチンコを打っており、ドル箱、4~5杯は玉で満杯状態だった。
で、「疲れたから、この台お前に謙るは……」と、そう言って、私に、その台を譲ってくれたのだが、しかしこの私が、その後、どのように打とうとも、玉は飲み込まれていくばかり。
しかし、ここで、諦め無いのが、この私である。
即、古本屋で、「パチンコ必勝法」を数冊買って、努力はしてみたものの、初めは、パチンコでとても飯は喰えそうにも無い程の惨敗。
この時のパチンコ台は、現在の、ファーバー式でも、自動ハンドルでも無い。
100円玉を入れると、台の上の、玉受け皿に、何十個かのパチンコ玉が流れてくる。
それを、手打ち式のハンドルで、一発一発打つのである。確かに、猛練習すると、パチンコの腕は徐々に上がった。
当時のパチンコ台は、チューリップに玉が1個入ると、一度開き、十数個の玉が払い戻される。ここで、このチューリップに、一度に2個パチンコ玉を、放り込めれば、チューリップは開き放しになり、無限に玉が出る計算になる事になる。
しかし、これには、相当の腕が無いと出来ないワザなのだ。これができれば、いわゆるパチプロにもなれたのだ。いわゆるパチンコで、飯が喰えたのである。
また、古本屋で数冊買い込んで来た、「パチンコ必勝法」の本には、パチンコ台の傾きも大きく関与するとも書いてあった。
簡単に言えば、パチンコ台の元になっているベニヤ板が、前に、若干傾いていると、玉が前に傾き、いくら、チューリップの上の二本の釘が大きく開いていても、玉は、必ずしもチューリップには入って行かないと言うのである。これを詳しく言えば、パチンコ台の傾き故、玉が、釘の上を飛び越えて、チューリップに
入らないのだ。
そこで、その解決法として、パチンコ台の下にある玉の受け皿に、多数の玉を置いておくと、その重みで、ベニヤ版の前傾が是正され、玉が、チューリップに入り安くなると言うのである。
これらの、パチンコ本の影響もあり、その後は、パチンコで飯は喰えなくても、まあまあ、トントンで、遊べたのである。
さて、大学を卒業して、東証一部上場企業のファッション会社に入社したものの、社風と合わず、わずか、半年で退社。
北陸の地元にUターンしたが、そこでの給与は、前の会社の1/3しか無かった。
ここで、再び、小遣い稼ぎに、パチンコに手を出すのだが、わずかの間に、パチンコが急激に変化していたのである。
いわゆるフィーバー機が出現。玉を打つハンドルも、手動式から、モーターで玉を打ち出す自動ハンドルに変わっていた。……これでは、学生時代に習得した、パチンコの打ち方は、既に、通用しなくなってきていたのだ。
これは、私にとっては、致命的な事で、パチプロにあと一歩と迫っていたパチンコの打ち方は、もはや、全く、通用しないのだ。
そもそも、フィーバー機とは、何か?
私は、再び、新たな「パチンコ必勝法」の本を、数冊以上買い込んで、研究を再開した。
いくら給料は安いとは言え、実家から通っているので、小遣いは自由に使えた。
同僚らは、次々と結婚していく中、学生時代、パチンコ以外は遊んだ事の無い私には、ここで、遊ぶだけ遊ばねばと思ったのだろう。
何しろ、自慢では無いが、某私立大学は総代クラスで出ている。全学部で、1学年に2名しか貰えない、完全給付型の奨学金をもらうために、学生時代は、ホント、良く勉強していたのだ。それも、見事卒業までの3年間、給付された。その完全給付型奨学金をもらうには、基本的には、大学1年生時の成績で、最低、オール優を取らないと、給付されない。2年生で成績が下がれば、即、打ち切りとなるのである。
多分、その反動なんだろうなあ……。
もう一つ、パチンコにのめり込む理由があった。
それは、高校時代から大学時代にかけて、10人以上の占い師に見て貰ったが、ほとんど、各占い師が、好き放題の事を言っていたが、唯一、不思議だったのは、ほぼ全員が、晩年は大金持ちになると言った事だ。
更に、地元にUターンして、確か、25歳頃だったか、大阪に遊びに行ったのだが、心斎橋にある109ビルの最上階に、ソニー・エンタープライゼスだったかと言う、多分、ソニー関係の会社が、西洋占星術をコンピュータで行ってくれた。料金は高かったが、キチンとホロスコープも作ってくれ、ちゃんと将来を占ってくれるのだ、ここでも、「晩年は億万長者になる」と、印刷されて出てきた。
しかし、あのまま、東証一部の企業にいて、社長にでもなれば不可能でも無いが、私が地元で就職したのは、単なる地方公務員である。給料は、ともかく、めちゃくちゃ安い。
私は、高木彬光氏の小説『白昼の死角』を読んでおり、一サラリーマンが金儲けをするには、株式投資しか無いと確信していたが、父親が頑固で、「株をするなら家を出て行け」と言うのだ。株で、失敗して自殺した人は多い。
結局、私が、最後に辿りついたのは、サラリーマン・パチンカーになって、小銭を貯め込む事にしたのだが、しかし、そうは問屋は下ろさなかったのだ。
今日は、まず、ここらで筆を辞めよう。しかし、ありとあらゆる、パチンコ必勝法の本や、雑誌を、100冊どころか数百冊も買って研究したのである。色々な話も、十分に知っているのだ。